石・2



 ***


 グロッケン帝は、その傍若無人さでも有名だったが、それ以上に各国を横行していた良くない噂があった。恐ろしい性癖をしてるとか、実は隠し子が何人もいるとか。酷いものになると裏で悪魔か何かと契約しているのではないか…というものすらあった。
 クラーリィは一度だけ、酔った勢いと見せかけてシコードにそのことについて聞いてみたことがあったが、彼はそっぽを向いただけだった。だから本当がどうなのかは知らないが、今思うとシコードもその良くない噂の被害を被っていたのかもしれない。

 今となっては全くわからないし、知ったところでどうにかなるものでもないのだけれど。


 ***


 クラーリィとシコードが始めて面を合わせたのは世界会議の二ヶ月前だった。


「……会談、ですか?」
 背の小さい、態度だけは誰よりも大きい大帝は部下のイエスという返事を待っている。もしノーのでもいったら、何をされるか分ったものではない。だがしかし、とシコードは眉をひそめた。
「この時期に、ですか」
「嫌だとはいわせんぞシコードよ」
 シコードは口をつぐむ。大帝のきつい眼差しが彼を射抜いた。
「了解、致しました」
 シコードは深々と頭を下げた。

 態度がでかいだの、性格が悪いだの、何だと言われているが大帝の政治方針はしっかりしている。戦争好きなだけで、悪政をしている訳ではない。戦争好きといっても自国の戦闘能力に絶対の自信を持っているだけの話だ。ここぞという時の判断はいつも間違わない。

 シコードはゆっくりと顔を上げた。
「連絡は如何様に……」
 小声で言ってしまったせいか、大帝は不機嫌そうに大仰な溜息をついたが、それから先はなかった。
「既に電報を届けた。一週間後にはこちらに到着するとの事だ」
 そう言って彼、グロッケン・シュピール大帝は椅子を回してシコードに向き直った。大帝はまた、シコードの苦手なあの「目」で彼を射抜く。
「よい成果を、期待している」
「失礼します」
 シコードはくるりと踵を返して退出した。

 ドアを閉めた途端どっと疲れが押し寄せてくる。
 その場にしゃがみこんでしまいたい衝動を押さえ込み、シコードはよろよろと自室に向って歩みだした。
「スフォルツェンドは王女発見から何かと忙しいと聞く……」
 何故この時期に呼び出すのか。弱みを握ったつもりなのか。それともこの時期だからこそ話し合いたいことがあるのだろうか。
 大帝のお考えがわからない。
「馬鹿げている……」
 実際のところシコードは孤立していた。風当たりが強い。立っていられない。この上に、大帝の信用を失ったら自分はどうなるのだろうか。

 自室に戻るまでの廊下がやけに長く、薄暗い気がした。


 ***


 シコードは歩を止めた。自室のドアの前に人影がある。まあどうせ「あの男」だろう、とシコードは一呼吸してから再び歩きだした。

 やはりいたのはあいつだった。
「どこに行くんだって?」
「お前には関係なかろう」
 男は笑っている。シコードはどけ、邪魔だ、と小声で言って座り込んでいる男の尻を蹴り上げる。
「いってて。痛ぇな、本気で蹴るな」
 そう文句を言いながら開いたばかりのドアをくぐってずかずかと部屋に入り込んでしまう。もう慣れた事なので、シコードは何も言わない。少し不機嫌そうに眉をひそめただけだった。

「やっぱりスフォルツェンドか? そうだろう、シコード」
 何処から持ち出したのか、男は煎餅を音を立てて齧りながら椅子に座ったまま動かないシコードの顔を覗きこんだ。シコードは返事の変わりに彼を睨む。
「こぼすな」
「大丈夫だって、それにお前の部屋は従僕ちゃんが掃除してくれるだろう? で、返事」
 どこ行くんだ、と男は質問を繰り返した。

 シコードは不機嫌そうに溜息をついたが、そんなものこの男には通じない。渋々と口を開く。
「スフォルツェンド……に、会談を申し込んだ。言っておくが、向こうが出向くんだ。俺はどこへも行かない」
 あ、そうなの、なんだ、と当たり障りのない返事を返して男は煎餅を齧った。いる? と小首をかしげると、シコードはいい、と返す。お決まりのパターンだ。
「いっつもお前これ食わねぇの、美味いのに」
「俺は仕事中なんだよ……これから会談用の資料を集めなくては」
「会談って、どっちが来るんだ? 女王様か? 大神官か?」
「大神官だろうな、流石に」
 でもむこうの政治を取り仕切ってるのは大神官だろう、と男は首を傾げる。
「だが体面的に守護神でもある女王が動くわけにはいかんだろう」
「でも軍隊取り仕切ってるのも大神官だっていうじゃねえか。大神官のほうがもっと動いちゃいけないんじゃないのか?」
「さあな。呼び出すと決めたのは大帝でいらっしゃるし、俺はあの方のお考えがまったくわからん」

 そうさね、と男は煎餅を齧った。
「あのひとの考えがわかるなら、次の大帝になれるだろうね」
 シコードは口をつぐんだ。なんだか悲しいような気がして、うつむいた。
「また始まった。何があったか知らんが、元気出せよ。俺は一週間後は海外出張で居ないけど、帰ってきたら慰めてやっから。な?」
 背中をばしばしと叩いて男は友人に渇を入れる。友人であるシコードは泣きそうな顔をして笑った。


 ***


 一週間後、クラーリィ大神官は僅かな供を引き連れて、約二時間遅れでスフォルツェンドからグローリア帝国へとやって来た。本当に僅かな供だった。しかし「そんな人数で安全なのか」と問うてしまっては、それはつまり「この国は治安がなってないのだから危ない」と言っているようなものだ。だからシコードは黙っていたのだが、大神官はその心境を呼んだかのようにくすりと笑うと「俺は強いよ」とだけ言ってのけた。シコードがびっくりしているあいだに彼はドアの奥、大帝の待つ部屋へと消えた。
 すれ違った時に見えた緑色の瞳が綺麗だったと、思った。

 結論から言うと、シコードは会談には参加させてもらえなかった。

 彼はしかたなしに部屋の守護を務めていた。会談は特に滞りなく行われたようで、怒号やら何やらは終始聞こえてこなかった。
 やがて時間が来て、ドアが開けられた。椅子から立って大帝に挨拶している青年は笑っていた。ここではじめてシコードはつめていた息を吐く。大帝得意の癇癪も出さなかったようだから、結果は上々といったところだろう。大神官はこちらに気がついて頭を下げた。つられてシコードも会釈を返す。
「この後はちょっとした食事会を設ける予定なのだ。それまで大神官のお相手をしていなさい」と大帝は言った。かなり上機嫌のようだ。大神官はどう機嫌を取ったのだろう?

 はい、とシコードは頭を下げた。側に立つ大神官は笑った。
「こちらこそ、よろしく」
 目と目が合った。シコードは一瞬息を呑む。
 
 彼の緑の瞳は綺麗だ。まるで澄んでいるようだ…と、シコードは思った。



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