<デビット編>



 ***


 帰って来たら、自分のベッドで既にクラーリィが寝ていた。

「……またですか」
 珍しく早くに仕事を上がったと思ったらこれだ。内心怪しいなとは思っていた。帰り際に「眠い眠い」と呟いていたし、決まり文句に近い「また明日」を言わなかった。正確には、言いかけてわざわざ口を噤んだ。
 まだ布団に綺麗に行儀良く収まっていれば許せるものを、自室では絶対にしない寝相の悪さでもってデビットを迎えてくれる。足や腕を投げ出すわ、腹は出ているわ、布団はぐしゃぐしゃになっているわ。枕なんてクラーリィの小脇あたりに転がっている。微塵にも枕として使ってやろうという気はないらしい。バスタオルが代わりに頭のあたりにくしゃっと丸まっていて、上手い具合に枕の役目を果たしているようだった。
 こんな状態で熟睡しているように見せかけて、実は結構な確率できっちりクラーリィは目を醒ましている。

 鼻でもつまんでやろうかとそろそろ手を伸ばしたものの、予想通りあと数センチというところでクラーリィに阻まれる。ぱっちり目を開け、流石司聖官と賞賛したくなるほどの素早さでクラーリィはデビットの腕を掴んだ。彼は何も言わなかったものの、おかしそうにしているその顔には「させない」の一言が浮かんでいる。
「おはようございます」と言うと、小憎たらしいほどの笑顔でもって「まだ寝てないよ」と返してきた。
「寝心地悪くて寝られなかった」
「ならご自分の部屋の、高くて寝心地抜群のベッドに帰ると宜しいのでは」
「独りぼっちででっかいサイズのベッドに潜るのって寂しいんだぞ」
 そうですか、とデビットは呟く。流石に「知るか」とは言えなかった。
 そんなベッドを好きこのんで買ったのは紛れもなくクラーリィ本人だ。買い換えの際に「寝相が悪いわけでもないのに、そんなに見栄を張らなくても」と口を挟んだのが大層お気に召さなかったようで、デビットの控えめかつ心優しい忠言を一切無視してあれを買った。デビットは悪くない。
「……直すので退いてくれませんか。隊長」
 まさかこれで退いてくれるとは思わないが、一応はとぺしぺし腕を叩いて移動を促す。案の定クラーリィが動く様子はなかった。それどころか口をへの字に曲げてむっつりデビットを見上げてくる。てこでも動かないつもりかもしれない。
「隊長」
「いやだ」
「寝心地が悪いのではなかったのですか」
 クラーリィは鼻で笑うととうとうそっぽを向いた。そのまま寝転がって視線すら合わせようとしない。しばらく睨んでみたが効果はなさそうだ。構うだけ時間の無駄ということらしい。
 なのに、諦めて持ち帰った書類でも整理するかと背を向ければ、いつの間にやら顔をこちらに向けて「どこへ行くんだよ」なんて文句を付ける。
「持ち帰り残業です。少しやり残したものがありますので」
「手際が悪いな」
「人聞きの悪い。明日の仕事をスムーズにするための整理ですよ。あなたのためでもあります」
 比較的柔らかい口調で諭したつもりが、クラーリィは「別にしなくてもいいぞ」と素っ気ない。
 デビットはクラーリィの直属の部下にあたる。クラーリィのことだから、こう見えてデビットの就業状況はしっかり把握しているに違いない。時間外勤務なんてしなくてもいいように彼は仕事を割り振ってくるし、実際この程度の整理今しなくても問題はないし、したところで明日の仕事が格段にはかどるかというとそういうこともない。

