傲慢 2
 我が名は傲慢、汝が暗闇を黎明の如く照らす者。


 ***


 何回溜息をついたことだろう。
 シコードは頭を抱えた。いくら頑張ってみても解決方法は見つからないし、状況は刻一刻と悪化していく一方だ。パーカス大臣及びパーカス教頭は相当のお冠だし、弟の方は素因の一部が己にあるだけに彼らに対して何も言うことができず、ただひたすらに項垂れながら解決法を探索する日々を送っている。
 しかし、弟はしばらくしてから「こちらからのアプローチでは何もできない」と言い切ってしまった。要は、現在のグローリアが誇る世界一の科学力でもってしてもこの状況を解決することはできそうにないということだ。今もいろいろな方法を試しているようだが、もう希望は尽きたと考えてもいいだろう。

 クラーリィが目を覚まさない。
 パーカス曰く、弟を憐れに思ったらしい彼が冥府へと飛び込んで私の魂を連れ戻した。そのお陰で私は今こうして現世におり、何の不自由もなく息をしている。
 問題はその後だ。私を連れ戻したはいいものの、肝心のクラーリィの魂が冥府に捕らわれて戻ってこなくなってしまった。
 スフォルツェンド側にその理由は一切分からないらしい。事前の説明もほとんどなかったそうだ。クラーリィが独断に近く行動を起こして帰ってこなくなった。弟曰く、本人は冥府へと赴く前随分と自信満々の様子だったという。パーカス一家は何か不測の事態でも起こったのかもしれないとの見解を示していたが、それ以上のことは何も分かっていない素振りを見せていた。
 もう眠りに落ちて一月ほどになる。スフォルツェンド中心部は今にも火が付きそうだ。もしくはもう放たれているのかもしれない。パーカス一家はその火消しに追われているということだ。スフォルツェンドのほぼ全権を担っているクラーリィの不在を隠し通せるのもこれまでだ。これ以上の不在は深刻な事態を引き起こすだろうということには、現世に戻ってまだ少ししか経っていないシコードにだって流石に分かる。己が生きていた時よりも、クラーリィは更に強大で代替者のいない権力者へと上り詰めてしまったのだとか。
 そんな人間が動けなくなるというのがまず問題だし、いざというときの替え玉すら存在しないというのもそれはそれで問題だ。まあ、この点に関してシコードは口を出す立場にないが、この慌て振りを見るにスフォルツェンド側はクラーリィの不在など考えたこともなかったのだろう。
 あるいは、他者に譲ることを良しとせず、二十年かけてクラーリィが一人で何もかも背負い込もうとしてしまった結果か。どちらにせよ、現状が思わしくないという点には違いない。
 教頭としてクラーリィの右腕をやっていたというパーカスの方には、はっきりと「あなたのせいだ」と言われてしまった。その目にはいろいろな感情が渦巻いていて、私はいたたまれない気持ちになって仕方がなかった。そういえば、弟が己の足をクラーリィが隠し持っていたと言っていたような。そのことは彼の右腕たるデビット・パーカスにも黙っていたらしい。相変わらず、というより過去よりも輪を掛けて何を考えているのか分からない男になったようだ。
 クラーリィも放っておけば良いのに、弟の無理な頼みを飲んでしまった。あいつは妙なところで堅実で優しい。まあ、今回その評価が当てはまるかどうかは別として、二十年前私はそんな印象を彼から受けた。
 一度スフォルツェンドに仇なす者と決めつけたら、骨が灰となってもなお憎しみを抱き続ける激情家のくせに。

 弟は肉体と魂の復活が同等でないことに気付き、私の魂をも呼び戻そうとしたものの己の極めた科学力ではどうすることもできぬと判断し、早々に和解したクラーリィのもとへ頼み込みに行ったのだそうだ。
 あまりにもあっさりと「兄上の魂を冥府から引き戻して欲しいのです」と頼み込んできた弟の素直さを、クラーリィはえらく気に入ってしまったらしい。
 弟から聞き出したことの顛末はこうだ。

