隣 更におまけ



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 この間迷惑を掛けたことだし、とサックスと遊びに行く約束を取り付けたクラーリィだったが、そのことにシコードが柄にもなく嫉妬していることを知ってクラーリィは腹の底から笑った。
 別にシコードが「ずるい」とか「俺も連れてけ」とかそういう類の文句を言った訳ではない。サックスを呼びつけて約束を反故にするよう迫ったわけでもない。全くの平静を装っているシコードのその回りで、妖精さんたちがクラーリィに随分とご立腹のご様子だったから気付いただけだ。ご丁寧にも妖精さんは、クラーリィにわざわざ告げ口までしてくれた。
「いーっひっひ! こんなことになるなら俺におまえと主従関係を結んでいる妖精の声が聞こえるように契約を書き換えなくても良かったし、おまえの感情と妖精の感情がリンクしているなんてことも教えない方が良かったよなあ! いっひっひっひ、シコードの愚か者ォ!」
「その悪い魔法使いみたいな笑い方を止めるんだクラーリィ。よろしくない」
 ばらされてしまったシコードは諦めて小さくなっている。彼は妖精に八つ当たりをしたり、況してや囃し立てるクラーリィの口を殴って塞ぐなんて乱暴なことはしない。頭痛に悩まされているのか頭を押さえ、やや恨めしそうにバカ笑いをしているクラーリィのことをじっと眺めている。余程ツボに嵌ってしまったのか、当のクラーリィはけらけらと笑い続けていた。
「バカバカしい、何を考えているんだ。俺とサックスは幼馴染みでただの親友だ、おまえとは間柄が違う。一緒にするな、同じに考えるな。貴様は俺の幼馴染みではない。十年を越える友人でもない。
 第一俺は前に言ったろう? このままスフォルツェンドに永住しようがそれは貴様の勝手だが、生活の糧全てを俺に拠り頼もうなんてバカげた真似は止してくれってな」
 悪かったよ、と言おうとしたシコードだったがその言葉を喉のその先へ出すことはできなかった。心の奥底にその言葉を引き留めるだけの大きなわだかまりがあるらしい。
 簡単に言えば、本心悪かったとはあまり思っていないということだ。
「独占だの束縛だのそういうもんは感心できんな。俺はそういうの嫌いだ。御免だ。遠慮被る。俺と長いこと付き合いたいのなら、その辺もよく考えてくれよシコード」
「……すまん」
 ようやく絞り出した言葉は単語一つ。流石にクラーリィもシコードの様子に気付いたのか、それともふよふよその辺を漂っているだろう彼の友人たちの様子からそれを察したのかは分からないが、ふと真面目な顔をすると「なあ」とシコードに問い掛けた。
「いいか、ようく聞け。軍人上がりで今は愚かしくも学生なんぞをやっているおまえと俺は違う。俺はこう見えても聖職『大神官』なんだ。俺の言葉はありがたいんだ。信じるがいい、御利益があるぞ」
「胡散臭い宗教団体みたいだ」
 いきなり何を言い出すのかとシコードは視線を逸らすが、そうだよ、と当然のように肯定されて視線を戻した。
 真面目な顔をして、クラーリィはじっとシコードに視線を注いでいた。恐らくは、シコードが彼の視線から「逃げた」時もずっとこちらを眺めていたはずだ。クラーリィは、眺めていたなんて表現が似つかわしくないほどに、シコードの一見くだらない悩みに付き合おうとしてくれている。
「宗教なんだよ、当たり前だろ。人の心の問題だ。信じない輩からすれば全てが胡散臭い、そういうもんだろ。我が国の宗教を信じる必要はないが、俺の言葉は信じろシコード。疑念とは人の心に影を落とす見えない病だ」
「……そうか」
 随分と説得力のある声でものを言う、とシコードは少し他人事めいた感想を抱いた。この力強い声に惹かれて大神官の後をついていく者は多かろう。若輩者のうえ、特に血統的な後ろ盾もない彼が血統の通例に反して大神官の位を戴いたり、世界に名だたる魔法兵団の長としてやっていけるのにはそれなりの理由がある。
「シコード」
「なんだ」
「愛しているよ」
 真顔で言うのだけは反則だと思った。相変わらず普段は偉そうなことばかり言って、できるだけ己がおいしい思いだけして逃げられるように何かと責任をシコードに押しつけてくるくせに、こういう肝心なところだけはきっちり釘付けしておく狡い男だ。世渡りが巧く賢い彼は、少しばかり付き合っただけでシコードの扱い方をしっかり収得してしまったらしい。どういう言葉がシコードにクリティカルヒットするのか、どういう言い回しをすればシコードを言いくるめられるのか、だいぶ掴まれてしまったようだ。
「……俺も……好きだよ」
「はいはい」
「そっ、その返事はなかろうが!」
 愛がない、なんてシコードは反論する。「愛」から「好き」に下げたのは他ならぬおまえだと言われ、シコードは反論に詰まった。勝ち誇った顔をしたクラーリィがいっそのこと憎い。
「今俺はおまえにお説教してるんだよ、おまえに口説かれてるわけじゃない」
「ぐっ……ぐう……」
「ぐうの音は出るらしいな」
 相変わらず上機嫌なクラーリィはおかしな言い回しをする。シコードが黙りを決め込んだことに気付くと「おまえとも約束を取り付けといてやるよ」と如何にも恩着せがましく呟いた。けれど、その申し出をシコードが断ることはない。断るなんてとんでもない。未だに彼に届かぬ恋をしている気分のシコードは、クラーリィからの貴重なアプローチを断るなんて絶対にしない。
「二人でデートでもするかあ? ドタキャンはしないよたぶん」
「あれはやはり故意か!」
「冗談だよバカだな、全然学習してないじゃないか。さっき俺はおまえに『疑念とは人の心に影を落とす見えない病だ』って言ったばっかりだぞ!」
 付き合い初めてすぐの頃、クラーリィが持ちかける形で出かける約束をしたのだが、当日朝になって本人にドタキャンされた。その日をどれだけシコードが楽しみに待っていたのか言うまでもない。急な予定の変更を言い渡され、クラーリィのまえでは平静を装っていたものの、部屋に戻ったシコードが半日ずっとしょんぼりしていたことをクラーリィは知らない。きっと思いも拠らないことだろう。無論キャンセルの理由は納得すべきものであったし、疑わしき点など殆どなかったのだが……人の心とは弱いもので、一度疑い始めてしまうと暗雲のように疑念が立ちこめてそう簡単に晴れることはない。
「そうだな……反省する」
「いい心掛けだ」
 じゃあ、なんて言ってクラーリィは予定を立て始めた。早速己のスケジュールをチェックし始めた恋人を眺めながら、シコードはぼんやりと自分の未来について考える。今の中途半端な立ち位置も悪くはないのだが、クラーリィはじめいろいろな人に迷惑を掛けるだろうし、そろそろ新しい立ち位置を確保する方向に動いた方が良さそうだ。


