1002企画1・クラホル



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 きっと通じないと思って単刀直入に「好きです」と言った。ちゃんと場所を選んだ。それっぽい場所にそれっぽい雰囲気を用意して、彼女の方を向いてしっかりと「好きです」と伝えた。
 しかしホルンの方が一枚上手だった。確かにクラーリィの言葉を受け取った彼女はしばらく目を丸くして、それから「あら、何が好きなの?」とそれはもう可憐な笑顔で問い掛けた。
 クラーリィの負けだ! クラーリィはあの言葉に「あなたが」の一言を追加する必要があった。このくらい簡潔な言葉であれば真っ直ぐに彼女の胸に届いてくれるだろうと考えたことが間違い。そもそもクラーリィに想われているなんて発想を持たないだろうホルンに対しては、きちんとクラーリィの「好き」という感情がホルンに向かうものであることを伝えなければならなかった。
 クラーリィはすみませんと肩を落とし、ええと、と言葉を探る。ホルンはそんなクラーリィの様子をじっと見つめている。
 そよ風が二人の間をすり抜ける。その風の流れに誘われるようにごく自然に、クラーリィが顔を上げる。そしたまた真っ直ぐと彼女に視線を向ける。
「言葉が足りませんでした。無論、あなたのことが……です、ホルン様」
 ホルンは先程と同じように目を丸くした。ここに至るまで、たくさんのことがあった。クラーリィが主従の域を飛び越え彼女の隣に立つ決心をするまで、長い長い道のりがあった。
 さて、彼女の答えは――


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 ずきゅうん、なんていい音を立てて恋の矢がクラーリィの心臓ど真ん中に突き刺さった。唐突だった。しかも、深く突き刺さりすぎてもう二度と抜けそうになかった。抜いたらたぶん死んでしまう。死因は失血多量とか失血によるショックとかその辺になる。
 クラーリィはホルンに恋をした。なんとなく幼馴染みに相談したら「おまえいつから熟女専門になったんだよ!」と抜かしたので取り敢えず殴っておいた。
 冗談じゃない。こちらは本気なのだ。
「いったいねー、何すんのよ」
「何で俺おまえなんかに相談してるんだろ……」
「親友だからでしょ!? 無二の親友だからでしょ!? ところで今の、冗談抜きでマジなの?」
 クラーリィは少し考えてから頷いた。間を空けず、サックスは「やめとけば」と呆れ顔で言った。
 サックスは頬杖をつく。真顔でソファに座っているクラーリィを横目に見ながら、目の前の小さな机に載っている煎餅に手を出した。遠慮のかけらもなく袋を開け、煎餅を取り出し、勢いよくばりんとやる。再度頬杖をつき、黙ってもぐもぐやっている。
 その間、ずっとクラーリィは無言だった。
「……やめときなって。悪いこと言わないからさー」
 さして本気の発言と思っていないのか、それとも冗談で流してしまおうと思っているからこそこんな不真面目な態度を取っているのかは分からないが、サックスは相変わらず煎餅を齧りながらクラーリィのことを眺めていた。既に半分心の決まっているクラーリィは黙っている。むしろ、サックスのこんな不真面目な態度で逆に決意が固まってしまったのかもしれない。
 己はあくまでも真剣だ。冗談で流せるレベルは卒業した。今サックスの軽口に乗れば一時の気の迷いで済ませられただろうに、クラーリィに最早そんな真似はできなかった。
 クラーリィは恋をしている。冗談でも否定することができなくなる程に深く、二度と治ることのない傷を作るかのように不器用に、現在進行形の恋をしている。

 黙ったままのクラーリィを見て諦めたのか納得したのか、サックスはふと真面目な顔をして煎餅を齧るのを止めた。そーなの、とどうとでも取れる発言をして頬杖をつき直す。
「マジでマジなのね……」
「おまえのその変な言い方で何となく納得してしまう俺が悔しい」
 サックスはふと顔を上げてクラーリィの方を見やった。じっとその顔を見つめる瞳に、ほんの少しの哀れみと疑念が混じっている。だが、敢えてクラーリィは触らないことに決めた。
「やめとけーって、言ったのに」
「おまえのお陰で決意が固まったよ」
「そりゃー悪いことをした……まあ、好きにすれば。俺流石に応援はできないけど。自由恋愛に関しては、俺も賛成だし」
 呆れ顔のサックスはしばらくクラーリィの顔を眺めていたが、そのうちまた同じように煎餅を齧りはじめた。クラーリィは黙っている。
 サックスが思い出したように「幸せになる努力をすることと、幸せになれることは同義じゃないよ」と言ったときも、相槌すら打たずにずっと黙っていた。


