大人?パカクラ



 ***


「あなたもホルン様のように、あまり長居をしては風邪を引きます、と怒られたいのですか?」
 クラーリィは振り返った。夜風の吹くベランダに立つ彼を追い、パーカスが静かに近寄ってくる。
 ちょうどベランダと部屋の境目当たりで彼は止まった。
「戻っていらっしゃい。そんなところで思案に暮れても何の進展もありません。どうせ思案するのなら、あたたかい暖炉のまえでする方が数倍マシです」
 さあ、とパーカスが手招きする。
 クラーリィは首を振った。
「まだいい」
「マゾヒストな大神官は褒められたものではありません」
 パーカスは諦めてベランダに出てきた。先程はカーテンに隠れて気付かなかったが、片手にガウンが掛けられている。
 相変わらず、憎らしいほど気の利く男。
 パーカスは黙って近寄って、やっぱり黙ってガウンをかけた。かけられたクラーリィはしばらく黙り、小さく「ありがとう」と言う。
「これでもうしばらく居れそうだ」
「私には罵倒してくれと言っているように聞こえましたが」
 違いますか、とパーカスが尋ねた。クラーリィは随分寂しそうな顔をして、「違うよ」とだけ言った。

「どうしました」とパーカスが問う。
「どう……もしない」
 クラーリィは静かに首を振る。明らかに何かあった風を装っているのに、かといって何を語るわけでもなく外を眺めている。
 パーカスは最大限譲歩し、どうしました、ともう一度静かに問いかける。
 クラーリィは返事もしない。
「やれやれ。少しお待ちを」
 パーカスは踵を返した。クラーリィがちいさく疑問を呈したが、あえてパーカスは立ち止まらない。その位の素直さでパーカスの進言に従ってくれればよいものを、最近のクラーリィはちっともパーカスの言うことを聞かない。
 もっとも、むかしから素直に言うことを聞くなんてことは彼にほとんど無かった。引っ込み思案で大人しそうに見えても芯はしっかりしていたと見え、自分の意見を曲げたがらない。ホルン様ほどではないが彼も頑固だ。

 戻ってきたパーカスの淡い期待を見事に裏切り、クラーリィは先程とまったく同じ位置にぽつんと立っていた。部屋の照明をうけ、ほのかに浮かび上がる淡い瞳が静かに夜空を見上げている。
「ああ、おかえり」
 パーカスの足音に気付いたらしいクラーリィがこちらを振り向いた。さきほど叱られたことなどもう忘れてしまった、というより叱られたと思っていないのだろう。「どうしたんだ」と、今度はこちらが尋ねる。
「お飲みになっては? 身体が温まりますよ」
 パーカスの差し出した手にはワイングラスと同じくボトルが。クラーリィの瞳がきらりと輝く。
「本当に、お前は気が利くなあ」
 ありがとう、と手を差し出す。パーカスはその手にグラスだけを渡し、見事に深い赤に染まった液体を注いだ。途端、冷たい夜の帳にふんわりとしたあの匂いが立ちこめる。
 ああ良い匂いだ、とクラーリィが呟く。
「若造にこの味が理解できるものか、と言われそうだな」
「先日、某お方がそう仰っているのをお聞きしましたよ」
 あなたは若いですから、というパーカスの冷静な声。若年が故に諸国から変な目で見られていることくらいクラーリィだって知っている。
「……ほんとはそんなに好きじゃない」
 苦笑するクラーリィは、ようやくパーカスの持ってきたグラスが一つだったことに気付いたようで、おまえは飲まないのか、と首を傾げる。
「結構です。職務中ですので」
「……大神官の子守か。大変なんだな執事って」
 クラーリィはようやく笑った。が、やはり元気がない。
「その自覚があるのであれば、少しは私の職務を減らしていただけるようご配慮をお願いしたいところです」
 クラーリィは黙った。しばらく黙って、夜空を見上げ、ため息を一つ、ワインを口に付ける。
 それからようやく、「ごめんな」と言う。やはり、元気のない声色で。

