怠惰 2
 我が名は怠惰、汝を背に戴こう、従順なる驢馬となって。


 ***


 踊る戦場、生気のない人々、飢えに喘ぐ魔族たち、終わりの見えぬ戦い、いつかどちらかが消え去るまで終わらぬ宿命のこの諍い。
 神が人を造り給うたのと同様に神が魔族をも造られたのなら、この諍いは神の思し召しなのだろう。神は言っておられる、決着がつくまで永遠に殺し合えと。
 一説には、魔族は人の心の闇が形を持ったものとも言われている。ならば人が消え去らない以上、魔族は永遠に消え去らない。よってこの戦いに終わりはない。人が滅びるまで魔族は滅びない。人が滅びれば魔族もまた滅びるだろう。人を造り給うた神は言っておられる。かつて神を裏切った代償は重い、その罪故に魔族というかたちができた。而して滅びるまで永遠に苦しむが良いと。
 結論は一つ。現世と地獄に境はない。この争いに決着はない。人の心からは憎しみが消えない。人の手から武器が離れることは永遠にない。人は争いを手放すことができない。否、人は争いという火種を握り締めて離そうとしない。
 神を裏切ったその瞬間に、人は罪を手に入れ、死を手に入れた。

 クラーリィの右手は魔族の血でぐしゃぐしゃに汚れていた。
「風呂に入らなきゃ……」
 右手後方に影。迫り来る魔族。クラーリィは振り返ることもせず、血だらけの右手を一降り、襲いかかってきた哀れな魔族の首を吹き飛ばす。
 それからようやく振り返る。
「……あーあ。手加減すれば良かった」
 首を吹き飛ばすに留まっていなかった。恐らくドラムの配下であっただろうと思われる魔族だが、最早その原型をほとんど留めていない。クラーリィの放った光弾は、やや彼にとっては過酷な仕打ちだったようだ。もっと手加減したって彼はどちらにせよ死んでいたし、死ぬにしてももっと綺麗な死を迎えることができた。
 もっと美しい死。こんなにも華々しく散る必要はなかった。いや、こちらの方がいかにも生きていましたという感情が込められていて、ある意味生命賛美とすらいえるのかもしれない……大地に大いに生の証をまき散らし、己が確かにこの世界に生きていたという記憶を地に塗り込める。私を忘れないでと流した赤い涙が、埃まみれの地へと吸い込まれては還っていく。
 クラーリィの足下に血だまりが迫る。
「手、また汚れた……風呂……」
 まとう衣服はもう捨てるしかないように思われた。ここまで汚れてしまったら、もう洗っても洗っても然程の変化はないだろう。服にこびりついた数多の魔族の血は、その記憶と共に全て捨てる。クラーリィは忘れてしまう、彼らをどのように殺したのか、彼らがどのような最期を遂げたのか。
 クラーリィは魔法使いだ。だから騎士のような重厚な鎧は必要ない。とはいうもののこれもただの服ではなく、一応鎧に匹敵するような防護魔法はいくつか掛けてある。けれど、この状態では戦場へ行く度に新調しているようなものだ。掛ける魔法は少しずつ荒く適当になっていく。受け取るクラーリィの心も段々薄っぺらくなっていく。
 しかし鎧ではなく服であることは確かなので、防御力という点ではゼロに近い。魔族の渾身の一撃なんてものを食らったら骨の一本や二本簡単に折れる。だから普通、魔法使いなる種族は前線に出たりしない。クラーリィのように敵陣に突っ込んで突っ立っている魔法使いはただの阿呆か、でなくば近寄ることすら難しい高位の魔法使いかそのどちらかだ。無論、クラーリィは後者に値する。
 己が誰か分かってこの魔族は単独襲ってきたのだろうか。魔法使いがこんな戦場のど真ん中に突っ立っていると、嬉々として襲いかかってきただけなのだろうか。
 お馬鹿さん、とクラーリィは呟く。

「大丈夫か!」という叫び声が聞こえた。サックスのものだ。クラーリィは振り返る。サックスは、如何にも切羽詰まったという表情でこちらへ駆け寄ってきた。そして数歩の距離を保って止まり、肩を大きく上下させながら、何も言わずにこちらを上から下まで観察しはじめた。