 ***


「……どうしてこうなったのか……聞いてもいいか」
「まあいいじゃあないか」
 現地集合な! と言われたのでいそいそとシコードは出掛けていったのに、肝心のクラーリィは遅刻しなぜか代わりにもの凄く嫌そうな顔をしたサックスが待っていた。それでもって、訳を聞こうとした矢先に「クラーリィが来たら俺は帰る!」と泣きそうな顔で言われた。
 サックスはそれっきり口を聞いてくれそうにない。前回三人でカラオケに行ったときは特に嫌そうな素振りもなかったし、自分でこう評価するのもあれだろうがかなり高ポイントを稼げたと思うし、恐らくシコードに対し何か負の感情を抱いて不機嫌そうな顔をしているのではないのだろう。だが彼によく思われている訳でもないシコードが事情を根掘り葉掘り聞き出そうとすれば、それはそれで彼の機嫌をより悪化させそうな気がして乗り気になれなかった。
 困ったシコードはクラーリィに連絡を取った。連絡がくることを見込んでいたらしいクラーリィは、通信の相手がシコードだと知るなり随分と楽しそうにけらけら笑いだした。
 目の前にいたら殴ってやるのにとシコードは言うが、クラーリィにそんな呪詛は効果を示さない。
「いやあすまんな、もう少ししたら行くよ、急に仕事が入ってしまってなー! またドタキャンとなるとおまえが騒がしいだろうし、独りぼっちで待ちぼうけってのも寂しいだろうから、取り敢えずサックスを送ってみた!」
「俺は今度おまえに友人の扱い方について説教せねばならんようだ!」
 俺が言うのも何だが友達無くすぞ、とシコードは言う。クラーリィは「ご忠告痛みいる」なんてふざけた返答をすると一方的に通信を切ってしまった。その上切り際にサックスと待っていてくれ、なんて無責任極まりないことまで言っていた。
「あー……その……すまん」
 シコードは項垂れているサックスに近寄って頭を下げる。サックスは覇気のない声で「いいよ」と返してくれた。
「断り切れない俺が悪いんだ……昔から甘すぎるからこんな感じに成長しちまったんだ……」
 幼馴染みなりの後悔があるのかサックスはぶつぶつと何か呟いていたが、やがてふっと顔を上げた。その視線に混じるのは、批判。近寄り掛けていたシコードの歩みが止まる。
「ていうか今回のはそもそもあんたが悪いんだよね?」
「んっ?」
「この間クラーリィが『俺がおまえとお出かけするからシコードが焼きもち焼いた』とか何とか言ってげらげら笑ってたぞ。だからクラーリィ俺を放り込んだんだろ! いい迷惑だ」
「……」
 シコードに言い返せる訳もなかった。サックスの怒りもご尤もだ。急用が入ってしまったついでに、シコードが二度も同じ疑念を持たぬようにとクラーリィなりの配慮だろう。サックス本人と話して疑念を払拭しろとのお考えかもしれない。
 ただし、サックスにしてみればただの迷惑。迷惑極まりない話だ。
「なら……俺からも謝らねばならんな……すまん」
「もー止めて欲しいよね! 勘弁して欲しいよね! 俺はお昼に一人でおいしいもん食べに行く予定だったのに丸潰れだよ全くもう。折角女官さんに穴場を教えて貰ったのにさあー!」
 そ、そうか、なんてシコード。若干嫌な予感がしたが、ここでそれを言うのは自意識過剰かと思ってなんとか踏み留まった。
 しかしサックスは、続け「お詫びに昼飯奢ってくれていいんだけど?」と予想通りの台詞を呟いた。決して付き合いは長い方ではないが、こちらに来るときやクラーリィと付き合い始める前に行った情報収集、それから何度か三人で遊びに行った経験、クラーリィ越しに聞く彼の噂などからそこそこどういうキャラクターなのか分かってきた。
 彼は本気でシコードに奢らせようとしている。