 少し経ってからようやく、行動に移す決心をしたクラーリィの篤実な活動が始まった。
「あーホルン様。宜しいですか、あと一歩。……ああそんな感じです、うん、いいんじゃないでしょうか」
「一、二歩の差なんてあまりないと思いますよ」
 細やかなことに注文を付けてくるクラーリィにホルンは苦笑する。しかしながら臣下である彼がごく真面目に提案している以上、ホルンがその内容を不真面目に受け取るわけにもいかず、クラーリィの要求をきちんと彼女は聞いてあげていた。
「ダメですよ、女王たるもの外側も大切なポイントの一つです。親愛の念と畏れ多さの二つを同時に感じられるようなポジションが理想的です。まあ……お嫌なら強制するような差し出がましい真似はしません」
「別に嫌とは言っていませんよ」
 ホルンは微笑む。細かいことに注文をつけるのも、すべてはホルンの身の安全のため。クラーリィは何かにつけはぐらかしているが、実際は警備上ホルンの立ち位置の固定が重要で、クラーリィはそれを決めようとしていることくらいホルンにだって分かっている。クラーリィはただ単に、ホルンの不安を煽らないようおかしな言い方をしているに過ぎない。「この位置では警備の者が駆けつけるのに時間がかかる恐れがあり危険です」なんて言い方はホルンの不安を煽るだろうという、随分と遠回りなクラーリィの優しさの表れ。
 もしここで「嫌です」なんて言ったらクラーリィはどんな顔をするだろう。実際そう思ったことはないし、彼の行動の真意を知っているからこそそんな愚かしい真似はしようとも思わないが、きっと困り果てた顔をして「しかし」とか文句を付け続けるのだろう。けれど、決してクラーリィはホルンを「物わかりの悪い我が主」などと詰ったりしない。彼は不器用ながらも、根は優しい。
「大丈夫ですよ。当日急に予定にない行動を取ったりはしません。あなたがおろおろするのが目に見えるもの、そんなかわいそうなことはできないわ」
「ならば安心です。一応私の肩書きには『あなたの護衛』なるものもくっついていますので」
 それを選んだのは紛れもなくクラーリィ本人だ。だが前任にそんなものはくっついていなかったし、歴代大神官を眺めても護衛まで請け負っているのは半々といったところ。その後その大神官が王配殿下となった割合は……調べようと思えば簡単に調べられるが、結果を見るのが怖くてクラーリィはやったことがない。
「それに、パーカスも怒るに違いないわ。黙って怒るあなたと違ってパーカスはきちんと私に文句を言うから、それはそれで怖いのよね」
 クラーリィはふと顔を上げ、じっとホルンの顔を眺めた。ベランダの手すりに手を掛け、外を眺めようかと視線をずらしかけていたホルンの動きが止まる。
「……なんでしょう?」
 クラーリィは真顔だった。悩んでいるのか少し視線を彷徨わせ、だがすぐに視線をホルンの方へと戻してくる。
「私も、パーカス執事のようにきちんとあなたに文句を小言のように細々一々言った方が宜しいですか」
「まあ、やめて!」
 クラーリィが笑った。よく言えば役割分担、性格の違い。別段パーカスがホルンを苛めようとしているとかそういうことは一切ない。ただ単純にホルンを強く思う結果の行動に違いが現れているだけ。どちらが尊いとかどちらがより相応しいとかいう区別をすることはできないものだ。

 ホルンがすっと視線を城下に向け、それをクラーリィが追った。名目は、護衛のため。女王の身を守れるよう、彼女が何か望みを持ったときに叶えられるよう、すぐ側に侍るため。しかしその振る舞いに滲む不純物にホルンが気付いているかどうかは知らない。たぶん気付いていないと思う。
 流れる雲と、青い空と、澄んだ空気に鳥の鳴き声。城下から流れてくるぼんやりとした人々の喧噪と、木々の緑と家々の屋根が混じった不思議な景観。スローモーションのようにゆっくりと流れていくかのようで、この小さなジオラマの中で数え切れないくらいの人が目まぐるしく生活し、一度きりの人生を歩んでいる。きっとあちらの住人からは、この王宮が逆に彼らのジオラマの一部分となっていることだろう。
 そんな中、切り取ったようにベランダの上にホルンとクラーリィが二人ぼっち。
「いい天気ね」
 はい、とクラーリィ。雲の流れが遅い、風があまりないせいか、空気が停滞しているかのような印象を受ける。微かに花の匂いが漂ってくる。
「少し季節外れな気がするわ……この花の匂い、何か分かります? クラーリィ」
 嗅いだことはあるようなのだけれど、とホルンは悩み出す。同じく記憶の片隅にはあるものの、一向に思い当たらないクラーリィは素直に首を振った。そのうち明日の打ち合わせの結果を聞きに来ると思います、パーカス執事に聞いてはどうでしょう、なんて拍手を送りたくなるくらいに平穏そのものの声で返答する。
 大気を吸い込むホルンの横顔が、ほんの少し幸福を滲ませた横顔が、掻き消えそうな花の匂いよりも一層儚げで、少しでも触れたら壊れてしまいそうなほどに繊細だとクラーリィは思った。その横顔が愛おしい。ほんの少しでもいい、彼女の感じる幸福と、それをもたらしたこの世界が何よりも愛おしい。
 側におります、とは胸の内の言葉。花の匂いに感銘を受けていられるのはいつまでだろう。いつ、この仮初めの平穏が崩されてしまうのだろう。不穏な足音は近い。案外、己はあっさりと「ホルンのために」とか言って死んでしまうのではないかとクラーリィはぼんやり考えている。無論それを受けてホルンが悲しむことくらい分かっているが、人の死なんて運が悪ければ一瞬だ。誰がどう文句を付けようと、彼女が女王であり己が臣下であるというこの状況からするに、女王ホルンの命の方がクラーリィのそれよりも価値がある。それはクラーリィの中の真実で、たとえホルン本人に否定されようが絶対に揺らぐことはないだろう……
 パーカスのものと思わしきノックの音を捉え、二人はほぼ同時に振り返った。