「俺がなんとかしてやるよ」とクラーリィは言った。
「ほ、本当ですか」
「まあ、借りもあるしね。シコードには生前、一度ホルン様を救っていただいているからな」
「そんなことが?」
「まあ、世間一般には俺とあいつが口論した話ってことになってるがな。あいつも俺も、舞台裏ではいろいろ動いていたのさ。面倒だから放置しておいたが、二十年経って酷い尾ひれがついてここまで仲が悪かったものと認識されるのはやや不愉快だ。元々、俺はおまえの兄と会話したことなんてほとんどないし。俺が捻くれて返事しなかっただけだけど」
 机に膝をついて、クラーリィは実に面白くなさそうな顔をして弟の顔を見上げていた。頼みに来た弟の方は、畏まってその場に固まっている。何でもない風を装いながら、クラーリィが一挙一動を見守っているのが緊張に拍車を掛けた。
「そんな訳で礼も言っていないしな。いろいろあったのは事実だし、おまえの祖国も和解はしたものの俺は正直好きじゃない。分かるだろ、この国とおまえの国の主張はいつまで経っても食い違うんだよ。
 でもシコード本人とはあまり関係がない話だ。俺は彼に個人的な借りがある。己の世界で一番大切な君主を護って頂いた、という強大な借りがね。折角だからそれをここで返そう」
 ありがとうございます、と弟は頭を下げた。そんな弟のことをクラーリィは笑っていた。
「おまえ、ことの重大さが分かっているか? 人は死んだら生き返らない。おまえはその神の絶対の定理を打ち破ろうとしているんだ。冥府から人の魂を拾ってくるだなんて、随分と楽そうなことを言うが、禁忌も禁忌、発覚すりゃ物議を醸すこと請け合いの禁呪だぞ」
「……死んだことは、理解しているつもりです。受け入れていないことも、自覚しています」
「うんそう、そうだ。まあ、分かってるならそれでいいよ。別におまえに恩を売りつけるつもりはない、もともと借りていたものを返そうとしているだけだからな」
 たったこれだけの会話でクラーリィは承知し、冥府へと赴くことに決めたらしい。今は冥法王も不在、冥府は混乱に陥っているだろうが、逆にその混乱に乗じて比較的楽に私を連れ戻すことができるだろうとクラーリィは言った。
 弟がふと思いつき、クラーリィに「他に呼び戻したい人物は?」と問いかけた。グローリアの科学力をもってすれば、どこか身体の断片さえ残っていれば再生が可能となる。そこへ、クラーリィが私のついでに冥府でその人物の魂を引っ張ってくれば完璧だ。クラーリィの望む人物が完璧な形で蘇ってくれるだろう。
 弟は誰を要求されても、それが複数であったとしてもその要求を飲み、早急に手配する気でいたそうだ。しかし、クラーリィの反応は予想から外れた。
 クラーリィはこれまでの軽快な態度から一変、随分と陰鬱な顔をし、黙って首を振った。それから大きく息を吐いて「誰も」と呟いた。
「俺はおまえと同じ轍は踏まないよ。死んだ者は生き返らない。それは神の決められた摂理なんだよ。弟くん」