 少しだけ悩んだがシコードは大人しく彼の提案に従うことにした。今回は全体的にシコードが悪い。大神官業の忙しい時期だというのに無理矢理予定を組み込んだのはシコードの嫉妬が原因だし、本日のサックスの予定が丸潰れになったのも本を正せばシコードに幾分の責任がある。
 幼馴染み同士の理由のないお出掛け話を耳に入れたシコードが、身の程を弁えずに柄にもなく嫉妬してしまったことこそが一番の原因なのだから。シコードはクラーリィの全てにはなり得ないし、況してやクラーリィはシコードのものではない。彼の分を弁えた自由を束縛する権利はシコードにはない。
 ここぞとばかりに「あそこのあの店のあれ食べたい」とか「無理ならあっちの店でもいい」とか具体的な注文を付けてくるサックスを視界の隅に、お財布と相談していたところへちょうどよくクラーリィが現れた。おっ待たせ! なんて殺意が沸くほどに朗らかな挨拶まで披露する。
「ようクラーリィ。もう昼だぜ、俺むかついたからお昼奢って貰うことにした」
「……? あ、そう」
 事情のよく飲み込めていないクラーリィは、いいんじゃないのと適当なことを言う。
「じゃあ俺も、シコード」
「そう来ると思った」
「ん? 喧嘩でもしたのか?」
 してないよ、とサックス。遅れてシコードが頷いた。少しだけ二人を見比べたクラーリィは、それで納得してしまったのかまた「そう」と呟いただけで流してしまった。
 シコードがやっとの思いで手に入れた恋人は、じゃあ何食べようかな、なんて暢気な悩みに頭を使っている。


