はねをむしる


注意書き
・クラーリィが過去女性と付き合った痕跡あり
・クラーリィちょっと壊れてるよ
・遠回し殺人



 ***


 一年前に付き合っていた彼女のことを思い出していた。
 幸いにして名前はまだ覚えている。顔はだいぶ忘れた。確か、ピンク系の化粧が好きだった。俺はその色が合ってないと思っていたけど、とうとう一度も言わなかった。
 本人は気に入っていることを知っていたから。
 俺の好みじゃないプレゼントをたくさんくれた。でもいつも「ありがとう」と言って受け取っていた。その時は、好きな相手からもらうものならなんでも嬉しいんだと思い込んでいた。でも実際、嬉しくなかった。だから俺はそのへんで、彼女のことが別に好きでもなんでもなかったんだと気がついた。
 落下は早かった。いきつくまでは時間がかかる、でもさよならは早い。
 職業柄、スキャンダルは避けたかった。だから彼女には遠回しに「遠くへ行ってみたら?」と呟いてみた。彼女は首を振った。都会を離れたくなかったらしい。いい赴任先があるよ、給料もいいし、と誘ってみた。俺のお膝元だから悪いようにはしないよ、と。しかし彼女は、俺が口を封じたがっていることを十分知っているようだった。
 ああ、適度に頭の良い子を選ぶんじゃなかった。次はもっとおばかさんの可愛い子にしよう。俺はそこで決断した。決心した。
 記憶を消すには物的証拠が多すぎる。魔法で記憶を消すことはできても、過去は消せない。残してきた痕跡は消せない。ああ、次はもっと上手くやろう。記念品の数々を作り出すのはやめよう。でも仕方ない、相手が勝手に作ってくるのだ――
 これまでと同じにしよう。できたらこの手法は避けたかったんだけど。
 彼女は俺と別れた二週間後、「病気」で死んでしまった。葬式には行った。みんなが泣いていた。俺は神官らしく祈った。親には礼を言われた。俺は黙って首を振った。
 礼を言われるようなことはしていない。彼女を殺したのは俺なのに。

 そんなことを数回繰り返したところで、とうとう幼馴染みに気付かれた。
 名前はサックス。俺の幼馴染み。腐れ縁、とも言う。こいつはいつか俺を裏切ることを知っている。その昔、真実の鏡で未来を見てしまった。だから俺はもう誰も信用しない。俺の生きるこの世界に、俺が信用できる人間は一人もいない。愛すべき人はみんな死ぬ。信用しかけた人間は俺をおいて死ぬ、あるいは裏切る。何の力にもならない同情を寄せるだけで、誰も俺の味方にならない。
 俺には、友達すら要らない。未来の鏡に映る世界に俺の真の友と呼べる人間は存在しなかった。だから作る努力をしない。そんなことをしても無意味だという結果だけを知っている。
「――なぁー、聞いてる? 俺、お説教してるんだけど」
「一年前に付き合っていた彼女のことを思い出していた」
 サックスは眉をひそめる。一応、己の話と関係のある人物だということは分かったらしい。
「……ひとごろし。ああ、俺は平気な顔をして葬式に出席していたおまえの姿を思い出すだけで背筋が凍る。あの時はまだ気付いちゃいなかったが」
「直接手を下したわけじゃない」
「呪ったのか? それとも別の手段? ああーいや、俺はそんなこと聞きたくない。何してるんだって言ってるんだ。おまえ自分が何してるのか分かってるのか。おまえ、人間として失格だぞ、おい」
「知ってる。俺は壊れてる。崩れたパズルピースだ。しかももう全てのピースが揃ってない」
「……理解があるだけマシかもしれない。なあクラーリィ、分かったらもう二度とこんなバカな真似はするんじゃない。な、分かるだろ、倫理とか道徳ってもんがあるだろ? 命の価値とかそういう、さあ。おまえはこの国の実質最高権力者だろう? そんな奴がこんなことしていいと思ってるのか? なあ、違うだろ? 魔が差した――」
 聞き飽きた、とクラーリィはサックスの台詞を遮った。
 え、とサックスが間の抜けた顔をする。だから回りからバカだと詰られるんだ。
「つまらないんだ」
「なにが……」
「人間と関わり合うのが。気まぐれで遊んでみる。相手の感情を探ってみる。ふと解答が知りたくなって頭の中を覗いたりする。……ああ、それが俺の悪い癖。そこで飽きる。手放そうとする。でも相手はなかなか離れてくれない、なんたって俺だからな! だから俺は強引に突き放すことにする。ポイ、するんだ。子供が積み木を放り投げるみたいに」
 サックスが何か言いたそうに口をぱくぱくさせたので、俺は先回りして「積み木も人間も俺にとっては同じ」と言い放った。
 サックスは絶句したらしく、口をつぐんでしまった。
「頭の中を覗いた瞬間、俺の中でそいつはもう戦場に転がってるむかし何だったか分からない物体と同じものだよ。戦場のあれも、時々動いたりするしな」
「クラーリィおまえ疲れてるのか、なあそうなんだろう? しばらくその、引きこもるってのも、手じゃないかと思うぜ俺は。あのーほら、外交関係少し部下に任せたりしたりしてさ……俺もその、微力ながら? 手伝うし? 少し自省してみると、新しい発見があったりするかも……」
 サックスは至極心配そうな顔で俺のことを見ていた。こいつは一体何を言っているのだか。原因がどこにあるのかも知らない。バカだ。いや、バカなのは最初から知っていた。でも限度ってもんがあった。少なくとも俺はこいつを信用していた。友人だと思っていた。――全て過去形だが。

