うらぎり・3



 ***


「絶対迎えに行くんだ!」という叫びが聞こえて、クラーリィは立ち止まった。
 夕暮れ時の廊下。道を短縮しようと生徒も使う廊下を選択したはいいものの、そのせいでか先程から喧噪が激しい。
 聞き覚えのある声だった。そろりと振り返る。
 いろいろと疑惑付きの生徒シェル・クンチクが、クラスメートに向かって何事かを主張しているようだった。
 大声を出したのはあの一瞬だけで、その後もしばらくシェルは何事かを主張していた。しかしながら相手には同意を頂けなかったらしく、その内話し相手は半笑いのまま立ち去っていく。
 残されたのは肩を落としたシェル一人。なぜか四六時中ひっついているはずの妖精は見当たらない。

 なんとなく、クラーリィはそんな項垂れたシェルの様子をしばらく見詰めてしまった。そして、諦めて踵を返したシェルと目が合った。
「クラーリィさん!」
 なぜか馴れ馴れしい少年は、途端に顔色を明るくしてこちらへ駆け寄ってきた。クラーリィが若干迷惑そうな顔をしたことなど完璧に無視しているらしい。
 こいつ、一度も「理事長」と己のことを呼ばない。なかなか度胸のある奴だと思う。無礼とかそういうのは隅に置いておくとして、クラーリィはこういう気概のある奴は好きだ。
「……喧嘩か」
 仕方がないな、とクラーリィは問いかける。案の定シェルはぶんぶんと首を振った。
 クラーリィが少しだけ前進すると、シェルは当然のように隣に並んで歩き始める。
「喧嘩じゃないんです。あ、別に、いじめられてたとかそういうのもないです! 向こうが悪い訳じゃないんです」
 クラーリィがいじめの現場を目撃して心配しているとでも思ったのか、シェルは慌てて相手のことを庇う。別にいじめだと思ったわけではないが、シェルのこういうところはいいところだと思う。友達思いというか。グレートは早速シェルの親友に収まることができたそうだが、良き友人を手に入れたものだ。彼の誇りにしてもいいと思う……
「お付きの妖精はどうした」
「ピロロですか? さっき、みんなとお菓子食べに行くって食堂へ行きました。今日からおやつの新メニューなんだそうです」
「……そうか」
 クラーリィさんは食堂でご飯食べたりするんですか、と聞かれたので素直に「いいや」と首を振った。以前はそんなことも多々あったが、流石に最近はない。パンをかじりながら書類に目を通すなんて行儀の悪いことをする方が多くなった。食堂まで行って、行儀良く席について「いただきます」と言う時間すら惜しい。身体が複数に分裂すればいいと割と本気で思っている。
 隣のシェルは「そっかあ」なんて肩を落としている。もし「そうだ」と言ったら彼は頃合いを見計らってクラーリィの目の前に座って食事でもする気だったのだろうか……
「で?」
「あっ? ああ、さっきのですか? ほんとに喧嘩じゃないんです、その、僕の夢の話をしたら、そんなの無理だとか言われて、むかっと来て反論してみたんですけど、受け付けて貰えなくて」
「……退学回避おめでとう」
「せ、せっかく入学の時手助けして貰ったのに期待に添えなくてごめんなさい……」
 まあな、とは思ったもののクラーリィは何も言わなかった。期待と言うには少し違う。最初からクラーリィはシェルをただの学生だとは思っていなかった。ある意味憶測が当たったと言った方が正しいだろう。訳ありの学生なんて今時珍しくもなんともない。
 シェルの瞳の奥に見えた暗闇を、クラーリィはただの思い過ごしだとは以前も今も思わない。
「夢があるのか」
「あ、はい。えっと、故郷に僕を待ってる人がいて。必ず大魔法使いになって迎えに行くって約束したんです。ク、クラーリィさんみたいな魔法使いに!」
「……大層な夢だな。なりたかったら精進するしかない」
「が、頑張ります」
 シェルの成績は最悪クラス。……と、ホーンからは聞いている。余程頑張らねば無理だ。特に、魔法には努力だけでなく一定の才能も求められる。クラーリィは恵まれている方で、同じスタートラインに立った多くの幼馴染みたちは同じだけの努力を重ねてもクラーリィと同じ実力を持つには至らなかった。
 その成績で、よくもまあ軽々と「俺みたいに」と言えるものだとクラーリィは思う。やっぱりシェルには底知れない気概か何かがあるようだ。確かに才能にも左右されるけれど、同じほど努力も大切。この安穏な時代において文字通り死ぬほど努力できる人間は少ない。リュートのように才能は飛び抜けているにも関わらず、経験の足りない人間も腐るほどいる。そんな中で、シェルの存在は貴重なものになるかもしれない。
 きっと、とシェルは呟く。彼の夢には続きがあるらしい。
「きっと待ってるんです。だから僕は必ず帰らなきゃいけないんです。約束は守らなきゃ」
 笑顔でただいまって言うんです、とシェルは意気込んでいる。安心させてやりたいんです、と彼は握り拳を作る。
 一瞬クラーリィは息をのんだ。なぜか瞬時に無理だと思った。理由はよく分からない。いや――すぐに思い直した。こう思ってしまった理由が一呼吸後に浮かんできた。

