墓参り



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「お墓参りに、行きませんか」というクラーリィの言葉に、フルートは読んでいた本から視線を上げた。大して面白くもない空想小説に比べれば、よっぽど面白そうな話題だ。
「どうでしょう、気分転換に」
 クラーリィは静かに彼女に案を持ちかける。傾きかけた日差しの中、彼の長い金髪が微かに揺れている。
「……どなたの、ですか?」
「あなたを育てたレシクは、私の実の祖父ですので」
「……え?」
「本名をレシク・ネッドといいます。どうでしょう、フルート様」
 逆光でクラーリィの表情は伺えなかった。今にして知る祖父の本名と素性に、フルートは少しだけ狼狽えつつも、ええ、と呟いた。


***


 次の日、流石に箱を待ち出すことは無理だと言われ、渋々フルートは彼を、ハーメルを閉じこめた「鍵」だけを持って外に出た。
 久しぶりに感じる外気は頬に冷たく、肺の奥まで吸い込んだ外気はその身を少しだけ凍えさせた。気がつけば外は季節が変わり、何度目かの冬が過ぎようとしていた。馬車の窓から伺える、春の小さな息吹がそれを伝える。

 スタカット村は地図上では「跡地」と記されている。そもそも本当の住民の居なかったこの村は再建されることもなく、今は無人なのだとクラーリィから説明を受けた。
 そう、あの村は本来は存在しない村だったのだ。フルートを育てるため、たったそれだけの為に「作られた」架空の村だった。農民に見えた住人は全てスフォルツェンド魔法兵団の者で、各々がフルートを外敵から守るため真実命を捧げた人たちだったのだ。今でもまだ信じられない。一緒に歌を歌い、踊り、朝の挨拶を交わした相手が、実は主従の関係だったなどと。
 過ごした「時」は真実だ。でもその胸の内はフルートにとって嘘だった。

 レシクおじいさん、と彼女が呼んだ老人は、フルートの実質的な育て親だった。優しく、時に厳しく、ハーメルと自分を見守ってくれていた。
 クラーリィは言う。彼は実の祖父ですと。フルートはそれに対する言葉を考え倦ね、黙って窓の外を眺めていることしかできなかった。



「……綺麗」
 辿り着いた跡地には、少し大きめの石碑と共に、色とりどりの花が添えられていた。更地となって、最早そこに家があったなどという痕跡すら残っていない。ただ石碑が、ここに昔人が住み「女王」のために命を散らしたことを淡々と伝えている。
 その石碑には、フルートのよく知る人々が、彼女の見知らぬ名で記されていた。
「この、お花は……」
「恐らく近隣住民が置いたものでしょう。ここは、『世界を救った女王を育てた村』と有名になりました。近隣のものが、命を落とした兵に敬意を表して毎日のように花を添えに来ると聞き及んでいます」
 少し離れて立つクラーリィが、事実のみを告げる。フルートはそっと石碑に近寄り、一番上に書かれているレシクの名をなぞった。確かにレシク・ネッドと彫られている……十五年も共に暮らし、フルートはとうとうおじいさんの本名すら知り得なかったとは。
「世界を救った、女王を育てた……」
 クラーリィの言葉は他人事のようだ。フルートにはあまり世界を救ったという実感はない。自分の目の前にあるのは、あの時も、今も、ハーメルを封印してしまったということ、そしてそれを自分の意思で実行してしまった以上恐らくはもう二度と彼に触れることが叶わないこと、その事実だけなのだ。
「ええ、あなたは世界の救世主。あなた自身がどう思おうと、それは変わりません」
 フルートの蟠りを察したのか、クラーリィは少し譲歩する言い方をした。
「……そう、ね……」
 フルートも静かに肯定する。国民は、今もフルートがあの箱を大事に持って離さないことを知らない。知ったら最後、どうなるだろう。想像もつかない。きっと国民の中には、何としてでも女王から箱を切り離そうとする者すら現れるだろう。女王には未だ、「箱を開ける力」が残っているようだから。