 デビットが己に構ってくれる気がないらしいと気付いたクラーリィは今度こそ膨れ上がった。
「おまえ、そんなに俺につれなくすると、俺の部屋におまえの知らない男を連れ込むぞ! 起きてこないな〜って心配して俺の部屋まで見に来たらあろうことか素っ裸でおまえの知らない男と寝てる俺を発見するおまけ付きだぞ!」
「男性限定ですか?」
「その方が悔しいだろう」
 クラーリィは真顔だった。
 子供っぽい、というか何というか。デビットは返事代わりにため息を一つ。上司ではあるが彼は年下だ。しかし年下と言っても既にいい大人以外の何者でもないし、普段はこんなにしょうもない面を見せたりはしない。デビット一人だけに見せる可愛い面と言えば聞こえはいいものの、実際の年齢なども鑑みるにあまり可愛いとは思えないのが泣き所だ。
 余程己に悔しがって欲しいのだろう。そして構って欲しいのだろう。もう少し大人になればいいのに、この人のこういうコミュニケーションは相変わらずどこか幼稚だ。今までこんな状況になることもなく、そしてこういう場面での上手い甘え方を学ぶ機会に恵まれることもなく、いつの間にやらこんな所まで転がってきてしまったのかもしれない。
 クラーリィは相変わらず膨れている。
「必要以上に己を幼稚に装うのも、安売りするのも、よくありませんね。あなたの価値はそんなものではないはずです」
「おーおー言ってくれるなあパーカス。……ああ、いや、デビット?」
 クラーリィの笑い方が変わった。――たちが悪い。
 彼がデビットのことを姓ではなく名で呼んでくれる場面はごく限られていて、要約するとたった一つ、ベッドの中だけ。非常に分かりやすいお誘いで結構なことだ。
「どうした。折角の俺のお誘いをお断りか」
 デビットは首を振る。
「私はどちらかというと謙虚な方が好みなのだと思います。あなたにもう少し謙虚さなるものがあったら、私はもっと優しかったかもしれませんよ」
 デビットはそろりと手を伸ばす。てっきり逃げられるものと思っていたが、意外にもクラーリィは逃げなかった。
 期待通り指が彼の金色の髪に触れ、その先の頬に少しだけ触れ、柔らかく輪郭をなぞる。クラーリィはその間じっと目を瞑っていた。
 やがてデビットの手が離れる。それを待っていたかのようにクラーリィが目を開ける。奥の方でちりりと燃える新緑いろの瞳が、デビットだけを映して揺れている。
「……おまえは優しいよ。デビット」
 聞き慣れたものより随分と柔らかで甘やかな声が己の名を呼ぶ。クラーリィはずるい。本人にその気があるのかどうかは知らないが、こうして名を呼ばれる度デビットの想いは募る一方だ。日中の凛とした彼を、そして今目の前に転がっている欠けのある彼を、デビットはどうか支えたいとそう願う。完全無欠を装う彼が弱さを見せてくれるというたったそれだけで、この上なく己の価値が認められたような気がして手放せなくなる。これまで多くの人間を眺めてきたであろうクラーリィの中で、己が特別な場所を占めているように感じられて胸が苦しい。
 クラーリィの語る短い言葉が、微々たる動作が、視線の揺らぎが、逐一デビットの心に波紋を作る。

「隊……いえ、クラーリィ」
「ん」
 同じくデビットがクラーリィをその名で呼び捨てる場面も限られている。精一杯の想いを込めて。彼への敬意や、畏怖や、遠慮や、そういうものを剥ぎ取っても尚残る慕情という名の感情を込めて。数多ある役職名ではなく、ただの一個人として彼に唯一の名で呼ばせて貰う。
 そんなデビットの心の切り替えにクラーリィが気付いているかどうかは知らない。ただ、いつからかこの場面に限って己を名で呼んでくれるようになったのは、きっとクラーリィが気持ちを汲み取ってくれたからだとデビットは思っている。
 呼びかけたきり口を噤んだデビットに、クラーリィは優しく問いかける。
「退かないぞ?」
「違いますよ。……わが君、このベッドはあなたのものと違って安物ですから、狭いしあまりふかふかしていませんよ」
「知っている」
 クラーリィは「今更何を」とでも言いたげな顔をしている。
「俺は別にいいベッドでないと眠れないとかいう高級な人間ではないぞ。出は庶民だからな。さっきのアレは……その、なんだ、ほんの天の邪鬼精神というやつで、本心ではなかった。許してくれ」
 デビットは返事がわりにベッドに腰を下ろした。無作為に散らばっている金の髪に触れる。クラーリィは黙っている。
「……知っていますよ。みんな知っていますし分かっています」
 ふと明日の朝を思い、デビットは何も言わずにクラーリィの髪をまとめはじめた。重心を動かす度に安物のベッドが軋む。
 まだ、クラーリィは黙っている。
「あなたが天の邪鬼だということも、素直とは程遠いということも、知っていますから。怒りませんよ」
 まとめた髪をベッドサイドに放られていた紐で簡単に結んでやる。こんがらがった状態でクラーリィが目覚めれば何も言わずとも彼は若干の不機嫌を纏うようになるし、恐らく明日の朝まで出ていってくれないだろうクラーリィの無精をわざわざ放っておく道理もない。
 まとめ終わったあたりでクラーリィはようやく口を開き、偉そうに「ご苦労」だなんて呟く。
「明日理由もなく不機嫌なあなたに迷惑を被るのは、紛れもなく私自身ですから」
「そういうの言い訳っていうらしいぞ。おまえこそ本心を言えばいい。いつまでも部下面を気取りやがって。素直がどうだとおまえはつい先程言ったばかりじゃないか」
 何がおかしいのかクラーリィはくすくす笑っている。ご機嫌はだいぶ戻られたようだ。
「デビット」と、彼は再度呼びかける。
「はい」
 覗き込む瞳に深い淀み。いや、淀みという言葉は相応しくないかもしれない。若い頃の純粋一辺倒なそれとは違い、己の身心を守るために厚い殻の中に隠れるようになっただけ。だから奥が見えない。彼の真意を知ることは容易ではない。
 ただ、デビットはその殻を剥がす術を少しばかり知っている。

 続けデビットは本来の役割を果たしていない毛布を直しにかかる。どうせ数分後にはまたどこかへいってしまうのだからあまり意味はない。それどころか、きっとどこかへやってしまうのはデビット本人なのだから始末に負えない。
 寒いでしょう、風邪を引きますよ、なんてほんの数分の空白を気遣う振りをする。ほんの少し、僅かに残る理性が振り切れるあと数分、いや数秒……
 無駄な抵抗を笑っているのか、その全てを無視してクラーリィは「おいで」と手を伸ばした。


 ***END



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