それがあなたの 2



 ***


 話を聞いた二人は、しばらく黙った後「ふうん」なんて随分簡単な感想をもたらした。
「んっ?」
「そうか。お互い難儀だな」とコキュウは言う。
「みんな人生いろいろなのねぇ」とバーディは言った。
「……それだけか? わ、笑ったり……しないのか」
「俺は他人の人生を笑い飛ばすような酷い性格ではない。羽根の色に関してだって、おまえがそう思っているのならそうなのだろう」
「そうねぇ、不思議な話ではあるけど。不思議な話なんていっぱいあるわよ! 今の話を聞いて笑わなくちゃいけないなら、あたしコキュウの話を聞いて死ぬまで笑わなくちゃいけないわあ」
 どういう意味だとコキュウに小突かれたバーディはからからと笑った。彼女はサイザーに向かい、一度コキュウの話を聞いてみればいいと言う。コキュウは「面白い人生は送らなかったけどな」と返したが、その顔は暗くない。
 黙っているサイザーを眺め、彼女は残り少ない鍋をかき回す。はい、なんて不意に差し出された手に疑問符を浮かべていると、コキュウに黙って持っていた椀を奪われた。残りはサイザーに譲ってくれるらしい。
 よそわれた椀を受け取り、それを眺める。この荷物の量からいって二人はさして裕福な旅はしていないはずだ。食料だって最低限のものしか持ち合わせていなかったに違いない。
 サイザーは本日二度目の「ありがとう」を口にした。いいのよぉ、なんて気の抜けるような声でバーディは言う。その底抜けに明るい笑顔が眩しくてたまらない。ただ、目を背けるような眩しさとはまた違う。
「旅をしてればいろんなことがあるの。いろんな場所に行って、いろんなものを見て、いろんな人に出会って、同じくらい別れる。でも流石に、コキュウにまた会ったときは腰が抜けるかと思ったわあ。なのに今、一緒に旅をしてるしね。旅って何があるか分からないから楽しい。
 もちろん旅半ばで死ぬことだってある。あたしと昔旅をしていた人たちはライエル以外みんな死んでしまったけれど……だからといってその仇を討つとかそういうつもりはあたしにはない。そりゃあなたのことは正直好きじゃないわ! 今でもたまに夢に見るの、もう怖くってたまらない、朝からずっと一日気分が落ち込むくらい。でも、あなたを殺したって座長たちは帰ってこない、それも分かってる」
 ね、とバーディは呟く。そうだな、とコキュウが相槌を打つ。バーディは黙りこくっているサイザーの顔を伺ってから、だって、なんて続きを話し出した。
「だってあたし、唄うたいだもの。あたしの仕事は疲れたり悲しんだりしてる人を、この歌で元気付けること。場末の旅芸人だけど、この仕事には誇りを持ってるの。だから悲しい涙は嫌い。悲しそうな顔とか、怒ってる顔を見るのも好きじゃない。けど、うれし涙とか、感動して流れる涙を見るのは好き」
 ええと、だからね、なんてバーディ。彼女はあまり考えずに話す方のようで、今のような喋り方はあまり慣れたそれではないようだ。
「……だからサイザー、別にあたしあなたの寝込みを襲おうとか、そういうつもりないの。コキュウだってそうよね? だからそんな顔しないで、好きじゃないのあたし、そういう顔」
 そういう、と指さされたサイザーははっと姿勢を正す。そういう顔? そういう顔とは……今までのバーディの話からあまり楽しくなさそうな顔だということは分かるが、何せサイザーにはその自覚がない。
「そういえばあたし、同じことコキュウにも言ったかも」
「言われたなあ。ごめんって謝ったら叩かれたな。俺妹以外の女の子に叩かれたのあれが初めてだったんだ。びっくりしたなああれ……」
 あらやだ、なんてバーディは笑う。それからふと思い出したように、そうだ、なんて呟く。
「そういえば、約束」
 すっくとバーディが立ち上がる。ぱちぱちと一人分の拍手。コキュウに睨まれたサイザーは、慌てて追従して手を叩く。観客はたったの二人。拍手も二人分。舞台は少しだけ開けた暗い森の中。それでも、立ち上がった彼女の凛々しい表情が、何か心にはっとさせるものを持って来る。
 そしてバーディはたっぷり息を吸い込んで、静かにあの歌を歌い始めた。


