血縁・3



***


 窓から見た空があんまりにも綺麗だったので、リュートはフルートとクラーリィを連れ出そうと考えた。
 フルートの居場所はすぐに分かったが、クラーリィが中々見つからなかった。結論から言うと彼は書類上彼の妹になった孤児・コルの居る乳児院で彼女の寝顔をずっと眺めていたのだが、リュートが声を掛けると少し戸惑ったものの、コルに「おやすみ」と呟いて付いてきた。

 無論衛兵の護衛付きだったが、未だ少々心許ない歩き方をするフルートをクラーリィが引っ張って、リュートはそんな二人を何度も振り返りながら庭を歩く。
 既にリュートにとったら隅から隅まで知っている世界だが、最近ようやく物心の付いてきたフルートや、普段は魔法学校の宿舎で暮らしているクラーリィにはまだまだ未踏の地に近い。そしてリュートの予想通り二人はあっちで立ち止まり、こっちで立ち止まり、その度リュートは引き返しては「何を見つけたの」とか声を掛けるのだった。

 王宮の方を見上げると、窓からホルンが手を振っていた。やはり心配でそっと見守っているらしい。リュートは少し苦笑してから手を振り返して、やっぱり後方で立ち止まっていた二人の方へ歩み寄った。
「何してるの?」
「んーと、アリさん」
 しゃがみ込んでいるクラーリィが地面の一画を指差した。その指の先で、小さな黒い蟻たちがもそもそと隊列を作って行進している。フルートは生物そのものが珍しいのか、つんつんしようとしてはクラーリィに止められている。何で止めるのと目線で訴えるフルートにクラーリィは言った。
「咬まれるよ」
「いたいの?」
「痛いよ」
 クラーリィが至極真面目な顔で痛いと訴えるのを見て、リュートは密かに微笑んだ。「痛い」と知っている…ということは。
 もっとも、その昔リュート本人も蟻の行列にちょっかいを出して咬まれたことがあるのでクラーリィのことを「お馬鹿さん」とは言えないのだけれど。
「アリさんどこいくの」
「…知らない」
 お兄ちゃん、とクラーリィはリュートを仰ぎ見た。リュートは二人の隣にしゃがみ込み、蟻の行方について小さな講義を開始する。しかし流石は子供、説明もそこそこに飽きてしまったのか二人はそれぞれ別の興味の対象を見つけて視線を揺らがせ始めてしまった。リュートが適当な理由を見つけて彼らを解放すると、途端二人はそれぞれ別の方向へ向かって走って行ってしまったが、少し行ったところでクラーリィが踵を返してフルートを追いかけた。
 心配なのだろう。クラーリィはフルートの「お兄ちゃん」だから。リュートは苦笑して、クラーリィの後を追いかけた。



 初めは恐る恐るフルートに近寄っていたクラーリィも、そこは流石子供と言うべきか順応能力の高さであっという間に本物の兄妹のようになった。リュートが各地を飛び回っている分「お兄さん」役も務めていたらしく、いつの間にやらリュートの知らないフルートのくせを知っていたし、フルートの好みらしい玩具の種類まで知っていた。

 数年経ってもその構図は変わらず、クラーリィはフルートとコルの二人の兄となって日々を過ごしていた。一つ変わったことといえば、リュートの元に付いて本格的に魔法修行を始めたことくらい。急に遊ぶ機会の減ってしまったことを二人は寂しがったが、別に遠くに行く訳じゃないんだし、とリュートが首を突っ込むと顔を見合わせて笑った。
「そうそう、生活場所は全然変わらない。プライベートの時間が減るだけで」
 リュートに続いてクラーリィはそう言ったが、フルートは少しだけ頬を膨らませてこう返した。
「でも、やっぱり、国の外まで戦いに行っちゃうんでしょ」
「まあ、…そりゃ…うん。行く」
 一度リュートの顔色を窺って、クラーリィは申し訳なさそうに頷いた。立場上「いや」とは言えないフルートには少し申し訳ない状況かも知れない。
「…気を付けてね。怪我しないように」
「ああ、うん」
 クラーリィは、フルートの不安を吹き飛ばすように満面の笑みで頷いた。根拠のない確信でも、漠然とした不安は吹き飛ばすことができる。フルートはあまり納得していないようだったが、仕方ない人、とでも言いたげに笑った。

