血縁・6



***


 父の部屋に再度忍び込んだフルートは息を呑んだ。部屋の奥に誰かが居る。ろうそくの心許ない明かりがちらちらと揺れている。そしてその影は、随分とフルートの見知ったものだった。
 長身から腰まで届く髪を垂らして、何かを読んでいるらしい影。そんな人物、フルートは一人しか知らない。
「…クラーリィ。何してるの」
「いっ!?」
 声を掛けられた驚きでクラーリィは持っていた本を威勢良く閉じた。埃が舞って、少しだけ彼は咽せる。
 クラーリィの手には、フルートがクラーリィにだけは読んで欲しくないと願ったあの本があった。
「フ、フルート。俺は、その」
 本を片手に慌てるクラーリィに、フルートがつかつかと近寄る。珍しくクラーリィがしどろもどろになっているのを良いことに、目と鼻の先まで近づいてフルートはもう一度繰り返した。
「何してるの?」
「その…ごめん。いや違う、ええと…その、…はあ」
 クラーリィの背後にあの隠し戸棚がきっちり現れている。言い逃れなど今更出来るわけもなく、クラーリィはいろいろと諦めたのか肩を落としてため息をついた。
「怒らないでくれ。頼むから、頼むから怒らないで」
 ごめん、のポーズを作る。それでもあの日記帳を手放さない。
「…何読んでるの」
 どうか、どうかまだ該当箇所を読む前でありますように!どうかたまたま見つけてしまっただけで、好奇心に駆られて手に取っただけで、フルートの隠したい事実を知ってはいませんように!
 でもクラーリィの表情は事実がフルートの望むものとは違っていることを物語っている。
「…フルート。その、ええと、言い辛いんだけど、…俺」



 フルートがみるみる悲しそうな顔になるのを、クラーリィは断腸の思いで見つめていた。こうなったら隠しようがない。
 それに、今さっきこの日記帳を一通り読み終えて、やっぱり王子の言うとおりこれは事実であり間違いではないとこの目でしかと確かめてしまったのだから。
 今更嘘をついても空しいだけだ。愛しい相手に嘘をついたという罪悪感が増えるだけで、良いことなんて一つもない。
「そうなんだ。読んじゃったんだ」
 髪に隠れるフルートの表情が痛々しい。クラーリィは突き刺さるような胸の痛みに耐えなくてはならなかった。
「…しかも王子までね。もう隠しようがないっていうか。…もうどうしようもないっていうか…さ」
 分かってるだろう、という言葉をクラーリィは飲み込んだ。
 
 兄妹なんだから。片親とはいえ血の繋がった兄妹なんだから。
 しかもその事実を知っている第三者までいる。隠し通すことは最早不可能、倫理的にも無理がある。
 二人の間に明るい未来はないよ、とは言わないが。

 不思議なもので、こうなってしまったと分かるとクラーリィの胸の内は少しだけ軽くなった。結局彼女に理不尽な決断を強いる結果になってしまったが、少なくともクラーリィが本心を偽ってフルートの「友」としてあり続けなくてはいけないという事実は回避された。
 本心を知っていても尚、それを現実にしてはいけないのだという認識がある分だけ救われる。クラーリィ一人が重荷を背負い込まなくてもよくなったのだ。
 ごめんな、とクラーリィは呟いた。
「何に対して謝ってるの?」
「…おまえ。俺じゃ、どうすることもできないし」
「別にクラーリィじゃなくたって、誰にもどうすることもできないでしょ。魔法使ったって、事実は変えられないんだし」
 まあな、とクラーリィは頷いた。

 クラーリィの持ってきた蝋燭がちらちらと揺れている。その心許ない炎を見ながら、ああこれからどうしようなんて思い悩んでいると、フルートが唐突に声を上げた。
「魔法!…そうだ、魔法を使っちゃえば?」
「今自分で『魔法で事実は変えられない』って言ったばかりだろ」
 フルートの言うとおり、魔法で過去は変えられない。タイムスリップして敵の母親を殺すなんてことはできないようになっているのだ。第一そんなことしたら、今回はクラーリィという存在そのものが消えてしまう。
 フルートはぶんぶん首を振った。そうじゃなくて、と彼女は言う。
「事実は変わらなくても、記憶を消しちゃえばいいじゃない」
「俺の?おまえの?俺が俺に魔法を掛けることはできないし、おまえそういう魔法は使えないだろ」
「鈍いなあ!この事実を知ってるのは私とクラーリィと、あとお兄ちゃんだけなんでしょ。じゃあお兄ちゃんの記憶を消しちゃえばいいじゃない。そしたら後は、私とあなたの秘密にできる」

 何か恐ろしいことをフルートは言っている、とクラーリィは思った。しかし同時に、あ、それいけるかも、なんて考えも過ぎってしまう。
「ちょ、そ…そりゃ確かに実現可能かも知れないが、…倫理的に…」
 不味いだろ、とクラーリィは言葉を濁す。不味いのは分かっているが、本当はそういう「不味さ」を無視したい気持ちの方が強い。
「不味くないよ。だって昔から王家は血縁同士で姻戚関係になってたんだよ?お母さんとお父さんだって遠縁だけど親戚同士だった。もっと過去に遡れば、同じ両親から生まれた二人が結婚してたなんてこともあったんだからね!」
 初めてあのつまらない勉強が役に立ったと言わんばかりに、フルートは過去の事例をぺらぺらと並べ立てる。クラーリィが圧倒されて黙り込んだのをいいことに、フルートの歴史の講義は少々続いた。