 ***


 あなたのことが好きです、とクラーリィ。悩むことには飽きた。こっそりと気を回すことにも飽きた。いつか爆発・暴走してしまう前に、自ら止めを刺しておこうと思っただけだ。この上でホルンに拒否され、大神官の任を解雇されようがクラーリィに未練はなかった。クラーリィが力一杯二人の間に聳えていた垣根を踏み潰したように、彼女には同じほど拒否する権利がある。

「ごめんなさい」と、ホルンは言った。
 クラーリィは目を瞑った。結果なんてはじめから分かりきっていた。望むことすら烏滸がましい、クラーリィの望んだ答えが返ってくる可能性なんてゼロに等しかった。ただ、ゼロではなかった。その僅かばかりの可能性に縋ってクラーリィは実行に移したに過ぎず、こんな返答などはじめから予測が……ついていた。
「今の冗談よ。あなたの気持ちは以前から知っていました」
 やけに明るいホルンの声が胸に突き刺さる。しかしホルンの言葉を反芻し、あれとクラーリィは目を開けた。何か言い方がおかしい。
 ホルンは微笑んでいた。
「照れちゃうわ。この年にもなってそんなこと言われてしまうと」
 はい、と間の抜けた声でクラーリィが相槌を打つ。一縷の望み? 期待する気持ちと期待してはいけない気持ちとが殴り合いを始めたかのように心臓が跳ねて、胸を突き破りそうに苦しい。
「まあ嬉しい。まあ嬉しい! あなた結構奥手だし、変なところで踏ん切りがつかない癖があるから、一生言ってくれないものだと思っていましたよ。私、少し前からあなたにおかしな薬でも飲ませた方がよいかとまで考えていたんですよ」
 にっこりとホルンは笑った。本当に嬉しいのか、頬に手のひらを当ててなおも微笑んでいた。
 対するクラーリィは彼女の言葉をじっくりと反芻する。取り間違いがないように。一生で一番、勘違いをしてはいけない場面。彼女の言葉を一言一句吟味して、正しい解釈のみを残さねばいけない場面に直面している。
 ぐるんぐるんと迷っているクラーリィに気付いたのか、ホルンは助け船を出した。ただ一言「私も好きよ」と呟く。流石に照れたのか視線は外れてしまったが、その瞳に真実の炎が宿っていることをクラーリィは確かにこの目で見た。
「やっ……」
 クラーリィの握る手が白くなっていた。顔が赤くなっていくのがよく分かった。絞り出した声すらも震えた。
 しかしその理由が分からないらしく、ホルンは無邪気に首を傾げる。
「やめてください!! 何ですか『ごめんなさい』って紛らわしい、死ぬかと思ったでしょう!! 俺はこのベランダから飛び降りるところでした!!」
 悲鳴に近い声もホルンの心の奥底には届かないのか、あら、なんてホルンは微笑む。
「あなたなら飛び降りても死なずに着地できるでしょうに」
「そういう問題ではありませんっ!! いいですかホルン様、あなたは、あなたはっ……」
 一つ呼吸。たった一回息を吸って、吐くだけで、ヒートアップした感情がすっと平熱に戻っていく。そして、波が寄せるかのようにごく自然と羞恥心がやってくる。顔が赤い。そして熱い。恥ずかしい。むしろ悔しい。
「……何でもありません」
 絞り出した声は地を這うように低かったが、ホルンは軽快に「あら、言っていいのよ」と呟いた。クラーリィは黙って首を振る。
「恥ずかしくて死にそうです。忘れてください」
 勢いに任せて一人称まで「俺」になってしまった。今までどんなに腹を立てても慌てても、堅実に「私」で通してきたというのに。
「嫌よ、折角好きと言って貰えたのに。今日はいい日よ、お赤飯を炊きたいくらい」
 そうよ、そうしましょう、なんてホルン。人の気も知らないでとクラーリィは思ったが、何とか言葉にするには至らずに済んだ。
 今すぐに言いに行けば夕食に間に合うだろうか。厨房のみなさんには迷惑をかけてしまうけれど、とホルンは考える。いいことがあったの、どうしてもお赤飯が食べたいの、この嬉しい気持ちをみんなと分け合いたいの、なんて言えば大抵の人間はホルンの「優しい」わがままを許してくれるだろう。食堂の張り紙に本日の特別メニューお赤飯、理由はホルン女王にいいことがあったため、なんて。これまでにも何度かそういう無理を通したことはあった。その度パーカスに小言を言われるからホルンも随分自重していたが……今日だけはどうしてもわがままを言いたい。
「厨房に行きましょうクラーリィ。大丈夫、理由はみんなに話さないわ。そんなことしたらあなたが袋叩きになることくらい分かっていますよ。いいから行きましょう、さあ早く!」
 クラーリィの手を引いてホルンは先を行く。半ば引きずられるような形でクラーリィがその後を追う。ホルンの掴む左腕のその部分が、布越しだというのに随分と熱く感じる。
 廊下を駆け抜ける二人に対抗するかのように風が吹き抜ける。陽の落ちかけた時分らしい少し冷気を含んだ生暖かい風は、程良く上気したクラーリィの頬を冷ましてくれた。


