あの日と同じ空を見上げてる



 ***


 ホルンはリュートの手を取り、とぼとぼと歩いていた。その昔魔族を封じ込めたという「箱」は未だに開いていないはず。なのに、近年脱出できたと思われる魔族が各地を襲う被害が続出している。どの地域に魔族が出現するか、その憶測はなかなかに難しく、手薄の所を責められると被害は甚大になる。
 先週もそうして予想だにしなかった場所に魔族が現れ、ホルンは多数の部下の命を失うことになった。あまりにも急で、ホルンがパーカスのワープ魔法でその場に現れた時には既に息絶えていた者が多くいた。まだ息をしていた者も大半が重症で、回復魔法を掛けても何人かは助けることができなかった。

 無力だ、と思う。徐々に力の衰えが見え始め、一人に掛けられる魔法にも限度が出てきた。前線に立ち戦うことのできないこの身。せめて回復魔法だけは満足に掛けてあげたいと思いつつも、身体がそれを許さなくなってきている。自分のため、国のため命を捨てる兵士のために他に何ができるかと自問する日々が続く。

 命を落とした兵のために祈りを捧げ、ホルンは王宮へと戻っていた。傍らには、今だ幼き第一王子・リュートがいる。
 彼は魔法の才能が抜群で、こんなに小さいのにいくつかの難しい魔法をマスターしている。周りから期待の眼差しで見られる一方、まるで異形と揶揄されていることをホルンは知っている。
「かあさん」
「……なあに、リュート」
 努めて明るく振舞ったつもりだが、見下ろしたリュートはあまり嬉しそうな顔をしていなかった。多分心配しているのだろう、ホルンのことを。
「かあさん、ほら、見てよ、あれ」
 リュートが指差したのは天井。え?とホルンは顔を上げる。

 天井には何もなく、……それこそ雲一つ無く、青々とした空が広がるばかりで、リュートがわざわざ指差すような事柄は見あたらない。

「……ああ」
 ホルンはリュートに尋ねる前に感覚で納得した。別にリュートは、空に何か面白いものをみつけて指差したわけではないのだろう。
 ホルンが理解したらしいことに満足したのか、リュートはにっこり笑うとまたホルンと手を繋ぎなおして歩き始めた。
「そうね、空が…綺麗ね…」


 ***


 後に第一次スフォルツェンド大戦と呼ばれる戦争は、スフォルツェンドそのものと国民に多大なダメージを与えた。
 王都が襲撃されたことにより、それまで王都で安穏な生活を営んでいた一般市民に大きなダメージが与えられたことが何より痛い。片親、もしくは両親を失った子供は多く、その逆に瓦礫の下敷きなどによって子供を失った者も多くいた。

 クラーリィはそんな国民の典型で、魔法兵団員だった父も一般市民だった母も失い、天涯孤独。リュートが可愛がっていたというよしみもあり、今は「次世代の魔法兵団員に育てる」という名目で王宮がその身を引き取っている。
 ホルンは何度か王宮内で幼馴染みやリュートと遊ぶクラーリィの姿を見ているが、ここまで笑わない子供ではなかったと思う。…笑えと言う方が酷だ。それは分かっている。それでもホルンはクラーリィにどうにか笑って欲しかった。笑わない彼を通して国民の痛手を知ることになる。リュートを失い、フルートまで手放すことになった決定的な自分の落ち度を何度も思い知らされる羽目になる。

