血縁・1



***


 視界の端に久しぶりの色を見つけてフルートは振り返った。前線から帰還した兵士たちに混じって、クラーリィがそこにいる。彼は兵士一人一人に労いの言葉を掛けているらしい、人の隙間から彼には珍しい種類の笑顔が見えた。
「フルート?」
 こちらに気付いたクラーリィが、少しゆっくりめに近寄ってくる。フルートは戸惑った。一体どんな顔をして彼に会えばいいのかと。果たして自分に、今までのように、兄妹「同然」の対応ができるのか?
「おっ…おかえりなさい。お疲れさま」
 声が上擦ってしまったが、前線帰りで疲れているクラーリィにその微弱な変化は分からなかったらしい。彼はいつも通りありがとうございます、王女、と形骸化した挨拶と共に頭を下げ、それからフルートに他愛もない話題を振ってくる。
 現在の戦況の話を少し、それから行った先々で見てきた文化の違う素晴らしい建物の話、見たこともない鳥の話。クラーリィが度々持ち帰ってくる話はまるでお伽話のようで、普段あまり外国を見る機会のないフルートを楽しませてくれた。

 ただ今日だけは、気分が乗らない。それどころではない。
 フルートが生返事ばかりしているのに気が付いて、クラーリィは首を傾げた。
「気分でも悪いのか?」
「うっ…ううん、違うのそんなのじゃないの…」
 何も知らず純粋に自分を心配してくるクラーリィに心が痛んだ。一方的に話したりして悪かった、と立ち去ろうとするクラーリィをフルートの声が引き留める。
「…ん?」

「ね、ねえ、クラーリィはさ」
 あくまでも明るく自然に、フルートは話し掛ける。まるで今ふと気付いたかのように。
「もし私と貴方が本当に兄妹だったら、どうなっていたと思う?」
 至極真剣なフルートの表情とは裏腹に、クラーリィは少しきょとんとした後笑い出した。予想外の反応に驚いたフルートを尻目に、なんとか笑い声を押さえ、深呼吸を繰り返し、いつもの調子を取り戻す。
「珍しく真面目に話し掛けるから何かと思ったら。さあ、あまり変わらないんじゃないか。俺がホルン様に引き取られたのはおまえが産まれてすぐだし、兄妹のように育ったと言っても過言ではないし。更に俺が大神官になることも決定だろうし、仮に俺がホルン様の息子でも王位継承権が発生する訳でも無し…強いて言うなら公の場でおまえに敬語を使わなくて済む、ってところか?ああ、違う、俺のこと『お兄ちゃん』って呼んでもらえるのか」
 それはいいなあ、コルとおまえと、可愛い妹が二人かあ、と茶化したところで背後から小さくクラーリィの名を呼ぶ声が聞こえた。報告が纏まったらしい。あっという間に仕事用の顔になったクラーリィは、ああ、今行く、と返事をした。

 フルートの方へ向き直る。手を伸ばし、フルートの綺麗に梳かされた髪をがしがしと撫でる。
「何があったのか知らないが、俺で良ければ相談に乗るぞ?血は繋がってないけど、俺とおまえは兄妹のようなものだし」
「…うん、ありがとう」
 クラーリィは立ち去った。すぐに取り巻きに囲まれ、今回の遠征の報告を受ける。フルートはその背をずっと見つめていた。

「(あまり変わらない、か…)」
 あっという間に人に埋もれて見えなくなったクラーリィの背を、なおもフルートは視界の先に探している。
「(だといいな)」


***


 フルートは昨日、十五年ほど前に亡くなった父の部屋に忍び込んで、隠された戸棚を発見、その中から大変なものを見つけてしまった。
 それは国王であった父が毎日のように付けていた日記。膨大な量の日記にはホルンの婿として選ばれたときの嬉しさや、息子を授かったときの神への感謝、更には世継ぎである女子に恵まれず、徐々に王宮内での居心地が悪くなっていったことが蕩々と語られていた。
 フルートは父に会ったことがない。写真で見る父はいつも厳格な表情を浮かべていて、あまり実父であるという実感が湧いてこなかった。彼は自分を守ろうとして、魔族が攻め入ったとき魔界軍王によって殺されたという。事実だけで現実味の無かった父の姿が急にリアルに思えてきて、フルートはその日記帳をずっと捲っていた。

 やがて記述は現代に近づき、約二十年と少し前になる。そこには衝撃的な事実が書かれていた…フルートの父は居心地の悪い王宮から少し離れ城下で過ごす内、城下で店を持つ女主人と恋に落ち…過ちを犯してしまったのだ。該当日には一言、子供ができた、と書いてあった。

 フルートは驚いてその先を読み進めた。日記には淡々と、話し合った結果子供を堕ろすことはやめたということ、産んだ子供は素性が知られぬよう父が信頼を置いている、部下で子供のいない夫婦に育てて貰うということが記されていた。そして数ヶ月が過ぎ、子供が生まれた、男の子だった、と日記は綴っていた。
 フルートはその次の文章に目を疑った。

 日記にはこう書かれていたのだ。
《生まれた子供は信頼の置けるネッド夫妻に預けた。せめて名前だけでもと、彼をクラーリィと名付けた。》

 その後日記には彼の健やかな成長を願う文が綴られていたが、フルートの頭にはあまり入ってこなかった。
 これは何かの間違いなのか?誰かの手の込んだ嫌がらせ?…いいやそうではない、これは確実にフルートの父の日記帳だった。

 つまりこれは事実で…おそらくは母も知らない事実で。

 フルートはその後日記を読み進め、子供を手放した罪悪感故城下の女性とは疎遠になってしまったこと、生活の軸を王宮に戻し、女王ホルンを労る生活に戻る内に少しずつ昔の関係が復活したこと、部下であるネッド夫妻を訪問するという名目の元月に一度は実子に会いに行っていたことを知った。そして日記はやがてホルンの腹に第二子を授かったという、文面から飛び上がらんばかりの嬉しさの伝わる文章をフルートに見せた。それが自分であると知って、フルートは何とも言えないむず痒さを味わう。何行にも渡り綴られているのは、最早賛美歌としか思えないような神への感謝、そして妻であるホルン女王を讃える文章群だった。それから先にクラーリィの記述は一つもなく、日記の全てはホルンの容態と検査の結果、そして女児であることが判明した後は日々綴られる賛美歌は更に長くなり、一種の創作を読んでいるのかとさえ錯覚させられた。

 月が満ちてフルートが産まれ、数日経ったところで日記は唐突に終わっていた。…彼はここで人生を終えたのだ。攫われそうになったフルートを死守し、身代わりのような形で命を落とした。フルートは父を尊敬していた。確かに尊敬していた。立派な父だと…誇るに相応しい、そして女王の婿として相応しい男であったと思っていた。
 今は…どうだろう。分からない。

 ぺらぺらとめくってもその先は経年劣化した白いページだけで、何も記されていなかった。
 フルートは日記帳を閉じた。いつの間にか目には涙が堪っていて、果たして何に対して自分は涙を流しているのかも分からず、ただ黙って涙を零していた。



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