うらぎり・1



 ***


 あまり大した理由があった訳ではなかったが、背中を見掛けたその瞬間にふとクラーリィはシコードを呼び止めた。後から理由付けなんていくらでもできる、例えば方法はどうであれホルンを助ける結果となった彼の行動に対して礼が言いたかったとか、先程の不躾な対応を詫びたかったとか、折角年も近いことだし友人まではいかなくても話せるくらいの相手にはなりたかったとか、……スフォルツェンドとの対立を色濃くしつつあるグローリアの強固な態度を突き崩す一石となれるのなら、と思っていたとか。
 スフォルツェンドの軍事最高権力者・大神官としては厳しい態度を取らざるを得ないものの、クラーリィ個人の考えは少し違った。あくまでも個々人としての付き合いに留まるのならば、そこまでお国の情勢を考慮したものにしなくてもよいはずだ。事実、女王ホルンは遠回しに仲良くするよう助言してくれた。
 ただ、呼び止めたその瞬間に何か明確な思惑があったかというとそんなことはなかった。本当に、見かけて咄嗟に声を掛けただけ。


 呼び止められたシコードはゆっくりと振り向く。斜め上辺りを浮かんでいた彼の妖精が同時に降り向き、きらりと僅かな鱗粉を散らす。いっそ羨ましい程に豪華なエフェクト。地味な彼には勿体ない……いや、逆にこれでちょうどいいのかもしれない。
「……なんだ」
「いや、その、……別に重大な用があって呼び止めた訳ではないんだが」
「仲直りをする気にでも?」
 シコードはそれきり黙ってしまった。
 クラーリィは頭の中でシコードに関する情報を整理する。グローリアの近衛師団長、戦闘元帥、スピリットアーツの使い手、不本意ながら己と同等の実力なのではないかと噂されている、気難しい大帝のお気に入りで若手ながら軍事面において重用されている。本人は寡黙、表情にも乏しく、要は何を考えているんだか分からない。
 それから先程の新情報。名前はハープ。但し「シコード」と呼べとのお達し。理由はよく分からないが、とにかくホルンを助けた。クラーリィの横槍に気付いていながら邪魔もしなかった。その上クラーリィの安っぽい挑発に乗らず、礼儀正しくも名乗ってきた。
 聞きたいことがいくつかある。そして、ホルンを助けた彼を見込んで頼みたいこともある。
「仲直り……というか、先程の非礼を詫びておこうかと。おまえの目的はどうであれ、手段が行動がどうであれ、我が主たる女王ホルンを守ってくれた件について、俺は大神官として、そして何より彼女を信じる一市民として、感謝の意を示さねばならない。真摯に礼を言う、ありがとう、シコード師団長」
「……ああ」
 彼の表情に微々たる変化。態度を変えたクラーリィのことを意外にでも思っているのかもしれない。
 彼はあまり悪意のある反応をしない。なんだ、身構えていたよりは扱いやすい人物なのかもしれない、なんてクラーリィは思う。
 シコードがちょうど人通りの少ない廊下を歩いていて運が良かった。今はただでさえ世界中から国王元首その他お偉いさんがお揃いのこの舞台。今のところ他に人影は見当たらないが、この面子で立ち話は少々宜しくないだろう。流石に先程の対応云々はまずく、大人げなかった。スフォルツェンドとグローリアの対立を注視している国は腐るほどある。どちら側の主張を支持すべきか悩んでいる国も多かろう。人の噂なんてどこから発生しどう尾ひれのつくものやら、軍事的にこの国一の権力を持つクラーリィといえどそのコントロールは難しい。
 ちりりと背を走る焦燥感。
「その……ええと……立場上あまり公に仲良く振る舞うことはできないんだが、礼に酒の一杯くらいは奢るし、これ以上立ち話もなんだし、……俺は少しおまえに用件があるし」
 どうだ、と誘うクラーリィにシコードはただの一言「シコード」と呟いてまた黙った。どうも「おまえ」連呼は止めろということらしい。
 これなら少しは脈があるかとクラーリィが手応えを感じたのも束の間、シコードは静かに首を振る。
「大神官自らのお誘いとは非常に光栄だ。是非とも参加したいところだが……すまんな。予定がある」
「さ、流石に申し出が急過ぎたか。では、明日は? 昼でも夜でも、勿論要らぬ詮索を招かぬようこちらとして手は打つし、」
 クラーリィの申し出をシコードの静かな言葉が遮った。ごめんな、と彼は呟く。
 一度くらいいいだろうと不満を漏らそうとしたクラーリィの瞳に舞い込んできたのは、やけに寂しそうな顔をしたシコードだった。大して親しくもないのにそんな顔をされても困る。クラーリィにはその理由も、どう反応するべきなのかも、さっぱりなのだから。
「……すまない」
「べ、別にただのちょっとしたお誘いなんだから、そんな情けない顔をするんじゃない。まるで俺が悪いことをしているような気になるだろう。そこは……アレだ、また次の機会に、とか言って交わしておけ」
 本当は是非にでも人けのないところに連れ込んで懇々と説得したかったのだが、ここまで申し訳なさそうに断られてしまっては食い下がりようがない。
 体調の芳しくないホルン女王にグロッケン帝を説得することはできない。若輩者と見下されているクラーリィにもそれは不可能だ。だが、内堀を埋めることができれば。グロッケン帝に随一信頼されているシコードを介してなら、グロッケン帝の説得は叶うかもしれない。
 グローリアさえ味方に引き込んでしまえば、世界の流れが変わる。

