<リュートとちび編>



 ***


 帰って来たら、自分のベッドで既にクラーリィが寝ていた。

「おやおや……」
 リュートはもこっと膨らんでいる自分の布団を捲り上げた。わざわざ一手間掛けさせようと潜ったのか、それとも単に寒かったのか知らないが、とにかくクラーリィがリュートのベッドに潜り込んですやすややっている。
 きちんと靴や靴下を脱いでベッドの足下に置いてあるあたり、寝る気はなかったなんて言い訳は通用しなさそうだ。
「わざわざ僕の所でお昼寝かな」
 クラーリィは本気で眠っているようで、布団を捲り上げても反応しなかったし、今こうしてリュートがベッドに腰を下ろしてもぴくりともしない。
 それにしても、随分幸せそうな顔をして眠っている。

 帰って来たら部屋の鍵が開けられていた。おまけに部屋の中に人の姿はなく、誰かが仕事等を持ち込んだ様子もなかった。結局首を傾げながら入った寝室で不自然に膨れ上がった布団を見つけ、更にその中にすやすやしているクラーリィを見つけた。今だからこそ以前合鍵をあげたことや「気軽に遊びに来ていいんだよ」だとか「下手に部屋の中を弄らなければ好きに過ごしてていいんだよ」なんて言ったことを思い出したものの、犯人がクラーリィであると分かるまでの数分は素直にドキドキした。
 なので、ちょっぴりイタズラするくらいは許されてもいいと思う。
 とりあえず軽くデコピンしてみたけれどクラーリィは反応しなかった。頬っぺたをふにふにしてみてもダメ。軽く摘まんでみてもダメ。すっぽり布団を被っていたせいで少し寝汗をかいていたので、それを拭ってやってもダメ。
 それどころか「おーい」と声を掛けてみても、果ては軽く揺すってみてもやはり効果なし。むずむずするとか少しでも反応があれば違うのに、熟睡モードのクラーリィはちっとも反応してくれなかった。これでは流石に飽きるというもの。

「クラーリィ、起きてよー」
 リュートはクラーリィをひたすら揺する作戦に出ることにした。たいそう幸せそうな顔をして眠っていることだし、はじめこそ罪悪感が差したものの、ぴくりともしてくれないクラーリィを眺めるうちにそんなものは吹き飛んでしまった。
 あまり強くすると流石にかわいそうだから、一応は手加減して優しく揺すってみる。けれどこの様子では手加減なんて必要ないかも。やっぱりクラーリィは反応してくれない。
「クラーリィ、あんまり起きないとまたイタズラしちゃうぞー」
 一度手を止めて「今度はもっと酷いことするぞ」とか囁いても反応はない。……あ、いや、あったかもしれない。でもリュートの気のせいかもしれない。一瞬ぴくりと動いたような気がしてリュートはクラーリィの顔を覗き込んだけれど、変化はいまいち分からなかった。ただ、きっと今のは幻じゃない。もしかしたらもう少しで起きてくれるのかもしれない。
 なのに、どこか残念に思う自分もいる。今更になって心のどこかでもう少しイタズラしていたいななんて考えてしまう。普段こんなにも長々と小さな恋人の寝顔を眺めることなんてそうそうないわけだし。この幸せそうな寝顔には、きっと体力と気力の回復効果が付いているのだとリュートは思う。
 若干の期待を込めて「ちゅーしちゃうぞ」と呟いたら、お約束の如くむにゃむにゃ言ってクラーリィは目を開けた。とりあえず目をごしごしして、視界に入ってきたらしいリュートの方を向き、おはようございますだなんて礼儀正しく挨拶までしてみせる。
 ……どうしてこのタイミングで起きるんだろう。ここで起きなければイタズラしてやると結構いろんな案を考えていたところだったのに、残念だ。
「おはようクラーリィ。よく眠れた?」
「はい」
「どうして僕のお布団に潜ってたのか聞いてもいいかな」
「お昼寝しようと思って」
 リュートはしばらく黙ってから「どうして僕のお布団で?」と呟いた。素直な返答非常に結構。ただ、素直すぎて裏のクラーリィの意思が逆に読めない。
 クラーリィはあっさり「なんとなく!」と返してきた。
「な、なんとなくなの」
「だって王子、いいよって言ったじゃないですか」
「う、うん、確かに言った」
「……あれ、ダメでしたか」
 リュートの微妙な反応に気付き、クラーリィが急に声のトーンを落とす。下を向いて、肩まで落とし、リュートがまだ何も言っていないのに「ごめんなさい」と謝ってくる。
 リュートは咄嗟に「いいや」と首を振った。手振りまで付けて、いいんだよとリュートは繰り返す。本当はちょっとくらい怒ってもいいシチュエーションだったと思うが、今の一言にリュートの罪悪感がちくちく刺激されてしまってそれどころではなくなってしまった。
「いいんだよ別に、僕は怒ってないよ。びっくりしただけだよ」
「……」
「ホントだって」
 クラーリィは訝しそうな表情を崩さない。リュートのする魔法の話なんかは疑いもせずにすぐに信じるのに、リュートとこういう展開になったときにリュートの言葉を素直に信じてくれた試しがない。
 信用されていないわけではないと思う。どちらかというとクラーリィは、リュートが気を遣って嘘を言っている可能性を考えてしまい、素直に「はい」と言えないのだと思う。……そうだといいなと思っている。二人きりの特別な関係だから、そういう気の遣わせ方はさせたくないと無意識にクラーリィが思ったがための行動なのではないかと勝手に考察している。変なところで大人ぶっていると言えばそれまでだけれど、リュートは小さな友人かつ恋人・クラーリィの向けてくれるその不器用な優しさがとても嬉しい。
「ホントだよクラーリィ」
「……ホントに?」
「ホントに」
 クラーリィは未だ布団の中に体の半分くらいを埋めている。いつでもリュートの視線から逃れて布団の中に潜り込めるよう布団をしっかり握りしめながらリュートの表情を伺っている。
 鼻でもつついてやろうかと考え、行動に移そうとしたその時にようやくクラーリィは「はい」と呟いた。たぶん分かりましたという意味だと思う。
「よしよし」と言い、わしゃわしゃ頭を撫でたらクラーリィは懐いた犬みたいな顔をして目を瞑っていた。

