なぐさめ



 ***


「アルト」
 人払いをするなりホルンは妹の名を呼んだ。その表情は硬いままだが、それでもたった一人の妹へ寄せる愛情は十分に伝わった。アルトはホルンに敬意を示す形で頭を下げ、それから彼女の方へと近寄る。
 アルトは黙ってホルンの手を取り、ホルンに似た優しい眼差しでもって姉さん、と呟く。
「お辛いでしょうに」
 ホルンは返事をしなかった。

 後に第一次スフォルツェンド大戦と呼ばれる戦争から数年。王都は見る間に復興の兆しを見せたが、それでも爪痕は大きく残っている。ホルンは息子・リュートを魔族に奪われた。娘・フルートを不十分な過程でもって送り出すこととなってしまった。
 そして己は結界の一部となり、結界が解けない限り永遠にこの国この王都から出られなくなってしまった。まさに籠の中の鳥だ。孤独に苛むホルンに救いの手を差し伸べることはできない。たった一人の女・パンドラのしでかしたことはあまりにも大きい。リュートが奪われ戦局が不安定になったことから、鍵はなんとかフルートと共にこの国から脱出させた。しかしこれは、同時にフルートの身に常に魔族に狙われる理由を付けておくことにも繋がる。
 この世界の平和を守るため、この安穏を確かなものとするため。ホルンは己のたった一人残された子供に、魔族の餌をぶら下げなければならなかった。

 ひしと姉妹はお互いを抱き締める。ほんの少し許された姉妹の時間。お互いの身分が故に、なかなか会うことのできぬ悲しい二人。
 それを遠くから眺めていたコキュウはただ綺麗だという印象を抱いた。献身と慈愛の名を持つ血筋を引いて産まれた二人。産まれたその瞬間から運命の決まっていた二人。己にどんな災いが降りかかろうと、それに対抗し立ち上がるだけの強さが彼女たちには求められる。
 そして、世界中の人々がそれに甘えている。
 ふとホルンがアルトを解放し、こちらに視線を向けた。コキュウはやや慌てて挨拶をする。それからぼやっとしていたらしいきょうだいたちに「頭を下げろ」と注意する。
 まあ、なんてアルトは己の子の粗相を笑っていた。ホルンは笑わなかった。だが不愉快に眉を顰めているわけでもない。噂に聞くとおり、彼女はそもそも笑えないようだった。ただ「いいのですよ」と優しい声色で言う。ホルンが心に負った傷は、とてもではないがコキュウには想像もしかねる程の深さのようだ。
「あなた方も、お久しぶりですね」
 はい、と頭を下げる。ホルンはその後に「大きくなったわね」と続けようとしたようだが、その言葉は途中までしか続かなかった。
 彼女は知らない。実の娘がどのような成長を遂げているのか。実の息子が、どうなってしまったのか。

 ふと、視線を感じて振り向いた。入ってきた時には気付かなかったが子供が二人、柱の影からじっとこちらを見ている。金髪の子供。たぶん男の子と、それから随分幼い、服装からして女の子。このような場所にいるということは何らかの関係者なのかもしれないが、血縁の者にこのような人物がいたことをコキュウは知らないし、アルトやホルンの血縁者にしては髪の色が明るすぎる。
 コキュウは首を傾げた。同年代の子供を見つけて嬉しいのか飛びかかろうとしたリラとショウの二人を止めて、こちらは、なんて問い掛ける。リラとショウの行動に驚いたのか、彼はびくっとその身を下げてしまった。もともとそれなりにあった距離が更に開く。顔の半分以上が柱に隠れる。
 アルトはその様子を見守っていたが、やがて「ああ」と頷いた。
「姉さんが引き取ったというお子さんですね」
 ホルンはややあって頷いた。私を庇う形で両親が……なんていう解説が耳に届いたが、途中からコキュウは聞いていなかった。
 金色の髪に隠れるようにエメラルド色の瞳。ホルンに似てちっとも笑えないような、随分暗い顔。彼と手を繋いでいる恐らくは妹は、そろそろ眠いのか足下が覚束なくなっている。
 そんなに暗い顔をしなくてもいいだろうに、変なところでホルンに似ている。
「……お袋様! それと、女王陛下」
「なんですか」
「子供たちでしばらく外で遊んでこようと思います。宜しいですか」
 姉妹二人は顔を見合わせて、それからほぼ同時に頷いてくれた。もとよりそのつもりだった、元はといえばアルトが「傷付いているであろう姉を労りたい」と言い出して実現した表敬訪問だったのだから、恐らくは彼女の傷を広げることになるだろうコキュウは申し訳程度に顔を出してその後すぐに退出する予定だった。
 母を通して聞くホルンという人物はいつだって優しい。母と同じように、あるいはそれ以上、スフォルツェンド王家の名に相応しい人物であるとコキュウは思っている。そんな彼女が宿命を忘れ安らげる場所、時間というのは貴重だろう。それを母アルトならば提供することができる。
「君もおいで」と柱の影の少年に声を掛けた。一緒に遊ぼう、となるべく優しく問い掛けてみる。コキュウに止められて反省したのかそれとも相手を怖がらせたことに気付いたのか、「おいで」とごく控えめにリラとショウがそれに追従する。
 金髪の少年は、しばらく困った顔を披露してから若干渋々とついて来た。