 このお誘いなんて詰まるところ以上のようなクラーリィの邪心に溢れたお誘いだったのだから、どうかそんな申し訳なさそうな顔をしないでほしい。クラーリィはシコードを利用しようとしただけだ。断るシコードに非はない。
 黙る彼に、クラーリィはどうか気にしないで欲しい旨を告げようとした。口まで開きかけ、喉元には第一に発すべき言葉が迫り上がってきていた。
 けれどその全てを、シコードの次の一言が浚った。
「次はないんだ。……『次』はない」

 クラーリィはこの時久しぶりに己がもっと愚かであったらと思った。或いはあと少しシコードの反応が早かったら。或いは、シコードがずっと黙ったまま立ち去っていたら。あんな寂しそうな顔をしなければ。彼が己に、付け入る隙を見せたりしなければ。
 咄嗟に逃げられないよう腕を掴んだ。シコードが反応して振り払うより早くクラーリィが直近の部屋へ引きずり込む。目を丸くするシコードを文字通り突き飛ばし、よろける彼を後目に鍵を掛けた。内側から、そして魔法で外側から。
 空き部屋で良かった。
 穏便な手を使う気はクラーリィから消え失せていた。逃がしはしない。その口から「ノー」を引きずり出すまで帰してはやらない。
 シコードには残された時間が少ない。だがそれはクラーリィも同じことだ。クラーリィには、そして世界には、時間が足りない。

「……何をする」
 肩で息をするクラーリィとは対照的に、シコードはやけに落ち着き払っていた。驚いたのも最初だけで、奇行の理由に心当たりのあるらしい彼はそれきりまた無表情に戻ってしまった。
 返事をしないクラーリィに代わり、シコードは「何をする」とごく尤もな不満を漏らす。
 クラーリィは顔を上げた。背にこの部屋唯一のドア。クラーリィが鍵を掛けたことに聡明なシコード様は気付いたはずだ。彼ならば魔法で解錠することもできようが、その為には立ちはだかるクラーリィを物理的に退かさねばならない。ただしクラーリィはそう易々と退きはしないし、更にその先魔法付きの錠前をこじ開けるのも容易くはないことくらい想像が付くだろう。
 そして、窓から脱出だなんてみっともない真似を、誇り高きグローリアを背負うシコードが選択するわけもない。
 聡明なシコードだからこそ、クラーリィと話し合いをすることが一番早い脱出法であると気づくはず。きっと気づいてくれるはず。
「……退いてくれないか」
「用事があるらしいな。俺の目測では大層下らない用事のようだが」
 クラーリィはドアを背にぴたりとも動かない。こっそりと防音魔法も忍ばせた、これでいくら怒鳴ろうと聞かれることに怯えなくてもいい。
 シコードは早々に強行突破を諦めてくれたらしく、クラーリィに隠れるドアを名残惜しそうに一瞥すると隅の椅子に座った。
 椅子に座り、ため息をつき、腕組みをして、彼は再度「退いてくれないか」と静かに言う。
「別に永遠にここに閉じ込めようなんて思ってない。用が終われば俺だって退くさ、そんなに暇じゃないんでな。
 シコード、愚かでない貴様なら、理由なんてとうに分かっているだろう。付け入る隙を見せたりするからこうなる」
「……そうか……そうだな」
 悪いのは私の方か、なんて呟きが聞こえる。いつの間にか見失っていた彼の妖精がまた姿を表し、落ち込む素振りをするシコードの顔を心配そうに覗き込む。深呼吸。いくら逃げ出したいとはいえ、後先考えずスピリットアーツを使ったりはしないだろう……
「……ではおまえの目的は、大神官。ただ引き留めたいだけか」
「クラーリィだ。クラーリィ・ネッド。フン、クラーリィでいいぞ。
 目的? そうだな、それも含まれる。だが俺が一番に意図するものは、目の前に横たわる愚かな計画を頓挫させることだ。当事者ですら先の敗北を識っているような、愚か極まりない計画をな!」
 次がないなんて言葉は嫌いだ、大嫌いだ。そんなものは希望を捨てた人間の言う台詞だ。未来に夢や希望を持つことは、等しく人が神から与えられた偉大なる権限だ。人の上に立つ者であるなら未来を捨ててはいけない。我々は人の信奉を未来という形で返却すべきだ。己に侍る全ての人を裏切ることを、クラーリィは許さない。
 シコードは返事をしなかった。
「申し開きはないのか。師団長」
「……申し開き。申し開きか……」
 シコードはしばらく考える素振りを見せたものの、何かを語る気配は一向に見られなかった。クラーリィはそんな彼に、付け入る隙を見せたのはおまえの方だと繰り返す。
「そうだな。隙を見せた点については認めよう」
「俺はスフォルツェンドの高官だ。それ以上でもそれ以下でもない、おまえの国の事情やら国策やらに首を突っ込む立場にない。
 だが俺はスフォルツェンドの高官であるまえにこの世界の存続を願う人間だ! 魔族に滅ぼされんとする人間の未来を憂う一員だ! 切にこの戦いの勝利を俺は願っている。その為ならどんな努力も惜しまない!
 次がない、だと……? 俺がその言葉で気付かないとでも思ったのか? 俺がそれほど愚かだと貴様は思ったのか? 貴様は貴様に忠誠を誓った大勢の部下の命を、その家族の命をなんだと――」

