うらぎり・2



 ***


 グローリア壊滅の報せは瞬く間に全世界を駆け巡り、等しく人に絶望の味を思い出させた。スラー亡き今、突出した軍事力を持っているのはスフォルツェンドとグローリアの二国に限られる。だがスフォルツェンドは一国で戦うのは無理だと主張した。己が傷つくことを恐れた国々はグローリアに期待を寄せた。しかし、そのグローリアが滅亡することで人の退路は断たれた。
 最早スフォルツェンド一国に任せても人に未来はやってこない。グローリア一国では歯が立たなかった相手にスフォルツェンド一国で立ち向かっては同じ結果しか帰ってこない。そして、傍観していればどんな国であれ等しく魔族に踏み潰されいつか必ず滅ぶだろう。
 仮に戦いを挑んだとしても、大魔王を再び得た魔族に勝てるかどうかは分からない。勝てないかもしれない。何もせずただ滅びを待つよりほんの少し早く、死んでしまうだけかもしれない。

 クラーリィたちはもう一度各国に連絡を取った。我らに協力を。どんなに強大な敵であれ、希望が未だこちら側にあることを忘れてはいけない。
 パンドラの開けてしまった箱の中に残っていた最後の希望は、未だ我ら側に燦然として輝いているのだと。
 返事はもとより一つしかなかった。人類に残された返答はたった一つ。生存への道はたった一つ。
 帝国グローリアが残されていたいくつもの可能性を潰し、たった一つスフォルツェンドの提示する選択肢のみを残していった。
 その、残されたたった一つだけ。

 スフォルツェンドが投げ掛けた問いに、全ての国は「協力する」とのみ返してきた。
 そしてまもなく歴史に残る大戦争が幕を開けた。


 ***


 あれから何年も過ぎて、じわりじわりと後悔し始めた事柄がある。クラーリィはそれを思い出す度辛い胸の痛みに耐えようと部屋をうろうろする。そして、それを心配したデビットに毎回「大丈夫ですか」と声をかけられる。
 デビットが行方不明になってからは、ただひたすらうろうろしたり窓の外を眺め続けるなんてことが多くなった。
 なんと表現したら良いのかすら分からないけれど、酷いことを言ってしまったな、と思う。
「……なあ、聞いてくれよ」
 当然のように返答はなかった。しかし、そんなことは分かった上でクラーリィは話しかけているのだから大した問題ではない。
 聞き流してくれていいから、と彼は呟く。
「良くも悪くも昔より権力を握るようになって、判断に迷うようなことも多くなったよ。相談できる人間もそうそういるわけじゃないし、正しい答えなるものが存在しない事柄も多いんだ。……あの時直面した問題も、きっと正しい答えなるものはなかったんだと思う。あのとき俺は、我が国が主張した提案こそ絶対にして唯一の答えだと思っていたんだが」
 な、とクラーリィは呟く。やっぱり返答はない。
 クラーリィは部屋をうろうろするのをやめると、椅子を窓際まで引っ張っていってそこに座った。腕組みをする。この広い窓からは、城下の様子がよく見える。
 豆粒のように小さくなった人々が、往来を渡り歩いている。あの大戦から二十年の月日が流れた。ほぼクラーリィ一人でこの国を切り盛りした結果、少なくとも完全なる復興には成功したし、諸外国の復興への手助けも叶った。多くの国が、魔族の脅威がなくなったという点で以前よりも豊かな国へと変貌を遂げていると思う。
 ……一部の国を除く。クラーリィはあくまでもスフォルツェンドの高官だ。加え、いくら復興に成功したと言ってもスフォルツェンドに対し敵対路線を選んだ国にまで手を差し伸べるほどの余裕があるわけでもない。それに、いくら最高権力者として君臨しているとはいえ、クラーリィ一人の意思では動かすことのできない事柄も確かに存在する。
「もう何年も十年以上に渡り考えてきたけれど、……俺にはグロッケン帝の判断が変わってしまった理由が分からなかった。先に……先に『総力戦』を訴えたのはグロッケン帝の方だ。その時ホルン女王は彼の意見に賛成しなかった。そして、結果、……グロッケン帝が主張した『総力戦』そのものを不可能にし、実に一五年もかけて国力の回復に力を注がなくてはならなくなった……
 一五年後、つまりは俺の出てきた時代、我が国はようやく彼と同じ選択をした。……ところが彼は、……真っ先に主張したのは彼の方であるにも関わらず……意見を違えてしまった。
 俺は意見を元通りにしてくれればそれでいいんだと思っていたんだ。けれど、どうだろうな、あの時の俺の直感は結局正しかったのかな? グロッケン帝は結局、別のベクトルから我々の……そして、彼自身の主張でもあった『総力戦』のバックアップに回ってくれたのだろうか? それとも、決断に時間のかかった我々に呆れて振り切れてしまっただけだったのだろうか?
 もし大帝の言うとおり、一五年前の段階で総力戦を選択していたならば、大魔王の復活前にして魔族の疲弊が明確だったあの時期だ、我々の体感した大戦争よりも少ない痛手で済んだだろうと思う。我々の判断ミスにより、我々は魔族に『大魔王の復活を成し遂げる』だけの時間を相手に与えてしまった。サイザーの誘拐もそれに起因したものであるし、阻止できた悲劇は多かったと思う。スラーやダル・セーニョ、スコアは壊滅に追い込まれずに済んだだろう。
 仮に大帝が我々に失望したのだとしても、それはやむを得ない事態だったと思う。十五年は長いよ。子供が大人になる。国が栄えもし、滅びもする。人間は短命だ、老いればやがて死ぬ。大帝は長寿な民族であるスフォルツェンド王族と自分の感覚は違うと思っていたのかもしれないな。ホルン女王だって、決して余裕があったわけじゃない。実際彼女だって……いや、だからこそか? 大帝は大帝で、老いという問題に直面し時間がなかった。それはホルン女王も同じだった。だからこそ十五年前にあの提案をしたのにと、彼は心の底から腹立たしく思っていたのかもしれない。
 本当さ。そう思っているよ、今はね。もしあの提案にホルン様が乗っていれば、彼女は平和になった世界を見ることができたんじゃないかって俺は思っているんだよ……」
 本当は、本当は一緒に平和になったこの世界を眺めたかったんだ、……なんて言うことはクラーリィにはできない。思っても口にすることはできない。ましてや「彼」の前でそれはしてはいけないことだと思う。
 前述の国々はなんとか復興に成功したものの、随分と時間も手間もかかった。その他の国も似たようなものだ。戦争によって失ったものは多く、一時的に世界人口も大幅に減少したが、なんとか持ち直した。この二十年間、人類は実によく働いたものだと思う。

