血縁・4



***


 リュートの話を聞き終わって、クラーリィは深い深いため息をついた。ため息をつく以外の選択肢が見あたらなかったというのが一番正しい。
 目の前の古びた本を眺めて、それから複雑な顔をしているリュートを見て、クラーリィはもう一度ため息をついた。

 一体自分にどうしろと言うのだ。子は親を選べない。

「ええ、…大変な事実発覚ということだけは分かりました」
 判断力が鈍っているのは今が深夜だからだけではないだろう。でもクラーリィはあまり頭を働かせたくなかった。この先待っていることにクラーリィにとって喜ばしいことは何一つない気がする。今クラーリィができる最大限の現実逃避は、突きつけられた事実を理解するのを一秒でも遅らせることだけだった。
「大変ですね」
 うんうんといかにも分かったかのような素振りを見せているが実際は棒読みも良いところ。リュートは笑うべきか真面目に突っ込むべきか、はたまた受け流すべきかで随分と悩んだ。笑い飛ばすにしては重すぎる議題だ。しかしクラーリィが思い悩むのも十分理解できるので真面目に突っ込んだら可哀相かも知れない。かといってスルーすればそれはそれで問題が…
 リュートが悩んでいるとクラーリィが顔を上げた。彼は何か言いたそうな顔をしてリュートの方へ視線をやる。
 クラーリィも同じく悩んでいるらしく、何度か口を開けたものの言葉として出てくることはなかった。

 少しの間重苦しい沈黙を共有して、やがてクラーリィはそっと口を開いた。二、三度視線を漂わせ、リュートの方は見ないまま言葉を綴る。
「俺は…あなたに謝るべきですか?」
 いいや、とリュートが首を振る。否定しやすい言い方をしてくれたクラーリィには感謝の念すら浮かんだ。
「クラーリィ、僕は別に君を『不義の子』だなんて責めるつもりはないんだよ。それだけは誤解しないで欲しい」
 リュートが一般家庭の子として生まれて来られなかったように、一般人として生きていけないように、クラーリィにだってそれなりの事情がある。それがたまたま、人様には言えない事情だっただけだ。リュートが「王子として生まれてこなければ…」と言うくらい、この問題の根本を彼本人に問うことは不毛だ。
「君本人には、どうすることもできない問題だし」
 君本人がいる、という時点でもうどうすることもできなくなっているよね、とリュートは言い換えた。リュートが自分の敵ではないらしいと察したクラーリィが、ほんの少しだけ安堵の息をついたのをリュートは見逃さなかった。彼は続ける。
「君は君だ。思っていたものと素性が違ったからといって、僕は今まで君と過ごした時間を嘘だとは思わない。君はフルートのいい兄だったし、僕の可愛い弟だった」
 クラーリィは、泣いているような笑っているような変な顔で頷いた。それから、「ホントに弟でしたね」と随分擦れた声で呟いた。
 リュートは返事に迷って黙ってしまう。そうだねなんて単純な相づちは、実にこの場に相応しくない気がした。

 再び沈黙が訪れたが、クラーリィは盛大なため息を一つ、やっぱりそっぽを向いたままだが口を開いた。
「やっぱり、フルートのあの挙動不審の原因は、これですね」
 違ったら良かったんだけど、とクラーリィは人ごとのように呟く。
 あの元気はつらつなフルートが思い悩む、しかも幼馴染みであり、少々親友を卒業しかけているクラーリィにすら黙っている物件などそうそうありはしない。
「そうだね、…うん。僕もそうだと思うよ」
 そうだ、と言い切る明確な証拠はなくても、考えられる原因なんてこれしかない。これしかないのだ。
「クラーリィ、その」
 口を開こうとしない、恐らくは開けないのだろうクラーリィに代わってリュートが口を開いた。若干窺うような仕草と共に、彼の顔を覗き込むようにして言葉を続ける。
「君は…フルートのことが、好き、なんだよね」
 随分黙ってクラーリィは頷いた。ごめんなさいと小さく言葉を添える。
「いや、今はその点について討論しようとは思っていないんだけどね、…うん…」
 語尾を濁すリュートを眺めて、クラーリィはそろそろと顔を上げた。机の上に置かれた、花瓶にささる少々しなびた花をじっと眺めている。
「分かってますよ。…兄妹だから。兄妹だから恋人にはなれない。そう言いたいんでしょう」
 花を見ているようで見ていない彼の視線は、じっと動かない。
「あなたに全部言わせるほど俺は、…悪人じゃ」