 クラーリィは首を傾げる。
「なんだ」
「怪我は? おまえ、どこを、」
 はは、とクラーリィは笑う。ひらひらと、やる気のなさそうに右手を振ってみせる。
「大変なように見えるか?」
「血だらけだ」
「全部返り血だよ」
「じゃあおまえは無傷?」
「だいたいな。まあ、かすり傷程度ならそこそこあるだろうが」
 もう一度、今度は両手をひらひらと振ってみせた。平気だ、と再三に亘りサックスにアピールをする。
 頓着のなさそうなその様子に少し安堵して、サックスは周囲を見渡す。今の所近くに魔族の気配は感じられない。もう少しくらいなら立ち話をしていても大丈夫そうだ。
「最近のおまえはまるで保護者だな。なにかあったのか」
「なにかあったのはおまえの頭の方じゃないの? 俺は心配してるんだよ」
「なぜ」
「だって最近のおまえ……なんかおかしいし」
 うまく言葉にできないのが癪だったが、とにかくサックスには「なんかおかしい」としか言いようがなかった。なにかがこれまでと違う。少しずつ歯車が狂っていくような、悲鳴のような音を立てて軋んでいるような、そんな不快感が胸に残る。一見何事もなかったかのように回っているのがまたかんに障る。
 きりきりと軋んでいるはずなのに、肝心のその音が聞こえない。危険信号が出されているのに気付けない。油が足りぬと機器が再三知らせてくれているのに、サックスはそれを聞き届ける耳を持っていない。
 油。サックスの脳裏に驢馬のくだりが瞬時に蘇る。
「そうかな」
「そうだ。なんか、えっと、なにかに取り憑かれてるような気がする。不安で見てられないんだよ」
「そう思ってるのはおまえだけじゃないかな」
 はあ、とサックスは溜め息をついた。クラーリィにふざけている様子はないので、これが彼の本心で、偽りなき認識なのだろう。なんも分かっちゃいないんだ、とサックスは結論づける。
「そりゃそうだ。おまえがおかしくなるのは、俺と二人っきりの時だけじゃないか」
「……」
 クラーリィは意外そうな顔をした。しばらく黙ってから「よく見ているんだな」なんて他人事のように呟いた。
 サックスは再び周囲を見渡す。魔族の気配なし、もう少し話していても大丈夫。
「……俺、そんな、おまえが言うほどおかしいか?」
「サーカスのくだりは完全なる『異常』だと俺は思うな。冗談でもあんなの、どうかしてるよ。おまえはあの小説を読んで気に入ったのかもしれないけど……それを引っ張ってきてたとえに用いるのは俺、どうかと思う」
 クラーリィは不服そうな顔をした。まだサーカスの幻想に取り憑かれているのだろうか。そんなものとっとと捨てて、夢を見るならもっと楽しいものを、とサックスは考える。サーカスの話は彼が「大神官」である以上口にしてはいけない類の思想だと思う。第一、クラーリィは本なんて腐るほど読んでいるだろうから、たとえるにしたってもっと相応しい話があるだろうし、相応しい舞台みたいなものも存在するだろう。なにゆえあれを選んだのか、話の主題だって違うのに。
 なぜ、と問われてもそれに対する答えをサックスは持っていない。けれど道徳的に間違っていることは知っている。
 ダメだ。どんなに望んでも、その望みは叶えられてはいけない。どんなに優しい言葉で、美しい幻想で包んだとしても、その中には醜悪な欲望が身を潜めているだけなのだから。
 この世界に、クラーリィの手によって「仕掛け」を施させてはいけない。
「心外だな」
「なんとでも。おまえならそう言うと思ってたよ」
 サックスは首を振った。目の前のクラーリィは血だらけだ。それを彼は、全て返り血だと言う。返り血で、己に傷なんてついていないのだと言い切ってみせる。
 どこがだ、とサックスは思う。傷だらけじゃないか。おまえは己の傷で、周りが見えなくなるほどに血を流しているじゃあないか。足下の血溜まりは、他の誰でもない、おまえのものじゃあないか。