「ああ、クラーリィ君っていうの」
「い、妹は、コルっていいます」
 少年は遠ざかるコルを見つめ「ああ」なんて随分心配そうな顔をする。下にきょうだいのいないショウの琴線に引っ掛かってしまったようで、彼が「僕が面倒を見る!」とコルを連れて行ってしまった。木陰のベンチに連れて行って、座らせてあげたり、毛布を掛けてあげたり。クラーリィとコキュウがしばらく話している間にコルは寝始めてしまったようだが、それでもショウは離れなかった。味わったことのないお兄ちゃん気分を満喫しているのか、残りの三人はとっととボール遊びを始めてしまったのに、ショウはいい顔をしてベンチに寝かせたコルの寝顔をずっと覗き込んでいる。
「……ああ、そうなんだ、お父さんとお母さんがね……」
 ぽつぽつと語る少年の家族構成は、この歳からは少し考え難い複雑さ。それでも決してこの国や、王家への文句は口にしないのだ。己の弟や妹と比べて少しおませさんのような印象を受ける。けれどそれも仕方がないのかもしれない。王子という身分に産まれた己と彼は違う。その人生は重ならない。こちらが思うのとは違う感想を、彼は己の立ち位置について抱いているに違いない。
「え、えっと、コキュウ……王子」
「うん?」
「あの、はじめまして」
 思わずじっとクラーリィの顔を眺めてしまった。そりゃあ確かにこの挨拶はまだだったが、だからといって今更するようなものでもない。けれど、少年のごく真面目な顔がどうもコキュウの笑いを誘う。己に対してきちんと敬語を使ってくるところからして、随分礼儀正しく育てられているのだろう。己にしっかり挨拶をせねばと思っているに違いない。もっともコキュウはそんな些細なことを気にしたことはない。どちらかというと粗野に分類される我ら五きょうだいは、少し彼に見習うべきところがあるのかもしれない。
「……おかしな子だね、君」
「えっ? あ、ご、ごめんなさ」
「別に怒ってないよ。ほら、ちょっと笑ってごらん」


