リュート→クラーリィ→ホルン様



***


「ねークラーリィさあ、付き合ってる子いるの?」
 唐突にリュートの口から吐かれた言葉にクラーリィは立ち止まった。ついでに持っていた書類も数枚落とした。
「…はっ…はい?」
 明らかに動揺しているクラーリィをちらりと見て、リュートはため息をつきつつ落ちた書類を拾い上げた。はい、と手渡す。ついでに顔を覗き込む。
「何ですか…藪から棒に」
「ねー、どうせいないんでしょ?」
 リュートが小首を傾げる。ちっとも邪気のないその表情の憎らしいこと!
「失礼な!…まあ、確かに、いませんけど」
 声のトーンを落として、クラーリィはぽつりと呟いた。付き合いたい人ならいる。自分で決して届かない、手を出してはいけない人ならば。
「じゃあ好きな子は?」
「…います」
 若干考えてクラーリィは素直に肯定した。「子」ではないと思うが、広義で嘘は言ってない。ただこれには多大な問題点があって、例えば主従関係にあるとか、そもそもあなたのお母さんですとか。
 はっ、ということは、もし万が一この想いがホルンに伝わってハッピーエンドなんかになっちゃった場合、自分はリュートの義理の父。自分より年上の人の父親…というところまで思考がトリップしかけ、そんなクラーリィをリュートが強引に現実に引き戻す。
「ね、それって僕でしょ?」
「王子の冗談ってほんと面白くないですよねえ。違います」
 にっこり笑ってクラーリィは即座に否定した。リュートから半歩下がる仕草も見せる。
「またまたあ」
 謙遜しちゃって、とリュートは詰め寄る。…詰め寄ってくる。折角開けた距離を、前より更に縮めてリュートはクラーリィに詰め寄ってくる。
「僕のこと助けに来てくれたのは、僕のこと好きだからでしょ、違うの?」
「その好きとこの好きって、likeとloveくらい違うと思うんですが」
 フルフルとクラーリィは頭を振るが、リュートはちっとも聞き入れる気配がない。

「あの…王子、言いましたよね、俺好きな人がいるんです」
 うん、知ってるよ、とリュートは頷く。
「それ僕でしょ?」
「違います」
 その差零点一秒、と言いたくなるほど素早い拒否にも関わらずリュートはめげない。というか、多分伝わっていないのだろう。
「遠慮しなくて良いよ、クラーリィ。母さんだってきっと許してくれるよ、ねっ?」
 何が「ねっ?」なのか、そもそも許して貰っては困る、お許しが出た日には精神的に死んでしまうとクラーリィは伝わらない拒否を繰り返す。いい加減のれんに腕押しといった具合で、見ている側の人間にも飽きが来る。

 そう、この問答を、当のホルンの目の前で繰り広げている二人である。
「昔に戻ったみたいで微笑ましいわ…」
 ホルンはホルンで、クラーリィに差し迫る危機に気づきもせずに呑気に茶など啜っている。無論それはホルンが無頓着という訳ではなく、クラーリィとリュートが(ホルン的に)じゃれあっているという現状がここ十五年ほどのホルンにとっての理想の光景だったからだ。子供を取り戻し、国民の顔に笑顔が戻ってきて、更に世界が平和になる…それはホルンが切に願った未来だった。その理想の縮小図がいま目の前にある。これを喜ばずにいられるわけがない。
 そんな訳で、ホルンにもクラーリィが必死で拒否している現実がちっとも伝わっていないのだった。

「ねえ母さん、いいでしょ?僕クラーリィ幸せにするからさ、ねえ」
「困ります!」
 最早リュートにクラーリィの言葉を聞く気配はなく、既にホルンの方に体まで向いてしまっている。あああとクラーリィが空しく抵抗を示したところで、物理的障害さえなければ突き進むリュートにとってそれは無意味に等しかった。
 いいでしょ、とリュートは念を押す。クラーリィの胸の内など微塵にも知らないホルンがあっさり「いいわよ」と言ってしまうことを考えて、クラーリィは目の前が暗くなった。神様お願い、と無様にも天に祈る。

 事態はクラーリィ側に好転した。
「だめよ、リュート」
「ええっ、どうして母さん!」
 まさか拒否されるとは思っていなかったらしいリュートが頬を膨らませる。そしてクラーリィはといえば、まさか、まさかと別の意味で胸をドキドキさせている。
 ホルンはその可憐なかんばせに笑みを載せて、二人の方へ向き直る。
「だめよ、リュートにはあげないわ。クラーリィには私が可愛いお嫁さんを見つけてあげるんだから」
「……はっ…」
 はい、の一言が中々出てこなかった。
 ああ、お嫁さん、ですね、とクラーリィは腹の中で地獄から絞り出したような呻き声を上げた。この状況、中々に辛い。
「はい、楽しみにしています、ホルン様」
 心の中で血の涙を流しながら、けれども完璧な笑顔でクラーリィはホルンに礼を言った。ホルンにとってクラーリィはリュート同様息子同然。…そんなの分かり切っていたことだ。
「ええー、母さんそれはないよ」
「ここだけは譲れないわ。なにせ十五年くらいずっと私がクラーリィのことを育てたんだもの。…リュート、そろそろ時間よ」
 最もなことを述べ、ホルンはリュートを追い出しに掛かった。仕事にお戻りなさいと手を振る。

 渋々リュートが退出したのを見守って、それでは自分もと退出しようとしてホルンと目が合う。クラーリィは少し首を傾げて、どうかなさいましたか、と呟いた。
「…言われてみれば、あなたもうそんな歳なのね…」
 いつの間に、大きくなって、頼りになる人になって、とホルンは独り言のように呟く。それをクラーリィは嬉しさ半分悲しさ半分で聞いていた。無論、顔だけは嬉しさ100%なのだが。
「いつか所帯を持って、…そうね…」
「……(ホルン様…)」
「可愛い奥さんと可愛い子供と…幸せに。でも…少し、寂しいわね」
「ホルン様…」
「…ごめんなさい、別に厭だって言ってる訳じゃないの。ただ…あなたがいつか離れていくことを考えたら、何だか凄く寂しくなって…おかしいわね、子供はいつか離れていくものなのに」
 その寂しさの原因が、子離れ以外の所にあるといいと思う。クラーリィにはそう願うことしかできないが、せめて、ほんの少しでも、自分のことを「子供」「部下」以外の視点で見てくれているといいと思う。
「ホルン様、俺のここ十五年ほどの願いは…」
「クラーリィ?」
「あなたに傅くことですから。…傅き続けることですから」
 クラーリィは心の痛みを押さえて精一杯笑顔を作った。そして、ホルンにこう言った。
「あなたという最高の女王に巡り会えたことを感謝しつつ」
 あなたという最高の女性に巡り逢えたことを感謝しつつ。彼女の前に跪く、それがクラーリィにとって至高の幸せ。手が届くようになんて贅沢は言わない。ただ、この女性の側に居させて欲しい。時が許す限り、いつまでも、彼女を守る護衛として、共に国を守る騎士として、そして、彼女を愛するひとりの男として。

「離れませんよ、俺は」
「…ありがとう、クラーリィ」
 クラーリィの言葉がどう伝わったのか、それともいつものようにその笑顔の内に仕舞い込んでしまったのか、ホルンはほんの少し強ばっていた表情を崩した。

 ほんの少しだけ緩んだ表情をした二人の間を、乾いた迷い風が吹き抜けていった。


***END



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