 その身を粉々に切り刻まれて、それでもクラーリィは凛としてここに立っている。彼は痛くないのだろうか。辛くはないのだろうか。こんなにも傷付いているというのに。
 まるでタイミングを見計らっていたかのように、ふふ、とクラーリィが「唄い」だす。
 最初は旋律をなぞるだけだったものが、やがて言葉を連れてくる。サックスは記憶を辿る。これは……この歌詞は……そう、子供の頃聞いたことのある、縁日の出し物の、客引きの歌っていた小唄。これから楽しい出し物がはじまるよ、皆さんどうぞご覧になってと魅惑の天幕の内へと人を連れ込んで浚ってゆく……天幕の中はまるで幻想、燻る煙に視界を奪われながら、目の前で繰り広げられるのは夢のような不思議な舞台……
 サックスははっと気付いて顔を上げた。ふんふんと、クラーリィは上機嫌で歌っていた。曲は一旦ループして二番へ。二番なんてものがあったのかサックスは知らない。たぶん、クラーリィの創作だと思う。
 サックスの予想通り、サーカス、とクラーリィは歌いだした。悪夢だ。
「おいで、ませ」
「クラーリィ、止せ」
「最大のサーカス! 美しい舞台! 楽しい演目! 色とりどりの衣装! 愉快な仲間たち! 響く歌声! 胸高鳴るエンターテイメント! この世の美しさよ! さあさご覧あれ、一瞬の奇跡を!」
「止せと言っている!」
 クラーリィの言葉を、彼の狂喜を表して言い換えよう。最大の戦場。醜き殺意の踊る土地。殺伐とした意図の交錯する荒野。血と泥に塗れ、まだらに汚れた鎧。正気を失い、狂乱する兵士たち。響くものは進軍の喇叭と怒号と悲鳴、そして行軍の足音。いつ殺されるのか、いつこの死地から逃れられるのかと緊迫する鼓動。世界で最も醜く、命が軽く、そして同時に最も命の重い場所。
 それがここだ。我が戦場、我らが戦場、我らが生きとし死ねる場所。我ら軍人が、最も役に立ち最も輝ける唯一の場所。
 けれどここは、見せ物ではない!
「なんだサックス? 今更」
「命で遊ぶな……大神官の分際で……」
「酷い物言いだ。俺ほど命の重さを理解している奴なんていないよ。魔族一匹の命ですらも演出しようとしているんだ。こんなもの、そもそもこの世に存在する価値すらない代物なのに」
 クラーリィは真顔だった。サックスは否定しようとして、それに失敗した。クラーリィの言うことは正しい。その通り、魔族の生に価値はない。それが我々人間の共通の見解なのだ。
「クラーリィ」
「この世界に魔族は要らない。そうだろ? 真実がどうであれ、我々の役目はこの世から一匹残らず魔族を排除することだ。そうだろう、サックス。俺は人の上に立つ人間だからこそ、大勢の人間を率いる人間だからこそ、この使命に疑問を抱いちゃいけない。絶対の自信でもって、一点の曇りもなく、『魔族に存在価値はない、一匹残らず滅するべき』と大声で叫ぶんだ」
 魔族の存在意義だとか、そんなことを考えて右往左往してるようじゃいけないんだよ、とクラーリィは吐き捨てるように言った。
「上がそんなんでは下が混乱する。我々は、俺は、彼らの道しるべであらなければ。目の前の奴が人間か魔族か? なんて判断に迷うことすらもあってはならない。魔族と決めつけたら最後まで魔族だ。魔族らしき姿をしている者であっても、『人である』と決めたのなら最後まで人であることを認めよう。俺は相手を魔族と決めつけるその判断に迷わない。後悔することもない。
 俺は目の前の敵に迷う部下に言ってやるんだ。『そいつは魔族だ、殺せ!』または『そいつは人間だ、殺すな!』命令はこの二つだけでいい。そういう明確な指標があればいいだけなんだから」
 道理とこれとは関係ないんだよ、とクラーリィは続けた。魔族の在る意味だとか、魔族がいなくなった世界がどうなるだろうかとかは、激化する戦争の最中、その軍隊を率いるトップの人間が考えるべきことじゃない。ここにきてあるのかすらも分からない和解路線を探し出す努力をし始めるなんてのも以ての外だ。それをする事自体を否定するつもりはないが、少なくともクラーリィの仕事ではない。それをすべき相応しい人物は他にいる。