 ぐに、と脈絡なく頬をつねってきたコキュウにクラーリィは慌てた。それはもう慌てた。しかも「笑ってごらん」と言った張本人がけらけら笑っているので、反応に困ってしまった。
 相手は王子だし、失礼なことはしてはいけないと思う。そんなことをすればホルン様に迷惑になるし、最悪己やコルの面倒を見て貰えなくなるとクラーリィは考えていた。失礼があってはいけない。ホルンの面汚しとなるようなことはしてはいけない。ホルンが引き取るに相応しいような子供を、演じねばならない。
 そうクラーリィは頑張っているというのに、それを全く無視してコキュウは頬をつねってきた。ちょっと痛い。
「ほれ、むにー」
「兄貴よせよお」
 一番近くにいたガイタが顔を覗かせる。苛めていると思ったらしい。クラーリィは助けを求めようかとも思ったが、取り敢えずは黙っていることにした。
「あ、そうだガイタ、なんか面白い顔。おーい、お前らでもいいや、この子笑わせたら帰りの馬車の特等席を譲ってやるぞ」
 何ィ、なんて彼のきょうだいたちが食いついてくる。唐突の申し出にクラーリィは目を丸くした。そして現状を把握するまえに笑ったままのコキュウが顔を覗かせて、「遊ぼうって言ったじゃないか」と当然のように囁く。そしてぽんぽん頭を叩かれて、次の瞬間にはふわりと身体が持ち上がっていた。
「えっ、えっ?」
「高いたかーい」
 懐かしいなあ、なんて言うコキュウの声が下から聞こえる。ぐわりと高くなったクラーリィの視点に、今まで見たことのない見慣れた風景が映り込む。肩車。厳格な家に生まれたクラーリィは、見たことはあっても今まで一度もして貰ったことがなかった。あんなことはして貰えないのが当然で、まさか自分がして貰えるなんて思わなかった。クラーリィを支えるために足を掴んでいる手の力が少し強くて、少し痛い。
 視点が高い。そして、視界が広い。遠くまでよく見える! ぱっと、クラーリィの目が興味に輝く。冷たい風が頬を掠める。土の匂いが遠ざかって、かわりに風の音が強くなる。クラーリィの身を倒すかのように強く、時に優しく。何度かバランスを失いかけて、その度コキュウが何とか取り戻してくれた。
 楽しいだろ、と彼は言う。
「君下手くそだな。やって貰ったことないの?」
「はっ……はい」
「実を言うと俺もない。だからみんなにやってあげるんだ。高くて楽しいだろ」
 クラーリィは一瞬返答に詰まった。けれどそれに相応する返事を考える前に、意識を回りの人々に奪われてしまった。クラーリィを笑わそうと三人必死になって変な顔を披露している。それでもって、クラーリィを半分そっちのけにしてコキュウ本人がけらけら笑っている。
「やめろリラ、おまえ女の子じゃないか」
「兄さんの椅子は私が頂きますから!」
 酷い顔だな、なんて兄たちの声にもめげず、変な顔をし続けるリラ。それに対抗して、これでもかとガイタとゴーンが追従する。
 しばらくクラーリィは踏ん張っていたが、やはり子供の限界というものがある。遂に吹き出してしまい、それを見たきょうだいたちが「自分の功績だ」と言い合いを始めてしまった。兄らしくそれをコキュウが窘めた結果、結局兄二人が譲歩して、リラがコキュウの椅子を分捕ることになった。
 勝ち誇った顔をするリラと、悔しそうな顔をしながらも笑っている兄二人。コキュウの表情は分からないが、声色からして楽しそうなことは分かる。作り物の笑顔なんかじゃない、血の通った笑顔。とても眩しい。そして、居心地がいい。
 コキュウの肩の上から見慣れない高さの世界を眺めているクラーリィはここまで身構えなくても大丈夫だろうかと考える。この人々ならばきっと、「こんなに行儀が悪かった」なんて言ってクラーリィとコルを酷い目に遭わせることはなさそうだ。機械大国に嫁いだ妹とその子供達が来る、とはホルン女王より聞いていた。何となく見慣れない機械には怖いイメージがある。だからもっと怖い人たちだと思っていた。粗相をすれば最後大変な目に遭うと思っていた。
 ……そうでもなかった。
「あ、あの」
「ん? もういいかい」
 よいしょ、とコキュウが下に降ろしてくれた。クラーリィが足首を挫かないよう丁寧に力を抜いてくれたようで、クラーリィは身構えていたよりずっと楽に着地することができた。精一杯の感謝の気持ちを込めて礼を言ったが、コキュウから「そんなに堅苦しくしなくていいのに」というコメントを貰った。その上でぺこりと下げた頭をなでなでされる。
「あの」
「ん?」
「た、楽しかったです」
 コキュウはじっと顔を眺めてくる。この短い言葉の中で何か拙いことでも言ったかと恐縮するクラーリィの頭を再びぽんぽんと叩いて、あんまりそういう顔してないよ、と続けられた。
 クラーリィは「もう少し笑った方がいい」と再度に渡り要望を受けているらしい。
「旅芸人を見て笑う練習をするとか……あ、ほら、女王陛下の慰めにもなるかもしれない。今度言ってみたら、旅芸人を見てみたいですって。女王陛下はお優しい、今はあまり微笑まれないが……君の言うこと、きちんと考えてくれると思うよ」
 旅芸人、とクラーリィは復唱する。あまり聞いたことのない単語だ。言葉からぼんやりと実態について憶測はできるものの、実物をクラーリィは知らない。
「ああ、いっそのこと俺に吹き込まれた、気になる、とか言ってみたら。俺の名前を出しても構わないよ」
 一度くらい見てみたいだろう、とコキュウがクラーリィの好奇心をくすぐる。クラーリィは今度図書館に行って調べてみようと思った。それから誰か手空きの兵を狙って尋ねれば、その実物について何か教えてくれるかも知れない。ホルン様の慰めになるかと思って、なんてコキュウの言葉を借りれば大抵の人は快く知恵を貸してくれるだろう。
 小さな瞳の奥の方が好奇心に疼いて煌めく。そしてそれを、母譲りの暖かな眼差しで見つめているコキュウがいる。

