おでかけ



***


「クラーリィ!出かけましょう!」
 振り返るとホルンが外出用の服を身に纏って立っている。たった今着替えてきたらしく、ほんの少し髪が乱れている。クラーリィは抱えていた書類を机に放り出すと、つかつかと彼女に近寄って乱れた髪を直す。
「あの…ホルン様、私には仕事が…」
 髪に指が触れ、言葉が止まる。さらりとした感触だとか、美しい黒髪だとかが心を掴んで離さない。この胸の内に積もる、それこそ積年の想いをこの人に伝えることができたらどんなにかいいことか。

 ホルンは少しだけ照れた顔をしてクラーリィを見上げてきた。
「城下に偵察に出かけましょう。ね?」
 これはあくまでも仕事の一環と彼女は言う。その笑顔を見るだけで天にも昇る気持ちになるクラーリィにとって、いいえという選択肢は最初からない。ああこの仕事いつ片付けようかなあなんて思いながら、お伴しますと頭を下げた。

 ここはいわゆる「禁裏」で、王族とその関係者、位の高い公職に就く者しか入れない。王宮の横、高い塔の最上階に位置するこの部屋は、窓からの眺めもさることながら、吹き抜ける風が涼しくて心地良い。
 最近クラーリィは、ホルン女王がご機嫌なのをいいことに、ここに入り浸って仕事をしている。間近で彼女の顔を一日中見ていられる幸福は言葉にしがたい。いちいち書類を持ってきたり持ってこさせたりするのは面倒以外の何ものでもないのだけれど、それとこれとは収支が大幅に合わない。



「ホルン様!クラーリィも!どちらへお出掛けですか」
 ぐるぐると長い階段を旋回中、パーカス執事に捕まった。明らかに不機嫌だ。手に握られているのは恐らくクラーリィ宛の書類や手紙。
「ホルン様…」
 クラーリィに言っても無駄、と分かっているのか、パーカスはその矛先をホルンに向ける。
「いいじゃない、私だって偶には外に出たいのよ」
 クラーリィは護衛として最適でしょう、とホルンはだめ押しをする。が、パーカスはちっとも機嫌が直らない。弁解したいところだが、パーカスがここまで上ってきた苦労やこれまでの経緯を考えるとクラーリィは何とも言うことができない。
「ホルン様、お忘れですか。この間もそうやってクラーリィを連れ出して、結局いくつかの書類が間に合わなくなって悲鳴を上げながらサックスまで巻き込んで処理する羽目になりました」
 ごめんなさい、とクラーリィは小さく呟く。全ては自分の処理能力が上がればいいのだが、大抵「偵察」から帰って来た後は「今日のホルン様は一段と素敵だった」とか考えて頭が一杯になっているのでそういうわけには行かないのが現状だ。サックスにも悪いことをしているという気持ちはあるが、何分こればかりは。
「パーカス、少しで済むわ。クラーリィ、ほら、ワープ!」
「えっ、は、はい!」
 クラーリィが慌てて組み手を作る。
「パーカス!その、俺、帰ってきたら頑張るから!」
 魔法陣を描きながらクラーリィが必死で弁解している。パーカスがこら、待て、と手を伸ばす。
「お待ちなさい!…またやられた…」

 取り残されたパーカスはため息をつきつつ、今日はどんな説教をかましてやろうかとぶつぶつ言っている。そして同時に、今日はどんな餌で釣ってサックスも手伝わせようかと頭を悩ませる。