 考えは要らない。必要なのは旗印だけ。戦場で迷いを持った兵士たちに、怯えを感じた兵士たちに、目的はこれだと、するべきことはこれだと指し示す標だけ。ただそれがクラーリィという人間であったというだけで、他にその役目が務まる人間がいるのなら別にクラーリィでなくてもよかった。

 咄嗟にサックスは何も言えなかった。確かにクラーリィの言っていることは間違ってはいなかった。けれど、どうしても正しいとは認めたくない己をサックスは確かに感じていた。
 何かがおかしい、歪な歯車。奇妙な軋みを上げている。その気配をサックスは確かに感じるのに、その軋みがどの部分から発せられているのかが分からない。軋みが軋みであるという確証すらも持っていない。
 沈黙がひたすらに、重苦しくてたまらない。
 しばらくしてサックスは「休もう」と声を絞り出した。クラーリィは黙っている。
「休もう、クラーリィ、確かにおまえは疲れているみたいだ。飽きたと言ったな。帰ろう、帰ろうスフォルツェンドへ。休むんだ。その身体を、心を、休ませるんだ。おまえは頑張りすぎなんだ」
 今まで微動だにしなかったクラーリィが、ここでようやく「はっ」と息を吐いた。しかし、反応があったとサックスが安堵できたのは一瞬だった。
「サックス、無駄口はそれくらいにしてくれ。折角の楽しいサーカスが台無しじゃないか」
 ひらりとクラーリィは一回転してみせた。両腕が美しい弧を描いて宙を舞う。一瞬サックスは見惚れてしまった。その軌跡に沿って光る青白い光。蛍の光のようだった。血煙舞うなか、ぼんやりとした光がサックスの視界を奪った。
 燐光は赤い色を引き連れた。燐光に従うように、彗星の尾のように、赤い滴がその後を追う。
 血飛沫だった。
 背後に魔族が迫っていることに、クラーリィの説得に必死だったサックスは全く気付かなかった。クラーリィはまるで踊るように雷の刃を作り出し、その刃でもって迫り来る魔族の首を切り落としたのだ。やや遅れて、ごとりと重苦しい音が二つ立て続けに耳に届いた。一つ目は首の落ちる音。二つ目は、胴体が倒れ込む音。遅れて血だまりが発生した。
 じわり、サックスの足下に血だまりが迫る。ひゅうっと息を吸った。気付かなかった、気付けなかった。そしてクラーリィは顔色一つ変えなかった。危ない、とも言ってくれなかった。
 クラーリィを見た。彼はまるで天使のような笑顔を浮かべていた。血まみれではあったけれど。
 こんな血まみれの天使がいてたまるか。
「ああ、今度は少し上手くいった」
「なにが上手いって」
「少しは綺麗な死に方になったろう」
「綺麗とか、汚いとか」
「サックス、全てのものには魂がある。知っているか?」
 サックスは黙って肯いた。クラーリィは微笑んだ。ああ、まるで、天使のような、悪意の塊のようなその笑顔!
「いいかサックス、生きている内は人間だとか魔族だとか天使だとか妖精だとか混血だとか、いろいろな分類がなされる。しかし死して肉体と魂が分離した瞬間、全ての魂を持つ者は平等なんだ。魂はどんな生き物も共通のかたちをしている。命を失った瞬間、魂は神の前に平等なんだ。たとえ魔族であれ」
「……こいつも?」
 ついさきほど絶命したばかりの魔族を、サックスは指さす。クラーリィは真顔で「そうだよ」と頷いた。ふざけている様子はなかった。
「正しくは、たった今この肉体から引き剥がされた魂の方のな。今頃もう、冥府へ行ってしまっただろうが」
 無様に死んだこいつと、目の前のクラーリィの魂が同一の価値を持つ、という話は俄には納得し難い話だった。
 サックスは黙って足下の肉塊を見つめた。先程まで魔族として生きていたもの。もう動くことをしない、ただの肉塊になったもの。魂よりむしろ、こちらを相手取って話をしてくれればサックスは少しでも得心がいったかもしれない。この目の前の肉塊と、我らが同胞の亡骸との違いやいかに?