「サックス俺は真実の鏡を見た」
「いきなり何の話」
「未来を見た。俺とおまえの未来。おまえが昔、酔っぱらって『俺とおまえは永遠に友達だ!』なんて喚いたから。そっか、おまえもそう思ってくれてたんだって、俺は舞い上がった。で、年取った俺ら二人が今みたいに仲良くしてるのが見たくなって真実の鏡を」
「クラーリィ」
 サックスは青い顔をしていた。本人だってきっと知らない未来だ。聞きたくない、と彼は言うだろうか? でも、クラーリィはサックスがそれを言う前に全て言い切ってしまうつもりだった。
「墓が見えた」
「クラーリィ、やめ」
「俺はまだ二十代だった」
「……」
「墓碑銘はサックス、おまえの墓だった。俺はその墓に唾を吐きかけていた、それから思いつく限りの呪詛の言葉を」
 サックスは口をつぐんだ。顔が青い。当たり前か。きっと今のおまえにはまだ、裏切りの芽が生えていないんだ。
「おまえは、俺を、裏切って、死ぬんだ」
「……嘘だ」
「真実の鏡は嘘を映さない。これは真実だ。やがて来る避けられない現実だ。おまえは死ぬんだ、俺に恨まれて! 俺を裏切って! もうすぐに! もうすぐにだ!! 年月を言ってやろうか? 墓にはきちんと死んだ日まで――」
「やめてくれ!!」
 サックスのそれは悲鳴だった。
 いい気味だ、とクラーリィは詰った。
「俺はおまえを裏切るつもりなんかないんだよ」
「でもいずれ裏切って、俺の信頼を裏切って、おまえは死ぬんだよ。他の奴らと一緒に。今はそのつもりがなくてもいずれその時が来る。なんならおまえも見るか? 真実の鏡。俺とおまえのじじいになった姿なんて願っても、ないものは写せないだろうが」
「真実の鏡だって間違いを」
「しないね」
 クラーリィは突っぱねる。サックスの顔色は青いままだ。なんだ、もしかして心当たりでもあったのか? それともただ単に、近いうちの己の死を知らされて動転しているだけか?
 クラーリィは冷淡にサックスのことを眺めている。手が震えている。その震えはどこから? なぜ? クラーリィには分からない。
「俺、俺は死にたくない、そんな早くに、しかもおまえに恨まれてなんて」
 声も震えていた。
「でも悪いのはおまえだよ。俺を裏切ったからおまえが死ぬんだ。俺の命令を無視して。バカだなあ」
 サックスは黙った。ついに何の反応も返せなくなって、ただ俯いてしまった。
「死んだら聞こえなくなるだろうから、いまのうちに言っとくな」と、クラーリィは追い打ちをかけた。サックスは何も言わなかった。笑顔を貼り付けてあげたが、きっとこれはサックスの視界には入らなかったに違いない。残念だ、せっかくの、とっておきの、作りもののの笑顔だったのに。
 もしかしたらおまえが最後に見る俺の笑顔かもしれないんだぜ?
 なあ、サックス、と問いかける。サックスは俯いている。たぶん自分のつま先とかその辺をじっと眺めている。顔を上げる気配がない。いくじなし。
「友達ってなんだ?」
「クラーリィ、許してくれ」
 震える声でサックスはようやく反応してきた。手は祈るかのように組まれている。祈りなんて通じるものか! 神へ祈りを届ける大神官は今おまえの目の前にいるんだぞ!
 それに、都合の良い神様なんていない。知ってるだろ、嫌と言うほど。
「友情ってなんだ? 愛って? 信頼とは?」
「クラーリィ……ああ」
「なんでおまえは震えてるんだ、サックス?」
 なるべく優しい声色でそう言った。サックスはついに肩を振るわせ始めた。たぶん泣いている。唇を噛み締めて、嗚咽を漏らさないように、ひっそりと泣いている。でもクラーリィの前からは逃げない。
 その度胸だけは認めてやろう。
「真実の鏡を見たモンだから、俺の心はすっかり崩れたパズルピース。破片が細かくなりすぎて、一部は砂になって消えてった。だからもう復元不可能。ただのゴミクズ。俺はそれを捨てることにした」
「クラーリィ、止してくれ、頼む、頼むよ」
「心なんて要らない! 感傷なんてまっぴらごめんだ!! 唯一無二の友人だと思っていたおまえは裏切る! ……感傷で戦争ができると思うのか。チェスの駒一つ一つの状態をチェックしているようではゲームを実行することなんて不可能だ! 俺は勝つぞ。なんとしてもこのチェスに。どんな盤面になろうとも、どんなに駒を失おうとも、必ずこのチェスに勝ってみせる。どんなに不利な状況に陥っても、だ。そのために捨て去るべきものを考えていた。その内の一つを、はは、おまえが教えてくれた。
 サックス。おまえが俺を裏切る。だから俺はそれにショックを受けないように、それで差す手が震えないように、心をあらかじめ捨てておくことにしたんだよ」
「真実の鏡なんて、割っときゃよかったんだ。ろくなもんじゃない。こんなもの、こんなもの……」
「悪いのは真実の鏡じゃなくて、いずれおまえが俺を裏切って死ぬという事実だけだ。ずっと友人だという言葉をお前は嘘にする。おまえが俺を裏切る。俺は人の心を捨てる。予定調和だ」
 サックスはとうとう崩れ落ちた。その姿はまるで神に祈るそれ。でも目の前にいるのは俺だぞサックス。ただのクラーリィ、心をなくした人間だ。
 組んだ手がまだ震えている。何をそんなに恐れている?
「神様、神様、どうかこの友人に、俺の唯一無二の親友に、どうかご加護を、神様……」
 サックスは泣いていた。しばらくその場を動かなかった。
 クラーリィはそんな元友人を、じっと冷たい目で見下ろしていた。


