石・3



 ***


 スフォルツェンドとグローリアは代々仲が悪い。
 片や精霊国家、片や魔法国家がなせるものなのか、どちらも世界の一片を担う大国なのに、仲が良かったためしが無い。クラーリィは個人ながらグローリア帝国大帝と仲良くなろうと務めたつもりだったが、やはり国家間の積年のわだかまりは消えなかった。

 現在、グローリアは新しい国を作ろうと努力し、方々の国に協力を仰いでいる。無論、スフォルツェンドもそれに協力している。
 そこにシコードの姿が無く、泣きそうな顔をしている友人殿の姿を認めるたびに、彼もこんな国の姿を見ればよかったのに、と思う。けれどそれはきっと誰もが思っていることだから、クラーリィは口には出さない。

 今日も一日が始まる。
 ぼうっとしている頭を振って、クラーリィは立ち上がった。


 ***


 ではこの建物の名所でも案内しましょう、とシコードは手を差し出した。
 勿論その手は取られることはない。大神官は会釈をしただけだった。気づかれぬように溜息をついて、手を引っ込めた。シコードは中庭を通って外へ出ようと歩を進める。

 しかし、中庭へ出た辺りで背後から急に声がかかった。
「お疲れみたいだから、無理して案内してくれなくてもいい、師団長」
 驚いて振り返ってみれば、無邪気に微笑む金髪の青年がいた。一瞬言葉をなくす。その隙に大神官は更に言葉を続ける。
「どこか静かなところでお酒でも飲めれば、それで」
 いいんだが、と大神官は続けた。

 シコードはその様子に釣られてつい先ほどから思っていたことを口に出してしまう。
「そんな事言ってお前、未成年ではないのか?」
 言った後でシコードは口を塞ぐがもう遅い。一瞬の遅れを伴って、大神官はけたたましく笑い出した。
「あは、は、未成年、か……確かに先日21になったばかりですが、スフォルツェンドは外国に未成年を国の代表として寄越したりしません」
 シコードは恐縮している。大神官はその様子を見てまた笑った。
「別に気にしないさ。で、外歩き回るのは勘弁していただきたいのだけれど?」
 シコードは頭を下げてから地下にある一室に案内した。近くにワイン貯蔵庫などがあり、年中冷えている一角である。


「師団長、名前は? 先ほどの物言いからすると、俺より年上なんだな」
 大神官は椅子につけて機嫌がいいのかシコード相手に酒を飲んでいる。始めは女官でも呼んで酌をさせようと思ったのだが、流石にそんな歳では、と笑って止められた。
 シコードは「大神官」という肩書きからくるイメージとのギャップに苦しんでいる。一方で、いくら大神官・スフォルツェンドの実質最高権力者といえど、これは年相応の態度なのだろうとおもうと微妙な気分になる。

 どう反応したらよいものか悩んで、結局淡々と名前と年齢を告げた。
「あれ、思ってたより随分年下じゃないか」
 大神官は意外だな、と笑った。よく笑う男だ。
「俺はクラーリィ、呼び捨てで構わないよシコード」
「いきなり呼び捨てか」
「それともハープと呼んだほうがいいか?」
 その顔でハープはちょっと似合わないな、とクラーリィは呟く。この男は「あいつ」と同じことを言う。よく言われるよ、とシコードは返した。
「スフォルツェンドには十五年前の戦争という特殊事情があるから若輩者の俺がこの地位に就いているが、他はそうでもない。あまりに年が違うと話が合わないからな、おまえみたいに五つ程度しか離れていない人間と接することができて嬉しく思うよ」
「それはどうも」
 世辞で言っているのか本気で言っているのか判別がつかないが、少なくともこの男は世渡りは上手だということがわかる。先ほどの大帝の上機嫌といい、よほど上手いことを言って機嫌を取ったのだろうか、とにもかくにも口べたのシコードにしたら羨ましいことだ。

 クラーリィは沈黙の多いシコードとは対照的に、先ほどからずっと話題を振っている。
「シコード、俺はいくつか大帝の噂を聞いたことがあるのだけど、あれって本当なのか?」
「噂?」
 既にクラーリィのグラスは複数回空になっている。シコードは内心よく呑むなと感心しているが、一方であまり酔われると困ると思い、果たして酌をし続けて良いものかと考える。
「子供が多数いるとか、そういう」
 ああ、とシコードは相づちを打った。

