リュークラ前提のリュ2クラ



***


 あの時ほんの少しだけ触れた温もりとは呼べぬ温もりが、未だにこの身体に焼き付いて離れない。
 痛みも優しさも後悔も思い出も、何もかもが一緒になって消えやしない無数の傷痕のうえにのっかっている。ぐるぐると巻き付けられた包帯を代える度、露わになった傷痕を眺める度、胸を圧すのはぐちゃぐちゃになったままの記憶。そんな名前の、消えぬ恋心。

 兄として好きだったのか、それとも恋愛対象として好きだったのか、クラーリィにはいつまで経っても判断ができなかったし、これから先もできそうになかった。一つ、相手がもう死んでしまっていること。二つ、あの人のどこが好きだと偉そうに言えるほど、己はあの人のことを知らなかったこと。
 でも一つだけ確かなのは、「兄として好きだった」と言うには随分重苦しいもので、かといって「愛していた」というのもそれはそれで重すぎる、そんなもやもやとした感情に今も支配されているということだけ。
 それでもって、随分と顔の似た別人を見る度に、忘れかけていたそのもやもやが鮮やかに浮かび上がって困っている。



 スフォルツェンド暮らしを初めて数日、いきなりクラーリィの部屋に押しかけたリュートは、開口一番「あなたが好きです」と宣った。
 当然目を丸くするクラーリィに、リュートはごめんなさいと続ける。
「好きになってしまいました」
「悪いが意味がよく理解できん」
 取りあえず男だぞ、と続ける。しかしクラーリィには前述の通り未だにもやもやがあって、「男はまったくの範疇外」と言い切れない苦しさがあった。
 きっぱりとお断りしないクラーリィをいいことに、リュートは言葉を続ける。
「好きになってしまいました。ずっと昔からなんです。ただの憧れだろうって、最初は思っていました。でも、でも違ったんです。ここに来てはっきりしました。あなたのことが、」
「やめてくれ」
 クラーリィは首を振った。どんなに頑張っても、クラーリィの視界には自分より年上の筈の人しか入ってこない。おかしい、目の前が霞む。
「やめてくれ、お願いだからそれ以上近づくんじゃな、」
「やめません。いきなり変なことを言っているってことくらい分かってます、でもせめて、話くらいさせてください、言ってしまいたいんです、黙ってあなたを見ていることが辛くて仕方なくなったんです」
 クラーリィはしばらく黙った。不安そうにリュートが見上げてきたころにようやく口を開いて、小さく小さく「そうか」と言った。

 思い詰めると一方的になってしまうところは、少なくともクラーリィの知る“リュート”にはなかった。
「じゃあ、話だけな」
「…はい」
 クラーリィは至って平常を装って、リュートにソファを勧めた。リュートはリュートで自分の事で手一杯らしく、クラーリィのささやかな表情の変化にまで気を配っているようすはなかった。

「俺さ」
 はい、とソファに沈んだリュートが答える。
「おまえがどうしても、別人に見えるんだ」
 リュートの表情が一瞬で強ばった。そりゃあそうだろう。今まで一度だって言ったことなかったから、クラーリィだけは違うとでも思っていたのかも知れない。
「そう、です、か」
「今も凄い頑張ってるつもりなんだけどさ、俺にはおまえが別人に見えるんだ。
 おまえ怖いくらいにそっくりなんだよ。みんなにも言われるだろ?」
「ええ」
 リュートは俯きがちに頷いた。クラーリィが知るのはごく一部に留まっているが、その“ごく一部”だけでも十分判断材料になるだけのものがある。
「おまえ、みんなに『似てる』って言われるのが嫌で誰ともあんまり仲良くしていないだろう。俺はちゃんと見ているぞ」
 一応教育者の立場になったんでな、とクラーリィ。実際はあの人の面影を追ってつい見てしまっていただけなのだけれど、真実を言うのは止しておく。
「でもって俺は、おまえが嫌がるほうの人種だ。俺にはおまえがあの人にしか見えないんだ」
「そんなに、似てるんだ」
 悲しいな、とリュートが呟く。彼は「好きになった人にまでこんなこと言われると思わなかった」と呟いたが、その声が随分小さかったのをいいことにクラーリィは聞こえないふりをした。

「見るか? 写真。俺も写ってる」
「えっ、見たい」
「そこ、その辺。写真立て、適当に探してくれ」
 クラーリィは部屋の隅を指差した。書棚のまえ、小さなテーブルに写真立てがいくつか並べられている。リュートは立ち上がって写真立ての物色を始めた。
 しばらくいくつか眺めて、そのうち大きめのものを手に取った。他と見比べて、やっぱりこれだと思ったのか、それを片手にクラーリィの方へ戻ってくる。
 クラーリィの御座す椅子のすぐ側までやってきて、机に一旦写真を置いて、あたりをきょろきょろ見回して椅子になりそうなものを引きずってくる。写真片手に椅子も持ってくれば良かったのに、そういう考えはなかったようだ。
 クラーリィはそんな彼をじっと眺めながら、ああ、こういう計画性の薄いところも似てないな、と人ごとのように思う。
「…この金髪の男の子、クラーリィさん?」
「そう」
 指差されたのは確かに己。昔は引っ込み思案の本の虫だったので、昔の写真を見せると誰でも十中八九首を傾げる。
 それなのに一発で誰がクラーリィだか分かったらしいリュートの株が、クラーリィの中で少し上がった。
「で、真ん中が、『僕』」
「そう」
 クラーリィは頷いた。あえて否定はしない。顔だけはそっくりなのだから。
「…ほんとだ。僕みたい」
 黙って写真を眺める横顔を、クラーリィもまた黙って眺めていた。あの人とは違う感情の入り交じった横顔。
 あの人にはなかった。嫉妬。