「おまえ、魔族の魂くらい見たことあるだろ。妖精はないだろうけど。なんだったら今その辺にいるやつの魂引き抜いて見せてやろうか? こいつのはもう無理だからさ。人とおんなじ形をしている。あ、その前に大前提として人の魂を見たことがないと」
「ある、あるよクラーリィ、両方ある、それに大丈夫だ、言いたいことは分かったから。頼むからその辺の奴らの魂を引っこ抜いて見比べるなんて物騒なことはやめてくれよ」
 魂なるものは、丸くてとても美しい形をしている。どんな生き方をしようと一つの命の持つ魂の姿は、サックスが知る限りどんな生物であれ綺麗な球状の物体だ。見たことはないけれど、クラーリィのそれだって、サックスのそれだって、同じような形をしていて、その球の中にクラーリィやサックスの本質といったものが詰め込まれているはずだ。魂が受け継ぐのは朧気な記憶。けれど、新しい肉体を持ってこの地に舞い戻ったときその大半は失われる。そうして人は、生物は、新しい生を謳歌し始めるのだ。
 どんな死を迎えようと、傷一つつかぬ美しい姿を保つそのものの本質が形を持ったもの、それが魂。
 魂の抜かれた肉体は、同時にどんな生き物であれただの肉塊に過ぎない。生前どんな行いをしようと、どんな思想を持っていようと、残されたものはただの肉塊で、それ以外の何ものでもない。
 サックスは途中まで考えを煮詰めて、そのうち考えることを止めた。もともとこういう話は基本的にサックスの専門外だ。サックスは神官ではない。
「俺こういう難しい話、分からない」と呟くと、クラーリィは「ふうん」と興味のなさそうな返答を寄越した。それから少し考えて、今度は「詰まらないか」と付け加えてきた。
 この話を続けるかどうか問うているのだろうとサックスは見当を付ける。まず、黙って首を振った。聞く気ではあることをアピールする。
「よく考えられるね、こういう、難しい話」
「サックス……俺は一応『大神官』なんだよ」
 クラーリィは呆れていた。
「そして同時に魔法兵団の隊長でもある。だから俺はこう言おう、『神の前に全ての魂は平等である、しかしこの世に魔族は要らない、而して私は魔族を残らず灰燼に帰し、魂へと還してしまおう。その時私ははじめて彼らを祝福できる』とな」
「魔族をも救ってみせる、だって?」
 疑いの眼差しを向けるサックスを見て、クラーリィは腹を抱えて笑い出した。あっはっは、とやけに明るく笑い転げる。
「なぁに言ってんだ、おまえ? おまえは目の前にいる幼馴染みが救世主かなにかそれっぽいものになれるとでも思ってるのかあ? 目を覚ませサックス、そーんなご都合主義はこないんだ。俺は誰も救えない。救おうったって、そんな崇高なことはできやしないのさ。だが俺がなすべきことが結果として人を救うならそりゃとても素敵な話だ。その程度なんだよ、サックス」
 結果として魔族を救っている、とおまえが思うならそう思っておけばいい、とクラーリィは吐き捨てた。言葉の割に、その思想への納得はしかねている様子だった。
 救うだなんて、救世主じゃあるまいし、とクラーリィは呟く。嫌悪の混じった声だった。救世主という存在にすら嫌悪しているような、そんな印象をサックスは受けた。
「さっき言ったろう。人間と魔族の完璧な見分け方なんてないんだよ。だから曖昧な奴が目の前に出現したとき、人は戸惑ってしまう。俺はそのための指標。
 でも馬鹿げた話だよな? その二つの魂に差なんてものはない。つまり、根本的なところで人間と魔族の違いなんてものは存在しないんだ。俺たちが勝手に決めつけているだけ。だって……敵がいないと……俺たちの仕事がなくなってしまうものな?」
「おまえはあんな輝かしいことを言うあの顔と同じ顔で、こんな恐ろしいことを言うんだな」
「真実だよサックス。今更何を?」
 俺はともかく、おまえは戦争がなくなったら食っていけなくなるだろう、とクラーリィは言い放った。まるで日常会話の延長線上にあるかのように、平然と。
「それがおまえの、大神官として辿り着いた結論なら、俺はそれを凄く、とても、悲しく思うよ」
「自分のことを棚に上げてよく言うな。おまえが見ているものは、どこまでも綺麗事ばかり」
「そうだね。おまえの言うとおり、俺は戦争がなくなったら仕事がなくなる。普通に考えて、食い扶持に困るだろうね。でも別にそれでいいさ。そうなったら次の仕事でも探すよ。神職でこそないけど、魔法は使えるんだから、働き口の一つや二つ簡単に見つかると思うしね。なあ、綺麗事の何が悪いって言うんだ、クラーリィ。おまえだって夢を見ているじゃないか」
 はは、とクラーリィが笑った。それからすぐ真顔になって、「一緒にするな」と凄んだ。
 両腕を広げ、彼はくるりと一回転してみせる。この世の万物を司る、アルファとオメガを結ぶように、彼の腕は驚くほど見事な完全円を空中に描き出す。
「サーカス! サーカス! ならば観客を楽しませなければ。延々と同じ演目を披露してどうするっていうんだ? そんなものはサーカスじゃない。惰性なんて要らないんだ、観客を楽しませなければ。彼らがあっと驚く仕掛けを舞台に施さなければ!」
「クラーリィ、覚えてるか。俺は以前おまえに」
「この世界に仕掛けを施すなと言ったな。そして俺はそれを拒否した。忘れてしまったか?」
「……」
 拒否しただろうか。サックスは記憶を巡らせる。あの時クラーリィははぐらかしただけで、確かに肯定はしなかったしどちらかというと否定的な態度でもあったが、断言だけはしなかった。しかし今彼は「拒否した」と断言した。
 悪化している、とサックスは思う。



Top Pre Nxt