 その時の陰鬱な顔といったら、と弟は繰り返した。よほど印象的だったようだ。
「神の摂理と信じているのなら、己が司る神の摂理なのなら、そんな悲しい顔をしなくても良さそうなのにね、兄さん」
「その恩恵に与った私が言うのもなんだが、おまえもなかなか破壊的な思想の持ち主だな」
 弟が首を傾げる。少し考えれば分かるだろうに。そして、今なぜクラーリィが目覚めないのか、理由を考えてみれば自ずと判明するだろうに。
 神の鏡として造られなかった人間は、意思を持ち、希望と絶望を持ち、時に嘘をつく。人の上に立つ者は、それが担う権力の大きさに比例して嘘をつくのが巧くなる。
「おまえ、クラーリィが本当に『借りを返す』程度の理由で冥府に飛び込むとでも思ったのか? 本当にそんな理由でこの話に乗ったとでも思っているのか? 友人と呼ぶことすら烏滸がましい希薄な関係の二人だぞ。そんなリスクとリターンの合わない話にかの大国スフォルツェンドの最高権力者がほいほい乗るわけがないだろう」
「では、なぜ?」
「冥府に行きたかっただけさ。その体のいい理由が見つかったから、適当な理由を捏造して飛び込んでいっただけ。げんに、あいつは、……私のことなんか無視して嬉々として冥府の扉を開けてしまったのだから」
 私のせいだとパーカスの若い方が罵ったのも、半ばクラーリィが冥府へ飛び込んで帰ってこない本当の理由に気付いているからだろう。ちょうど良い理由を与えてしまったことに対して、私のせいだと怒っているのだと思う。
 弟相手にすら顔に出す程度には思い悩んでいたはずだ。周囲の、彼と深く関わっていたパーカス一家にその希望は筒抜けだったことだろう。だから彼はほとんど相談もなしに「シコードを救う」と言い残して冥府へと飛び込んでしまった。恐らく、相談すれば確実にパーカス一家が止めに入ると確信していたから。
「無視?」
「まあ、その話はおいおいするとしよう。おまえが手詰まり、スフォルツェンド側も手詰まり、となったら私が動くしかないじゃないか。ということで、冥府に戻ってクラーリィを連れ戻しに行ってくることにするよ。責任の一端が私にあるしね」
 シコードの予想通り、弟は必死そうな顔をして「嫌だ!」と叫んだ。当然の反応だろう。クラーリィが帰ってこれない程の迷宮ならば、一度は抜け出せたとしても再び戻って来られる確証はない。最悪、シコードまでもが取り込まれてそれで終いだ。
 まあ、絶対の禁忌を破った人間たちの報いとしては相応なものかもしれないが。
「大丈夫だ」
「どこが! あのクラーリィですら」
「伊達に二十年間冥府から逃げ続けていたわけではないよ。私には彼と違って冥府への興味はなかったからね。取り込まれる気もなかったし」
「兄さんは嘘つきだ」
 弟は留めようと必死だった。それから何とか頭を回転させて、己の手でもって何か画期的な打開策は出せないものかと手元の資料を漁り始めた。
 無駄だよ、と私は呟く。既に手詰まりであることが立証されている。おまえの分野からのアプローチでは、冥府にいる者をどうこうすることはできないと随分前に確定したではないか。
「ま、嘘つきであるということは否定しない。クラーリィもおまえに嘘をついたな。さて、時間がない。時間が経てば経つほど難しくなるから。私は行くよ」
「兄さん、嫌だ」
「諦めなさい」
 縋る弟を制止した。このまま己の方が動かなければ、いつまでもいつまでも弟は私のことを引き留め続けただろう。
 弟がようやく一歩引いた。
「……嫌だ」
「現実を見なさい。おまえの兄はもう二十年も前に死んだんだ」
 とうとう弟は何も言わなくなった。私は踵を返す。パーカス一家にこの心づもりを話して少々準備の手伝いをして貰おう。