 待て、と冷静なシコードの声が入った。クラーリィは口を噤む。申し開きがあるのならば聞く。聞いた上で、その全てを否定する。
 肩の力を抜き、息を吐いて、どうぞと手振りでシコードの発言を促す。揚げ足取りと罵られようが、クラーリィは退かない。一言一句聞き逃さず、必ずやシコードを論破してやる。
 きっとそんなクラーリィの気迫が伝わったのだろう、シコードは呆れたように息を吐いた。
「威勢がいいな。流石はスフォルツェンドの誇る大神官といったところか。おまえの主張も分かる。私に否定するつもりはない。異なる意見ではあるが、尊重しよう。グローリアとしてスフォルツェンドの意見を批難することはあれ、私個人がおまえたちの意見を否定することはない。
 だが、同じく我々の意見も尊重して貰おうか。我々グローリアは我々なりの論法でもって人類を勝利に導く道を捜した。その結果の選択だ。この選択こそが我々の正義。スフォルツェンドにつべこべ言われる筋合いはない」
 クラーリィは沸々とわき上がる怒りを歯を食い縛って押し止めていた。笑止千万と言うほかにどんな表現法がある。
 北の都にグローリア単身で突っ込む? 敗北が目に見えているのに微々たる戦力を削るためだけに一国を滅ぼす? それが勝利、正義だと? 笑わせる。
 北の都・ケストラーの備える戦力は強大かつ底が知れない。たとえグローリア決死の戦争を仕掛けたところで、どれほど相手側の戦力を削れるか分からない。効果があるとは限らない、いや、ただ滅ぼされて終わるだろう。少なくとも勝利はない。貴重な戦力を失うだけで、人間側に利益なんてほとんど発生しやしない。
 十五年前にスフォルツェンドは大打撃と引き替えに大切な、何よりも代え難い大切なことを学んだ。クラーリィはそれを無視することを、この国を率いる大神官として認めない。
 それはたった一つ、協力だ。