 この時リュートの心に持ち上がった感情を一言で言うなら、「かわいそう」だろうか?誰がどうしたって覆せない、リュートがその魔法の腕を振るったって解決のしようのない「事実」が二人の前に重くのし掛かる。
「フルート、…傷ついてるんだと思います」
 クラーリィはようやくリュートの方を見た。物凄く悲しそうな顔をして、それでも無理に笑っていた。自嘲に近い笑みの中で、彼はひたすらフルートのことを考えている。
「部屋で泣いてるかも、誰にも相談できないで。俺じゃ相談相手になれない、俺じゃどうしようもない…」
 たった一人、好いた人の役にすら立てない苛立ちをクラーリィはどこへぶつけて良いのか分からない。掌を額に当てて、再び考え込んでしまった彼をリュートは苦しい表情で見守っていた。
「僕はねクラーリィ、フルートの傷をこれ以上広げたくない」
「それについては心から同意します」
 クラーリィが頷く。うん、とリュートは合いの手を入れて、きっと君は今理不尽に感じてるんだと思う、と言った。
「彼女だって理不尽に感じると思うよ。そんな理由で別れなきゃいけないのかって」
「……」
「だから…」
 リュートが続ける前にクラーリィが口を開いた。俺が、とクラーリィは一度言葉を句切る。
「俺の方から、身を退け、ってことですね」
「…あくまでも、ごく自然に、昔のように幼馴染みに戻ってしまえばいいと思うんだ」
 リュートは「うん」と言えずに、ただ遠回しにそれを肯定する言葉だけを述べていく。
「幼馴染みに…兄妹に戻ってしまえば。悩みを分け合ったり、お互いの恋について相談できるような、そんな存在にさ…時間はかかるだろうけど、フルートが一番傷つかないで済む方法は、それじゃないかなって思うんだ」

 フルートは未だ、リュートとクラーリィの二人がこの事実を知ってしまったことを知らない。それに加え、事態が事態なだけに、彼女が誰かにこの事実を漏らすとも考えにくい。
 だったら知らない振りをして、別の理由を付けて離れた方が、…理不尽な思いをせずに済むかも知れない。
 こんな特殊な家庭に生まれていなければ兄妹にならずに済んだかもしれないのに、なんて不毛な考えを胸に抱き続けることもないかもしれない。彼女が王女に生まれたことを、『女の子』でなければならないという重圧の元生まれた子であることを、悔やむことがないようにしたい。
「…ええ、俺も、そう思います」
 多分、それが、一番いい、とクラーリィは呟いた。
 納得していない風だったが、諦めているような印象をリュートは受けた。現実に対して嘆く気力すら沸かないような…悲しい諦め方だ。



「それにしてもさ!」
 リュートは突如声色を明るく、少々無理をして作った笑顔と一緒に顔を上げた。突然の豹変に驚いたクラーリィは少し姿勢を正し、何事かと目を見張る。
「僕昔から君のこと弟みたいに思っていたけど、まさか本当に兄弟だったなんてね!折角だから君は、また僕のこと『お兄ちゃん』って呼べばいいと思うな!」
 それは、とクラーリィが語尾を濁す。でも完全にシリアスだったクラーリィが若干気持ちを和らげたことを察知して、リュートは内心ほくそ笑んだ。
「そうだね、それは流石に幼すぎるか。今なら『兄さん』あたりが妥当かな」
 クラーリィの返事は待たずにリュートは一人で話を進める。少しでもリュートのペースに乱されて、クラーリィが浮き上がってくれればいい。
「周りに何か言われたら、僕にそう言えって命令されたって言い訳するんだね。実際昔はそう呼び合っていたんだし、今復活したって特に問題はないと思うんだ」
 リュートはどう、と首を傾げた。クラーリィは困った顔をして首を振ったが、その表情に先程までの緊張はなかった。
「…僕ね、君にできるだけのことをしてあげたい。君もフルートも何も悪くないし、…僕は君の兄だからね」
 クラーリィは俯いたまま笑った。仕草は確かに笑っていたけれど、気配は泣いていた。リュートが覗き込んだ顔は泣いたような笑ったような変な顔。クラーリィはもう一度首を振って、小さく「そうですね」とだけ言ってまた俯いてしまった。
 リュートはため息を一つ、「ごめんね」と謝るとそっとクラーリィに近寄った。一瞬強ばったものの、すぐに緊張を解いてクラーリィはリュートを見上げてくる。
 それからリュートは、昔幼馴染みにちょっかいを出されては泣いていた彼にしてあげたようにそっと頭を抱いて、クラーリィの気配が落ち着くまでじっと黙っていた。



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