怠惰 4
 我が名は怠惰、汝を背に戴こう、従順なる驢馬となって。


 ***


「最後の最後で実にくだらない死に方をしてくれたものだ。あいつとどっちがマシかね」
 クラーリィは首無し死体の前に突っ立っている。その顔に涙はない。情緒もない。ただあるのは無味乾燥な呆れ。
「首だけないのと、足だけしか残ってないのだと、どっちもどっちで面白味に欠けることこの上ないな。強いて言うなら、おまえの方が俺の目の前で死んだという点で優れている」
 それにしたって綺麗じゃなかった、とクラーリィは文句を言った。一世一代の大舞台をあんな形で台無しにしてしまったのだ、サックスは実に愚か。素晴らしいサーカスを催せる機会がいくつもいくつもあったのに、その全てを無駄にして、一銭の価値もないあんな無駄な芝居に全てを費やしてしまった。観客は手を叩かない。喜びもしない。あの舞台に施されていた仕掛けなんてものは一つもなかった。
 観客は、楽しくなさそうな顔をしたクラーリィたった一人だけ。その他のその場に居合わせた者は観客ですらない。彼ら彼女らにはその資格すらもない。
「おまえなら、もっと楽しいサーカスができたのになあ……」
 至極残念、といった具合にクラーリィは溜息をつく。クラーリィは確かにサックスのいつか催してくれるであろう演目を楽しみに待っていた。メランコリックに取り憑かれているとはいえ、そこには確かに楽しみにしている未来があった。それを潰されてしまった。クラーリィにはもう楽しみに待っているものが何もない。
 最後の期待は、見るも無惨に打ち砕かれて粉々になってしまった。その塵と化した薄暗い希望だったものを、その破片を、クラーリィはじっと見つめている。
 足下の血溜まりが、まるでクラーリィを浸食しようとしているかのように迫りくる。