 しばらく眺めて納得がいったのか、リュートは写真立てを戻しに掛かった。「片付けますね」という言葉に「ああ、元の位置で頼む」という短い返答。
 元の位置にセットしてもなおしばらく写真を眺め、リュートは踵を返した。少し迷ったものの、このまま帰ろうとしているらしい。写真を見せた行為を、お断りのサインと取ったようだ。
「ああ…待ってくれ」
「えっ?」
「いまおまえと話して少し分かった。おまえあの人じゃないな」
 複雑な顔をしてリュートが黙る。首を傾げて、訝しげにクラーリィに視線を向ける。
「うん、いいことに気がついた。ちゃんと話せば別人だって理解できる」
 うん、とクラーリィがまた頷く。見たり聞いたりする度に増える違和感が、逆に“リュートがリュートでない”ことの証明になる。

 リュートがとことこ戻ってきた。
「…あの」
「ん?」
「僕のそっくりさんは、あなたと、どういう関係だったんですか」
 なんで、とクラーリィは素朴な疑問を呈する。知らないのか、とまでは言わないけれど、自分がリュート王子に兄事していたことは結構有名な話だとは思う。
「すみません、ほとんど何も知らないんです。嫌だったから、話もろくに聞かなかったし」
 だって僕よりずっと腕のいい魔法使いだったんでしょう、とリュートは続けた。僕なんかよりずっと強くて、人望も厚くて、思慮深くて、と彼は続ける。
 きっとその嫉妬には際限がない。
 クラーリィは何と言おうか少しだけ考えて、そうだな、と呟いた。
「俺は、好きだったよ。たぶん、あの人のことが」
「好きって、どういう? …あ、いや、この時のあなたはまだ小さいから、」
「いや、分からない」
 リュートが首を傾げる。
「兄事はいつのまにか恋慕に変わったかも知れない。変わらなかったのかも知れない。俺には確かめる術がなかったし、多分これからもずっとない」
「…酷いや」
 見上げたリュートは半分泣きそうな顔をして笑った。照明がちょうどリュートの真後ろにあって表情はよく見えないものの、声色から言ってそうであることに違いはなさそうだった。
 そうだろうな、とクラーリィは人ごとのように呟く。目の前で、リュートがぎゅっと握り拳を作ったのが見えた。
「僕はまた、見たこともない“彼”に嫉妬しないといけないんですね」
「いや、そうじゃない」
 クラーリィは首を振る。
「大事なのは、俺本人でも判断のつきかねる微妙な状態のまま数十年という月日が流れてしまったということだ。
 ゼロでもイチでもなかった。あの人はもういないから、今から白黒付けることは叶わない。でもおまえなら、今俺の前にいるんだから、ゼロにもイチにもできるというわけだ」

 リュートはクラーリィの言葉を何度か反芻して、それからようやく飲み込めたのかぱっと顔を明るくした。同時に「あっ」という小さな声が漏れる。
「脈ありですか?」
 直球過ぎるその問いにクラーリィが笑う。
「おまえの倍ほど生きてるんだ。甘く見て貰っては困る。優しそうに見えるんだろうが、俺の心の壁は高いよ」
「じゃあ僕は、いつかあなたが『別人に見える』って言えなくなるくらい、この容姿を僕で上書きすればいいんですね」
 ポジティブなのはいいことだ。謂われのない期待やら憎悪やらを掛けられて尚立っていられるだけの明るさが彼には必要だ。今のクラーリィにそんな彼を救うことはできそうにない。
 今だって、やっぱり影がぼんやり滲んでいる。
「おまえは考えが足りないな。幼少期の思い出ってのは大事なんだ。上書きされたら困る。特にあの人に遊んで貰った記憶は幼少期の中でも随一といっていい幸福な思い出だ。おまえはそれを理解した上で求愛するように」
「むっ、…難しい」
「子供の戯言と一蹴されないようにせいぜい頑張ってくれ」
 クラーリィは少しだけ笑った。その表情に安堵したらしく、リュートも釣られて笑った。じゃあ今日はもうお暇しますね、と言ったリュートを送り出し、クラーリィは一人部屋に戻ってくる。
 その表情に、一縷の悲しみ。

 あの人に似た君、俺を好きだと言った君。
 どうか許しておくれ、あの人の“顔”に「好きだ」と言われることに無上の喜びを感じることを。


***END



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