青春クラフル



***


 指が触れた。目が合った。一瞬の硬直の後、さっと手が引っ込められ、咄嗟に避けられる視線。
 二人してまったく同じ行動を取るものだから、見ているパーカスが思わず吹きだした。



 フルートは可愛いと思う。
 いや、正直顔はあんまり可愛くない。というと殴り殺されそうだが、少なくとも「可愛い」という形容詞はホルン様の方が似合っていると思う。
 でもやっぱりフルートは可愛い。
 どの辺が可愛いかと問われると言い訳じみた答えがいくつも出てくるのだけれど、幸いにしてクラーリィにはそれを言う機会に恵まれたことがない。一応言っておくと、お姫様のくせにちっともらしくないところとか、やけに妄想が好きで女官とわいわいいかがわしい噂で盛り上がっているところとか。立ち聞きしているのがばれたときのリアクションも楽しい。
 テンプレートに当てはまらない彼女の突飛加減が、真面目堅物で通るクラーリィのどこかに引っかかってしまったのかも。
 そしてなにより、母親譲りの神の如き優しさ。年下の彼女に何度慰めて貰ったか分からない。あまりにも落ちこんでいるときには頭を撫でて貰ったこともある。流石にあれはビックリしたが、フルートはいたって真剣にクラーリィを慰めてくれていた。
 よって、ちっともお姫様らしくないところと、凄くお姫様らしいところを兼ね備えた彼女にクラーリィが引っかかったとしても、何の疑問もない、はずだ。

 そんなわけで、クラーリィはなにかとフルートを気に掛けている。王族の遠縁でも貴族でもない己の身分から言って婿殿にのし上がれる可能性は低そうなので、そういう期待はあまり抱いていないが、とにかく彼女の行動が気に掛かる。
 悪い虫が付かないだろうかとか、幼馴染みの誰かに変な知識を植え付けられやしないだろうかとか。切ないのはそんなクラーリィの努力のようなものをまったく無下にして、幼馴染みの下劣な会話に顔を出すフルートの姿。周りが小ぎれいなものばかりだから俗っぽいものに惹かれるのだろうとパーカスは冷静に判断していたが、クラーリィは悲しい。
 実際クラーリィと話しているときより幼馴染みの会話に首を突っ込んでいるときの彼女の方が楽しそうだから、そういうことなのだろう。切ない現実。きっと、堅物のクラーリィはまわりに多数いる普通の人のうちの一人に分類されているに違いない。



「ご、ごめん」
 クラーリィが手を引っ込める。フルートも慌てて手を引っ込める。幸いにして、二人ともパーカスが吹き出したことには気付かなかった。
「あ、謝ることないよ、クラーリィ」
 フルートが一歩下がる。あなたは悪くないじゃないと呟き、また一歩下がる。更に謝ろうかもう忘れたふりをしようか、迷って変な位置に手をぶら下げたままのクラーリィを置いて、フルートはその場を走り去った。

 ああどうしよう、胸がどきどきする!

 フルートは大急ぎで廊下を走り抜け、走ってはなりませんと怒る女官の声に心の中で謝って、自室に辿り着くなりへなへなと座り込んだ。
 しいてある豪華な絨毯がほんのりと暖かい。
 なんだろうこの気持ち。ぼんやりしていて形がないようなこの気持ち。ちくちくする、ずきずきする、そしてやけに切ない。
 この動悸の激しさは、走ってきたからだろうか? それとも別の何か? それとも…何?