 ***


 サイザーは泣いていた。あれからどうも涙もろくなっていけない。二人に悪いとは思ったが、一度溢れた涙の止まる気配はなかった。呼吸を整えようとするとむしろ悪化する。二人ははじめ泣き出したサイザーを目を丸くして見ていたが、今は「いいよ」なんて背までさすってくれる。
 胸が痛い。胸が苦しい。きっと母もこんな風に歌っていたのだろうと思わせる美しい歌声が森に響き、鋭利にサイザーの胸を抉っていった。
 母を失った。どんなに愛に飢えようが、彼女が己を抱き締めてくれることは二度とない。それでもこの世に残ったこの歌が、今もサイザーに消えぬ母の愛を教えてくれる。やがて歌い手が変わり真の意味が失われようと、この歌だけはきっと地上に永遠に留まり続けてくれるだろう。そしてこの歌は、きっと永遠にサイザーの希望となりうる。

 何度か深呼吸を繰り返し、ようやく感情の波が収まってくる。サイザーはなんとか「すまん」と非礼を詫びたが、例によって大らかな表情のバーディに「いいのよお」なんて言われた。
「言ったじゃない。あたしは唄うたい。そういう涙は嫌いじゃないの」
 泣きたいときは泣けばいいわ、なんて優しい言葉。彼女は大きめの手のひらでもってゆっくりとサイザーの背をさする。
「気が済むまで泣いていいの。変に気にしなくても」
 ああ、なんて引き攣った己の声に混じって、ざくざくと足音。振り返ると、いつの間にか消えていたらしいコキュウが水桶を手に立っていた。どうも下の町まで戻って水を汲んできてくれたようだ。荷物から布を一枚引っ張り出し、黙ってその二つを差し出してきた。どうも顔を拭けということらしい。
 サイザーは大人しく二人の好意に甘えることにした。優しくされることに慣れない。己を天使と珍しがる人は多々あれど、こうも暖かく迎え入れて貰ったことはない。……けれど、居心地が悪いとは思わない。
 サイザーは「ありがとう」と呟いた。小さい声だったが確かに届いたようだ、二人は顔を見合わせて笑った。


 結局寝袋までもを借り、サイザーは二人と一晩を共に過ごした。朝ご飯も一緒にどう、というバーディの鶴の一声による。二人が眠っている間にそっと立ち去ることも考えたが、己を憎んでいてもおかしくない彼女の好意を無下にすることを考えると実行には移せなかった。
 一度は微睡んだものの、らしくもない緊張ゆえか目が醒めてしまった。ぱちぱちと瞬きを一つ。獣よけにと灯されている僅かな焚き火を残し、辺り一面は漆黒の暗闇に包まれている。その微かな灯火を受け、血色のいいバーディの頬が明るく染め上げられているのがサイザーの視界に入った。炎から少し離れた所で、文字通り丸くなってすやすやと眠っている。
 コキュウの姿が見当たらない。若干の不安を覚えたサイザーは身を起こし掛けたが、ちょうどよく頭上から「寝てろ」と短い言葉が降ってきた。
「明日は早いぞ。でないと明日中に次の町に辿り着かない。朝食をご一緒したいのならきちんと寝ることだ」
 闇に包まれた頭上を見上げる。しばらく目を凝らしていると、暗闇に紛れ大木の枝に座っているコキュウを見つけた。何か細工ものでもしていたのか、腕に棒のようなものを数本抱えている。
 寝ないのか、と静かにサイザーは問い掛ける。声を出してからもしや起こしてしまったかとバーディの様子を窺ってみたが、特にそのような気配はなかった。
「……さあ? 忘れているのかもしれないが俺はただの機械だから、寝なくても平気だ」
 人間の俺は十年以上前に寝てそれっきりだよ、なんてコメントに困る言い方をする。だが足をふらふらさせているところを見るに、別に怒っているわけではなさそうだ。
「何を……しているんだ」
「ちょっとした籠細工。俺は意外と器用! 刃物には刃物なりの便利な使い方がある。おまえの頭陀袋を見てかわいそうになったんでな。バーディのついでだ」
 ほれ、と言うなりコキュウは何かを投げて寄越した。慌ててサイザーはそれを受け取る。
 焚き火の明かりに照らされるそれは、どうも袋の補強用の籠のようだった。
「……あ、ありがとう」
「礼ならバーディに言ってくれ」
 綺麗な声だったろ、とコキュウは言う。サイザーは黙って頷いた。
 サイザーの位置からでは闇に紛れるコキュウの表情は伺えない。しばらく黙っていると、しょりしょり枝を削っているらしい音が聞こえてきた。己から少し離れたところに木屑がはらはらと雪のように落ちてくる。籠細工作成の続きに取り掛かったようだ。
 小さくコキュウの名を呼ぶと、ぴたりとその音が止まった。なんだ、と彼は言う。
「私は……私はおまえが羨ましい。羨ましかった。今も……羨ましいのかもしれない」
「そうか。俺はそれを聞けて嬉しい」
 それきりコキュウは何も言わずに、またしょりしょりと作業に戻った。しばらくサイザーは黙って頭上を見上げていたが、それ以上の変化はない。
 諦めて横になった頃、上の方から「おやすみ」という声が聞こえた。きっと聞こえないだろう小さな声で、サイザーは「おやすみ」と返答した。