**


「今日はどこへ行こうかしら」
 ご機嫌なホルンとは対照的に、クラーリィはむっつり黙っている。勿論機嫌が悪い訳ではなく、気を抜くと緩んでしまいそうになる顔を必死で堪えているからに他ならない。
「ねえ、今日はどこへ行きたい?」
「え、俺がですか?」
 まさか振られるとは思っていなかったクラーリィ、誰の声だと思うほど声が上擦った。そんな彼を、ホルンは余裕そうな顔で笑っている。
「そう、これから忙しくなるし、あなたも息抜きした方が良いわ」
 にっこりとホルンが微笑んだ。俺は貴方の行きたいところへ一緒に行けることが何より嬉しいのです、とかっこいいことを言えたらいいなあとぼんやり思う。残念なことに現在の大きな溝を一息に飛び越えるだけの勇気がクラーリィにはなく、そうですね、と無難な言葉を吐かせるに至った。
「俺は…その…」
 どうしよう、言葉が出てこない。表情は少し困ったふうを装っているが、冷や汗びっしょり、焦りのあまり心臓が止まりそうになっていることなど誰にも気付かれないだろう。…多分。

「ああ、そういえば」
 ホルンが助け船を出す。救われた!とほっとしたのもつかの間、彼女はとんでもないことを言い出した。
「昨日女官が話していたの。最近このあたりにオープンしたお店のクレープがとても美味しいとか。名前は…ええと…」
「『天使の歌声』、ですね」
「ああ、そう、…ふふ、どうして知ってたの?」
 あなたがこんなお店に興味あるなんて不思議だわとでも言いたげだ。クラーリィ自身も十分、こういう店と自分が釣り合わないことを知っている。
「いえ、サックスが昨日女官から聞いたと言っていまして…その、それだけです」
 本当はその後に「カワイイ女の子とでも行ってこいよ!」という冗談めいた台詞が付いていたのだが。その場ですぐにホルン様を連れて行く幻の自分を想像して真っ赤になり、サックスに馬鹿にされたのはまた別の話だ。
「あの子はいつもそういう話が早いわねえ。その割に、女の子に振られまくってるみたいだけど」
 くすくす、ホルンが肩を震わせる。
 この人のこんな笑顔を守りたい!と幼い心に誓って早十五年。最近は体調も安定しているようで、彼女の笑顔を見られる機会が多くて嬉しい。ホルン女王の笑顔のためならば、実にクラーリィは何だってできるのだ。

「そこへ行きましょう。一度で良いから食べてみたかったの」
「へ?」
「行くわよ」
 固まったクラーリィと対照に、ホルンはすたすたと先を行く。待ってくださいと慌てれば、臣民にお金を落とすことも大切と彼女は最もらしいことを宣う。クラーリィはホルンの視界に入らない位置で口をぱくぱくさせている。ホルンはそれに気付く気配もなく、上機嫌そのものだ。
「パーカスたちにもお土産に買っていきましょう、サックスもきっと食べたがっているわ」
「そ、そうですね、話題にしたくらいですから」
 その行為が火に油を注ぐことは容易に想像できたが、クラーリィの脳内ではホルン様とお買い物、の比重の方が数倍高かった。



「いろいろな種類があるのねえ」
「ええ…そうですね…」
 クレープ屋というのだから純粋にバナナだとか、チョコだとか、そういうものを想像していた。最近はそんな「普通」は流行らないらしく、クラーリィの知っている「普通」のクレープに混じって、ご飯クレープと銘打ち中にハンバーグやらポテトやらが入っているものまである。
「こういうのって、どういう客層にアピールしてるんでしょう」
 女の子が昼食にハンバーグ入りクレープを食べるのだろうか?それとも隣の彼氏がワイルドに食べるためにあるんだろうか。確かクレープの生地は小麦粉でできていたから、別に合わないという訳ではないのだろうけど…
 隣でホルンが熱心にメニューを見入っている。既に半径三メートルに人が居ない状態で、遠巻きに「女王陛下が」「大神官が」というひそひそ声がする。さあ羨ましがれ、という呟きをクラーリィは心に仕舞い込んだ。

「選ぶのって楽しいわねえ」
「そうですね、いつもは出てくるものを食べるだけですし」
 女王陛下の口にするものは大抵冷めている。毒味役が安全であることを確認した後だからだ。魔法の国なのだから魔法で毒がないか調べればいいとクラーリィは思うのだが、これは慣習でなかなか覆せるものではないのだという。クラーリィは昔、ティンやマリーが手作りのお菓子を配っているのを見て、私も昔あんなことしたわ、と呟いたホルンのことを強烈に記憶している。ホルンは体調を理由に彼女たちのお菓子を食べなかった。