 ぎりりと歯を食い縛る。怒りのあまり背筋が震えた。握りしめた手のひらに爪が強く食い込んだ。
 けれど、その痛みよりも更に心が痛い。尊い十五年前の犠牲を無視する彼らがいっそ憎くて仕方がない。
 クラーリィの我慢はここまでだった。
「ふざけるな……ふざけるな!! 何が勝利だ何が正義だ、偉そうにその口で未来を語るな!
 いいかシコード、この世は全て結果論だ。どんな選択肢を取ろうと戦場において生き残れぬそれは全て間違いだ。死んだ時点で、殺された時点で、たとえ経過がどうであろうとどんな功績を持っていようと誰もがみな愚かな敗者だ! 俺は敗退の美学なんて認めない、貴様らが先人の失敗を無視した道を歩もうというのであれば俺は一生涯かけて貴様らを敗北主義者と罵ってやろう、己の実力を見誤った愚者、稀代の道化一大国家グローリアとな!」
「えげつのないことを言うんだな……」
 クラーリィの怒声に怯まず、それどころか腹を立てた様子もシコードには見られなかった。愛国心が強いはずの彼のこと、このような言い方をすればきっと食い付く、あるいは思い留まってくれるかもしれないと思ったのにとんだ期待外れだ。
 黙ったままシコードはあざ笑う。彼にはクラーリィを論破できるだけの理論武装がなっているのかもしれない。
 クラーリィは深呼吸をする。冷静にならなくてはいけない。冷静に、ごく冷静に、彼を論破しなくてはいけない。感情論では勝てないのだ。クラーリィはここでシコードを引き留め、彼を介してグロッケン帝を思い留まらせ、貴重な人類の戦力が一つ失われることを避けなければいけない。
 どんな些細な点も見逃さず、クラーリィはこの言論抗争に勝たねばならない。
 恐らく思っていることはシコードとて同じだろう。彼も同じく深呼吸を一度すると、クラーリィが話し出さないことを確認してから口を開いた。
「……見ただろう。おまえたちに賛成しかねているのは何も私たちだけではない。スフォルツェンドを弱腰と思っている者は他にも大勢いる、こちらの方が多数派だとまでは言わんがな」
「貴様らは我がスフォルツェンドの策こそが愚かであると主張する気か」
「話を聞け、大神官。……クラーリィ」
 しばらく喋らせろ、とシコードは言った。おまえが捲し立てた分私にも喋る権利があるだろうと彼は言う。
 クラーリィは渋々頷いた。大人しく話を聞くことにしよう。己はその間に呼吸を落ち着け、血の上った頭を冷やして、とかく冷静にならなくてはならない。
 シコードはクラーリィから視線を逸らした。机に向かい、頬杖をついて、相変わらず心配そうに見守る妖精を机の上に座らせ、さて、と一呼吸置く。
「スフォルツェンドに不信感を持っている諸国は多いさ。スラーを見殺しにした。国が弱小であればあるほど、いざとなれば自国も見殺しにされるのではないかと怯えている」
 クラーリィは下唇を噛む。確かにスラーを失った痛手は大きかった。別段見殺しにしたわけではない、スフォルツェンドは直前の戦争で喰らったダメージが予想以上に大きく、スラーに割く兵が足りなかった。だがそんなものは所詮強国の言い訳に過ぎず、それで弱小国が納得してくれるわけもない。
 シコードはまた姿勢を変えてクラーリィに向き直った。その瞳に、無言の圧力。
 クラーリィは自然と身構える。
「加え、十五年前の『稀代の失策』がある。あんなにも強力だったカードをホルン女王は適切に動かすことができずに失ってしまう羽目になった。あれから彼女は成長したか? 二度目が訪れることはないのか?
 ……クラーリィ、貴様も同罪だ。公にはなっていないがおまえがドラム相手に自爆しかけたことはかなり流布している。ほら見ろ、ホルン女王は全く成長していないではないか!」
「あっ……あれは俺が……」
 俺が悪い、と言えなかった。あの時ホルンの決定に、ホルンの意思に疑問を抱いていたのは紛れもない事実なのだ。幼い思考を持っていた。己ではなく外部の勇者とやらに頼るホルンに反感を抱いていた。
 そしてクラーリィは、十五年前の痛手を本当の意味で理解しておらず、自分一人で解決しようとした。だからこそ今、協力の大切さがクラーリィにはよく分かる。一人きりの戦いに限界があることをクラーリィはあの時痛いほど思い知った。今ならば勇者に頼ったホルンの真意が理解できる。
 ただ、外部の者にクラーリィの意識の変化など分かるはずもない。
「駒を動かすも揃えるも女王の仕事だ。実に十五年掛けておまえ以外の駒を一切用意できなかったホルン女王は本当に正しいのか? 自国に用意できずに外部の勇者とやらをいきなり起用したホルン女王が本当にみなから賞賛されるとでも思うのか? そして、おまえ以外に太刀打ちできる実力を持つ者がいないと分かっていながら後先考えずに自爆しようとした先見の明の薄いおまえを、軍の指導者として不安に思わぬ者がいないとでも……?」
 反論ができないクラーリィはただ歯を食い縛る。それは事実だ。だが、過去のこと。己は変わった。確かにハーメル達はスフォルツェンドが用意した者たちではないが……だが、彼らこそが年齢も、性別も、種族すら越え、スフォルツェンドの目指す「協力」を体現したパーティーなのだ。彼らこそがこの世界を救ってくれる。……そう信じている。
 しかし、シコードにその思いは伝わらない。
「おまえたちがいくら喧しく喚こうが、従ってくれるのは最初からスフォルツェンドに対し友好的だった諸国だけだ。断言してもいい、世界一団となってだと? 現在のスフォルツェンドにはそんな説得力ありはしないよ」
 説得力を付けるには結果が要るだろう。だが、その結果はこの戦争の結果でもある。それからでは遅いのだ。だからこそ、諸国にはスフォルツェンドを信じて貰わなければならない。理屈ではなく、信念でもってスフォルツェンドの描く未来を共に信じて貰わなければ実現できないのだ。
 ……現実主義者たるグローリアにはそれが分かって貰えない。
 そして悲しいことに、クラーリィには劇的な変化をもたらすような説得が思い浮かばない。
「だ、だが……このままでは……我々だけでは、そしておまえたちだけでも! 魔族に太刀打ちなんてできない、我々がすべきは協力だ、今ぞ団結の時だろう! 我々は……スフォルツェンドは……そして俺は、グローリアに、おまえに、おまえたちにも――」
 ハッ、とシコードが嗤う。馬鹿にされたと瞬時に思ったクラーリィが咄嗟に口を噤む。
「おまえの頭の中はお花畑なのだな。幸せそうで何よりだ」
「お、俺は真面目な話を!」
「これは失礼。グローリアにはグローリアの、嫌われ者には嫌われ者のすべき役割というものがあるんだクラーリィ。同じ舞台に立ち、みなが同じ役割を演じていてはお話は進まないだろう」
「……?」
「考えろ。この状況からどうすればみなが団結するのかを。どうすれば人に未来がやってくるのかを。……どうすれば、人は団結せざるを得なくなるのかを」
 人間の尻に火を付ける方法は? と似合わない台詞をシコードは呟く。人を追い込む方法は? 人から余裕を奪う方法は? とシコードは立て続けに呟く。

