サックラで大神官就任の日



***


 すいぶん遠くなったなあ、と思った。
 親友の背中。幼馴染みの背中。いま、敬愛すべき女王から大神官の任を拝命している、恋人の背中。

 サックスは、帰って来たクラーリィに開口一番「おめでとう」と言った。

「…うん、どうも」
 クラーリィはしばらくサックスの顔を眺めてからこう宣った。ちっとも顔が嬉しそうじゃない。
「な、なんかさ、もっと喜んだらどうなの。おまえはさ、その歳でこの国一番の権力を手にしたわけでしょ。もう少しこう、なんかさあ」
 なにやら小難しいしきたりがどうのとかいって、昨日辺りからずっと向こうに拘束されていた。だから疲れているんだろうということはサックスにだってよく分かっているが、だからといってこの反応はない。ありがとうの一言もない。
「この歳っていったって前任が王子じゃなあ、輝くもんも薄れるだろ」
「そりゃ比べる方が間違いってもんよ、クラーリィくん」
 クラーリィは随分疲れた顔をしてサックスを眺め、それからはああと大きく大きく、それは大きくため息をついた。人の顔を見てため息をつくなとサックスは少し腹を立てたが、クラーリィは心底疲れているようでそんなサックスに目もくれない。
「なあ俺部屋に帰るよ、おまえどうする」
「どうするって、お疲れなら俺別に…」
 ほんとは折角の良き日を二人で分かち合ったりしたいけれども、諸事情からそうもいかない、かもしれない。サックスの一存では決められない。
「なに、来ないのか」
「え、あ、い、行く」
 見るからに不機嫌そうなクラーリィが鼻を鳴らした。来て当然という感じだ。まあ、お呼ばれされているうちが花。その内声が掛からなくなって、関係が自然消滅するなんてこともあるかも知れない。
 なにせクラーリィは今日からサックスとはご身分が違うのだ。これからいろんなことがあるだろうし、いろんな出会いがあるだろう。クラーリィよりいろんなスペックの劣っているサックスより、同じくらいの実力者に心が傾くかも。そうだ、どこかの国の王女様とロマンスなんてことも考えられる。はっきり言ってお先真っ暗だ。

「さっきパーカスからお祝いにってお酒貰ってさあ」
「あ、俺聞きたかったんだ。おまえお酒飲めんの?」
「わからん。今後付き合いで飲まなきゃいけなくなることもあるから鍛えておけって、くれた」
 俺優等生だから酒とかほとんど飲んだことないし、と続ける。
「そっか。じゃあ早速練習でもすっか? 実は俺もお祝いにお酒を奮発しましてね」
「…そう。そりゃ、どうも」
 クラーリィが少しだけ可愛い顔をした。意外、と額に書いてある。
 じゃあお酒もってお前の部屋に行くね、とサックスは呟いた。うん、と素直にクラーリィが頷いて踵を返す。サックスはその後ろ姿を長いこと、結局廊下を曲がってクラーリィが視界から消えるまでずっと眺めていた。
 やっぱり、遠い。