 ***


 今度はコキュウの「しばらく一緒に来るか」という声に招かれて、サイザーは彼ら二人の旅にご一緒する権利を得た。ずるずると引きずられるように、緩やかな丘を転げ落ちていくかのように、じわじわと人の世に紛れ込んでいくかのような感覚。
 人の世に転がり込んでも、待っているのは贖罪を求められる現実だけだ。いや、求められるなんて言い方はおかしい。たとえどんなに優しくされようが、むしろそういう扱いを受ければ受けるほど、幼い考えで多くの人を斬り殺した現実のみが己の目の前に迫ってくる。多くの人の「人並みの幸せ」をすら剥奪した自分が何もかも忘れ心の底から幸せになることを、何より己が拒んでいる。
 けれど、差し伸べられる手は温かい。縋る思いで掴んでしまう己が、確かに同居している。

 夕方、夜も近くなった頃に三人は町に着いた。当然のように三人分で宿を取ったバーディは、寝る前にと軽い発声練習をしている。金銭の面からコキュウも同室扱いだったが、明日の小道具を作ってくると厩に退避してしまった。
 とんとんと軽く胸を叩きながら、明日の本番に向けバーディは声を整えている。
 ベッドに腰掛け髪を束ねていたサイザーは、ふと顔を上げバーディの名を呼んだ。なあに、と彼女は首を傾げる。
「楽器……」
「んっ?」
「今はもう手放してしまったのだが、私は横笛が吹けるから……ただ同行させて貰うのは申し訳ない、呼び込みくらいなら私にもできるし、少し練習すれば、伴奏くらいはできると思う」
「あらあ本当? だったらコキュウに『笛作って』って頼んでみたら? 作ってくれそうな気がする。最初彼が使ってた楽器も、彼の手作りだったし。資金がたまったらいいのを買うといいわ」
 バーディは続けて「たまに伴奏してくれるの」と呟いた。
「考えることは一緒なのねぇ。コキュウも最初、少し楽器を習ったことがあるから伴奏くらいは……って言ったの」
 じゃあ明日お願いね、とあっさりバーディは承諾した。発声練習はもういいのか、するりと布団に潜り込むと「おやすみなさい」と呟く。サイザーは黙って灯りを消すと、静かに部屋を出て行った。

 他の客を起こすことのないよう、サイザーは静かに廊下を進む。コキュウに製作を頼んでみよう。嫌味の一つくらいは言われそうな気がするが、それで済むのなら十分だ。
 廊下にはぽつんと一つ小さな蝋燭が灯されていたが、サイザーは不思議と心細さを感じなかった。ゆらりゆらりと揺らめく影ですら、不安を煽ることはない。
 サイザーの旅は続く。否、ここから始まる。


 ***END



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