 確かにそういう噂はある。侍従のほとんどが若い男なので(妖精術に関しては、若い方が適性が高いので優れた者を集めるとどうしてもそうなるのだが)中には本気で「大帝は男好きなのだ」と思っている輩も多いと聞く。
 それら全てが誤解であると知っているが、シコードはあえて否定しない。今までに何度も、必死になって否定して、あらぬ誤解を招いたからだ。

 シコードの沈黙がクラーリィにはどう映ったのか、彼は小首を傾げてシコードの様子を窺ったあと、ふうん、というどうとでも取れる発言をした。それから、けち、とも。
「酔ってしまったな? 二十歳を過ぎたばかりなのにそんな見栄を張って飲むからだ」
「そうかな……あんまり飲んだ気はしないのだけど」
 よく言う口だ。

 酔われては困る。このあと会食があるのだから。
「酔いを醒ませ」
「じゃあ外でも歩こうかな」
 クラーリィが立ち上がった。幸いなことに足取りはしっかりしている。彼に気付かれぬようシコードは安堵のため息をつくと、グラスとワインを適当に片付けて部屋を出る。
「中庭に出よう。大門の外まで行くといろいろと厄介だ」
「シコードにまかせるよ」

 長い金髪の大神官はおとなしくシコードの後ろをついて歩いている。背は同じくらい、歩くと長い金髪が揺れる。その女性的な容姿が災いして、方々から揶揄されていたのをシコードは知っていたが、先ほどの様子といい、年上だと分かっているシコードに対しての物言いといい(これに関しては、クラーリィのほうが役職が格上だということもあるが)、大して気にしていなさそうだ。強いのだろうな、と考える。

 不意に目の前が明るくなった。地下から地上階へ出たのだ。
 この長い廊下を少し歩いた先が中庭だ。シコードはそう説明しようとしたところで、クラーリィが数歩下がった位置の壁にかかっている絵に見とれていることに気づく。
「どうした」
「綺麗な絵だなと」
 大神官が見とれていたのは抽象画だった。その方の心得がないシコードには意味のわからない絵だ。ああこんな知識もあるのかと素直に感心する。シコードとは比べものにならないほど長くこの世界に携わってきたクラーリィのことだから、こういう教養知識も必然的に備わってくるのだろうと想像が巡る。
 シコードは当たり障りのないように、そうか、とだけ答えた。
「今のシコードみたいだな」
 クラーリィは視線を外さずに、まっすぐ絵を見て呟く。シコードは、え、と聞き返した。クラーリィはゆっくりと視線をシコードの方へ向ける。
「色んなものが混ざっててよくわからん。……と、いう感じだ」

 シコードは息を呑んだ。つい先ほど彼が綺麗だ、と思った緑色の瞳は暗い赤色をしていた。……いや、違う、彼の纏う気がそうさせるのか……
 クラーリィはそれっきり何も話さなかった。やがて時間が来て、会食会場はこちら、と言っても軽く会釈しただけだった。


 会食会場での大帝はいつもの大帝だった。先ほどまでのご機嫌はどこへ行ってしまったのか、少しでも気に食わないところがあると途端に眉をひそめる。スフォルツェンドからの「客」が居たせいか、流石に怒鳴り散らしたりはしなかったものの、そのおかげでシコードは大帝のフォローに周り、クラーリィとは結局それっきり口もきけずじまいだった。
 遠目から見た彼の瞳は黒かった。すいこまれそうな……そんな深い黒だった。


 ***


 それから先も大神官と話すことはなかった。彼は行きと同様、ごく少数の供とともに帰っていった。
 その後少しの間宮中はかの国の大神官の話題で持ちきりになっていたが、一週間も忙殺されているうちにすっかり忘れてしまった。

 ほとぼりが冷めた頃、思い出したように大帝が呟いた。
「どうだったシコード、大神官、とやらは?」
「突然、申されましても」
 ここでは仲良くさせてもらったと言うべきか。それとも国勢を意識して特に何の会話もなく終わったというべきか。シコードは彼の緑の瞳しか思い出せない。
「……あまり私と歳は違いなさそうでしたが」
「感想はそれか」
 大帝はくっくっと、肩を揺らして笑う。
「二十歳少し過ぎだというのに、随分と凄惨な目をしてたじゃないか。スフォルツェンドも恐ろしい国だな」
 あんな歳の男を、あそこまで、とグロッケン帝は笑う。シコードは黙っていた。
「だがあんな絶望的な目をしている大神官では、そう長く持たないだろう」
「そうでしょうね」
 シコードにはそんなふうに見えなかった。……見ていなかったのかもしれない。シコードはその「色」しか見ていなかった。



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