「おじゃましまーす」
 丁寧にノックしてサックスはクラーリィの部屋のドアを開けた。片手に奮発したお酒の瓶、もう片方にはやっぱり奮発したちょっとしたプレゼント。
 これ以上にはないくらいの出世だ、なんせこれより上の役職と言ったらもう国王くらいしかない。一生に一度しかないお祝いの日、といってもいいと思う。
 クラーリィは「ああ」とか適当な返事をした。姿が見えない。
 サックスはしばらく様子を窺って、クラーリィに迎えに出る気はなさそうだと察知し歩を進めた。結論から言うとクラーリィは書斎にいた。
「君ね、そういうつれない態度取ってると、サックスくん勝手にあなたの部屋を物色しますよ」
 迎えに来るくらいいいんじゃないの、と呟く。
 入り慣れた部屋とはいえ、一応他人の部屋だ。どこに何があるか、場所によってはクラーリィよりサックスの方がものの配置をしっかり把握しているといえど。
「見られて疚しいものとか何もねえし。勝手に見れば」
「…超不機嫌。お疲れのようですね」
 クラーリィは書斎の椅子に座り込んでいる。書斎にいると言っても何かしていたわけではないらしく、机のうえには何もないし今まで何かを読んでいた気配もない。
 顔だけサックスの方へ向け、クラーリィはため息をついた。
「そりゃあ疲れるよ。半日どころか一日中立ちっぱでニコニコしてなきゃいけなくて、おまけに会う人会う人なんかもう偉いご身分の人で俺となんか住んでる次元の違うあの感じ。メロンとハムって一緒に食うもんなのか? 俺別々に食った方がいいと思うんだけど。貴族の舌は俺の舌と作りが違うのか? チャーハンとか食ったことなさそうな顔してたし。
 あとさ、何度もパーカスに『笑顔笑顔』って突っ込まれたけど、俺と笑顔って似合わないと思うんだよな、どう思うサックス」
 一気にまくし立てたクラーリィは、ぐるっとサックスの方へ身体を向けた。まさか振られると思っていなかったサックスが慌てる。
「え? い、いやー俺はクラーリィの笑顔好きだけどな」
「…そう」
 クラーリィの言葉はサックスが拍子抜けするほど素直だった。いつもなら働く、「クラーリィ製無駄なことは口にしないフィルター」がものの見事に壊れているのかも知れない。

「あ、その荷物」
 ようやく気付いたのかクラーリィがサックスの手元を指差した。そしてすぐに両方の手にそれぞれ荷物があると気付いたようで、どちらを指差そうか迷っているのか出された右手がふらふらと揺れている。
「あ、ああこれ、例のお酒。と、プレゼント」
 え、とクラーリィが聞き返した。ちょっと身体が前のめりになる。素直で大変宜しい。
 サックスは座ったまま動かないクラーリィのところまで近づいて、うすい水色の包装紙に包まれた小さな箱を手渡した。ものはただの時計だが、魔法が掛けられている高級品だ。わざわざ魔導商品取扱店まで行ってさんざ物色した挙げ句、自ら鑑定までして選び抜いた自信の品。まあ所詮おまじない程度の効力だろうが、持つものを守るというコンセプトの防護魔法が掛けられている。
 大神官となった君に、これまで以上に戦地に赴くであろう君に。あまり、怪我をしないように。
「ありがとう。開けていいか」
「いいよ。ビリビリにしてもいいよ」
 クラーリィは文字通り包装をビリビリと破いて中の時計を取りだした。薄暗い照明にすかし、手元まで持ってきて、こんどは机の上に置いて眺めて。
 なかなか気に入っていただけたようだ。
「魔法が掛かってるな」
「うん、そう。だからちょっと高か…あ、いやなんでもない」
「高そうな魔法掛かってるなあ。おまえ、普通の時計買って自分で魔法掛けた方が安上がりだったんじゃないのか」
 おまえならこれくらい自分で掛けられるだろ、とクラーリィは続けた。
 サックスは少し黙った。それも考えたが例の迷信が理由で自分では掛けるのはどうかと思った。けれど言うのはやめておく。
「ま、まあ気持ちなんでその、あんまり信用できないし…」
「こういう魔法って、聖職に就いてる人間が掛けないと効果ないとか言うよな。俺は迷信だと思うけどな」
 な、とクラーリィはサックスに同意を求める。サックスは曖昧な返事をするに留まった。
 たかが迷信、されど迷信。ほんの少しでも高くクラーリィが安全でいられる保険が欲しかった。でも恥ずかしいのでやっぱり言わない。
「あ! そうだ俺大神官じゃん、今日から聖職だった!
 よしサックス、おまえの小物を寄越せ」
「え!? え、えっと、こ…小物。腕時計、はい」
 サックスの差し出した腕時計を奪うとクラーリィは机の上に置いた。先程差し上げた時計は既に書斎机のいい場所を陣取っている。
 ぱん、と一拍。クラーリィの低い声が朗々と響く。机の上に展開する青白い魔法陣。くるくると時計の上を回って、やがて時計に吸収された。
 サックスが何をする間もなく腕時計には防護魔法が掛けられた。しかも最高職・大神官のその手によって。
 返してもらった腕時計を受け取る手が少し震えた。
「ご、ごめんなんかクラーリィ、俺そんなつもりじゃ…」
「俺思ったんだけどさ、これでひと商売できるよな? すげえ儲かりそう。やんないけど」
 サックスの言葉をちっとも聞いていないらしいクラーリィは、よし、というかけ声と共に立ち上がる。
「移動するか。リビングでいいかな」
 そだね、とサックス。無視されるのには慣れている。それに今回の場合、少し照れも含まれているとサックスは推理する。
「コップ…グラス? ただのコップでいいよな」
 クラーリィはぶつぶつ言いながら立ち去った。リビングには勝手に移動しろということらしい。
 悔し紛れにサックスは書斎を物色したが、小難しい魔道書に混じって昔の写真が並べられていることに気付き、なんだか強烈に申し訳ない気分になってせかせかとその場を退散した。
 クラーリィとサックスが肩を並べてポーズを決めている写真。もう五年くらいまえになるかも知れない。

