夏の日差し



 ***


「どうしたの?」
 道ばたに屈み込む小さな影を見つけて声を掛けた。金色の髪がさらりと揺れて、見覚えのある顔が振り向く。
 王子、とクラーリィは呟いた。
「どうしたの、っていうか、何してるの、って感じかな。何してるの、クラーリィ」
「アリさんと、セミさんが……」
 ここ、とクラーリィは地面の1箇所を指差した。リュートは腰を屈めて覗き込む。
 じんじんと迫る夏の暑さの中、木陰のここは幾分か涼しい。
「……ああ、蟻が、蝉を巣に運んでたのか」
 息絶えた蝉の破片が、すっぽりと蟻の巣穴に吸い込まれている。この様子だと、クラーリィはこれが吸い込まれる様子をじっと眺めていたのだろう。蟻が、自分の体の何倍もある大きな「ごはん」を運ぶところをじっと黙って、いつまでも。
「クラーリィ、大丈夫、暑くない?」
 リュートは隣に屈み込んで、クラーリィの頬に手を当てた。クラーリィは今のところ元気だ。体調を心配するリュートに首を傾げ、「だいじょうぶです」と呟く。
 触れた手が、じわりと汗で湿る。
「蟻さんにとったらごちそうなんだよ」
 見たろ、自分の何倍もあるんだよ、とリュートは続ける。クラーリィも自分の何倍もあるケーキを想像してごらん、と例示してみせる。
 想像したケーキは夏の暑さで随分と酷い形に崩れてしまったが、クラーリィはそうではなかったらしく、ふうん、と楽しそうな返答をした。
「食べきれるの?」
「一人じゃ無理だろうけど、蟻さんは大家族だからね。おっきいケーキを、君たちみんなで食べようとしたら、案外簡単にいくんじゃない?」
 クラーリィの友だちみんなでさ、とリュートは続ける。確かクラーリィ含め十一人いただろうか、年齢は少しバラバラだがみんなリュートを慕っているいい子たちだ。兄ちゃん、とわらわら寄ってくるのは純粋に楽しい。
「セミさん、さっきまで飛んでたのに」
「……生きてるからね。生きてるものは、いずれ死んじゃうって決まってるから」
 地に落ちるやいなやバラバラに分解されて食料扱いされている蝉に対し、感傷でも抱いているのだろうか。どちらかというとリュートは、うまく命のサイクルが動いていると感心したいほうだ。
「アリさんは悲しくないのかな」
「悲しい?」
 クラーリィこそ悲しそうだ。地面を見つめる顔が、この真夏の日差しには似合わない程に曇っている。
「だって、……なんか、よくわからないけど……」
 クラーリィは言葉を探している。しかし見つかる兆しがないのか、彼は諦めてため息をついた。そして救いを求めるかのようにリュートに視線を投げかける。
 困ったリュートは、少し言葉を選んでから「そうだね」と呟いた。
「んー、クラーリィ、よく分からないと思うけど、生きるってそういうことなんだよ。僕たちが毎日してることと、今蟻さんがしていることは、だいたい一緒。おっきくなればそのうち分かるよ」
 クラーリィは納得してくれなかったらしい。それはそれは悲しそうな顔をして、リュートの方を見やった。
「じゃあ、おとなになれば、悲しくなくなっちゃうってことですか、王子」
「そっ……」
 それは、と言い訳しかけたのが半分、そうだよ、と頷きかけたのが半分。
 リュートはもうこういう自然の摂理に関し何の感傷も抱かないし、多くの魔族の死体を見たあとで「綺麗な」蝉の死骸を見たところで何とも思わない。悪く言えば感覚が麻痺してしまったし、良く言えば大人になった。
 黙りこくったリュートに気付いていないのか、クラーリィは子供らしい愚かな考えで「それはいやかも」なんて呟く。
「……ボク、セミさんのお墓つくってあげようと思ったけど、アリさんのごはんになるならしない方がいいですよね」
「そうだね。蟻さんは今大喜びしてるところだから、クラーリィは手を出さない方がいいかも」
 そうですよね、とクラーリィは繰り返す。自分をなんとか納得させようとしているようだ。
「蟻さんがさ」
「?」
「蟻さんが蝉さんをごはんにして、それでこれから先を乗り越えていくんだよ。世の中無駄にならないようにできてるんだ。人間の世界だって一緒だよ」
 リュートは小さな友人に講釈を垂れたくなったのを懸命に我慢していた。
 どんなに多くの兵がリュートの下で死んでも、決してその死をリュートは、そしてこの国は、この世界は無駄にしたりしない。それはどこまでも共通する世界のルールに近い。
 ……そうだ、リュートは、無駄にしてはいけない。