 また、沈黙が訪れる。

 沈黙を切り裂いたのはクラーリィの方だった。祖父は、と彼は言葉を句切る。
「祖父は、どんな人間だったのでしょう」
「レシクおじいさん?」
 ええ、とクラーリィは頷いた。……気配がした。フルートは彼に背を向ける形で立っているから、彼の表情や姿勢は伺えない。でも多分、いつものようによく分からない表情を浮かべて、少し後ろに突っ立っているのだと思う。彼に王宮の作法や行事を教わる内、彼もまた、母のようにこの結果をひとえに喜ぶことのできなかった人間なのだと知った。理由はよく分からないが、きっと彼なりの「ベスト」の結末ではなかったのだろう。フルートがハーメルを封印し、女王という椅子に座るということは。

「写真でしか見たことがないのです。結局一度も話したことがない……と思います」
「そう……ですか」
 フルートは視線を落とした。レシクがよく自分に言っていた、「おまえこそわしの孫だ」という言葉が胸に刺さった。
「私の家はそういう家柄です。私は両親ともあまり過ごしたことがありません。……気に病むことはありません」
 フルートには、本物ではなくても暖かい家庭があった。それがなかったというクラーリィが、今どう思ってその言葉を言ったのかフルートには分からない。
「ですが、やはり……少しは気になります」
 話したくないなら別にいいのですが、とクラーリィは付け足した。

 もしかしたら彼が墓参りに誘ってくれたのは、今は亡き、そしてとうとう祖父と孫という関係すら築けなかった実の祖父に対する一種の心残りなのかも知れない。
 おじいさんは、とフルートは切り出した。目を閉じると今でも浮かんでくる。この丘のにおいは変わらない。優しい草木の香り、土の原始的な香り……

 おじいさんはいろいろなことを教えてくれた。
 草の種類。これは雑草、これはいずれ花が咲く、これは薬草になる。一時期やっきになって、ハーメルと名前の覚えあいをしたことがあった。いつも僅差で、どちらかが大勝するなんてことはなかったのだけれど、「草笛として使える」草の種類だけはどうしても適わなかった。そのたび残念がって、悔しくって、子供みたいに困らせようとハーメルにバイオリンを弾くことをねだった。彼は少し照れた後、いつもいろんな曲を披露してくれた、私はそれを聞くのが大好きだった…
 花の名前も。季節ごとに村で咲く花は、小さいものから大きいもの、質素なものから派手なものまで沢山あった。部屋に飾る花束を調達したくて、よくハーメルと二人で出かけた。森の奥には見たことない花がいつも咲いていて、これはなんて名前なのかしらと摘んで帰った。その度おじいさんに怒られた、危ない、怪我をしたらどうする……
 鳥の名前も。目を閉じて、鳴き声を聞いて、名前や特徴を言い合ったりして遊んでいた。繁殖期になると切ない声をだす鳥が居たの。私あの声を聞くといつも居たたまれなくなって、可哀相なんて言っていた。ハーメルはそう思わないって言っていたけど。切ない声を出すのは、恋いこがれた人が居るからだって言ってた。恋いこがれる人ができるなんて幸せなことだって。
 星の読み方も。星の多さをもとにした占い法を教わった。……これは、あとでクラーリィさんにもう一度教わって、ああ本物だったんだと思ったのだけど。あの時は、そんなこと知らないから、ハーメルと二人で明日は天気になるとか、次のお祭りは上手くいくとか、そんなことばかり占っていた。残念だけど、あまり成功率が良くなくて。ハーメルはいつも笑っていた……占いと言えば、石ころを使った占いの方法も教わったのだけど、やっぱりそっちの成功率も振るわなかった。ハーメル、おまえは予言者にはなれないなって言っていた。悔しかったけどなりたいとも思わなかったからその時は何も言い返さなかった……
 季節の行事について教わったのもおじいさんだった。春夏秋冬のお祭り、行事、農作業の工程。どこを見ても緑な村だったから、村中が色めき立つお祭りは大好きだった。みんなで服を新調して、歌を歌って、踊って、満天の星空の下で夢や希望について話し合うの。ハーメルはそういうところ不器用だったから、毎年私が新しい服を作っていた。初めの方は出来も良くなかったのだけど、ハーメル一度だって「変」だとか「厭」だとか言わなかった。だから私頑張ろうって、凄く裁縫について勉強したの……