 ***


「ところで先程、随分不穏なことをおっしゃいましたね。おかしな薬がどうとか?」
「もう買ってあるのよ。自白剤みたいなものと、あと睡眠剤」
 無事わがままを通すことに成功したホルンはご機嫌だ。にっこりと微笑んでまた怖いことを言う。
「……嫌です。お断りします」
 クラーリィは真顔で首を振った。ホルンの言葉に何やら真実味を感じ取ったのがその理由。彼女はか弱いだけの女性ではない、やるときはやる、そういう女王としての力強さも併せ持つ女性なのだ。決断のよさはクラーリィよりホルンの方が数段上だろう。
「遠慮しなくていいのですよ? 案外飲んでしまえば楽になれるかもしれませんよ?」
「やめてくださいよ、まるで犯罪者みたいではないですか。ホルン様、自白剤はまあ分かりますが、睡眠剤は何に使うおつもりだったのですか」
「飲ませるのよ? もちろんあなたに」
「……私は寝てしまいますよ。それでおしまいではないですか」
「あら、人生経験あなたの二倍以上のこのホルンを舐めて貰っては困りますよ。魔法と合わせれば何だってできるのよ、クラーリィ。既成事実を作ってしまうことだってできるのですから。あんまり私を困らせると、言い逃れができないように細工してしまいますよ!」
 ホルンは随分と楽しそうに肩を揺らす。そういえば彼女には己より年上の子供がいた。無論忘れがちではあるが夫もいて、その夫とは戦災の最中で死に別れている。僅か二十歳と少しのクラーリィとの人生経験の差は歴然だろう。
 ふと想像を巡らせて、案外冗談でもないのかもと感じたクラーリィは黙って頭を下げた。勘弁してください、のポーズ。
「でも、いいのよ。もういいの。あなたが言ってくれたから、そういうことをする必要はなくなったわ。あれはあくまでも最終手段でしたから。使わずに済んで良かったわ」
 ご飯に混ぜようか飲み物に混ぜようか、いっそのこと薬入りプチパンケーキでも手作りしてみようか考えていたけれど無駄になってしまいましたね、なんてホルンはなんでもないことのように笑っているが、この様子からすると随分と本気のご計画だったようだ。踏みとどまって頂けて本当に良かった。
「……私がもう少し甲斐性を発揮すればいいだけの話のようですね」
 少し寂しそうなクラーリィの声を受け、優しいホルンはフォローに回る。ホルンに気を遣わせてしまったと反省したクラーリィは一言「すみません」と謝った。
「いいのよ、謝らないで。盛るわよなんて脅した私も悪かったわ」
 それからホルンは思い出したように「もう二人っきりの時は無理して『私』なんて言わなくていいのよ」と呟く。クラーリィはしばらく黙ってからホルンの顔を眺め、それから照れくさそうに苦笑した。こちらの考えなどお見通しだ。つい先程だって彼女はクラーリィの想いを以前から知っていたと言ったばかり。

 ささやかなわがままを利かせた食事時まであと少し。二人分にしては少し広すぎる部屋の中を、例の名前の分からない花の香りがくるくると回り続けている。


 ***END



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