 実のところ、クラーリィを連れ戻せる自信はほとんどなかった。
 なにせ私は、この二十年間ずっと冥府の扉から逃れ続け、現世と冥府の間のあの扉をくぐったことなんて一度もなかったのだから。無論冥府の地を踏んだことなんて一度もない。クラーリィが作った現世との架け橋を、これ幸いとばかりに駆け上がっていっただけだ。彼は現世と冥府の間に存在する朧の地に立つ私に目もくれなかった。探している様子もなかった。彼はただ一心に階段を駆け下りて、嬉々としてあの冥府の扉を開けた。
 あの時の横顔を忘れない。あんな笑顔で冥府へ堕ちる者があってたまるか。扉の開くおどろおどろしい音さえも、彼には祝福の鐘か何かに聞こえていたようだった。
 私はあの時、あの扉の先にはきっと彼のエウリュディケが存在するのだと思った。だから薄々彼が帰ってこないかもしれないとは思っていた。振り向いてしまったのかもしれない。それとも、タブーを課されることをすら忌み嫌ってその場に最初から留まるつもりだったのかもしれない。
 思うに、私の見たクラーリィの笑顔とは、あれが最初だったのだと思う。
 冥府とはそんなに楽しいところなのだろうか。冥府へと堕ちるのが嫌でたまらず、逃げ回っていた私とは大違いだ。私に冥府の魅力は分からない。
 冥府に魅了されたのであろうクラーリィを連れ戻せるのか、私には自信がない。けれど、やってみようと思った。気まぐれに近い動機ではあったが、やらねばならぬという使命感もどこかにあった。
 先ほど弟に向かって言った「私の死」は、己に対して言い聞かせたものでもあった。私は自分の死をどうしても認められなかった。だから冥府に入ることを拒み、ひたすらに逃げ回っていた。直後に冥法王が居なくなったことも幸いした。門番の消え失せた門から逃げることはそんなに大変なことではなかったが、決して簡単なことでもなかった。
 そんな私が、一度蘇ってからはじめて冥府の門をくぐる。死から逃れ回った報いが今にして。
「おまえは拒みそうだな。あんな笑顔をするくらいだから。だが、帰ってきて貰うよ。おまえの居場所はおまえの希望とは関係なしに、この現世にしかないということだ。帰っておいで。かわいそうなクラーリィ」

 パーカス一家に、クラーリィを迎えに行く旨の話をしたところ、ようやくか、という反応をされた。デビットに至っては感謝どころか睨んですらいた。まあ、仕方がないかもしれない。私という口実の元、クラーリィは禁呪に手を出してしまったのだから。
 冥府へと駆け降りる彼の背を、長いことクラーリィのことを見守っていた二人はどんな気持ちで眺めていたことだろう。クラーリィはそんな二人のことを、少しでも省みながら冥府へ降りていったのだろうか。
 そんなことを考える余裕がまだ彼に残っていたのなら、こんな方法を使うことなんてなかっただろうから、こんなことを考えても何にもならない。答えは十中八九ノー、ゼロだ。
「一応謝っておく。連れ戻しに失敗したら私のことはさっぱり忘れて灰にでもしてくれ」
「言われなくとも、骨の髄まで灰に」
 デビットはいっそ笑えるくらい、私に対する憎しみを露わにしていた。無用な争いは避けたいと思い、私は何も言わない。デビットの方は口論でもしたかったのか、無反応の私に少し肩透かしを食らったようだった。
「あと、もう一つ。心当たりはなさそうな気がするが……クラーリィを連れ戻す魔法の呪文はあるだろうか?」
 パーカスの名を持つ二人は顔を見合わせた。それから、大臣の方が先に首を振って、教頭の方が渋々と同じように首を振った。
「そんな手があるのなら」と、デビットは言う。
「とっくに隊長を起こしていました」
「でしょうね。では、どうぞ旅路の幸運をお祈り下さい。願わくは、あなた方の上司がこの世にまだ未練を持っていますように」
 慇懃無礼、という表現がぴったりといった具合にシコードはうやうやしく頭を下げた。
 二人組のパーカスが睨み付けてくる。まあ、喧嘩を吹っかけたのはこちらだし、この反応も当然だろう。
 だが覚えておいて欲しい。どんなにシコードが頑張ろうが、もし本人に微塵にも戻ってくる気がないのなら、この計画は百パーセント失敗に終わる。どんな奇跡を持ってきたとしても、それをクラーリィ本人が握り潰すだろう。
 シコードはぼんやりと、あの時の笑顔のまま「希望」を握り潰すクラーリィを思い浮かべていた。奇跡も希望も、それは他人の望むそれであって、きっとクラーリィのそれではないのだ。

 招かれざる客として、シコードは冥府へ再び赴くこととなった。



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