石・1



 ***


 その空はとても晴れていた。それはもう、眩しくて、思わず手をかざすくらい。
 目を細めて、ああいい天気だ、なんて呑気に呟いてしまうくらい。

 彼はもう二度とそんな空を見ることは無かった。クラーリィは、平穏を取り戻した青い空を見て、時々そのことを思い出す。机の上の、緩やかな明滅を繰返す「それ」を見て、彼のことを思い出す。傍らのサックスは呑気に相槌を打ってくるけれど、本当のところはどうなのだろう。

 彼は正しかったのだろうか。
 彼は幸せだったのだろうか。
 ……彼の友人の涙は、止まったのだろうか。


 ***


「世界会議?」
 ふと、書類書きの手を休めて上を見上げれば、聞き飽きた声が降ってくる。
「ああ、そうだ」
 随分と昔からこの男と仕事をしている。

 溜息を付いて窓を見れば、雨上がりの空が眩しいほどに輝いていた。この時期に不釣合いな事この上ない。
「会議が、なんだって?」
「世界会議だ。せ・か・い・か・い・ぎ!」
 そんなに大きな声で言わなくても、とシコードは顔をしかめた。

 グローリア帝国の栄誉ある近衛師団長であるシコードは、実力に物を言わせてここまで伸し上がってきたせいか、あまり内部に気の置けない友人がいない。敵を作りやすい性質なのだと、思う。
 だからなのだろうか、結果シコードに寄って来たのは、妙に軽々しい長話を愛する男だけだった。そしてその唯一の友人は今もシコードの隣でくだを巻いている。

「で、だから、……シコードお前聞いてるか?」
「ああ、聞いているよ」
 本当か、信用できん、とぶつぶつ呟いた後男はまた話し出した。シコードは彼に気づかれぬよう溜息をつく。

「だからな、お前はグロッケン帝の供を仰せつかった訳だ。お前の精霊術は国一番との噂だし、俺もそっち方面では心配してないが、何せあの気難しい大帝だからな。俺はもう、それが心配で心配で……」
 成る程、この男はシコードが無口であるがゆえに大帝のご機嫌を損ねることが心配で仕方ないらしい。それもそうだな、とシコードは呟いた。
「だろう? しかも大帝、この間ドラムを倒したとかいう大神官に目をつけているらしいぞ。向こうはどういう気かは知らんが、何があっても手合わせなんかはやめとけよ」
 あっちはあっちで魔法に関してはスフォルツェンド一なんだろうから、と男は息巻く。
「どうかな、案外名ばかりで小物かも知れんよ。まだ二十歳になったばかりの男だからな。大したことないだろう」
「でもな、お前もし手合わせなんてことになったらただじゃ済まないぞ。仮にも世界会議の場を提供するのはスフォルツェンドなんだし、向こうだって国の面子っつーもんがかかってるんだから、本気で来るだろう」

 はは、とシコードは笑った。普段表情を崩すことの少ない友人の笑顔を見て、男は目を丸くする。
「彼はそんな男じゃない。向こうの女王だって立派なひとだ。何がどう転んでも手合わせなんて事態には陥らんから、安心しろ」
 シコードはそう言い放つと立ち上がった。どこへ行くんだ? と問う友人に、窓を開けるだけだ、と返した。


 開け放った窓からは、雨上がり特有の澄んだみずみずしい空気が入ってきた。戦争の絶えないこの国で、この空気は妙にすがすがしかった。


 ***


「だからな、あ?」
 クラーリィは何度目かわからぬ「部下」の説教を食らっている。彼の言っていることが至極全うな理由なだけに、クラーリィは反論することが出来ない。
「お前いつになったらこれ覚えるんだよ。大神官様だろ?部下の俺に書類の書式間違ってますよなんて指摘されてどうすんだよ、この馬鹿」
 馬鹿とは何だ、と言おうと思って顔を上げたが、目の前の鬼のような形相のサックスに言葉をなくす。
「お前が疲れてんのは認めるよ。俺だってべつに好きでこんなことしてるんじゃないよ? でもさ、お前がやったミスが後々どれだけ下に響くのか考えろよ。疲れたら素直に俺たちに『仕事手伝って』って言えばいいじゃん。書式忘れちゃったなら、俺に聞けばいいじゃん。俺怒らないしさ」
 言っとくけど今怒ってるのはお前が前もって聞かないからだからな、とサックスは釘を刺した。

 クラーリィはうなだれている。
 確かに、ここのところ王女発見・魔族の再来・軍王達の動向調査、そして世界会議と立て込んでいた。しかし、だからといって人の一生を左右するかもしれないこの仕事にミスは許されない。それが分かっているからこそ、クラーリィはうなだれている。

 サックスは少し溜息をついて、姿勢をほぐした。腰に当てていた手も下ろして、俯く幼馴染の頭を撫でる。
「きつく言って悪かったよ。でもわかってくれよ? 俺はあくまでもお前のことを思って、だな」
 わかってるよサックス、とクラーリィは小さく答えた。しかし顔を上げない。
 サックスはまいったな、というように手を上げて降参の意を示した。
「悪かったって。そんなに落ち込むな」
 クラーリィは大きく溜息をついて顔を上げた。
「俺、会議まで少し休んだ方がいいな」
「ああ、そうだな」
「このままではどなた様かに喧嘩を売りそうな気がする。気を落ち着かせるよ」
「それがいい」
 じゃあもう休む、と疲れた顔をして笑うとクラーリィは自室へ戻った。

 サックスはその後姿を黙って眺めた後、溜息をついて仕事に戻った。またやっちゃった、落ち込んじゃった、なんて呟きながら。



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