「布団に潜ってたもんだから汗かいちゃったろうクラーリィ。服替えないと風邪引いちゃうぞ」
 確か一着や二着はリュートの部屋にも替えが置いてあったはずだ。以前お泊まりとかいって持ち込んで、そのままにしてあるやつ。あと、こっそりリュートが買い足した新品も一着だけ。出張先でまさしく「クラーリィに似合いそうだ!」という一品を見つけたため、思わずその場で購入してしまった。この服の活躍どころはまさしく今かもしれない。
「ついでに体も拭いてあげるから、ほら、まずは布団から出る」
 優しくクラーリィの背を叩いて促すと、乗り気ではないようだったもののクラーリィが布団の中からもぞもぞ脱出してきた。名残惜しそうに布団を眺めたりしながら、ベッドの縁にちょこんと腰掛ける。
 じっとリュートの行動を待っているクラーリィの視線を受け、なんだかとてもお兄さんらしい、なんてリュートの心は弾む。きょうだいの誕生を待ち侘びて数年。自分に限らず国民の多くがまだ見ぬ王女にして跡継ぎ、妹の誕生を待ち侘びている。リュートは個人的に弟でも妹でもいいと思っているけれど、仮により望まれている妹が生まれたとして、異性である以上「身体を拭いてあげるよ」なんて展開にはなり得ないし、そもそも二人っきりなんて状況にすらなれないかもしれない。封じ込められていた魔族が各地に現れ始めた昨今、もし妹が生まれれば国をあげて保護し育てることになるだろう。
 結局、こういった「お兄さんらしさ」を十分に味わうためにはクラーリィやその周囲を巻き込まねば達成できないような気がする。

 クラーリィは着ている服をぱたぱたやっている。空気を送り込んで涼んでいるらしい。部屋の隅の箪笥を漁っていたリュートは一度振り返ると「暑かったんだろう」と声を掛けた。
 うん、とクラーリィは素直に頷く。
「王子のお布団あっつかった」
「頭くらいは出して寝ればよかったのに。どうして頭まですっぽり被って寝てたの」
「ん、なんか、隠れてようかなって。王子こういうの好きでしょ」
「なんだい、君の中の僕はどういう人物なんだい!」
 取りだしてきた着替えを片手に頭を軽くぽかりとやろうとしたら、ここぞとばかりに逃げられた。たぶん幼馴染みとの喧嘩でこの辺の神経が鍛えられたに違いない。ほんの少しだけ追いかけ回って、最終的にクラーリィの裾を掴んだリュートの勝ち。ぷうぷう言っているクラーリィを持ち上げてベッドに戻す。
「クラーリィの負け!」
「王子に捕まっちゃった」
「今タオル持ってきてあげるから、もうちょっと待ってて。……あ、それとも、いっそのことお風呂に入っちゃうかい」
 そのまま今日は僕の所にお泊まりする、と聞いたらクラーリィは途端に動かなくなった。なんだかとてもそわそわしている。リュートが「僕から親御さんには連絡してあげるよ」と付け足したら今度はとても眼がキラキラし出した。
 年相応だ。可愛らしい。
「……お、お泊まり」
「そっ。久しぶりにどうだい? しばらくは眠くならないだろうし、晩ご飯もご一緒して、夜になったら魔法のご本を読んであげようか」
 そろそろクラーリィは一人でも大抵の本に目を通せるようになるだろうけど、古代文字は読めないし、あまり大きいサイズの本や古くさい本は彼の手には届かない。その上彼の年齢に合わせた魔法書では、きっと似合わず貪欲な知識欲が満たされることはない。
 言い方は悪いけれど、魔法書はクラーリィに対する最も効果的な釣り餌だと思う。案の定クラーリィはキラキラしたまま「する!」と身を乗り出してきた。
「よおし、じゃあまずはお風呂だよクラーリィ。風邪引いちゃうからね」
 水を得た魚の如く、わあいと一声クラーリィはベッドから飛び降りるととっとこバスルームの方へ駆けていった。数回連れ込んだせいですっかり部屋の配置を覚えてしまったらしい。まあ、昼寝になぜかリュートの部屋をチョイスするくらいなのだから、「ボクの第二のお部屋」くらいには思っていそうだ。
 クラーリィの着替えをかき集めていたら早くも「王子マダ〜」という声が聞こえてきて、リュートは苦笑しながらバスルームに向かった。