「ああ、これ美味しそうね」
 ホルンが指差したのはごくごく一般的なアイスクリーム入りのクレープ。「当店一番人気!」との手書きポップが添えられている。
「これにしますか?」
 ホルンがこれ美味しそう、と言った途端に本当に美味しそうに見えてくるから不思議だ。実際はクラーリィの思考が随分短絡化しているからなのだけど。
「ええ、私はこれにするわ。クラーリィはどうするの?私、あの子たちの分まで決めて良いかしら」
 どうぞ、とクラーリィは微笑んだ。

 女王であるが故、彼女はあまり俗世間に触れない。クラーリィやサックスたちはしょっちゅう下町の汚らしい安食堂で腹を満たしているが、ホルンはそんなところ近寄ったこともない。彼女が目にするのはいつも美しいもので、「彼女に見られるために」人の手の加わったものばかりだ。うん十年生きてきた彼女でも、聖母と崇められる彼女でも、…いや、彼女だからこそ知り得ない世界がごく身近に沢山転がっている。クラーリィはそんなホルンを俗世間に連れ出したことを、申し訳なく思う反面嬉しいとも思う。
 新しい発見をした人間はいつも輝かしい顔をするもので、ホルンもその例に漏れないからだ。

「決めたわ。クラーリィ、あなたは決まった?」
 サックスにはこれで、ティンにはこれで…と一つずつ名前を挙げていく。ホルンが本当に楽しそうな顔をしている。
「ええ。じゃあ、頼みますね」
 これとこれ、あとはこれを持ち帰り用で…とすらすら読み上げるクラーリィの横、立っているホルンがふと振り返った。そろりと手を挙げ、国民に笑顔を振りまく。わああと小さな歓声が上がる中、クラーリィはなおもメニューを読み上げていた。なにせ十人分近くである。

「はい。これはホルン様の分ですよ」
 湯気の立つクレープを手渡す。無論彼女に気付かれぬよう魔法でスキャン済みだ。作っているときもじいっと眺めていたから、毒など入っているはず無いのだが。
 渡すとき指が触れて一瞬時が止まったことを正直に白状しよう。クレープを受け取ったホルンは手の内で一回転させてじっくり眺めた後、どうやって食べるのかしら?と呟いた。
「戻りましょう、ホルン様。ずっとここにいては営業妨害になります」
 クラーリィたちが立っている間ここには客が来られないのだから。店主に済まないな、と声を掛ける。
 クラーリィは自分の分も入った紙袋を片手に、空いている手でくるりと中空に円を描いた。青白い炎が浮かび、呪文が形を持って宙を舞う。文字が炎に収まった時には既にその場に二人の姿は無かった。


***


「うぉ、な、何やってんだお前」
「…た…ただいま」
 やっぱり失敗した。只でさえあまり上手くない(方向音痴が原因なのだろうか?)ワープ、片手で、大勢に見られている緊張する状況でしかもホルン様と一緒で。更に高低差を付けたのがいけなかった。何の因果かここは食堂だ。しかも運が悪いことに、ちょうどパーカスがサックスに救援を求めに来ていたところだった。ばっちり目が合ってしまった。
「おかえりなさいませ?陛下、そして大神官殿」
「うふふ、ただいま、パーカス」
 ホルンは上機嫌だ。鼻歌すら歌い出しそうな勢いだ。全ての文句を封殺するその笑顔にパーカスはつい黙ってしまう。
 お土産よ?とホルンがクラーリィの持つ袋を指差した。もう片方の手にはクレープが握られている。無論懐を痛めたのはクラーリィだが、そのあたりには突っ込んではいけない気がして何も言わなかった。
 クラーリィが「え、お土産?」と喜色を示す単純な幼なじみにクレープを配る。ホルンが選んだサックス用は、さっきなんだこれと思ったハンバーグ入りだった。え、何これ?ときょとんとする親友におまえにお似合いだよと毒を吐く。パーカスに手渡すと、少し睨まれたがありがとうと返された。パーカスには抹茶味。流石ホルン様、分かっていらっしゃる。

