愚か者の宴



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「たとえばうん、そうだな、よくお伽噺なんかで出てくる惚れ薬とかってあるだろう」
 ああ、とサックスは頷く。クラーリィは退屈そうだ。
「あれって大抵、飲んだり食ったりした後最初に見た相手を好きになるって設定が多いだろう」
「そうだな」
「それから、相手の髪の毛やら皮膚やらを混入させたえげつないバージョンだと、恋に落ちるというより相手をコントロールさせることに比重が傾く。これは惚れ薬とは言い難いな」
「そうだな、なあクラーリィ、暇なのか?」
「暇だよ。正確には少し前暇だった。暇すぎて死にそうになったから、研究することにした」
 ころころと小瓶をクラーリィは手元で転がしている。仕事終了とほぼ同時に呼び出されたかと思えばこれだ。何か緊急の用でもあるのかと思ったが、そうではないらしい。
 小瓶の中には、半透明のカプセルが一つ入っていた。
「なあクラーリィ、で、その手元のはなんなんだよ」
「以上の考察を踏まえ、俺が適当に考え適当に調合した惚れ薬のような何かだ。とりあえず、飲め」
「断る」
 脊髄反射に近いスピードでサックスは首を振った。それも力強く、どんな人間でも聞き間違いがないほどにしっかりと否定した。しかしクラーリィは「そうか」という。
「ご協力痛み入るよ」
「人の話を聞け」
「多分効果は一日か一週間か、そこらで消えると思うんだ。だいたい物語に出てくるのは一日、一週間、あるいは王子様のキスとか、そういうので魔法が解けるだろう。キスで解ける薬なんて実際どう作ったらいいものか分からないし、一週間も効果が続くほど量を入れていないから、まあ一日くらいで代謝されて排泄されると思うよ。万が一具合が悪くなったら水のがぶ飲みでもしてとっとと出せばいい。最悪薬が抜けるまでベッドに縛り付けるか、まあ任せておけ、死にはしない」
「聞くんだクラーリィ!」
「断る!!」
 クラーリィが突如怒鳴った。サックスは突然の展開にたじろぐ。ここまでの展開でサックス側に批難される要点は何一つとしてないはずだ。クラーリィに怒鳴られる理由が分からない。
 理不尽な要求をしているのはクラーリィの方だ。
「いいかサックス、俺は暇だったんだ。でも勉強がしたかった。魔法の勉強がしたかった! しかし役に立つ本が全然見あたらなかった。もう俺は図書館のそこらにある有意義そうな本は読み尽くしちまったんだよ。だから俺は御伽草子を手に取った。んで、その本に書いてあった魔法の薬を再現することにここ数日を費やした」
「なんて馬鹿なことをしているんだ大神官様」
「何度言わせる気だ。俺は暇だったんだ」
「他にやることいっぱいあるだろ!? 暇だからやるにしたって、もっと有意義なことが……」
「いいから飲め。早く。早く! 飲むんだサックス! 飲まなきゃ殺すぞ!!」
 とうとう物騒な台詞まで飛び出した。クラーリィはかなり苛々しているらしい。まだか、まだかとその瞳がギラギラサックスを睨み付けている。ほら、と彼は小瓶を突き出すが、もちろんサックスはそれを受け取ったりしない。
「飲め!」
「断る」
 サックスはぶんぶんと首を振る。しかしクラーリィに諦める気はないらしく、ふうと息を吐くと、瓶の蓋を開けカプセルを取り出した。とりあえず異臭はしない。
「今飲め、俺しか目の前にいない今だ、今飲むんだ! そうしておまえの視界から俺以外の全ての人間をはじき出せ。いいから早く、早くしろ!」
 カプセルをクラーリィはサックスの目の前にずいと差し出す。いつの間にやら机の上にはご丁寧にもコップの水まで用意されている。
「はっ?」
「いいから飲め。話はそれからだ」
「いや、飲んだら一環の終わりだ。なんだって? もう一回言ってみろ、おい」
「なにがだ? 俺以外見るなってところか?」
「そうだ、それだよ! 何をさらっと危険なことを言っているんだクラーリィ?」
 サックスは冒頭の、やる気のなさそうなクラーリィの台詞を思い出した。惚れ薬とか、人の髪の毛を入れて相手をコントロールするとか。そうだ、このカプセルを飲んでしまったら後々が怖い。怖くてたまらない。本人はさらっと言っていたが、もし目の前のこのカプセルがあの話を現実のものとする魔法の薬ならば、サックスの未来はないに等しい。
 何言ってるんだ、と言うサックスに対して、心底バカにしたような顔をしたクラーリィは「だから」と返す。
「おまえの女遊びが激しくて苛々したんだ。俺は何度も言ったな、俺の、部下に、手を出すな。俺の部下と何回デートに行った? 職務中に女子トークに紛れ込んでいる不届き者はどこのどいつだ? おまえだよ、おまえ! こうすりゃ俺の言うことをよく聞く忠犬が一匹増える。俺の仕事の邪魔をされることもない。おおなんと素晴らしい、俺は天才だ。分かったか? 分かったら飲め、でなきゃ殺す」
 サックスは己のこれまでの行動をしばし反省してみた。確かに少しさぼり気味なところはあったかもしれない。しかし、それがここまでクラーリィを苛つかせていたことには気付かなかった。
 研究と称して、クラーリィはサックスへの呪い人形でも作っている気満々だったのだろう。とりあえずは下手に出ておかないと怖い目に遭うと本能的に悟った。
 クラーリィの目は本気だ。その瞳には魔族を見るときのような凶悪な光が宿っている。こんなにも敵意を向けられたのは久しぶりかもしれない。サックスは水面下でだいぶクラーリィを怒らせてしまったようだ。
 悲しいのは、そんなクラーリィの珍しい我慢に気付くことなく、彼の温情に甘えまくった結果、こうまで感情を煮え立たせてしまったことかもしれない。言われるまで気付かないなんて、最悪だ。本人はきっと、サックスが自覚して態度を改めるのを粛々と待っていたのだろう。けれどサックスはそれどころか羽目を外し始め、とうとうクラーリィの逆鱗に触れてしまった。
「……謝る。分かった、俺が悪い。思い詰めさせてしまって悪かった。でもその薬は飲まな」
 問答無用でクラーリィはサックスに掴みかかった。座っていた机から身を乗り出し、靴もそのまま、書類を踏み付け、サックスの胸ぐらを押さえたまま床に転がる。
 驚いたサックスは初動が数秒遅れた。そのため気がついたら羽交い締めにされていて、先程の怪しいカプセルのようなものは口の奥の方にまで突っ込まれていた。吐き出そうとするも、口もついでに鼻まで塞がれてこのままなら窒息死が確定だ。馬乗りになられて、動こうにもちっとも動けない。おまけにクラーリィは全体重をかけてサックスを押さえつけている。仮に彼から逃れようと踏ん張っても、クラーリィを振り解くより先にサックスが窒息死することはもはや疑いようのない事実だった。クラーリィの殺意が割と本物であることを認めたサックスは、早々に諦めて飲み込むことにする。
 カプセルがサックスののど元を無事通過したことを見届けると、クラーリィはようやく手を片方だけ離してくれた。しかし、いつの間にやら用意してあったペットボトルを空いた手で掴み、またもや問答無用で口の中に突っ込まれた。仕方なくサックスはそれを飲むことになる。ああ、これであとでトイレで吐き出そうという計画もおじゃんだ。さようなら、俺の健康。それと、俺の健全な精神。
 コップの水といい、ペットボトルといい、クラーリィよ、そんなものを用意するくらいなら俺を正座させて膝の上にトゲトゲしたコンクリートでも乗せて説教してくれた方が何倍かましだった。