 ***


 また夢だった。クラーリィはゆっくりと身を持ち上げる。体が重い。心なんてものは捨て去ったはずなのになんだか重苦しい。
「21グラム……これ、魂の重さか。心はどれくらいなんだ。心を捨てた俺の体はどれくらい軽くなったんだ」
 体は泥の中にいるかのように重かった。関節がぎしぎしと音を立てているような気すらしていた。上手く動けない。ベッドから転がり落ちた。這うようにしてデスクに近づく。確か机の上に、昨晩出しっぱなしにしておいた水が、水が。
 立ち上がる、失敗する、派手に転倒する。それを三回くらい繰り返した。たぶんその度に馬鹿でかい音が響いたのだろう、階段を駆け上がってくる音がして、ノックもなしにデビットが顔を出した。
「隊長! どうされましたか」
「うん、転んだ」
 四度目、立ち上がることを諦めた俺はデビットの顔を見上げる。朝早くからの勤務ご苦労様。でも俺からそれ以上の言葉は出ない。俺は随分前に心を粉々に砕いて捨ててしまったので、感謝の「気持ち」はもうわき上がってこない。嘘くさい言葉だけなら任せておくれ、いくらでも吐いてやる。それが結構上手いんだ、みんな騙されてくれる。あのホルン様ですら俺は騙せた!
 けれど、どうしたことかデビットは、俺の口から出てくるそれらの言葉が全て虚飾に彩られたものだということを知っている。
「お怪我は」
「全く」
「そうですか……」
 ほっとした顔をして、デビットが近寄ってくる。それでも心配なのか、頭を打ったりしていないか自分で確かめる気のようだ。好きにすればいい、とクラーリィはその場から動かなかった。
 しばらく状態を確かめ、納得したのかデビットの溜息が聞こえた。その瞬間にクラーリィは口を開いた。
「なあ」と呼び掛ける。自身は半ば床に転がったまま。
「なんでしょう?」
「どうも体が重いんだ」
「やはりどこか具合が悪いのでは?」
「いや、そうじゃない。魂の重さが21グラムって話、知ってるか。心はどれくらいだろう? 俺は多分、心の分だけ軽くなっているはずなんだが」
 デビットはバカじゃないから、この台詞だけでクラーリィの言いたいことのほとんどは理解してくれただろうと思う。
 一瞬、ほんの一瞬、息を呑む音が聞こえた。
「寝不足かな」なんて、気まぐれのようにクラーリィが呟く。わざと。
 デビットはしばらく、クラーリィの側にしゃがんだまま動かなかった。クラーリィはそんなデビットのことを眺めている。なんとなく、暇だったから。こいつが何か言うような気がしたから。今日は特に急ぎの仕事もなかったようだし。
 しばらくしてデビットは「あくまでも私見ですが」なんて謙虚な台詞を呟いた。
「ん?」
「幸せなとき、羽根がはえたようだ、とかいう表現を使うではありませんか」
 デビットにしては珍しく詩的な表現を使う。クラーリィは大人しく彼の話を聞いていた。
「天にも昇る気持ちだとか」
「へえ」
「私は隊長に教頭の任を与ったとき、本当に嬉しくて空が舞えるのではないかと思いました。そういうものです」
「ふうん」
「……つまり」