 それを側から見ていたリュートが感じた些細な違和感は、案外すぐに解消された。
 二人と分かれてしばらく、フルートがこっそり追ってきたのだ。クラーリィには見つからないように追いかけてきたのか、後ろを振り返りつつ、小声で話しかけられた。
「お兄ちゃん」
「フルート、どうしたの」
「…お願いが…あるんだけど、その」
 フルートはもう一度後ろを振り返り、人影がないことを確かめると小さく手を合わせた。
「あのね、クラーリィが無理しないように、見張ってて」
「え?」
「クラーリィ、お兄ちゃんより弱いじゃない」
 心配なの、とフルートは言った。怪我は仕方ないかも知れないけど、あんまりしないように見張ってて、とフルートは続ける。

 リュートは「無理だ」とは言えなかった。不安げに瞳を揺らめかせるフルートをこれ以上不安にさせたくなんか無かったというのが一番の理由だが、他にもいくつか理由があった。クラーリィが怪我をして帰ってきたら、フルートは「幼馴染みの怪我」以上に悲しがるだろう。言い方は悪いが、知り合いや、そしてリュートが怪我をして帰ってくるよりももっと。

 フルートの物言いからリュートは、何となく二人が「幼馴染み」の域を卒業しかけているらしいことに気がついた。妹を盗られたような悔しさやいつの間にという驚きで随分胸が痛んだが、それを通り過ぎれば応援する気になれた。
 フルートの笑顔が好きだ。年の離れた可愛い妹の笑顔のためなら、リュートは何だってできる気がしていた。


***


 リュートは一人、父の部屋に来ていた。クラーリィから「フルートの様子がおかしかった」という話を聞いたと言うのが直接的な原因だ。そういえば、と彼は考える。
 一昨日あたり、父の部屋に入っていくフルートを見た。それ自体は特別不審なことでも何でもないのだが、おかしくなる原因の一つとしては考えることができる。セオリーだが、何か見てはいけないものを見てしまったとか。良くある話として「娘が父親の部屋で女性の裸の写真や雑誌を発見」なんていうものがある。フルートは特に、自分を守って死んだ父親を尊敬している節があったから、そのような事態に陥ってしまった時のダメージが大きいのかも知れない。ましてや回りに相談できるような話題でもないし。

 リュートはそっと部屋の中を見渡したが特に異変は見あたらなかった。父の蔵書を借りに何度か訪れたことがあるが、その時とあまり変わりはないように思える。まずは先程の仮定を検証しようと、リュートは本棚へと近づいた。
 ずらりと並べられている本の背をじっと眺める。中にはリュートの興味のあるものから、ちっともないもの、果てはどうしてこんな本が、と思うようなジャンクな内容の本まで揃っている。
 横方向に少しずつ移動しながら背表紙を眺めていたリュートだが、ある一点でふと立ち止まった。
 本の背が、一カ所だけ少し浮いている。
 静かに近づき本を眺めると、隅の埃が指の形に取れていた。最近触られた証拠だ。本自体は何の変哲もない魔道書のようだったが、念のためリュートは手にとってぱらぱらとページを捲る。残念ながら期待していた「変な写真」やら「変な記事」やら、へそくりの類は出てこなかった。
 触っただけかと元に戻そうとして、本棚の奥になにやらおかしな影を見つける。本来は平らであるはずなのに、何か突起でもあるようなおかしな影が…
「…まさか、ね」
 リュートは並べてあった本を床に置き、よく見えるようその場所を開けた。小さな、古びたボタンがちょこんと暗闇に居座っている。
 現れたボタンをかちりと押すと、一瞬の沈黙の後部屋の奥の方から随分と低い響きが聞こえた。

「隠し部屋…まではいかないか…」
 一部の本棚がスライドし、別の本棚が姿を現していた。本棚にはどれも似たような背表紙の本がずらりと並んでいる。
 リュートは少し当たりを見回して、それから本棚をじっと見つめて、ついには決心して本に手を伸ばした。たまたま手の触れた一冊をそっと取り出し、ページを捲る。

 中身は手書きの手記のようだった。



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