 血の気が引いた。一瞬呼吸すらも止まった。恐らくはグローリアと同じ思考に行き着いた己が、途端に恐ろしくなった。
 クラーリィの動悸が激しくなる。
「まっ……」
 待て、あるいはまさかとクラーリィは言おうとした。けれど続く言葉を、クラーリィはどうしても口にすることができなかった。
 シコードは立ち上がった。そのままゆっくりとこちらへ近付く。先程までとは打って変わった優しげな「退いてくれ」の一言に、クラーリィはつい場所を譲ってしまった。
 クラーリィには、表舞台の役者には、きっと彼らを引き留める権利がない。
 シコードが黙々と魔法を解除するのを、クラーリィはじっと黙って見ていることしかできなかった。他に何か方法はあるか。グローリアが行き着いてしまった地獄の選択よりも良い案は何かあるのか。
 スフォルツェンド単体では世界をまとめることができなかった。それは事実だ。そして、その役目がグローリアに移ったとしてもそれは同じ事だっただろう。ただ協力を呼びかけ、理想的なビジョンを話したところで、人間の意思などそうそう易く一つに纏まることなど「あり得ない」のだ。
 その「あり得ない」を現実にする、グローリアの最良で最悪の地獄の選択。
 
 かちゃり、と鍵が開いた。タイムリミットだ。クラーリィは最後の可能性をたった今失ってしまった。
「じゃあな」とシコードは言う。
「シ……シコード」
「ん?」
「……かえ……帰ってこい……おかえりって、……おかえりって言ってやるから……」
「……覚えておく」
 ふっと笑った、ように見えた。シコードがドアを開ける。そのまま立ち去る。立ち去ってしまう。
 永遠に守られない約束の辛さをクラーリィは知っている。だからこれはきっと永遠にクラーリィを痛めつける傷になる。けれど、これさえあれば今日の悲しい過ちをクラーリィはきっと永遠に忘れない。
 綺麗な足音を立て、彼が遠ざかっていく。あの妖精の鱗粉も二度と見ることはないだろう。
 何一つ良案を持ち合わせてはいなかったクラーリィにシコードやグローリアを引き留めることはできなかった。できたことはただ黙って立ち去る後ろ姿を眺めることだけ、それだけだった。



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