「何かありましたか」と、またパーカスが尋ねる。クラーリィはしばらく手元でグラスを揺らし、ようやく「まあ」と小さく返した。
「あったにはあったんだが、……何というか、俺が解決しなきゃいけない話」
「そうですか」
「おまえに、頼っちゃだめだと思うんだ」
 いつまでも、子供じゃないしさ、と彼は呟く。いまさんざパーカスに迷惑を掛けていることは棚に上げて。
「個人的な希望を言わせていただきますと」
「ん?」
「あなたは永遠に私より年下なのですし、今更見栄を張ったところで私があなたの小さい頃の泣き顔を忘れるようなこともありません。少し寄っ掛かられるくらいでしたら、私は何とも」
 クラーリィはしばらくパーカスの顔を眺めていた。まだこんな顔ができるのか、とパーカスは思う。あの頃と同じような、こちらに向けられる純粋な瞳。
 パーカス、とクラーリィは呼びかける。
「何です」
「酔った」
「は?」
 真顔で告げられる言葉の意味を、一瞬取り損ねた。
「酔ってしまった。眠い、足が、……」
「ちょっ、クラーリィ!」
 ベランダの手すりにグラスを置くなりクラーリィは文字通りパーカスに寄り掛かってきた。寄り掛かってきた、というより倒れ込んだと言った方が正しいかも知れない。パーカスは慌ててクラーリィを抱き留める。一応まだ意識を手放すには至っていないらしいが、パーカスが手を離したらこの場にくずおれる程度の力しか残っていない。
「クラーリィ」
「眠いよ、」
 別段わざとやっているわけでもないらしい。酒が入って緊張の糸がぷつりと途切れてしまったか。
 パーカスは寄り掛かるクラーリィの顔を眺め、回復する兆しが見られないことを確認し「部屋に入りますよ」と囁く。クラーリィは随分気怠そうに頷いた。

 意識の半分ない成人男子を軽々と運べるほどパーカスは若くない。結局ソファのところで力尽き、申し訳ないがソファに倒れ込んで貰った。
 パーカスが隣に座る。すかさず寄り掛かるクラーリィが、パーカスに小さく謝る。
「ごめんな」
「聞き飽きました」
 クラーリィはどこうとしない。起き上がる気配もない。本格的に寝入る気配もないのだけが唯一の救いといったところ。
 パーカスはクラーリィの髪に手を伸ばした。さらさらと指の間を逃げる髪を、しばらく何の気なしに触っている。幸いクラーリィには、逃げる様子も嫌がる様子も見られない。
 随分長くなった、とパーカスは独りごちた。彼が髪を伸ばし始めたのは、確か魔法兵団に入るための特訓を始めた当たりだったか。今やその魔法兵団を治める身。パーカスより強い権限を持ち、その腕を振るい下々を先導する。
 そしてたまに、パーカスに寄り掛かってくる。
「なあパーカス」
「はい?」
「二人で一緒に逃げよう」
「どこにです」
 パーカスは笑った。いくらなんでも唐突すぎる。
「何か小説でも読まれたのですか」
 それも逃避行の類を、とパーカスは呟く。違うよ、とクラーリィは抗議した。少し眠気が飛んだのか、意思の宿った瞳をこちらに向けてくる。
「俺は割と本気」
 クラーリィは体を少し持ち上げた。てっきり座り直してくれるのかと思いきや、ただ単に居心地のよいポジションを探していただけのようで、相変わらずパーカスに寄り掛かったままだ。
 頭ごなしに否定するのは悪いと思い、パーカスはあえて返事をしない。
「何もかも忘れて何もかも捨ててゼロからやり直したいんだ。
 人が……人が死んでいくさまをただじっと見ていることしかできないなんて俺は、俺は気が狂ってしまいそうだ」
 クラーリィは顔を覆う。その手が微かに震えていることに、パーカスは気付いてしまった。

 そういえば今朝、前線に派遣した部隊が一つ壊滅したという報告があったか。生存者ゼロ。魔族に荒らされてしまったようで、遺体の回収も困難だそうだ。彼らは死してなお祖国へ帰って来られない。
 計算ミスといえばそれまで。采配ミスとも言える。クラーリィのミスのせいで何人もの兵が命を落としたが、この世に完璧な采配など在るわけもない。
「……その昔」
 クラーリィは手を下ろした。予想のしない単語が飛び出て疑問に思ったのだろうか、微かに首を傾げている。
「その昔、ホルン様も似たようなことを仰いました。
 できうることなら逃げたいと、ここを去りどこかで一人の女性として平凡な恋をして平凡な人生を送りたいと」
「……」
「たしか、十三年ほど前の話です。大戦が収束し、王子が死に、王女の行方が掴めなくなりました。事後処理に追われ、気付けば一年以上が経過。実に一年、産まれたばかりの王女の行方を満足に捜すこともできなかったのです。生存は絶望的だと悟ったときのホルン様のあのお顔……忘れられません」
 見事王都は復興を成し遂げましたが、とパーカスは淡々と語る。個を弔った女王に待っていたのは夫と二人の子の弔いだけ。
 クラーリィは一人拳を握り締める。
「そんな日の夜でした。……そう、今日のように星が綺麗できらきらと輝いていて、ホルン様はそんな星空を眺めて泣いておられました」
「そしておまえは二度もそんな与太話を聞かされて、……はは」
 力なく笑うクラーリィの頭を、パーカスは黙って撫でた。“与太話”だという自覚があるだけマシ、だろうか。
「もう寝た方が宜しいですね。今の人生を悔やむようなら悪いお酒です。とっとと寝てしまうが宜しい」
 クラーリィは返事をしなかった。かわりに、黙ってパーカスの方へ重心を傾ける。重さに負けてソファが鈍く軋んだ。
「寝ますね?」
 うん、とクラーリィは頷く。しかし動かない。
「放っておいたところで、どうせこのまま寝てしまいますね。イヤリング、外しますよ。宜しいですね」
 今度は返事を待たなかった。彼の頭の上に置いていた手をスライドさせ、顎の辺りを押さえつける。何事かと身を捩る彼の動きを尚も封じて、顔を近づける。
 折角だから少し大神官殿で遊んでさしあげる。パーカスは右耳にふっと息を吹き掛け、驚いたクラーリィの動きが止まったのをいいことにそのまま舌を這わせた。うまくいけばこのままイヤリングを外せる。
 クラーリィの赤くなった顔が視界の隅に写った。
「ちっ、ちょっ、パーカス、」
「暴れると痛い目に遭いますよ」
 耳が千切れても知りませんよ、とごく耳元で囁く。くすぐったいのか、クラーリィが肩を竦める。
 確かに寄り掛かられるくらいなら、とは言ったが限度というものがある。いつまでも人に寄り掛かっている方が悪い、その上寄り掛かるの意味が微妙に違う。この程度で勘弁することを感謝して貰わなくては。
 上手く右耳ぶんが外れたので、ぐいっと力を入れ左側を向かせる。クラーリィはじたばた暴れたが、先程に比べれば随分と力が入っていない。
「ちょっ……と、おま、え……!」
 パーカスをどかそうと努力しているらしいが、眠いのか酔いが覚めないのかはたまた別の要因か、とにかくパーカスには痛くもかゆくもない程度の力の入れ具合だった。
 力の入らない腕が、懸命にパーカスの胸を押し返そうと震えている。