 人払いをさせていた。親友との今生の別れを悼んでいるように部下には映ったのだろう、すぐにこの場をクラーリィ一人きりにしてくれた。聞き耳を立てている者もいない、よってどんなにクラーリィが物騒なことを呟こうとそれを聞いているのは神だけだ。
 世界を救うことをしなかった、クラーリィを救ってくれもしない、不在の神。
「『俺の死体は好きにしてください』ね。一応、命令違反をして悪いとは思ったのか。にしたってこの遺言はないなサックス、最悪だよ」
 懐から出した紙切れ一枚をクラーリィはひらひらと仰ぐ。一度祖国に戻った際、己の机の上に置かれたサックスの最後の置き手紙を見つけた。それがこれだ。余程追い詰められて書いたのだろう、筆跡は少し震えていた。妙なところに力が入って紙が歪んでいたし、ところどころインクも滲んでいた。
「バカだ」とクラーリィは呟く。「最初から死ぬと分かっているなら、大人しく俺の命令を聞いておけば良かったのに。おまえが何の役にも立たないことくらい、おまえ自身が一番よく分かっていたんじゃないか」
 それでも、その「何の役にも立たない」という事実をサックスは受け入れることができなかったのだろうか。ただじっと祖国で待つということができないくらい、彼は見かけによらず子供だったのか。今となっては真偽の程は分からない。
 そもそも、俺はおまえのことがあまりよく分かっていなかったな、とクラーリィは独りごちる。
「親友だなんて、お互いそう思い込んでいただけで、全然仲良くもなかったのかもな」
 一緒に話したり、遊んだり、酒を飲んだりもしたけれど、あくまでも平行線上の出来事で、クラーリィとサックスの線が交わることはなかったのかもしれない。理解を示している素振りを見せながらも、その実何も分かっていなかった。彼が何を考えていたのか、どんな気持ちでもってクラーリィと接していたのか。そして、クラーリィ自身サックスのことをどう理解していたのか、いまいちはっきりとしない。こいつはこんな奴だ、という評価がただの憶測にしか過ぎなかったことが今にして明らかになった。
 クラーリィには、いくら考えても今回のサックスの愚行の理由がよく分からない。
「俺のこと死体愛好家とでも思ってるのか。いつそんな素振りを見せたんだ。俺はあくまでもサーカスを……」
 はは、とクラーリィは笑う。いつかの会話を唐突に思い出した。
「そういえばおまえ、俺のサーカス論を非難していたな。なんだ、最初から俺たち相互理解なんて不可能だったんじゃないか」
 理解してくれたとあの時は思った。サックスが、きっと己の何かにストップをかけてくれると思っていた。これで助かるかも知れない、なんて妙な期待を抱いたこともあった。
 サックスには荷が重すぎたのだろうか。結論はただ一つ、そんな機会はこなかった。それどころか、もしかしたらこの希望はクラーリィのただの願望に過ぎず、どんなに待っても、あの時から分岐した全ての未来を辿っても、導かれることのなかった未来なのかも知れない。
 クラーリィを掬い上げる優しい手はどこにも存在しなかった。
「おまえは俺の信頼を無下にしたんだよ。俺はおまえだからこそ、俺が不在のこの国を預けられると思って頼んだっていうのに。それがなんだ? おまえらが残っていれば、少しは本土の被害も少なくなっただろうし、あの瞬間におまえらが結界でも展開すれば戦闘能力のない一般市民の死だって少しは減ったかもしれない。
 おまえのそれは知恵とはかけ離れた蛮勇だ、身の程を弁えない馬鹿のしでかしたこと以外の何者でもない。おまえは俺を裏切ったんだよ、おまえは、おまえらは、俺の信頼を信頼と受け止めなかった。俺の言葉を信用しなかった。そして己の実力を読み間違えた。何もかもが水の泡だ。おまえらの人生の、なんとくだらないこと」
 クラーリィは本土の地獄のような光景を思い起こす。敬愛すべき女王が十五年前の戦いより死にものぐるいで復興させた街が、そして第二次からまたみなで力を合わせて復興を重ねてきた王都が、再び大きな傷を負った。
 勝利とは何か、と問いかけたくなるほどにこの戦いで失ったものは大きい。
「俺の『おまえは俺を裏切る』っていう予言、当たってしまったなあ。本当にここぞというときに信用してくれないだなんて、おまえは本当に、最悪の部下だった……」
 なあ、とクラーリィは問い掛ける。
「どうしておまえは、俺を信用してくれなかったんだ。俺を裏切らないって約束してくれなかったんだ。あんな風に優しくしておいて、俺のことを人間だと思うからとかなんとか甘いことまで言っておいて、どうして最後の最後で裏切ったんだ。どうして俺の命令の正しさを信じてくれなかったんだ。おまえはあの時俺に俺のこと信用しているって言ったよな。そして、俺もサックスを信用してくれと、そう言い掛けたんだよな。なのに、なあ教えてくれよ、どうしてだよ、どうしてなんだよサックス」
 無論返事はなかった。残念なことに、彼には返事をする「頭」がもうない。