「王子は、アリさんとセミさんだったら、アリさんのほう?」と、唐突にクラーリィが呟いた。少し自分の世界に入り込んでいたリュートは慌てて返答をする。その様子を、きょとんとした表情でクラーリィが見つめている。
「え!? ど、どうだろう、そうかな。蟻? 君はどっち?」
「ボクはたぶんセミさんだと思います」
「それはどうして?」
「ボクはぜったい死んだ王子を食べたりできないけど、王子ならボクが死んでもなんかできそうな気がして……」
「一応言っておくけど、食べないよ?」
 クラーリィが案外本気の表情をしていたので、敢えてリュートは突っ込みを入れておいた。無論、クラーリィが「分かってます」と笑う。
 幼い友人には何が分かっていて、それゆえにあんな言い方になったのか、リュートには分からなかった。
「でもボクは、王子にえいやーって運ばれて、食べられちゃっても、いいかな」
「だからクラーリィ、食べたりしないよ、人間だもん」
「へへ!」
 珍しくリュートの言葉に聞く耳を持たず、にっこり笑ったクラーリィが立ち上がる。
「ボクきっとおいしいよ、王子。元気出るよ」
 そう言うなり駆けていってしまった。リュートはその背を唖然と見守る。
 クラーリィは何が言いたかったのだろう。

 もしかするとクラーリィは何らかの暗喩を言っていたのかもしれないが、リュートは敢えてその可能性を排除して考えていた。一言で言えば可愛くない、年齢に合わない物言いだ。そして、もし何らかの暗喩だと仮定して考えるとあまり楽しくはない話ばかりが思い浮かぶ。リュートはもう少し、年下の友人に夢を見ていたい。
 リュートは想像を巡らせて、屍と化した友人を抱えて一人佇む己の映像が浮かんだところで打ち切った。己の表情を想像することができなかった。悲しそうな顔をしているだろうか、それとももう感覚が麻痺してしまって悲しんだりしないのだろうか。
 冗談半分で付けられた魔人なんて呼び名が、急に恐ろしく思えてくる。もしこんな状況下に陥った時、自分は一体どうするだろう。蟻のように、黙ってクラーリィを己の糧とできるのだろうか。他の誰かと同じように、名も知らぬ何千という兵と同じように、して、しまうのだろうか。
 いつの間にか年下の友人を失った少年ではなく、一人の敬虔な国民を失った王子・大神官として、まるでドラマのように劇的な演説でも始めてしまうだろうか。
 その時、お互いの間に「個」は残せているのだろうか。
 今のリュートには想像することも難しかったし、どうすれば一番よいのかすら分からなかった。ただぼんやり、彼を踏みつけることだけはしたくない、と思う。
「……きっとおいしくないよ、クラーリィ」
 リュートは遅れてよいしょと立ち上がり、服の裾についた埃やら何やらを払った。粉塵が舞い上がり、その奥に暮れかかった大きな夕陽が見える。
 もうすぐ夜が来る。足下の蝉やら蟻やらを踏みつけぬよう、リュートは日が落ちるまえに帰ることにした。


 ***END



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