「座れよ」
 コップ二つ片手に戻ってきたクラーリィは、突っ立っているサックスに開口一番こう告げた。もっとこう少し言い方というものが、という常態化した文句をサックスは今日も飲み込む。
「どこ座れってのよ」
「どこでもいいよ。逆立ちでもしねえ限り俺怒んないし」
 サックスは気付かれない程度にため息を一つ、酒をローテーブルの上に置くとカーペットの上に直に座った。この安物のカーペットがなにやら高そうな絨毯と交換される日はきっと遠くない。と、思う。
 クラーリィは斜め前に腰を下ろした。もう片方の手に持っていたらしい、曰くパーカスから貰ったという酒が机に置かれる。ちょっと二人で飲みきるのは無理があるのではないかと思われるサイズだった。
 どっち先に開ける、というサックスの問いにクラーリィは黙ってサックスの持ち込み酒の方を指差す。サックスは黙って栓を開けた。それでもって、やっぱり黙ってコップ二つに注いだ。
 とくとく、といい音が聞こえる。
「取りあえず乾杯といきましょっかね」
「ん」
「はい、乾杯。おめでと、クラーリィ」
 チン、と軽い音がしてコップが合わさった。見るからに安そうなコップのなかで、高めの綺麗な色をした酒がゆらゆらと揺れている。
 しばらく双方黙り込んで、コップの中の液体をじっと眺めたりする。沈黙を破ったのはサックスだった。
「ね、クラーリィさ、ちょっとこっち向いて」
「なに?」
 サックスの方へ顔を向けたクラーリィを真正面から拝み、更に少し姿勢も正す。な、なんだよ、とクラーリィが身構える。
「おめでとう、クラーリィ。やったじゃん、凄いな!」
 クラーリィは一回目と同様少し黙って、それからやっぱり嬉しくなさそうな顔をした。
「なあ」
「ん?」
「無理してないか」
 え、とサックスが聞き返す。やけにクラーリィが深刻そうな顔をするので、全然そんなことないよ、と笑い飛ばすことができなかった。
「な、何が?」
「俺さ、別にそんな無理して祝って貰わなくてもいいんだけど」
「何でよ」
 お祝いくらい素直に受け取りなよ、とサックスは言う。これで流してしまうつもりだったのにクラーリィは動かなかった。だって、と更に掘り下げる姿勢を見せる。
「だっておまえ…悔しいなら悔しいって言えばいいだろ。俺とお前の仲じゃないか。大神官の椅子狙ってたのに俺に取られて悔しいってすっきり言っちまえば」「いやーそれはないね」
 クラーリィが黙った。サックスの様子があまりにもあっけらかんとしているので、半ば信じられないという顔をしてサックスの言葉を待っている。
「それ誰に聞いたの? なんかみんなそう思ってるよね」
「誰っていうか…うん…」
 情報源に思い当たらないらしく、クラーリィは首を傾げた。当事者がそう思い込む程度に流布している噂話だったのだろうか。
「俺はさ、ちゃんと自分の実力認識してるつもり。おまえには敵わないよ。だから、おまえじゃなくて俺が大神官に、なんて一度も思ったことない」
 クラーリィは眉をひそめた。完全に納得していない。
「で、でも」
