サッ→クラ



***


 すっとクラーリィが立ち上がって、ドアを開ける。
 …まえにサックスが立ち、クラーリィがドアノブに手を伸ばす一瞬を奪い、どうぞと言わんばかりの笑顔でもってドアを開けてやる。
 クラーリィは非常に困惑した様子で、開け放たれたドアを前にしばらく黙った後、どうもと呟いた。
「いえいえ〜」
「なあ、サックス」
「なに?」
 執事の如きサックス、満面の笑顔。
「その、なに、召使いごっこ? なんだよ止めろよ気持ち悪い」
 クラーリィは意味の分からないサックスの行動に顔を顰めたが、対するサックスは至って平気といった具合に微笑んでみせる。
「ただの好意くらい喜んで受け取りなよ。俺はおまえと違って優しいのよ」
「なーんか釈然としない…俺貶されてるか?」
 幸いにしてクラーリィにはろくな友人が居らず、周りにいる人間と言えば超級の天然・ホルン様や基本的に放任主義のパーカスくらいで、サックスの故意に間違ったコミュニケーションについて突っ込んでくれる相手がいない。
「いや、特に。お仕事大変でお疲れかなーと思って開けてあげたのよ、感謝せーよおまえ」
「ますます貶されている気がするんだが…俺の心が狭いだけか?」
「そのうち『ありがとうサックス! おまえっていい奴だな!』って言える日が来るよ」
 来なくていい、とクラーリィは呟いた。そして、少々うんざりしながらも「ありがとう」と続ける。
「て、いうかサックス、俺別に女じゃないんだから、別にドアを開けて貰わなくても、」
「親友でしょ? 分かってるよ」
 間髪入れぬサックスの少々ずれた返事に、クラーリィはどう返していいのかわからず黙ってしまった。

 きっかけは単なる遊び心だった。意外な行動を取って、クラーリィの中々見られない顔を拝んでやろうと思っただけ。
 でも、その顔が案外可愛かった。疑問符付きだった恋が普通に恋になった。自分でも驚く程障害の多い恋! どうせなら、OK出してもいい雰囲気になるまで優しくしまくってやろうじゃないか。
 ドアを前に、故意犯のサックスと、やや常識の欠けるクラーリィがぽつんと立っている。



 重たい書類を持ってクラーリィが部屋に戻ってきた。机にどさりと落とし、ふうと一息。そしてようやく座ろうかというところ、なぜかいつの間にかサックスが側に立っていて、やっぱり満面の笑顔で椅子を引いてくれた。
「ど、どうも…」
「お疲れさん」
「あの、サックス?」
「ん、なに?」
 クラーリィは少し黙ってサックスの様子を窺い、それからようやく「なんで?」と呟いた。
「なんでって何が?」
「なんでそんな俺に優しいのかサッパリ分からんのだが」
「俺って優しいでしょ?」
 ああ、とクラーリィが頷く。特にここ最近な、と付け加えようかと思ったが、そう口にする前にサックスの方が口を開いた。
「優しい俺が、おまえに優しくしても何ら問題はないよね」
「え…ていうか、別に万人に対してなら疑問も湧かないけど、おまえ俺に対してだけ…」
 クラーリィはかなり疑っているようだ。誰かが糸を引いているとか、今後嫌がらせかどっきりがあるかとか、そんなことを心配しているに違いない。サックスの背後にいやしない幼馴染みたちが見えているのかも。
 違うよ、とだけサックスは言う。
「俺は、おまえが疲れてるだろうから優しいだけ。おまえは幼馴染み連中のなかで唯一椅子の高さが違うからな」
「ま、…まあそりゃそうだけど…」
「嫌なら止めるけど」
 追い打ち。ここでじゃあ止めてくれという人間はあんまりいない。更に、サックスが把握しているクラーリィの性格的に、ここで「止めてくれ」と言う可能性は限りなく低い。
 案の定クラーリィは、若干慌てた様子で「べつにそう言っているわけじゃない」とか弁解を始めた。
 分かり易い奴め。