 あらかたの例を出し終えたところで、フルートはねえ、とクラーリィに畳み掛ける。大丈夫だよ、多分、と彼女は呟いた。
「平気に思えてきたでしょ?大丈夫だよ、片親は完全に一般人だし。第一、昔はよくて今はダメってそんなの信じられない」
「…まあ、な。うん。俺もそれは、理不尽だと思うけど…」
 いまいち踏ん切りの付かないクラーリィに痺れを切らして、フルートはもう一度ねえ、と語尾を強めた。返事の決まらないクラーリィが焦る。
 だが待って欲しい、クラーリィにとったらこれまでの人生で一番の決断を迫られていると言っても過言ではない。待って、今考えてる、というポーズのまま固まってしまったクラーリィに、フルートはようやく一歩下がってくれた。
「…待つよ」
「ごめんな」
 ありがとう、と付け足す。ようやくフルートが笑ってくれた。
「でもね、クラーリィ」
「ん」
「私、あなたのこと、す」
「ストップ!…好きだフルート。やっぱりこれは俺の方から言わないと」
「じゃあ決まりだね。文句ないね」
 クラーリィがこう言い返すと分かって言いかけたのか、フルートは実に華麗にクラーリィの告白をスルーして笑顔を浮かべた。
 クラーリィは情けない顔をして笑ったが、やっぱり最初から結論は決まっていたらしく、そうだな、と呟いて日記帳を手放した。



「まずやらなきゃいけないのは物的証拠の隠滅だ。それから、王子をなんとかして騙し…て、気付かれないように魔法を掛けて、それでめでたしめでたし…か?」
「クラーリィ、念のためあなたの家家捜しして証拠がないか調べておいてね。いやだよ私、コルネットまで巻き込むのは」
「多分ないと思うよ、ばれると国家の存続に関わるから、一般家庭にそういう記録は残しておかないだろう。まあやっておくが」
 結局流されたクラーリィは、フルートと二人部屋に籠もって計画を練っている。
 その辺の反故を引っ張り出して、ああだこうだと計画を練って、実に真剣な顔をして「どうやって二人の兄・リュートに魔法を掛けるか」という点について熱心に議論し合う。チャンスは一度きり、しかもその成功か否かによって二人の今後の人生が大きく変わってしまう。
「お兄ちゃんに魔法を掛けて、それと同時に、お父さんには悪いけど日記を処分しなきゃね」
 既にフルートはやる気だ。多分機会さえあればクラーリィの戸惑いなど気にもせずに実行に移すだろう。だがクラーリィは未だにさっぱりと踏み切れないで居る。あんなに優しくしてくれた王子に魔法を掛けて、しかも実の父と自分の唯一の繋がりを永遠に消滅させるとは。やはり少し引っかかる。
「…やっぱり、嫌?やめておく?」
 いまいちはっきりしないクラーリィに気付いたフルートが顔を上げた。あ、いや、などと慌てるクラーリィを尻目にやめておく?と首を傾げる。
 しかしこんな悲しそうな顔をされて、クラーリィが「うん」とか「ああ」とか言えるわけはなかった。彼はぶんぶん首を振る。
「いや。…俺はやる、けど、ちょっと、その…」
 フルートは身を起こして、クラーリィの両腕を掴んだ。じっと正面を見つめて、クラーリィにこう言う。
「今度二人でお父さんのお墓参りに行こう。それで『どうして浮気したの!?』って文句言って、そのあと謝ればいいじゃない。日記燃やしてごめんなさいって」
「…燃やすんだ」
 燃やすよ、とフルートは言う。その表情はとても冗談で言っているようではなかった。まっすぐな眼をして、フルートは続ける。
「燃やすよ。別にクラーリィがもっと良い方法を知ってるって言うのなら、それでもいいんだよ」
「いや、まあ、俺にだって手段を言いたいんだってことじゃないくらい分かるよ」
 燃やすという一見品のない言葉には、フルートの強い強い意志が表れている。「大好きな父」の遺品を燃やすという決心をしたフルートの意思を、クラーリィは決して無駄にしたくないと思う。

 あのね、とフルートは視線を逸らした。申し訳なさそうな顔をして、壁に掛かっている父の肖像画を見る。
「私ね、やっぱり今でもお父さんのこと好きだよ。大好き。だって私のこと守ってくれたんだもん。命をかけて、私のために生きてくれたの。…だから好きだよ。でも今は、目の前にいるあなたの方がいいかな」
 私のこと守ってくれるんでしょ、とフルートは言った。クラーリィは照れて照れて、それからようやく頷いた。

 大筋は決まった。決行は明日。
 神様お願い、とクラーリィは天に祈る。藁にも縋る思いというのはこういうことを言うのだろうと彼は心から思った。



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