「でも、なに?」
「でもおまえ、嬉しそうじゃない」
 今度はサックスが黙った。少し、心当たりがあったからだ。
「でもおまえ、ちっとも嬉しそうじゃない。口だけじゃないか。嬉しく思ってない」
 サックスはしばらく考え込んで「そりゃあまあ」と呟いた。ここまで見透かされているのに今更嘘を言う必要性が感じられない。
「やっぱ分かる?」
「分かる」
 クラーリィの不愉快そうな顔に肩を竦める。いや、不愉快そうというのは誤りだ。あきらかに不愉快に思っている。しかもそれが当たり前の状況だ。
「なんでだよ。俺悲しいよ」
 クラーリィは持っていたコップを机の上に置いた。珍しく、本気で話を聞き出すつもりのようだ。こりゃ適当に言い訳することもできないな、とサックスは腹を括る。
「うーん…あのね」
「前置きはいいから本題」
 クラーリィらしい台詞だと思う。サックスが少し笑う。
「うん、あのさ、俺ってその、所詮一兵卒止まりの人間じゃない? もう先が見えてるわけ。おまえとスペック違うし。大神官なんか到底無理だし。使える魔法も幅が違うし。おまえと同じ魔法使っても威力に差が出るし」
 クラーリィは黙ってサックスの言い訳の続きを待っている。
「ますます差が開いちゃったなー、ってさ。あと失礼に思うだろうけど、そのうち捨てられるかなって不安なの」
「は?」
 クラーリィの顔が怖い。まあ、怖くなるようなことを言っている自覚はあるので文句は言えない。
「だってこれからおまえのまえには素敵なひとがいっぱい現れるわけじゃない、どっかの国の王女様とかさ、おまえかっこいいし。そうでなくとも俺よりずっと強くてかっこいいどっかの国の騎士団長とかさ。俺よりスペックの高い人がいっぱいさー」
 クラーリィは腕を組んだ。眉がつり上がっている。拳が出るか蹴りが来るかと思ったがそんなことはなかった。「むかつく」のたった一言だけ。
「俺さっき自分の実力把握してるって言ったでしょ、だから余計不安なの。…すげえお葬式ムード。お酒飲む?」
「飲む。ったく、おまえってホント失礼な奴」
「すいませんね、はいどーぞ」
 いつの間に空になっていたクラーリィのコップに並々と注いだ。どうやらサックスがひとり寂しく話しているときに、黙るかわりにぐいぐい飲んでいたらしい。
 サックスが手を離すなり一気飲みするクラーリィを見て、ぽつり。
「一応俺の考えを言っとこうかな。実力の点で無理かもしんないけど、俺はいつだっておまえに付いていくつもりだし、これから先はおまえが俺の上司ってことで嬉しいなーって思ってるよ。おまえの命令なら信用できるし。欲目抜きで、おまえの指示は正しいって分かってるつもり」
 クラーリィは少し間を置いてから「うん」と言った。顔が赤いような気がするが、その原因は今の言葉と慣れない酒と、どっちだろう。
「ま、飲んで飲んで」
 考えても仕方のないこういうことこそ、酒を呑んで忘れてしまえばいいと思う。記憶が吹っ飛ぶほど飲んだことはサックスもないので、その効果が如何様なのかは少し分からないけれども。