「ああ、そうそう、紹介するよ! おまえは知らないだろうから。俺の友人……じゃなくて、えーと、なんだ、友人になりかけた奴。あともう少しあれば友人になれそうだった奴。俺の部下が見つけてきたんだ。片足だけだったけど」
 ほら、と笑顔を浮かべてクラーリィは瓶を持ち上げる。瓶の中には片足が浮かんでいる。持ち主の名前はハープ・シコードといった。グローリアの師団長だ。全面戦争の少し前、グローリア単騎で戦争を持ちかけた際に殺されたらしい。周辺からは、他に遺品のようなものは何一つ見つからなかった。
「これ、一応スフォルツェンドの方式に則って保存させて貰おうと思ってね。さっき言ったとおり敵ってわけじゃないし、出会う時期を間違えていなかったら友人にだってなれたと思うんだが、今後グローリアの文化が敵に回ることがあるかもしれないからな。な、サックス、結構いい案だろ」
 瓶に向かって、悪いね、とクラーリィは呟いた。研究目的に肉体の欠片を保存する対象は、通常魔族だけだ。しかしもう魔族はいない。なれば次なるスフォルツェンドの研究対象は……
 クラーリィは瓶を光に透かす。崩れた壁から、一筋の光が差し込んでいた。まるで希望の光のようだ。この部屋は血まみれ、死体だらけだというのに。この部屋に生きている者なんてクラーリィ一人しかいないのに。光だけはいつでも、いつまでも美しい。
 昔話したことをサックス、君は覚えているだろうか。魂というレベルで眺めたとき、人間と魔族に境はない。だから人間の血を流していながらも魔族に与する者が現れる。魔族として生まれながらも、人として生きる道を選ぶことができる。そこには、個々の自由が存在する。
 だが、つまりは、そういうことだ。
 外見がどうであれ、己は相手を「魔族だ」と決めつけてしまえばいい。そうすればそれは立派な戦争の口実になる。魔族は人間にとって絶対悪だからだ。たとえ姿形が人間のそれであったとしても、相手は人間の振りをしているだけの魔族だと叫べばそれでいい。昔から、クラーリィの仕事とは所詮そんなものだ。
 クラーリィは戦争をこの手から離さない。そうしてこの国を強大にする。世界で唯一の、絶対的な勝利者にしてみせる。
 魔族という「外見」を持った分かりやすい敵はいなくなった。だから次は、次こそがクラーリィの出番だ。見分けの付きにくい「魔族」を発見し、敵と定め、これを殲滅するよう部下に指令を下す。魔族は敵であるが故に、兵はその心を痛めることはない。相手は人間の形をした人間のふりをしているだけの魔族で、人間ではないからだ。
「大丈夫、もうおまえみたいな奴はいないから、今度こそ上手くいく」
 クラーリィは相変わらず微笑んでいた。部屋は静まりかえっている。この部屋で、クラーリィだけが息をしている。
 じっと瓶詰めの足を見つめているうち、ふと閃いたことがあった。クラーリィは素直に「あっ」と声を上げる。
「そうだ……サックス。なあ、おまえも、瓶詰め地獄に放り込んであげようか?」
 名案だ! とクラーリィは続けざまに呟いた。
「足は小さいから手元に置いておける。本棚の裏にでも隠しておこうかな。そうすればきっと、俺は大事ないろいろなことを忘れずにいられることだろう。だけどおまえは無理だな。ちょっと大きすぎだ、流石に部屋には飾れないな。折角これから悲劇の神官痛みに耐えつつ国を率いる……とか宣伝しようと思ってるのに、とうとうトチ狂ったのかと心配されてしまう、それは困る。そうだ、地下室……ちょうど手頃な物置が一つ……あそこを秘密の部屋にしてしまおう。フフ、魔法の国だ、開かずの扉の一つや二つ、逆に風物詩になっていいんじゃないかな」
 どう、瓶詰め地獄、とクラーリィは元親友に語りかける。
「こういう『仕掛け』なら、人様に迷惑もかけないし、おまえだって満足するだろ?」
 今にも崩れそうな、折れた石柱の隙間に瓶詰めの足をそっと置いた。クラーリィはその場をくるりと一回転する。不慣れな義肢でもってゆっくりと円弧を描く。ぎくしゃくしたそれも、いつかはまたあの美しい完全円を描くようになるだろう。そう時間はかからない。
「サーカスの次は展覧会だ。な、そうしよう。そうと決まったら早速手配だ。サックス、スフォルツェンドに帰れるぞ、良かったな。
 でも、俺を裏切ったおまえの行き先は、地獄だ」
 クラーリィは瓶詰めの足を拾い上げると、ふっと表情を消し、まるで今まで死者を悼んでいたような顔をして部屋を出る。そうして心配そうに声を掛けてくる部下に気丈に振る舞いながらも、幼馴染みたちの遺体を祖国へ運ぶようにと指示をする。サックスは俺の親友だから、俺の手で直に葬りたいと告げる。他に身寄りのなかったサックスにとったら幸福なことだろうと、部下はみなクラーリィのその温情に涙する。クラーリィの命令を無視した部下にすら、なんと寛大なお方なのかと。
 クラーリィの仮面を知る者は、とうとうこの世に誰もいなくなってしまった。