 サックスの遠回しなアピールが始まってしばらく、クラーリィも甘い汁を吸うことに慣れてしまったらしく、「どうぞ」「ありがと」なんて会話が見に染みついてきた。ついでにサックスの行動が周りにも浸透して、今やクラーリィの側を四六時中うろうろしても何の疑問も持たれない。
 確実に堀を埋めることに成功している、とサックスは意気込んでいる。
「サックスは優しいなあ」
「でしょ」
 クラーリィの笑顔にサックスの心が躍った。踊らせている本人はどかりとソファに腰を下ろし、サックスがドアを律儀に閉めて戻ってくるのを待っている。
「な、」
 戻ってきたサックスに声を掛ける。サックスは至って平然と返事をしたが、クラーリィの声が存外真面目だったので、実際は何事かと少し身構えている。
「なんでそんなに優しいんだよ、おまえ、俺に」
 クラーリィはソファに身を埋めて、じっとサックスの方を見上げてくる。ソファのやや手前、近いと遠いのちょうど中間、微妙な位置に突っ立ったままのサックスは少し狼狽えた。
「なんでって、俺は別に」
「なにか別な理由があるんじゃないのか」
 ないよ、と言いかけてサックスは口を閉じた。
 本当はあるよ。おまえのことが好きなんだ。
 そんなこと言える訳がないと諦め半分、でもどこかサックスの心に引っかかる。どうしてクラーリィは真面目な顔をしてまた同じ質問をしているのだろう。サックスから返ってくる答えがなにであるかなんてもう十分分かっているはず。
 それなのにまた聞くのは? 別の答えを求めているから? サックスの真意に薄々気付いているから?

「クラーリィ、俺」
 思い切って、深呼吸を一度。サックスは目の前のクラーリィをじっと見つめる。
「俺、おまえのことが好きなんだ」
「バカじゃないの?」
 サックスの一大決心とは対照的に、クラーリィの返事は速かった。
「へっ」
「そりゃおまえは確かに優しいよ、だから俺も感謝してる。でも流石に『好き』っていう表現はないだろ、いくら俺でも分かるよそれは」
 サックスは少々口を半開きにしたまま、生じてしまったらしい多大な食い違いについてどう説明するか迷っている。が、その間にもクラーリィは食い違いを深めてしまう。
「その、なんだ、俺は口が悪いし舌打ちが癖っていう酷いとこあるけど、おまえはずっとそんな俺と友達やってくれて正直心の底から感謝してるんだよ」
 クラーリィは視線を泳がせた。その顔は珍しく赤くなっているが、サックスにそんなクラーリィを眺める余裕はない。
「別な理由がないならないでいいんだ、わざわざおかしな表現で言い換えなくたって結構だよ」
 えーと、とクラーリィが言葉を探す。いつもならサックスが話す側でクラーリィが聞く側なのに、こんな時に限って立場が逆転する。しかも、うまい言い訳すら思いつかない。
「ああもうこういうこと言うの恥ずかしいな、とにかく、俺はおまえのこと友達だと思ってるし、ずっと友達でいて欲しいから、そういう誤解を生むような表現は止してくれよってことだよ」
「そ、…そう、だね、ごめん、ね…」
 止めを刺されたサックスは、疑問符を浮かべるクラーリィの前からさっさと逃げ去ってしまった。
 逃げ去るサックスのまわりで、キラキラ涙が光っていたとかいないとか。最も、部屋に取り残されたクラーリィにそれを知る由はない。



「なあサックスー」
「なによ」
 頬杖をついたクラーリィが、じっとサックスの方を眺めていた。サックスはいじらしく、クラーリィをほんの少し視界に入れるに留めておく。
「おまえ最近、ドア開けたりしてくれないよな」
「ちょっと目的が、変わっちゃいましてね」
「寂しいなー」
 え、と変な声が腹の方から出てきた。サックスは慌てて腹の辺りを抑える。
「な、なんで?」
「最初は違和感ありまくりだったんだけどさ、なんか最近いろいろやって貰うのが快感に…あ、別におまえのこと召使いだと思ってるとかそういうことではなくてだな、その単に、労って貰ってるのが嬉しいっていうか、その」
「『お疲れさん』とか?」
 そうそれ、とクラーリィは頷く。
「俺大神官だろ? 腐っても。だから部下を労ることはあっても誰かに労って貰うってことあんまりないんだよな、ホルン様くらい? ホルン様に褒めて褒めてなんて死んでもできねえしな」
 サックスはそう言っているクラーリィが少し見たいと思ったが例によって黙っていた。ホルン様に甘えるクラーリィか、見たことないような童心に帰った顔しているんだろうな…
「その、だからな、嬉しいんだよ」
「そ、じゃまたやったげるよ」
 素早いサックスの返答にクラーリィは目を丸くして、それから嬉しそうに頷いた。

 ああ…かわいい。できることなら抱きしめてやりたい。可能性が思っていたよりずいぶん低いことをようやく知ったサックスだったが、ひとまずは彼の笑顔を見ることを目標に頑張ってみようか。
 サックスは意味深なため息をついたが、対するクラーリィは早くも事務仕事に精を出していてそれどころではないようだった。


 ***END



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