 おじいさんの話のはずが、いつも脱線してハーメルの話になっていた。でもクラーリィは決して口を挟まなかった。背中越しに語る彼女は、王宮に閉じこめられて箱と見つめ合っているときより、よっぽど健康的で幸せそうに見えたからだ。
 でもそれは、とクラーリィは考える。箱が目の前になく、現実を見ずに済んでいるからというそれだけなのだろうと。

 フルートの話が途切れ、彼女はすうっと息を吸い込んで視線を上げる。クラーリィが改めて彼女を見ると、彼女は少し振り返って肩を落とした。
「物知りで、いつも頼りにしていました」
「厳格な方でしたか? それとも、どちらかと言えば柔和な方だったのでしょうか」
「……優しかった。あまり怒らなかったわ」
 村から離れようとするといつも怒ったのだけど、と付け足した。今になって分かるのだ、彼が怒った理由が。フルートが、この村に留まらなくてはいけなかった理由が……
「成る程。良い祖父だったようです」
 あなたの思い出の中に残って、祖父も本望でしょうとクラーリィは呟いた。フルートはそれには返事をせずに視線を石碑に戻す。相変わらずそこには、聞き慣れない名字を伴った彼女の「おじいさん」の名が刻まれていた。

「おじいさん、いつだったか町に降りて、服を買ってきてくれたの」
「……はい」
 フルートはゆっくりと石碑の名をなぞる。彼女の体が微かに揺れたのに伴って、胸に光る十字の「鍵」が僅かに煌めく。
「私嬉しくて、すぐにその服を来てハーメルに見せびらかしたわ」
「……ええ」
「ハーメルは少し黙って、『似合うよ』って言ってくれた。私嬉しかった」
 そうでしょうね、とクラーリィは静かに頷いた。フルートの独白は続く。
「おじいさんも嬉しそうだった。私は幸せだった。この村が全てで、この村以外の世界なんて要らなかった」
 クラーリィは返事をしなかった。否定も肯定も相応しくない返答だと思ったからだ。フルートはもとより返事など期待していなかったようで、落ちてきた髪を耳に掛けると今度こそ本当に振り向いた。おや、とクラーリィが姿勢を正す。
「クラーリィさんは、怒ってないの?」
「はい?」
「私が、実質的にあなたからおじいさんを奪ってしまって、会うこともできないで……」
 いいえ、とクラーリィは黙って首を振る。
「あなたは女王となるべくして産まれた王女」
 フルートがその言葉を受け入れるのには時間を要した。女王の名を冠する今だって、未だに実感が湧かないのだ。自分がしたことはたった一つ、あの箱を閉じること。それから先の女王としての職務は全て兄とクラーリィの二人に任せている。自分が表舞台に出て行くのは、本当にスフォルツェンドの表の顔としてだけだ。それは、リュートを失う前の母も同様だったのだと聞いた。リュートを失い、表と裏の両面を担わなければなってしまったからこそ、ホルンの顔から笑みが消えたのだと……クラーリィに聞いた。
「私は臣下です」
「……ええ」
「臣が王に仕えるのは当然の構図です。疑問など感じない」
「……そう、ですか」
 言い切るクラーリィの眼に迷いはない。多分それが彼の真実なのだろう。フルートにとって、ハーメルが真実であったように。
「でも、そうですね、私が大神官に就任したという話を聞いたとき、どんな顔をしたのかくらいは、知りたかったですね」
「……そう」
「仮にも肉親ですから、立派な孫を持った、くらいには認識して欲しいところですが、多分もう肉親であるという情は薄れていたでしょうから、わかりません」
 クラーリィは若干笑みを浮かべていた。寂しさから来るのか、諦めから来るのか、それはフルートには分からなかった。
 きっとレシクにとって、孫はクラーリィやコルではなくフルートとハーメルだったのだ。おそらくは、クラーリィが大神官に就任したというその報せすら耳にしていないのかも知れない。もともと、外界との情報を隔離した村であったから。



「そろそろ、帰りますか」
 クラーリィが空を見上げる。まだ日は高いように感じられたが、頬を撫でる風は相変わらず冷たかった。
「……もう少しだけ、……もう少し……」
 フルートは石碑を振り返った。縋るように視線をやっても相変わらず石碑はそこに立っているだけで、身を切る凍える風だけがフルートの周りを取り巻いていた。


***END



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