 クラーリィは黙った。独り言に早々に疲れてしまった。どう話そうが、なにを話そうが、返答はないのだからわざわざ声に出して言うこともないだろう。
 じっと窓の外を眺める。相変わらず人々の往来が激しい。
 そろそろ仕事をさぼりすぎだ。戻らなくてはと思うのだけれども、さぼりを逐一指摘してくれたデビットがいない今、自分で自分を律せねばなるまい。
 あともう少ししたら日が暮れるから、夕日を眺めるその時まで、とクラーリィは自分に言い訳をする。

 もし大帝がシコードの言ったとおり、本当に他国の意見の一致をはかるために自滅を選んだのだとしたら、本当に彼が過去自分が主張した意見を本当の意味で実現させるためにあの地獄の選択をしてしまったのだとしたら、救いがなさすぎる話だとクラーリィは思う。
 一五年前のあの瞬間、ホルンに意見を否定されたその瞬間に、外的要因なくして意見の完全な一致、他国の協力ははかれないものだと彼が知ってしまったのだとしたら、……それは何よりも悲しい話だと思う。
 彼が手塩にかけて育てたであろう青年をすら踏み台にして、彼の愛おしい祖国ですら踏み台にして、ただ世界の存続のために、至らぬ諸外国からその他の逃げ道を奪うために、真の意味での世界の団結をはかるために。
 それが最前の選択とはクラーリィは到底思えない。あまりにも払う犠牲が多すぎる。けれど、クラーリィが二十年考えてもそれよりいい案が思い浮かばなかったのも事実だ。クラーリィの考えたどんな選択も理想論の域を出なかった。うちいくつかは、後に実行する立場になって実際には机上で描いたほど上手くいくものではないと痛感する羽目になったし、人の心があのレベルまで一致したあの大戦は本当の意味での偉大なる奇跡だったと感じる場面に何度も出会った。
 そして、もしかしたら彼に絶望を与えた最初の要因だったかもしれないスフォルツェンドの人間であるクラーリィには、あまり偉そうなことを言う資格はない。

「……なあ、おまえはどう思う。どう思っていた? どう感じていた?
 ……なんてな。答えの予想はつくよ。俺だって一応は、ホルン女王のために命を捧げる覚悟をした人間だ。同じ境遇になったら、迷わずイエスと言っていただろうと思う。同情なんて腹立たしいと思っただろう。もし俺の考えたとおりのことを大帝が言ったのだとしたら、俺はそれを心の底から誇りに思ったに違いない。そして、当時の俺のようにくってかかる存在を、至らぬ幼稚な考えを持っているのだなと呆れたことだろう。最早説明することすら面倒に思ったかもしれない。時間もなかったしな……その点おまえは優しかったよ、間接的とはいえ俺にヒントをくれた。まあ、だからこそこうして二十年間も悶々を思い悩む羽目にはなったけどな。
 だから、感謝こそすれど、かわいそうだとは言わないし、思わない。おまえはそれで本望だったのだろうな、……残念なことに」

 ぷかりと浮かぶそれに向かってクラーリィは声を掛ける。あまり長いこと外に放置しておくと悪くなりそうだから、またすぐに本棚の奥、封印をかけてしまいこんでしまわねばならない。
 もしお化けがこの世にいて、彼もまたお化けになっていたりするのならば、こんな独り言だらけのクラーリィを見てなんと言うだろう。いや、彼は無口なようだったから、仮にいるとしてもじっと見て呆れているだけかもしれない……
 クラーリィの腐りかけたこの優しさは、きっといつか瓦解してしまうのだろう。クラーリィは立ち上がる。日が落ちてきて、部屋が橙色に染まろうとしている。部屋の奥へと差し込む光を遮るように、クラーリィは「それ」の前に立つ。

「……おかえり、シコード……」



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