 ***

 久しぶりに食堂に顔を出して、いつの間にやら一新していたメニューを一通り眺めたりして、クラーリィと一緒に夕食を頂いた。クラーリィの方も結構な有名人のようで、顔を見た兵が何人か「おやおや」なんて微笑ましそうな顔をしていた。
 たぶん、人目を気にせず好き勝手走り回っているいつもと違ってコチコチに緊張していたからだと思う。
 先に食べ終わってしまったので、リュートはじっとクラーリィのことを眺めていた。途中リュートが食べ終わっていることに気付き、何かを喋ろうと少しだけ慌てたけれど、彼が口の中のものを飲み込んで何かを話す前に「いいよ」と先手を打った。「ゆっくり食べなさいよ」とも。
 あまり長い時間待っていた気はしないけれど、食べ終わったクラーリィはちょっとだけ時計を気にして「ありがとうございます」と言ってきた。
「ん? いいよ、気にしなくて」
 暇ではあったけど、退屈ではなかった。もぐもぐ一生懸命お子様ランチを平らげているクラーリィを眺めるのが、理由もなく無性に楽しかったことだけは確かだ。

 部屋に戻って寝間着に着替えさせて、次に書斎に連れて行って「どの本読みたい?」と聞いてみたりして。小難しい本やら怪しい本ばかり並んでいるけれど、クラーリィが既に目を通した本が何冊かある。内容的に無難だと判断したものは、複製してプレゼントしたこともある。
 魔法使いになって王子と一緒にお出掛けするんだ、なんて言うものだからつい。
「あれ!」とぴょんぴょん飛び跳ねるクラーリィご所望の本を取って、少し埃を払って、表紙だけ見せてキラキラ輝くその瞳を覗き込む。澄んだ新緑のような瞳の中に、小さく笑顔の自分が映り込んでいるのが見えた。
「ボク魔法使いになったら、お空とか飛んでみたいなあ〜」
「典型的だねえ」
「王子は空飛ばないの?」
「んー……僕高いところ苦手なんだよね」
 本当はワープ魔法の方が早いからだとか、相手に姿を目撃される可能性即ち狙撃される可能性があり、危なっかしくてふよふよ浮かんでいられないだとかそんな理由だったけれど、勿論そんなことを言って子供の夢を潰したりはしない。リュートはいつだって小さい子とクラーリィの味方なのだ。
「ああ、でも、中庭くらいなら平気かな。今度良い天気になったら、空中散歩でもするかい」
 サックスたちが羨ましがりそうだなあ、なんて。確実に彼らも一緒に持ち運ぶことになるだろう。クラーリィの幼馴染みの人数だけ往復しなければならない。日々天気予報をチェックして、来たる日に備えしっかり体力をつけておかないと大変なことになりそうだ。
「約束」と差し出された幼い小指と指切する。リュートの期待通り、決して大きい方ではないリュートの小指よりも更に小さい指がちょっとだけぷにぷにしていた。
 この子供特有のぷにぷに感を味わえるのもあと少しだと考えると少しだけ切ない。でも、逆にこの短い貴重な時間を共有できている自分たちは幸せなのだとも思う。

 魔法書を読み始めてしばらく、満腹のクラーリィはうとうとしはじめた。時計を見るに9時。以前基本8時には寝ている優良児だと聞き及んだことがあるので、クラーリィにしては頑張った方だと思う。
 リュートの膝の上でこっくりこっくりやっているクラーリィをそっと抱き上げてベッドに横たえる。たぶんまたそうそう起きない状態になっているから、このまま電気を消して寝かし付けてしまおう。彼の安眠具合からいって多少乱暴に扱っても目覚めない気がするものの、そんなことをする理由もないのでそろりそろりと作業を進める。
 そしてそろりと身を離そうとしたところで、クラーリィの右手がリュートの寝間着の裾を掴んでいることに気付いた。
「おやおや……」
 掴まれている手の力は弱い。だからリュートが少し自分の服を引っ張ればするりと抜けてくれるだろう。けれどリュートはそれをせずに、少しばかり眠るクラーリィの顔を眺めていた。
 おやすみ、と声を掛ける。むにゃむにゃすることすらなく、クラーリィはすうすう安らかな寝息を立てて目を瞑っている。いつもならちょっかいの一つでも出したくなっているところだけれど、なぜか不思議と今はそんな気持ちになれない。
 予想通りちょっと引っ張っただけでクラーリィの手の内からするりとリュートの服が抜ける。そしてその中途半端な開き具合の手のひらをそっと包み込むように手のひらを重ねる。少しだけ湿気た肌の熱がじんわり伝わって、やがて体温の境界が消えていく。
「いい夢を見るんだよ、……クラーリィ」


 ***END



Top Pre