 フルートは考える。
 クラーリィとは幼馴染みで、他にも同年代の知り合いが何人もいる。彼は王家に仕える人物の一人で、確かに優しいけれどただの友達。
 ただの、友達、だったはず。
 でも、と思い直そうとした。これまでの「友達として」のクラーリィとの思い出を思い返してみた。
 なんだか動悸が激しくなった。顔が少し熱くなった。

 しばらく悩んだフルートは、先輩二名に相談することに決めた。
 クラーリィの幼馴染みにしてフルートの貴重な女友達のうちの二人、ティンとマリー。



「だからね、なんだか胸がどきどきして、指が触れただけなのに」
 フルートは紅茶をすすった。ティンとマリーの二人組がフルートの話に身を乗り出してまで耳を傾けている。
 フルートの誘いに対し、彼女たちは二つ返事で了解してくれた。しかもわざわざ部屋をセッティングし、いつの間にお菓子や紅茶まで用意してくれた。相談を持ち掛けたのが二・三日前だから、相当手際よく手配してくれたようだ。
 フルートは、「クラーリィのことで相談が」と言ったときの彼女たちの光り輝く目が忘れられない。
「うーん王女、それは恋ってもんですよ!」
 ぽん、といい音を立ててティンが手を打つ。
「ちょっとティン、あんたそういういい加減な…」
「王女! 私応援しますよ!! あの堅物を落とせるのはきっとあなただけですからっ!」
「ティン!!」
 マリーはティンの髪をぐいっと引っ張って彼女を制止する。心底困った顔をするフルートを挟み、「この子昔クラーリィに振られたから」なんて言い訳をする。
 フルートは、胸の辺りに手を当てる。
「あの時のこと思い出すだけで、どきどきするの。それもそのせい?」
「昔から恋の病と言いますものねえ。そういうものですよ、王女」
「ぼんやりしちゃうのも? 集中できないのも?」
「そうそう!」
 乗り気でなかったマリーもこれはまさにと思い始めたようで、そうみたいですね、と静かに頷く。
「王女さいきん、クラーリィと顔合わせ辛いなーとか、思っていません?」
「あ、思う。何を言っていいのか分からないし、顔を見るのもなんだか変な気分になるしで…」
 なるほどねえ、と二人は顔を見合わせる。クッキーをかじる。
「恋よ恋。確実に恋だわ。若いっていいわ!」
「たかだか五つくらい違うだけで若いだのなんだのって笑っちゃうわ。やめなさいよティン」
 フルートはそんな二人を見比べて、静かに紅茶をすする。
 人生の先輩二人がそろってそう言うのだから、やっぱりそうなのかもしれない。
 フルートは付き合い初めて十五年目にしてようやく、クラーリィを好きになってしまったのかも!