 ぐいっと煽るクラーリィをサックスはじっと眺めている。さっきから随分ハイペースだけれど大丈夫だろうか。
 飲んで酔っぱらって、ついでにちょっと甘えんぼになったり積極的になってくれると嬉しい。なってくれないかな、とサックスは淡い期待を寄せている。
 普段は鉄壁仮面を地でいくクラーリィだから、やっぱり酒を呑んだらステータス異常になって貰わないと! そんな効果をまったく期待せずに酒をプレゼントに選んだと言ったら嘘になる。まあ、罪悪感が高じてまた別に時計のプレゼントも用意したけれども。

 しばらく雑談に興じると、ほぼクラーリィのおかげでサックスの持ち込んだ酒が空になった。八割方クラーリィが飲み干したと思われる。
 空になったことに気付いたクラーリィが黙ってパーカスの差し入れの方に手を伸ばした。その横顔がだいぶ赤くなっていることに気付いて、ちょっと、とサックスが横やりを入れる。
「大丈夫? 最初っからそんな頑張る必要ないよ? あした死ぬよ?」
 クラーリィはサックスを一瞥すると黙って栓を開けた。これはかなりまずいかも、と思ったサックスがクラーリィの顔を覗き込む。クラーリィの視線はかなり揺らいでいる。でも、酒瓶を握って離さない。
 近寄ったサックスの胸をぐいと押し戻し、クラーリィはサックスを睨み付けた。
「ていうか…」
「ん?」
 ぽん、と小気味いい音がして栓が外れた。クラーリィは己のコップに並々と注いでいる。
「ていうかおまえ、何なの?」
「は、はい?」
 あからさまな批難口調にサックスが狼狽える。クラーリィは酒瓶を机に戻しかわりにコップを手に取った。もう片方の手でびしっとサックスを指差す。
「俺はさあ、おまえに惚れて、だからおまえと付き合ってるわけ。なあ」
「は、はい、そうですよね、うん」
 思わず敬語になるサックス。クラーリィは完全に目が据わっている。完全に酔っている。
「おまえさっき俺は弱いとか俺はダメとかそんなことばっか言ってたよな。じゃあなに、おまえに惚れた俺はなに? ダメ男に惚れた男はもれなくダメ男な気がしてむちゃくちゃむかつくんだが」
「す、すみません」
 サックスが頭を下げる。弱いとかダメとか言った覚えはないが、まあニュアンスとしては正しいかも知れない。それに、そういう重箱の隅をつつくようなことを発言できる雰囲気とは到底思えない。
 そして、クラーリィは止まらない。
「第一おまえはよ、天下のクラーリィ様をとっつかまえて恋人にしてんだぞ? 俺のご身分大神官だぞ分かってんのか? おまえはこの世に一つしかないこの俺様のハートを掴んだ男だぞ? それをよ、ダメだの弱いだの、おまえに惚れた俺の身にもなってみろよ」
「あっ、はい」
 すみません、とまた謝る。つい正座してしまった。
 俺様かあ…と思ったもののやっぱり口にできない。そして、かなり呑ませてしまったことに今更ながら後悔を覚える。しかし今クラーリィの持つコップを取り上げると何をされるか分からない。
「もう少し堂々としろよ、おまえ俺を捕まえておきながら『俺じゃクラーリィの相手に相応しくない』とか死んでも許さねえからな。堂々としてろ堂々と。俺は疚しくも何ともない存在だからな」
 分かってんのか、とクラーリィは念を押した。サックスは深々と頭を下げて「ごもっともで」と呟く。
 うむ、よし! と満足げに呟くとまた酒を呑み始めたクラーリィを、サックスは悲しそうに眺めていた。
 目論見が外れたなんてもんじゃない。これから先、余程のことがない限り酒を呑ませるのはやめようとサックスは決心した。

 しばらくあとには、クラーリィの部屋ですうすう寝息を立てて眠ってしまった恋人を担ぎ、よろよろと寝室へ向かうサックスの姿があった。予想以上に重い身体をずりずりと引きずりベッドに放り投げる。起きる気配、ゼロ。
「知らないよ、明日死んでも」
 俺は何度も止めたからね、と弁解。パーカスのくれた瓶の残りは三分の二ほどになっている。
「酒くせえ…いくらなんでも飲み過ぎだよクラーリィくん」
 顔に掛かった前髪をどかしてやる。当然のことながらぴくりともしない。一瞬キスのひとつでもいただこうかと思ったが、主に匂いが原因で辞退することにした。くやしい。
「大神官業、頑張ってネ」
 引っ張り出してきた布団をかぶせて電気を消して。添い寝することも考えたが、明日の朝どんな展開になるかは目に見えている気がしたのでやっぱりやめておいた。リビングがそこそこ片付いていることも確認して、そっと部屋を後にする。今からパーカスに対する言い訳を考えておいた方がいいだろうか。

 まっくらな廊下を一人歩きながら、サックスはずっとクラーリィが防護魔法を掛けてくれた時計を弄っていた。
「…クラーリィが、怪我しませんように」
 この言葉の効力は如何ほどか。サックスにはちっとも分からないが、ほんの少しでもいい、己の強烈な思いが形になって彼を守ってくれたら。
 側に居よう、とサックスは小さく呟く。


***END



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