 そんな単純な約束を守ってくれた連中を、俺は一人も知らない。
 ただいまの約束を果たさぬまま二度と目の前に現れない人間ばかりを、何人も何人も知っている。

「……君」
「はい?」
「約束は、守れよ」
 はい、とシェルは言う。流石にクラーリィの声色が変わったことに気付いたのか、途端に真剣な顔をしてみせる。
「『ただいま』なんて、言うの簡単だろ……待っている方は辛いんだよ。軽く口で言った約束だとしても、それをずっとずっと何年も待ってる人間がいる……」
「……」
「待ってるやつがいるんなら、這ってでも帰って言ってやれ……絶対待ってるんだから」
 シェルは少し遅れて「はい」と言った。そのたった二文字に強い意志を感じてクラーリィはなぜだか安堵した。
 シェルならきっと大丈夫だと思う。そんな気がする。
「見たいな。君が帰還して『ただいま』って言うところ。言われた相手の嬉しそうな笑顔」
 シェルは何も言わなかった。ただひたすら、クラーリィに置いて行かれないように隣に並んで歩いている。流石に返答に困っているのだろうな、とクラーリィは思う。
「これまで、約束を破られてばっかりだった。君は私の知る『はじめて約束を守った奴』になれるか? ……なって欲しいと、心の底から思うよ。シェル・クンチク。見てみたいんだ。会ってみたい。約束を守ってくれる人間に」
 クラーリィはシェルに視線を落とした。やはりと言うべきか、彼はじっとその大きな瞳でこちらを見ていた。
 感じる、強い意志。
「『俺』は、約束が守られるのをじっと待っている側の人間だったよ。けれど誰も守ってくれなかった。……まだ待っている……誰か一人でもいい、『ただいま』と言って帰ってきてくれるのを」
 少しお喋りが過ぎたか、とクラーリィは反省する。もうすぐこの廊下は二手に分かれる。たぶん己とシェルもそこで分かれることになるだろう。
 いきなり変な話をして済まなかった、と謝ろうとしたクラーリィは口を噤んだ。
 シェルが己の服の裾を強く引っ張っている。
「ん?」
「あの……あ、あの!」
 このまま動こうとすれば十中八九破れると思い、クラーリィは立ち止まった。半歩ほどシェルに近寄る。シェルはまだその握りしめた手を離してくれない。
「今はまだ、無理ですけど、僕が大魔法使いになったら『行ってらっしゃい』って言ってください。帰ってきますから!」
「……」
「絶対、帰ってきますから! ただいまって、言いますから!」
 何が絶対なのかとクラーリィは思う。実力も、理由も何もないくせに、シェルはなぜか断言する。自分に任せてくれて大丈夫だと、世界を支配するこの己に向かって胸を張る。
 度胸とかそういうものを越えて、なにやら恐ろしいとすらクラーリィは思う。けれど同時に、なぜかあまり負の感情も感じない。彼の瞳の奥には確かに負の蟠りがあるけれど、彼本人の言葉から負のエネルギーは感じられない。まるで希望の塊のようだ。
 だからこそ彼の周りには友人が集うのだろうなとクラーリィは思った。彼の根拠なき希望に、理想に、縋りたくなる者は多かろう。クラーリィにはその気持ちがよく分かる。
「僕には妖精の守護神がついているからきっと大丈夫です!」
「……ふ」
 頑張ってくれ、とクラーリィは言った。はい! と元気よくシェルは返してきた。

 二股に分かれたところでシェルと分かれた。クラーリィはとぼとぼと自室へ向かう。
 そうだ、「彼」に報告してあげようか。おまえの同郷に、こんな素敵な奴がいるよとでも。
 日が傾いていた。何も聞こえないようで、噛み合わない歯車の軋む音がクラーリィに届いてくる。ああ、戦争になるかもしれない。また戦争に……今度は、今度こそ間違いなく、敵を「人」とした戦争に。
 伸びる影に追われるように、クラーリィは途を急ぐ。


 ***END



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