 結局抵抗虚しく両耳のイヤリングを外されたクラーリィは、自由になるなり起き上がってパーカスから少し離れた。ソファからも立ち上がろうとしたが、足に力が入らなかったと見え数センチ浮き上がってすぐに座り直してしまった。
 ぼすん、とソファから空気の抜ける音がする。
「さて、どうしますか」
「ど、どうするって、何が?」
 若干怯えた様子のクラーリィがおそるおそる聞き返す。まさかこんな形の反撃を喰らうとは思ってもいなかったのだろう、視線を合わせようともしない。多分逃げたいのに足腰が言うことを聞かなくて逃げられない状況だ。
「どうも立てないようですが。“子守”を諦めてこの場に放置するもよし、私があなたの寝室まで懇切丁寧送ってさしあげるという手もあります」
 クラーリィはしばらく気まずそうに視線を漂わせていたが、やがて諦めて「見捨てないでくれ」と呟いた。
「……立てない」
「手をお貸ししましょう」
 パーカスは立ち上がった。クラーリィの目の前に立ち、静かに手を差し伸べる。クラーリィはその手を取ることを一瞬躊躇したが、すぐに諦めて手を伸ばした。
 パーカスが力を入れ、クラーリィを立ち上がらせる。よろりと重心を揺らめかせたクラーリィを抱き留めると、すぐに押し返されたものの、蚊の鳴くような詫びの声が聞こえてきた。
「ごめん嘘だった」
「はい?」
「酔った、っての嘘だった。反省する。ごめんなさい」
 パーカスはしばらく先程のクラーリィの行動を思い起こしたが、演技だったとは思いづらい。先程のイタズラで酔いが覚めてしまった、と言う方が正確だろう。
 しかしパーカスは「演技派ですね」という無難な返事を選んだ。
「お、……怒ってるのか」
 いいえ、とパーカスは首を振る。
「あなたで遊んだだけですよ。私の仕事を増やしてばかりの大神官殿に、少々意趣返しをと思いまして」
 クラーリィは黙った。
 よろり、と彼が前進する。パーカスはそんなクラーリィに肩を貸し、人けのなくなった空間を進む。否が応でも聞こえてくる足音やら微かに触れる衣の音などが、やけにクラーリィの耳について離れない。

 クラーリィはようやく寝室のドア、というところでパーカスから離れた。彼はパーカスの方へ随分と複雑な視線を向ける。
「俺で遊ばないでくれ、……ときめいちまっただろ」
「……はい?」
 今度はパーカスが驚かされる番だった。クラーリィは少し赤い頬を手のひらで隠し、尚も文句を垂れる。
「俺が『好いた惚れた』と言ったところで責任なんか取れやしないくせに、俺で遊ぶんじゃない」
「……クラーリィ」
「何だよ」
「責任なら取りますよ」
 パーカスは思わず真顔で返答してしまった。しまった、と思ったのもつかの間、クラーリィは意外にも平気そうな顔をしていた。
 ふん、とクラーリィが笑う。ようやく彼のペースが戻ってきたようだ。片手をドアノブに回し、随分と意味ありげな微笑を浮かべる。

「なら実践してみせろ」と、彼は言った。


 ***END



Top Pre Nxt