 数秒見つめ合っていたかと思う。重いのにクラーリィはどいてくれなかった。じっとサックスを見つめている。その顔は驚くほど無表情だ。サックスはじわりと恐怖に似たものすら感じた。
 憎悪、嫉妬、憤怒、そんな感情が無表情の下で泥のように渦巻いている。
 なのに、悲しいことに、それらに溺れて窒息しそうになっているかわいそうな「友情」の片鱗を、サックスは確かに見つけてしまう。どんなに苦しめても、どんなに溺れさせても、消えない友情。霧散しない強固なもの。これだけの感情の海のなかで、今なお窒息を免れようと必死で浮かぼうとしている感情の塊。
 彼のなかに腕を突っ込んで、その塊を救い出してやれたらどんなにか楽なことか。
「……クラーリィ」
「なんだ」
「おまえのこれ、失敗だよ。何も起こらない。ときめかないぞ? おまえは俺の一番の友人だ」
「効いてるじゃないか」
「は?」
 クラーリィはようやくどいてくれた。踏み越えていった書類やらを床から拾い上げている。サックスは一瞬手伝おうかと思ったが、先程の乱闘で酷い有様になった己の服装をどうにかすることが先だという結論に達した。
 掴まれた胸元からはボタンが弾け飛んでいた。ああ、これ、結構高かったのに。よく見たら少し破けている。もう補修は諦めた方が良さそうだ。
 クラーリィに代金請求してやろうかと一瞬思ったものの、そんなことをする権利がないことをサックスは思い出す。元はと言えば、自分の行動が招いたことだった。
 クラーリィは怒っているのだ。サックスが怒らせた。クラーリィは自省する時間をくれたのに、サックスはそれに気付かなかった。
「どこが効いてるって?」
「面倒だな。誰がおまえと恋仲なんか。だから惚れ薬をベースに、素晴らしく微妙な間隔を保つ何よりも強固な友情を生み出せるやつに改良した。男女を越えておまえの一番はこの俺。無二の友ってやつだな。おまえ、デート中だろうが俺の呼び出しに応じるようになるぞ。ふふん、我ながら俺は天才だ」
「……クラーリィ、やっぱりこれは失敗だ。というか、おまえの思考が残念だ。俺はおまえが天才であることを心の底から全力でもって否定する」
「なぜ」
「答えが知りたい? 大神官様」
 クラーリィは無言で睨み付けてきた。これ以上おふざけすると殴られそうだ。なんだか殺気が漂ってきた。サックスは一息つくと、びしりとクラーリィを指差す。
 距離はそんなにない。あくまでも、落ち着け、殴るなよ、という意思表示だ。
「おまえは最初から、俺の一番の友人だ、おまえが男だろうと女だろうと関係なく。分かったか? つまりおまえのここ数日の努力は無意味。もうゴールにコマのあるすごろくを一生懸命攻略しようとしていただけ」
 クラーリィはぶすっとした顔のまま黙っている。
 クラーリィはこれまでのサックスの行動を忘れてしまったのだろうか? どんなに深夜だろうが、呼び出しがあれば応じた。大変な仕事の時は、デートの約束を反故にしてでも彼の仕事の手伝いをした。無二の親友で、誰よりも彼の片腕になっているという自負がある。そりゃクラーリィほど役には立たないだろうけれど、サックスなりに一生懸命頑張っている。
 ほんの些細なお祝い事にも全力で応えて、空が白み始めるまで一緒に飲み明かしたことも忘れてしまった?
 クラーリィ、おまえは何をそんなに怖がってるんだ?
「あとは、そうだな、ゆで卵をゆでたら何ができるかな」
 したり顔のサックスを、遠慮無くクラーリィは渾身の力を込めて殴った。やばい、ついさっきこれ以上おふざけすると殴られると察知したのに台詞の選択を間違えた。少なくともこんなおちゃらけた言い方はすべきではなかった。――サックスの脳裏に、瞬時にそんなことが浮かんでは消える。
 ごす、っといい音がした。クラーリィは腐っても大神官だ。この国で一番強い。どこをどう殴ればどう相手が吹っ飛ぶのか熟知している。本人曰く相手に失礼だそうだから、たとえ友人相手だろうが手を抜かない。
 まさか殴られると思っていなかったサックスは派手に吹っ飛んだ。クラーリィは「ふん」と満足そうに鼻を鳴らす。
「大丈夫だ、鼻の骨は折れていない、ほお骨もだ」
「いってえ!」
「これでおあいこだ」