 コキュウとクラーリィが話している間に残りの三人はショウとコルの近くへ移動していた。三人揃って円のようにならび、二人をじっと遠巻きに眺めている。
 コルは先程と同じように眠っていたが、その横でショウもいつの間にやらすやすやと眠っていた。気を遣ったのか、きちんと眠るコルの邪魔にならないよう縮こまってベンチの隅に寄り掛かっている様子を見た兄と姉は顔を見合わせて静かに笑った。
「あーあ、ショウまで寝ちまった」
「お兄ちゃんぽくて良かったじゃないか。成長の瞬間を垣間見たようで俺はちょっぴり感動したな」
「まあ寝てたんじゃ仕方がないわ」
 彼らから少し離れた位置で立ち止まったコキュウはまた腰を屈めて、心底申し訳なさそうにごめんねと謝ってきた。大丈夫です、と慌ててクラーリィが首を振る。たぶんコキュウは己とコルを引き離してしまったことを幾分申し訳なく思っているのだろう。だが、それぞれきちんと面倒を見て貰ったのだからクラーリィに何か言うべきことはない。遠目にではあるが、コルが幸せそうな顔をして眠っていることは分かる。
「兄貴、腹減った」
「お腹が空いた、だ。少しは礼儀正しいクラーリィ君を見習ったらどうなんだ? まあいい、そろそろ移動した方が良さそうだな。空が陰ってきた」
 釣られてクラーリィも空を見上げる。頃合いは夕方。橙と紺の混じり合うへんに滲んだ空。雲は少ないが、陽が落ちてきたせいか辺りは徐々にその明るさを失ってきていた。草木の背後の影がずんずんと色を増してゆく。だがそのやや冷えた空気が胸に心地よく、先程まで感じていた不安やら緊張やらは嘘のように吹き飛んでいた。深呼吸。気持ちがいい。
 はい、とコキュウは当然のように手を出してきた。その少し後ろで、残りの兄二人がそれぞれショウとコルを起こさないようにそっと抱きかかえている。二人は眠らせたまま移動する気のようだ。
 クラーリィは少しだけ照れ笑いをするとコキュウの手を取った。彼は「なんだ、普通に笑えるんじゃない」と、褒めてくれた。


 ***


 その音を耳にした時、背筋に悪寒が走った。
 生理的嫌悪をも呼び起こすかのような雑音と、震える千切れた低い声。怨嗟の混じる、負の滲み出たその声。彼らは名乗った。十年前に殺されたはずの、最早幽鬼にすら値する機械大国スラーの名を。そしてクラーリィは随分と乱れた映像の中に、確かに見知ったあの姿を見つけた。
 そして恐ろしいことに、あれからもう十年の月日が流れ、クラーリィは大神官の座を頂きこうも成長したというのに、あの日から彼は何一つ変わっていやしない。
 クラーリィの胸に浮かんできたものは慕情ではなかった。追慕とかいうものとも少し違った。
 恐怖、嫌悪。そしてそんな感情の渦の中に、遠いあの日の微かな思い出がセピア色をした写真のように入り込む。クラーリィの思考を止める。指先が震えていた。それに気付き、やや慌てて手を強く握った。
 震えが止まらない。通信画面に映る彼と、遠い過去の日の己に笑いかけてくれた彼の姿が重なる。重なるのに、重ならない。決定的な違和感がクラーリィの暖かな追想を止めてしまう。画面の奥、笑顔の消えた彼の表情がまるで槍の雨ようにクラーリィの心を突き刺してやまない。冷たい目だ、人間でないかのようだ、そう、まるで魔族のようなそれ。あの日の彼と同じ顔をしているのに、どうしてこうも違うのか。あの日海原のような広さを感じた瞳が、今は氷のように冷たく血の通わない存在としてクラーリィの瞳に映り込む。

 王子、とクラーリィは呟く。音にはならなかった、いや、唇がそう動いてくれたかどうかすら確証がない。音にすらならない無力な息がただクラーリィの外へと出て行く。己にできることなんてきっと何もない、できたことなんて、きっとあの頃から何一つなかった。
 東国の会壊滅の報せを聞いたあの日の記憶が鮮やかに蘇る。その時ホルンの顔は真っ青だった。そして己は、どうすることもできずただコルを抱き締めてその夜を過ごした。
 ショウ王子、あの時のコルはこんなに大きくなったんですよ、なんて。コキュウ王子、今じゃもう肩車はできませんね、なんて……
「どうして……」
 ぎりぎりおかしな音を立てて運命の歯車が再び回り出した。一年前とは比べものにならない速度で回り出した歯車が、このまま壊れてしまうかのような不協和音を奏でながら地獄の底へと落ちていく。
 クラーリィに拾い上げることはできない。ましてや歯車を止める事は叶わない。今の己にできることは、今も昔もただホルンの傍らに侍るだけ。甥や姪の死に今一度直面せねばならなくなったホルンのために、この身を捧げることだけだ。
 しばらくすれば震えも止まる。こんなところで立ち止まるわけにはいかない。できることは少なくとも、己にしかできないこともある。俯いていてはいけない。泣く暇はない。神に嘆く暇はない。
 クラーリィは顔を上げた。


 ***END



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