 空いた僅かな時間に彼の手を取り散歩と決め込んでも、二人の間に落ちる沈黙は重く、たまに啜り泣くような呼吸を繰り返すクラーリィを見ているのは辛い。
 ホルンはふっと思いついた苦肉の策で、クラーリィに空を見上げるよう促した。
「……?」
 昔リュートと眺めた程ではないが、それでも空は青い。まばらに散る雲に紛れて、小さく視界の向こうへ白い鳥が飛んでゆく。戦争の後の平和、それを物語るような長閑な空模様だった。
「良い天気ね、クラーリィ」
「……」
 少しばかり沈黙を守り、やっぱり駄目かと思ったところで、クラーリィはホルンの手をぎゅうっと握り返してきた。少しだけ震える声で、「はい」と小さく返事をする。あっという間に視点は地に戻り、また俯いて歩き始める。
 それきり空を見上げる気配のないクラーリィを少し残念に思って、ホルンは彼を抱き上げた。
「ホ、……ホルンさま……」
「これならもう少しよく見えるかしら?」
「……」
 母の温もりを思い出したのか、尚のことホルンに身を寄せるクラーリィに少しだけ安堵のため息を付く。やがて腕の中の子供がすうすう寝息を立て始めたことに気がついて、ホルンは苦笑した後踵を返した。

 意識を失った子供は重い。それでもその重さがホルンに残された希望だということを彼女は重々承知していて、だからこそその足取りは重くなかった。

「……あさん……」
「クラーリィ?」
「かあさん……」
「……」
 クラーリィが空を見上げられる日が来るのはいつだろう。そんなことを考えつつ、ホルンはほんの少し泣きそうな気持ちを抑えながら王宮へ戻る。追う風は乾いていて、じわりと滲む涙を拭って去っていった。


 ***


「良い天気だなあ……」
 クラーリィは一人、ほんの数分の空き時間に空を見上げた。最近、空を見上げては「良い天気だなあ」と呑気なことを呟くのが習慣化していて、良い天気と言う度に「またですか」と部下に呆れられるところまでが延々とループしている。
 案の定その予想は正しく、部下は毎度の如く「またですか」と律儀にクラーリィにコメントを返してくれるのだった。
「だって、良い天気じゃないか」
「まあ、そうでしょうが、よく飽きませんね」
「……まあ、変わらないからな」
 飽きると思えばすぐ飽きるんだろうな、とクラーリィは思う。幸いなことに、クラーリィは変わらない空に飽きを感じたことがない。

 もし空が毎日七色に変化するならきっと面白いと思う。ついでに太陽の形も毎日変わったりして。刻々と変化するそれはきっと観察のし甲斐があるだろうと思う。でも、もし本当に空がそんなものだとしたら、きっとクラーリィは空を眺めて「良い天気だ」なんてコメントは残さない。
 空は変わらないから素晴らしいのだ。

 一年前も、十年前も、……そう、自分が産まれる前も、幼馴染みと楽しく遊んでいた頃も、ホルン女王に引き取られた後も、大神官になった時も、そして大神官となって各地をかけずり回っているこの時だって、見上げる空は変わらないのだ。
 あの人が産まれる前も、産まれた後も、そして息を引き取った後だって、クラーリィや世界がどんなに変わっても、空の色が変わったりはしない。どんなに鬱憤を晴らしても、空はパンクしたりしない。
 それって素晴らしいとクラーリィは思う。残念なことに、なかなか賛同を得ることは難しいが。

 クラーリィには一つだけ心に決めていることがある。
 もしこの先、昔の自分のような可哀相な、若しくは落ち込んでいる子供を見つけたら、「空を見上げろ」と言うことだ。それが彼・若しくは彼女にどんな効果をもたらすかは分からないが、きっと彼・彼女の人生にとってプラスになると思う。
 その言葉が効果を発するのは、自分と同じように何年も経った後かも知れない。それでもいつか気付いてくれたとき、変わらない空の暖かさに気付いたのなら、きっとやっていけると思う。それは「頑張れ」とか「負けるな」とかいう安直な励ましではなく、遠い遠い未来を見越した応援の言葉。

 クラーリィは今日も遠征先で空を見上げる。
 そして、「ああ良い天気だ」とお決まりの台詞を呟いて、部下に呆れられて、そして少し笑って日常に戻る。踵を返したクラーリィ。変動する世界と、変わらない空を背景に、握り締める錫杖が陽光を受けてきらりと光った。


 ***END



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