 クラーリィはサックスを一瞥すると部屋から出て行ってしまった。顔が見たかったのに残念だ。
 サックスはその背中を見ながら溜息を一つ。大丈夫、大丈夫だ気難しい俺の友人。何がおあいこなのかさっぱり分からない、とかいう突っ込みはしないでおいてやる。
 今回のことは反省しよう。でも俺は知ってるぞ、こんな俺でも、こんな俺だからこそ、おまえが俺の友人でいてくれるっていうこと。それから、たとえおまえがどうなろうが、俺はどこまでもおまえの友人であり続けるだろうってこと。
 大丈夫、おまえの中のちっぽけで、でも死にたがっていない強固な「友情」だけは、俺がきっといつまでも掴んでおいてやる。おまえが俺のことを、それこそ何をしたって最終的には許してくれるように、俺もおまえの、不器用でちっとばかり凶暴で、たまに暴走するような激烈なそれを受け止めよう。許すってのはなんだか大げさだ。おまえの場合、俺に許しを請わなきゃいけないようなことは大抵してない。あ、でも今回のは殺人未遂に含まれるような気がするから俺はおまえを怒ってもいいかも。いや、だめだ、元はと言えば俺が仕事をさぼったりしたのが悪い……
 別に、そんなことしなくたって俺はおまえの友人なのに。おまえはいっつもそうやって回りくどい……
 要するに、おまえが俺を許すように、俺もおまえをいつだって許すよってことだ。ありゃ、なんだかこれ神様への告白にちと似ている。

 明日、職場で何事もなかったかのように「その顔はどうした」なんて聞いてくるクラーリィを想像すると少し笑えた。いつもは「ちょっと」とかはぐらかしていたけれども、今回はこう攻めてみることにしよう。
「大事な親友に殴られた。ところでクラーリィ、殴った右手の具合はどう?」


 ***END



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