石・4



 ***


 あのあと少ししてクラーリィは倒れた。過労だといわれた。目が覚めたら幼馴染の連中が(男も含め)泣いていた。倒れっぷりが凄まじかったらしい。
 あの時は本当に疲れていた。グロッケン大帝との会話は一文一文が精神をすり減らした、とクラーリィは弁明した。
 死ぬかと思ったんだ、何日も目を覚まさないで、と真っ赤な目をしてサックスは言った。

 起きたばかりの頭でシコードのことを思い出していた。彼に妙に絡んで申し訳なかった、とかぶしつけな質問ばかりして悪かった、とか。もしまた会う機会があるのなら、今度はしっかり話をしようと思う。いい奴だと思った。最も、あの場では人目も国の立場もあるから公に馴れ馴れしくはできなかったのだけど。
 お節介だろうが、自分にはこうやって泣いてまで心配してくれる連中がいるのに、シコードにはいないのだろうか、と心配してしまった。

 彼はずっとクラーリィの目を見ていた。そんなにもの珍しい色でもないのに。
 クラーリィはそればかりが気にかかって、結局シコードの印象は「目を見ていたひと」になってしまった。恥ずかしい話だが、その内名前さえ忘れてしまった。


 ***


「大帝、つきましたよ」
 シコードがスフォルツェンドに足を運んだのはこれが初めてだった。この高い城壁は見るものを圧倒させる。
「ふん、行くぞ」
「はい、陛下」
 頭を下げる。
 この国のことだから何の心配も要らないとは思ったが、やはり不安ではある。シコードは腰のレイピアの具合を確かめてから、大帝に従った。流石は武力ではわが帝国と並ぶとだけあって、何百、何千という兵が各国からやってくる代表たちを出迎えている。

 しかし油断はできない。機械大国であり、帝国、公国に並ぶ大国だったスラーは軍王一人の手によって滅んでしまった。
 あの時大帝は笑っていた。シコードはそんな大帝が空恐ろしかった。
 
 彼はまだ笑えるのだろうか。帝国を攻められた時、まだ笑っていられるのだろうか。
 この国は三国のなかで一番北の都に近い。
 いくら精霊との契約でいわゆる「異世界」を通れるからと言って、そこに国民を避難させるわけにも行くまい。もし攻められたら、大帝はどうなさるのだろうか。
 
 ……シコードには、わからない。

 空には暗雲が立ち込め、冷たい雨が降り注いでいた。
 ある人は世界の終わりの予兆だといった。大魔王の魔力が天候を狂わせているのだという人もいる。
 しかし、これでは、まるで……


 ***


「疲れた」
 クラーリィは目の前のドアが閉まるなりそう言って机に突っ伏した。その様子を呆れて彼の幼馴染・サックスが見ている。
「お前それ何度目よ」
「疲れたんだ」
「……元気出して、大神官様」
 クラーリィは首だけ動かして悪友の顔を見た。サックスは眉をハの字にして笑っている。二人とも疲れてるんだった、と思い出したようにクラーリィは呟いて重い身体を持ち上げた。
 とりあえず、この絶望的な量の書類に目を通さなくては。でなくては世界会議用の資料が間に合わない。考えを読み取ったようにサックスは俺も手伝うから、と手を出した。クラーリィは軽く礼を言って立ち上がった。ずっと座りっぱなしで、腰がどうにかなりそうだ。
「サックス」
「ん」
 サックスは席について早速書類に目を通しはじめている。
「世界会議、上手くいくか?」
「……どうだろうな……」
 サックスは目も腕も休めずに呟いた。クラーリィはそれきり黙って窓の外を見遣る。

 しかし、目に映るのは暗く重たい雨だけだった。


 ***


「シコード師団長?」
 案内されたドアの向こうから自身の名を呼ぶ声を認めてシコードは起き上がった。やっと今落ち着けたところだ。落ち着けたといってもそのまま用意されていたベッドに身を投げただけだったが。
「私はここだ。何か?」
「少しお話が。……あ、わたくし大神官補佐のサックスと申します」
 シコードは少し考えた後身を起こした。
 