 ***


「雰囲気出てるな。良い感じだ。俺の手作りだから荒いところもあるが、ま、おまえに文句を言う権利はないし」
 ははは、とクラーリィは笑う。できあがったばかりの水槽が鈍色の光を帯びて淀んだ輝きを灯す。いいじゃないか、実に。いかにも魔法学校の地下室にありそうな、開かずの扉のその先にある素敵な標本、首無しの死体。理事長の昔の親友というお墨付き。
「ここに祭壇でも設けて、ええと、そうだな、魂が迷わぬように、とでも書いておくか。本当は地獄行きが決定だが、ま、嘘も方便なんて言葉もあることだし。ああ、何を増やそう。何を飾ろう。どんなレイアウトにしようかな。はは、考えるだけで楽しい」
 クラーリィはその顔に笑顔とひとつまみの憂鬱を加え、まるで博物館へと招待する紳士のように水槽に向かってお辞儀をする。
「観客たちがあっと驚く仕掛けを施した、展覧会……ようこそ、皆様方。なあんてね。こんなところ、見られたら生きて帰すわけにいかないな。扉にきちんと封印をかけるのを、忘れないようにしないと」
 クラーリィは自分が物騒なことを言っていることに気付かない。もしこの地下室に己の生徒が紛れ込んでしまったら「生きて帰すわけにいかない」なんて、教師としてあり得ない台詞を呟いていることに気付いていない。実際彼が行うことは記憶の消去だろう。今のクラーリィにとって、この部屋の記憶を他人から抹消することくらい造作もないことだった。
 けれど、クラーリィの口から「記憶を消さなくてはいけないな」という言葉は出てこない。根本となる道徳が、いつの間にか彼からは失われてしまった。彼の経験した多くの諍い、戦争、そして数え切れないくらいの人の死が、彼の心に、そして魂にすら傷を与えてしまった。万物に共通のはずの、美しい形をしていた魂は今はもう見る影もない。

 サックスの亡骸は叫んでいる。クラーリィがまだ生きていることを。まだ死んでいないのだということを。そして、この世界は、彼に待ち受ける未来は、どんなに辛くても、試練であっても、美しいものであるということを。明日を楽しみにする権利が彼にはあるんだと。
 明日のことを思う楽しさを、どうか思い出して欲しいと、サックスは叫んでいる。
 クラーリィにはすべきことがあるはずだ。彼の目の前には新しい未来が広がっているはずだ。やがて希望にまた巡り会えることだろう。それはすぐではないかもしれない。けれどどうか諦めずに待っていて欲しい。そしていつか出会う彼らに伝えねばならぬことをクラーリィはたくさん知っているはずだ。この世界に残すべきことを、クラーリィはたくさん知っているはずだ。
 けれど、クラーリィは無言の水槽に向かって「裏切り者」と呟く。とびっきりの怨嗟を込めて。残念なことに、彼の切なるメッセージを受け取ることのできる心は、もう随分と昔に滅びてしまったからだ。


 こうして十数年後、スフォルツェンドはまたも戦争へと突き進んでいくことになる。クラーリィの策は成功した。敵は確かにこの世界に出現した。スフォルツェンドの兵は武器を手に取った。そして、クラーリィの言葉を妄信的に信じた。生徒の死にも、誰も涙することはなかった。
 隠された地下室の水槽は、今もぽつんとその場に佇んで動かない。


 ***END



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