「なーサックス…」
 親友の深刻そうな声色に、サックスは話の内容が面倒そうだという印象を抱いた。クラーリィがこういう声を出す場面は限られている。
「はい?」
 がっしと肩を掴まれ、事実上退路を塞がれたサックスが迷惑そうに聞き返す。前触れもなく掴むのだけは止めて欲しい。怖い。
「俺何かしたか?」
「何が?」
 更に、意味不明な問いも勘弁していただきたい。そのくせ適当に答えると怒るんだ。
 クラーリィはそんなサックスの願いに気付くわけもなく、がばっと顔を上げた。
「俺、フルートに嫌われるようなこと、したか!?」
 なんで俺が知ってるの、という問いかけはすんでの所で飲み込まれた。
「知らないけどそんなこと。まあ事情は想像つくけど一応聞いてあげましょうかね。何かあったん」
 クラーリィは涙ながらに「さいきんフルートが目も合わせてくれない」と語った。
「俺何もしてない…ホントに何もしてない…」
「そりゃ分からねえなー、おまえ鈍いからなあ、何か気付かないうちにフルートちゃんの逆鱗に触れるようなことしちゃったんじゃないですか?」
 クラーリィの顔から血の気が引いていく。
「…そ、そんな、そんなこと言われたって俺じゃどうしようもないじゃないか、鈍いのが理由なら俺に理由なんてもう絶対に分からないじゃないか!」
「俺に怒るのは止めてよ」
 鈍いという自覚はそこそこあるらしい。
 いつ頃からなの、とサックスは問う。ぐだぐだと泣き言を述べる親友を見ているのはちっとも楽しくない。進展もない。
「えっと…二・三日まえ? あ、そうだ、急にフルートの様子がおかしくなって、俺のまえから逃げた! その時からだ」
「…逃げたって、なにしたのおまえ」
 胡散臭そうな顔をするサックスを、クラーリィは偉く憤慨した様子で「下世話な妄想をするな」と小突いた。誰がいつ下世話な話をしたんだと怒鳴りたい気分をどうにか抑え、「俺はそこまで言ってない」と控えめな文句を述べる。
「えーと…そうだ。俺が仕事してて、フルートが職場までクッキーの差し入れ持ってきてくれた! で、クッキー受け取ったはいいんだけど立ち上がる時に書類を向こう側に落として、フルートが拾ってくれた。拾ってくれたはいいんだが、受け取るときにちょっと手を触っちゃって、それでなんか目が合って…」
 あ、別に故意じゃないんだからな! とクラーリィがフォローを入れる。言うと思った、とサックスは心の内で呟いた。
「それで俺がときめいた…のはどうでもよくて、フルートもなんか慌てて手を引っ込めて逃げちまった。凄い早さで!
 逃げたっきり、俺と目も合わせてくれない…」
 ふうん、とサックスは相づちを打った。典型的だと思った。むしろこの男が精一杯青春しててくやしい。
 その先の言葉を期待していたらしいクラーリィは、サックスが続きを話し出さないことに痺れを切らして「他には?」と問いかける。
「他にって何? おまえってほんと鈍い」
「…え? や、やっぱり俺なにかまずいこと…」
 クラーリィは真剣に困っているらしい。サックスは首を振る。
「サックスくんが言えるのは、『おまえは特に悪いことをしていない』ということだけ。頑張ってね」
「え? ちょ、ちょっと待てよ何それ、おいサックス!」
 サックスは今度こそクラーリィの声に耳を塞ぎ足早に立ち去る。これ以上付き合っていられるか!
 取り残されたクラーリィは途方に暮れた感じでサックスの後ろ姿を眺めていた。自分は悪くないらしいのでひとまず安心だが、となるとフルートの身に何かあったのだろうか?
 クラーリィは日々の親切心を最大限に発し、フルートにどうしたのか聞いてみようと決心する。



 フルートと鉢合わせたクラーリィは、これ幸いと言わんばかりに彼女を呼び止める。
 ぎくり、という感じにフルートが立ち止まる。
「久しぶり…フルート」
「う、うん。…そういえば、さいきん、会ってなかったね」
 ティン・マリーとの会合が昨日。一晩掛けてさんざシミュレートしたのだから多分上手くいくはずだ。まさか向こうから話しかけてくるとは思わなかったので、少し計画が狂い始めてはいるけれど。
 人通りの少ない廊下に二人。それぞれ用も忘れて、目の前の人物にどうアプローチするか迷っている。
「フルート、この間、なんで逃げたり」
「そ、それはその! 私女の子だからその、えっと…えっと」
 遮られたクラーリィはじっとフルートの言葉を待つ。フルートは一生懸命言い訳を探している。ああ昨日あんなに布団の中で練習したのに、いざとなったらちっとも言葉が出てこない!
 そんなフルートの努力を察したのか、クラーリィは珍しく「待つよ」と言った。
 フルートの顔がぱっと明るくなる。嬉しそうな顔をして、うん、と呟く。

 そして、そんな二人を見守る人影が3つ。
「頑張れ! 頑張れフルートちゃん!」
「頑張れ!!」
 握り拳を作る二人の一歩後ろ、サックスが静かに首を傾げる。
「普通頑張るのってクラーリィじゃね…?」
「あいつには無理。フルートちゃんが頑張らないと無理!」
「あたしたちが折角こんな人目のない廊下っていうステキシチュエーションを用意したんだから、頑張って欲しいわ!」
 サックスがクラーリィを、ティンとマリーがフルートを呼び出して、この人通りの少ない廊下で鉢合わせるという計画。無論二人以外の者は通らないようあらかじめ封鎖済みだ。更に、かなり優先順位が低くなるよう呼び出す用事はとことん下らないものにセッティングしておいた。きっともう二人とも呼び出されたことなんてすっかり忘れていることだろう。

 黙り込む二人。固唾をのむ三人。
 三人が見つめる中、注目の二人が一歩前へ進もうとしている。


***END



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