 ***


 サックスを帰らせたシコードは大きくため息をつく。本日の予定外のあれこれは全てシコードが悪いのだろうか? 己が欲を出したから、その罰が当たったとでもいうのだろうか?
 何はともあれ、ようやくやってきた二人きりの時間を満喫しようとシコードは頭を切り替える。取り敢えずはひとけのない所へ、と郊外の公園へ移動した。立地が悪く、あまり見晴らしもよくはない。吹き抜ける風は少し強めだし、木々が必要以上に生い茂っているせいで日の当たりもいいとは言えない。けれどその分静かで空気が綺麗で、普段人に囲まれて生活しているクラーリィお気に入りのスポットらしかった。窓の位置の悪い休憩室に通い詰めていた時期もあったことだし、クラーリィはこういう傾向の場所がお好みらしい。
 一通り見渡して先客がいないことを確認したシコードは右奥にぽつんと佇むベンチの方へと移動する。ふと並ぶクラーリィに視線をやると、彼はそんなシコードを見つめてニヤニヤしていた。
「……何だ」
「おまえ割と能面キャラだろう」
「ん?」
「何考えてるかよく分からないって言われないか。あ、妖精が見えない連中にな」
 見えると分かりやすいよな、とクラーリィは言う。シコードはしばらくクラーリィの発言の真意を確かめようかと返答に迷ったが、すぐに諦めて肯定した。事実だ。祖国に居た頃から、寡黙な上に表情にも出ないから端的に「近寄り難い」と評されることが多々あった。もっともこれはシコードの性格あるいは個性であるから、だからといってどうという話にはならない。少なくともシコードは改善する努力をしたことがないし、改善すべきことだとも思ってない。
 いきなり何の話を始めたのかとシコードは思ったが、何やら己に関する話のようであるし、ここは一つ大人しく耳を傾けることにする。シコードとは何かと視点の違うクラーリィのこと、場合によっては面白い話が聞けるかもしれない。
 ふふん、とクラーリィは勝ち誇ったように笑った。
「俺は最近おまえの考えていることが何となく分かるようになったぞ。勿論、妖精が見えていなくても、だ」
「……そうか」
「じーっと眺めてるとな、言うほど能面じゃないって分かるぞ! ハハ、シコードのポーカーフェイス破れたり」
 良かったなと言いそうになったシコードだったが、場合によっては彼の怒りを誘うかと思い何も言わなかった。だってクラーリィは随分と嬉しそうなのだ、そんな彼に他人事のように「良かったな」なんて言うのは止めた方がいいに違いない。それに、仮にクラーリィの言葉が正しいのなら、彼の発見を好意的に思っていることを察してくれるはず。
 返事をしないシコードに気付いたクラーリィは、シコードの鼻先に回ってじっと顔を眺め、やがて「何だ、悔しくないのか」と呟いた。どうやらクラーリィはシコードが悔しがってくれることを期待していたらしい。別にシコードはわざと無表情を装っているわけではないのだから、クラーリィに感情を読まれようが特に問題はない。況してや相手は恋人、無用な誤解の発生を防げるという点では寧ろ歓迎すべきことであると思う。
「当たり」と、シコードは素直に返した。その上で、顔が近いと一言文句を言う。文字通り、目と鼻の先。しかもクラーリィはじっとこちらを見つめて逸らそうとしない。
「顔赤いぞ」
「うるさい」
 にんまりとしたたちの悪い笑顔を浮かべて、ずいとクラーリィが迫る。シコードが視線を逸らす、そっぽを向く。クラーリィが数歩動いて追従する。
「嬉しいくせに」
「うるさいっ」
 ひひ、とクラーリィが笑いだした。この間と同じく、随分趣味の悪い笑い方をする。こういう笑い方でからかうようになったのは最近の話だ。友人の誰かに吹き込まれたか、それとも何かおかしなものでも見聞きしたのか。
「見つめられるとときめいちゃうの! ってか!! いっひゃっひゃ!!」
「だからその笑い方を止めろと言うに! どこで覚えてきたんだ!」
 この、と頬の辺りをつねろうとするがクラーリィはするりと逃げ出す。それをシコードが追い掛ける。

 嬉しくないわけがない、嬉しくないはずがない! シコードは今でもずっとクラーリィに恋をしているのだ。子供っぽい追いかけっこに興じている今この時でさえ、長いこと願い続けていた想いが現実のものとなったことを神に感謝せずにいられない。
 絶対に叶わぬ夢だと思っていた。それでも僅かな可能性を追い求めてはるばるこの国までやって来た。まだこの国の文化に慣れぬ頃は、遠目からクラーリィの後ろ姿を拝むことにすら幸福を感じた。始めは嫌っていたらしい彼が徐々に絡んでくれるようになって、やがて頼りにしてくれるようになって。部屋に上がり込んだり、一緒に買い物に行ったり、喧嘩をしたり。そして今、己だけに向けられる言葉や視線、そして何より愛情の感じられる仕草のそれぞれが、狂おしい程に愛おしい。
 おまえの考えていることが分かるようになったよ、なんて無邪気に報告してくるクラーリィを、本当はその場で抱き締めてしまいたかった。ここが外でなければやっていたに違いない。……いや、部屋の中でも、状況を考えた上で実行に移していたかもしれないが……クラーリィは二言目には「おまえの自制心が恐ろしいよ」なんて言うが、それは単なるシコードの「臆病」に過ぎない。好きで好きで仕方がない。だから、嫌われたくない。己が相手を傷付ける存在となりたくない。己の幸福よりも、相手の幸福を優先したい。相手の欠点が何であれ、その全てを受け入れられる気さえする。欠点だと認識した上で、それをクラーリィの個性だと認められるとシコードは思う。
 こんなにも本人の幸福を願うことのできる相手に巡り会えたシコードは、きっと幸せ者だろう。そしてそんな相手に愛されることのできたシコードは、世界一の贅沢者に相違ない。

 捕まえた、とシコード。ベンチにもたれ掛かる形でクラーリィが降参のポーズを取る。シコードは笑いながらクラーリィのほっぺたを摘む。
「いてててて」
「行儀が悪い!」
 クラーリィは「おまえは俺の母親かよー」なんて言いながら笑っている。その頬を撫でて、悪かったよなんて囁いて。変わらず笑っているクラーリィの額にそっとキスをする。そのうちじたじた暴れていたクラーリィが大人しくなった。シコードはクラーリィの表情を窺うことなくそのまま彼を抱き締める。
 少しだけくすくす笑う声が聞こえて、やがて止まった。そのうち公園から、音が消えた。


 ***END



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