散桜



 ***


「あーあ、散っちゃったね」
 今年は花見の予定が立てられなかった。みんなして仕事の予定が立て込んでいたのだから仕方がない。でも一度くらい、とサックスはクラーリィを誘ってみたが、案の定既に散ってしまっていた。
 ものの見事に何もない。最盛期には溢れるばかりの人で賑わっただろうこの場所も今は閑散としているだけで、ぽつんと立っているクラーリィとサックス以外に人の気配はなかった。花の代わりに新緑が枝を占め、若緑を中心とした色とりどりの緑がやけに眩しい。
「春だな」
「その台詞、ちょっとこの光景とは合わない」
 新緑を差して言うのなら間違いではないだろうが、散ったあとの桜というのはどうしてこうも物悲しいのだろう。春のひとかけらも感じない、とサックスは思う。
「そうか? 俺はこの時期が割りかし好きだけどな」
「……へー」
 意外、とサックスは呟いた。でも内心そこまで意外ではないかもとも思う。クラーリィは仲間内でも少し価値観の違う奴だから、往々にしてサックスと意見や感想が異なったりする。それが喧嘩の火種になることも珍しくない。
「桜を見ると俺は不安になるよ。それよか散ったあとの緑の方が好きだ。安心する」
 不安だとか安心だとか、何をもってそう表現するのかサックスには分からないが、桜を見て不安になる人間というのはそうそういないと思われる。参考までに理由を聞いておこうかとサックスは考えたが、そう口にするまえにクラーリィが続きを話しだした。
「緑が濃くなったら夏だ。暑い季節がやって来て、みんなも元気を出す。お祭り騒ぎによくなるのも夏だ」
「あ、確かに」
 スフォルツェンドは総じてお祭り好き人間の集まりだが、確かに夏にそういった行事が多い。暑さに魘されて普段とは違う行動に出るのだろうか、それとも暑さを忘れるために別の事柄に集中するようになるのだろうか。
「熱中症で昔君倒れたね」
「……よく覚えてるな」
 そりゃあ覚えてるよ、とサックスは零す。ホルン様はおろおろするし、結果としてこき使われることになったパーカスの寿命がまた縮んだような気がするしで一通り大騒ぎになった。あの時倒れたクラーリィを運んだのはサックスなのだから、そうそう忘れられないというものだ。
「でも、まあ、あのあとのお祭りは上手くいったよね」
「俺が倒れてからみんな気を遣いはじめたんだろ? 怪我の功名だな」
「だってまた倒れられたら困るし、そりゃあ顔色伺っちゃうでしょ」
 そうだな、とクラーリィは頷いた。あの後はコルの介抱の甲斐あってかすぐに具合がよくなったのだが、あえて全快したようには振る舞わなかった。しかしそれをサックスには言わない方がいいだろう。

 木々を通り抜けてきた弱い風がサックスの頬を擦っていった。サックスを追い越し、クラーリィの長い髪を誘って風は通り抜けていく。髪は風に乗せられ緩やかになびいた。
「緑がどんどん濃くなっていって、寒さに辟易していたみんなが元気を出していくあの感じが、俺は好きなんだ」
 クラーリィは軽く足元を蹴りあげた。積もっていた桜の花びらの山がばっと宙に舞い、局所的な桜吹雪を作り出す。軽い花びらは弱い風に乗ってしばしの空中を楽しんでいるようだ。
 桜吹雪の向こうに大神官さま、というのは非常に様になっている。あとはこれが自然発生的なものであれば魔法兵団のプロモーションに使えそうだ、なんてサックスは独りごちた。
「なっ、クラーリィ」
「うん?」
 久々のオフを満喫しているらしいクラーリィは、随分と爽やかな表情でサックスの方を振り返った。乱れた髪を耳に掛け、なんだと彼は言う。
「なんで桜嫌いなの?」
「嫌いとまでは言ってないが……」
 クラーリィは眉を顰めた。どうも「嫌い」と表現されると困るらしい。
「桜って、すぐ散るし」
「うん」
「あんなに寒い冬をすっぱだかで過ごしてようやくやって来た春なのに、一週間くらいしか咲かないし」
「うん」
「なのに、その一週間が一年中思い起こされるくらい、綺麗に咲くし」
「……うん」
 なんだ、別に嫌いではないらしい。
「色も淡くて、なんだか俺は、……桜を見てるとホルン様のことばっかり考えるんだ」
 ああなるほど、と思ったがサックスは何も言わなかった。クラーリィの言いたいことの大体は掴めたが、いっそのこと全て話させてしまうのがよいだろう。クラーリィがその胸の内を吐露するのは珍しい。
「大神官として孤高の女王を支えるなんてのは格好いいが、その実どうなのだか」
 クラーリィはサックスに背を向け、ゆっくりと歩き出した。足下の花びらの山が迷惑そうに低く宙を舞う。
「あの方の女王としての努力はあまりあの方個人の幸福に結びついていないのではないかと、……思っちまってなあ」
 クラーリィは立ち止まって上を見上げた。緑いろの雲のその上、遙かにそびえるうす青の大空。
「俺はあの人に笑って欲しいよ……」
 サックスは黙ってクラーリィの「独り言」を聞いていた。下手に反応するのはどうかと思われたし、クラーリィが別段同意を求めて呟いているわけではないということも分かっている。
「綺麗なのっていいと思うけどさ、泥臭く一年中咲いてたって俺は怒らないよ」
 なあサックス、とクラーリィが呟いた。サックスは慌てて「ああ」と返事をする。振り返ったクラーリィは寂しさを捨てきれないままに笑った。こんな地位まで上り詰めたのに肝心なことをやりきれないクラーリィ。その代わり、彼は人一倍「生き残る」ことに長けている。
「……酒呑むか」
「そうしよっか」
 サックスは適当な場所にシートを敷く。その上に二人でどっかり腰を下ろして、ささやかな宴会を開始した。開けたビール缶を片手に、クラーリィが「明日も晴れそうだ」なんて呟く。大気は一週間前に比べ格段に暖かくなった。そして今日は、休日に相応しい理想的な日和。
 サックスは同じく空を見上げ、だといいなあ、と頷く。


 ***END



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