 最後に残った自分用のを手にしてホルンの隣に座る。クラーリィはちゃっかり自分用にホルンと同じものを注文していた。焼きたてのクレープと、蕩けたバニラアイスの甘ったるい香りが鼻につく。
「基本的には、齧るんですよ。あ、紙は食べないように…ええ、そう、少しずらして」
 ホルンがクレープを口に運ぶ様をじっくり見ていたい衝動に駆られたが、ちらりと横目で確認する程度で諦めた。そういうことはただの主従関係に留まる人間がやるべきじゃない…
 要領が掴めたのか彼女ははむはむとクレープの皮を味わっている。

 美味しいですか?とクラーリィが問いかけると、ホルンは嬉しそうにええ、といらえをした。


***


 そしてお待ちかねパーカスの説教タイム。今回はお土産が効いたのか控えめだ。説教している時間すら惜しいと、仕事をしながら右から左へ聞き流すことになる。
「おいおまえ、聞いてんのか?怒られてんのおまえなんだぞ」
 俺付き合ってるだけだし、とサックスが零す。うんうん、とクラーリィが首を振る。
「聞いてる」
「じゃあもうホルン様を連れ出すのはお止めなさい」と、パーカスが口を挟む。
「それは…その…」
 体調のことを考えると宜しくない、本当は一日中床に伏せる位でいいのだ。それが彼女の命を存える一番の方法だ。

 でも、それが彼女の望みとは違うことをクラーリィはよく知っている。
 ホルンは国を背負って立つことを、国民の希望の星であることを望んでいる。絶望をもたらすものに対抗するだけの光を持つ、人類を率いて立つ者であることを望んでいると知っている。
 そして同時に。一人の「個」として生きてみたいという矛盾した望みを抱えていることに、最近気付いた。

 残念だがその望みはクラーリィには叶えられそうにない。でも、それに近い現実を提供することはできる。払う犠牲は大きいけれど、ホルン女王がこれまでに失った、弔ったものの多さを考えれば、そんなもの比ではないと思う。

 黙り込んだクラーリィの頭に軽く拳骨が振ってくる。
「いてっ」
「難しい顔して二人で黙り込むんじゃねえよ、俺そういう空気耐えられないんだよ」
 犯人のサックスはクラーリィと同じく難しい顔をしていたパーカスを指差した。彼も言葉こそきついが、ホルン女王のことを第一に考えるという点でクラーリィと引けを取らない。クラーリィの沈黙に何か考えが及んだのか、いつの間にか言葉が途切れていた。
「まあ…早くそれを片付けてくれれば私が言うことは何もないのですが」
「全くだ。仕事頑張ります。パーカス、すまない」
 いいえ、とパーカスは小さく言って部屋を出て行った。毒気を抜かれてしまったらしい。

「…なにあれ?」
 ペンを走らせるのを止め、サックスがパーカスの消えたドアの方へ視線をやる。
「あんまり怒鳴ってると寿命に響くと思ったんじゃないか。パーカス、もう年だし」
「おまえ俺にまで嘘つくのな」
 サックスが口を尖らせる。俺にまでって何だ、と思ったが、クラーリィは敢えて突っ込むのを止めた。
「さあ、仕事だ。サックス、こんど何かおごってやるから」
「フルコースでヨロシク」

 定食一つな、と呟きながらペンを走らせる。紙の上では無機質な情報が舞っていて、この国から一歩出れば戦争が待ち受けていることを物語る。ホルンのことを想うと胸が痛い。そんな負担を少しでも減らせたら、とクラーリィは願っている。



***END



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