 スフォルツェンドの高官が直接打診してくるからには、何か重要な話でもあるのだろう、と自身を納得させる。……本当は凄く眠い、とシコードはぼんやり考えている。


 連れ出されたものの、何処へ行くのかまったく見当がつかない。
 スフォルツェンド王城は迷宮としても名高く、どこも同じような造りで何度も階段を上り下りさせられた。更に壁には目印となるものが何も無く、辛うじて窓から入る陽光で方角の確認が出来るといった状態だ。
「どこへ行く? そろそろ」
 足が辛いのだが、という前に男は立ち止まった。こちら、と手を差し伸べる。目の前には壁しかない。首をかしげている間に男は辺りを見回した。どうやら人が居ないか確認しているらしい。
「何をしている?」
「この先に部屋があるんだけど、誰かに入るとこ見られるとヤバいから」

 シコードは何も言わなかったが心の中で吹き出した。敬語が早くも崩れている。同じくらいの歳ということで安心したのか、それとも初めから敬意を示す気など無いということか。どちらにせよ度胸の据わった男だ。
「よし」
 男は中空で二、三度腕を振った。青白い文字が中空に浮かび上がる。魔法とほぼ縁のないシコードからしたら子供の発する意味のわからない言葉にしか聞こえないそれを口走って、更に二、三度腕を動かす。きれいな円弧が中空に描かれ、何もないはずの壁に丸く穴が開いた。

「さ、どうぞ」
 男は何ともない、というように手を差し伸べる。十二分に躊躇してから、シコードはしかたなしにその「穴」に入った。


 中はまったく普通と変わらない唯の小部屋だった。窓もある。
「もっとも、外からその窓は見えないんだけどね」
 そこに掛けて、と男は椅子を指し示した。ああ、と曖昧な返事を返してシコードは椅子に座る。
「ちょっとこれを見てくれないかな」
 出されたものは唯の資料だった。どうもこの先の世界会議用の物らしい。更に、その後ろにごく一部の者にしか配られないであろう、「極秘」と銘打ってある資料がくっついている。メインはこちらのようだ。
「それ、他の国には絶対に内緒で、大帝にだけ渡してくれない?」
 手に入れた云々は上手くごまかして、お前の手柄にしてくれてもいいから、と男は続ける。
「そのかわり、条件を飲んでくれ」
「……なんだ」

 真剣そうには見えない行動と言葉とは裏腹に、彼の表情があまりにも真剣だったから、シコードは眠いのに彼の話をしっかり聞いてしまった。彼の出した条件は別にグローリアにとって悪い話ではない。飲んでくれる? と聞いてくるサックスに、シコードは少ししてからああ、わかった、と許諾した。

 サックスはさっきからずっと窓の外を見つめている。ただ冷たい雨が降るだけの外の景色がそんなにも面白いのかと疑いの眼差しを投げかけていたことが災いしたのか、その視線に気付いたサックスがシコードのほうを振り返る。
 振り返ったサックスの瞳は赤い。どちらかというと、「血のような」赤ではなく「燃えるような」赤だ。ついじっと見つめてしまったのをサックスは更に不審に思ったのか、明確に首を傾げて呟いた。
「もしかしてお前が『目を見ていたひと』か?」

 なんのことだ、とシコードは聞き返す。
「クラーリィがこの前グローリアに行った時、妙に目を見るやつに酒を飲ませてもらったって言ってて……お前か」
「確かに酒は飲ませたが」
 そんな印象しか残らなかったのか、とシコードは内心肩を落とす。何かを期待していたわけではないが、名前くらい覚えてくれていてもいい、と思う。
「そうかもしれない。俺は随分彼の目を見ていたようだ」
 緑が綺麗で、とシコードは呟いた。ふーん、とサックスは不満げな返事をする。

「大帝は凄惨な眼をしていると言っていた。俺にはわからない」
「凄惨、ね……」
 サックスは何度か頷くと、そうだねぇ、と呟いた。
「凄惨、言い得て妙だな」
 シコードは黙っている。どんなに思い出しても、彼の覚えているクラーリィの瞳は綺麗な緑だった。
「さて、俺はこれでお暇するけど、あんた眠いんだったらここで寝ていけば? あそこのベットも使えるよ」
 サックスは部屋の隅のベットを指し示す。
「さっきからぼんやりしちゃって、起こしたみたいで悪かったね」
 じゃあここに地図おいてくから、とサックスはドアの取っ手に手を掛ける。
「頼まれごとだけ、よろしく」

 ドアの閉まる音が聞こえるか聞こえないかといううちにシコードは隅のベットに倒れこんだ。あっという間に身体が軽くなった。眠りの淵に落ちる前に少しだけ、自分の目は何色をしているのだろうかと気になったが、直ぐに睡魔にかき消されてそれきり思い出しもしなかった。



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