<シコード編>



 ***


 帰って来たら、自分のベッドで既にクラーリィが寝ていた。

 何をしているんだろうこの男は、と思わず口に出してしまった。
 職務柄帰宅も遅いだろうに、それから更にワープ魔法を使ってわざわざ遠いグローリアまでやって来たのだろう。かといってなかなか会う機会のない恋人の帰宅を待つわけでもなく、ただひとのベッドを占領して寝ているだけ。
 本人の代わりに別の何かが待っていやしないかと慌てて辺りを見回してみたが、書き置きの類は一切見当たらない。そのようなものも一切残さずに寝ているということは、彼は特にシコードに用があって来た訳ではないのだろう。まさか寝ぼけてワープ魔法を放ったということもないだろうし。
 寝るだけならわざわざそんな労力を割くことないだろうに、なにゆえ彼はこんな所まで出張してきてひとの邪魔をしているのだろう。

「……おい」
 近寄ったシコードの気配にも全く目を醒ますようすはなく、仕方なくシコードはクラーリィの肩を弱く揺する。寝相が悪いのが原因か分からないが、布団からも寝間着からも肩がはみ出てしまっている。
 触れた手のひらにざらついた感触。普段隠されているせいで白めの肌のうえ、くっきりと残る傷跡が原因のようだ。シコードと知り合うまえに付けたらしいこの傷は、一向に消える気配がない。
 揺すられてようやく意識が浮上してきたのか、クラーリィは寝苦しそうに身動いだ。うう、と呻きに近い声が漏れる。
「……おい」
「んー」
「人のベッドで何をしている」
「んー」
 絶妙のタイミングで呻いたものだからてっきり起きたのかと思ったが、これでは判別のしようがない。
「……俺は寝るぞ、転げ落ちても知らん」
 明日の控えている身、残念ながらたとえ恋人とはいえこのベッドを明け渡すことはできない。今の所クラーリィは然程寝相の悪いほうではないと認識しているし、シコードが蹴落とさなければ大丈夫だろう。クラーリィがひっついて暑いと寝転がった先の面倒まで見ることはできないが。
「よいしょ」
「んー」
 クラーリィを少し奥の方へと押しやると、空いたスペースに腰を下ろした。大分狭いが仕方ない。はあとため息を一つ、シコードは蹲るクラーリィを眺めた。んー、と彼は相変わらず不明瞭な声で呻いている。
「んーんーうるさいな」
 いっそ鼻でもつまんでやろうかと手を伸ばしたが、いざという時になってクラーリィが何事か呟いていることに気が付いた。布団に顔を埋めたまま呟いているものだから、耳を澄ませても綺麗には聞き取れない。
「なんだ?」
 くったりと布団の上やら中やらに投げ出されている髪を集め、シコードは小さく息を吐く。こんな状態で寝ては明日大変なことになりそうだし、何より己の寝ている間に絡まったり挙げ句首を絞められたりしては堪ったものではない。折角の美しい髪なのだ、この粗末な扱いをもう少し何とかしてもよいだろうに、クラーリィはシコードの再三のアドバイスにあまり耳を貸そうとしない。

 シコード、と恋人が小さく囁いている。

「……ん?」
 喉を過ぎた声色が随分と柔らかくなっていることに気がついた。どこでどう間違ったのか、敵国とも言うべき国の代表者に惚れ込んで、紆余曲折を過ぎて、こんな関係になって。その相手が今こうして誰にも見せないだろう無防備な姿と顔をさらして、ただ微かに己の名を呼んでいる。
 ベッドの半分を占領されている苛立ちなんてものよりももっと遙かに大きな、シコードに優しさという心の広さを与えてくれる素晴らしき恋。

 ぐいぐい押しやったことについて申し訳ないとは思わないが、少しそれで寝相が変えられて寝にくくなったのかもしれない。
「なんだ?」と、シコードはもう一度問う。
 ゆっくり、クラーリィの瞳が微かに開かれた。金糸のすき間からちらちらと視界に入るのは、懐かしさを帯びた弱々しい光。
「……おお、おかえり、シコード」
 自分を見ているのか別の何かを見ているのかはっきりしない瞳は、少しふらついた後また閉じられた。その代わり今度は手がもぞもぞと動いてシコードの方に差し出される。
 シコードは躊躇せずにその手を取った。
「ようやく喋ったな。ただいま」
「……ん。遅かったナ」
 ああ、とシコードは返す。空いた方の手で流線を描く金色の髪を撫でる。クラーリィは動かない。
「寝ないの、か」
「寝るよ。だがもう少しお前をいじらせてくれ」
 なんだかそんな「気分」だから、もう少し眠るクラーリィを眺めていたい。よこしまなことは一切しないで、ただひたすらに寝息を立てる恋人を眺めていたい。
 はやく、と擦れた声にシコードは手を止めた。
「ん?」
「とな、り、……」
 眠気がだいぶ勝っているのか、クラーリィの言葉は寝起きレベルを超えてだいぶ不明瞭になっている。そのうち明確な意味を伴わない発声となってしまっても不思議ではなさそうだ。
 クラーリィは何を言いたいのかと考えたが、恐らく言葉通り「早く隣に入って寝ろ」ということだろう。眠さが勝って待っていられないと苦情を呈しているのかもしれない。このまま寝入ってしまってもシコードは一向に構わないというのに、わざわざ隣に収まるのを待つ気があるとは実にいじらしい。普段からこれくらい素直であるならいっそう可愛いのに。
 ただ、変なところで理屈っぽく矜恃の高いクラーリィとする駆け引きをも愛しているシコードだから、やはり「たまに」だからいいのだな、なんて独りごちる。

 仕方がないな、と息をついた。見下ろす形での傍観は諦めて、普段より随分狭いスペースに体を滑り込ませることにする。
 クラーリィは隣にシコードが収まった途端、もぞもぞと擦り寄ってきた。
「……なんだ? 今日のおまえは何やら様子が違うな」
 珍しい、とシコードは呟く。ここまで素直に来られると、嬉しさより先に気恥ずかしさが勝ってしまう。
 クラーリィはシコードの呟きなど全く聞いていないのか、ぐりぐりと頭をシコードの胸の辺りに押しつける。寝心地の良い場所を探しているようだ。
 しばらくして安眠の地を見つけたのか、クラーリィはぴたりと動かなくなった。実に分かり易い。微かに胸にかかる寝息がくすぐったいが、シコードはだいぶ満足していた。こんな状況に陥ることはそうそうないし、すぐ側で目を瞑る恋人は随分と幸せそうな顔をしている。
(ここなら安心して眠れるか?)
 そろりと手を伸ばし、すうすう寝入っている恋人の頭を撫でる。
 一番最初に推測したとおり、クラーリィはここへただ寝るためだけにやって来たようだ。シコードに何か用があったわけではない、ましてや顔を見に来たわけでもない。
 ただ、安心して眠れる場所を求めてここへ。幸せな眠りだけを求めてここへやって来たらしい。
(……可愛い奴め。いっそ胸が苦しい)
 シコードはそっと目を瞑った。今夜の夢は相応に良いものが見られそうだ、なんて考えながら。


***END



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