 デビットは言いにくそうに視線を逸らした。こいつがものをはっきり言わないなんて珍しい。そんなに俺に言いづらいことなのか。
「心は、あればあるだけ、身を軽くしてくれるものなのではないですか。情緒は身体に影響を及ぼします、マイナスであることもありますが、もちろん、プラスであることも。上手くコントロールできるのであれば、プラスだけを多く受け取ることだって」
 クラーリィは手振りでデビットの言葉を遮った。分かった、もういい。おまえの言いたいことは何となく分かった。でも手遅れだ。おまえは俺が鏡を見たあの瞬間には戻れない。ましてやその後起きた鏡通りの現実を、過去を、どうにかすることはできない。
「残念なのは」とクラーリィは呟く。
「おまえが全て手遅れになってから俺の前に現れたことだ」

 一瞬項垂れたものの、デビットはそっと手を出して、クラーリィが立ち上がるのを手伝ってくれた。クラーリィは変わらぬトーンで「ありがとう」という。そこに情緒はない、なぜなら彼には心がないから。
 だから、礼を言われているにも関わらず、デビットはいつも寂しそうな顔をする。
「パーカス」と呼び掛けてみた。クラーリィは少しだけ悪趣味な悪戯を思いついた。
 甲斐甲斐しい良い部下だ。しかしクラーリィは、そんな彼がなぜこうまでして自分に尽くしてくれるのかが分からない。
「何です」と彼が言う。早速仕事の用件か何かだと思っているに違いない。
「いつもありがとうな」と、また言った。今度は笑顔を貼り付けた。
 デビットはこの世の終わりとでもいうような顔をして、しばらく黙った後、小さく「いいえ」と首を振った。確かに絶望していた。
 デビットは今頃頭の中で考えているのだろうか、どうしたらいいのか、どうすれば良かったのか、自分に何かできることがあるのか。
 その答えは全てノーだ。実は、この先をもクラーリィは真実の鏡を通して知っている。そうして自分の人生に飽きてしまった。真っ暗闇が楽しいことを、暗闇の何もない世界にきてはじめて知った。

 今も、そしてこの先も変わることはない。クラーリィの心は砕け散ったままだ。デビットは己に何もしてやることができない。何の影響を及ぼすこともできないまま、ただ臍をかんで、クラーリィがますます加速度をつけて転がり落ちていくのを悲しそうな顔をして見守っていることしかできない。
 鏡に映ったクラーリィはいつだって、とっくのとうに心をなくして、空っぽの人形のように笑っているのだから。本当は、サックスの裏切りを知るずっと前からそうだった。裏切りを知ってようやく自覚しただけだ。たぶん自分は、軍隊に入ったあの瞬間から、母親を目の前で握り潰されたあの瞬間から、己を守るそのためだけに、心を砕いて捨ててしまった。
 小さなクラーリィはそれ以外に自分を守る手段を知らなかった。だから、とクラーリィは思う。
 昔、羽蟻を見つけてはその羽をむしるのが好きだった。その後、よろよろとクラーリィから逃げていく蟻が大人に無残に踏み潰されるのをじっと見つめていた。そうして命の軽さと重さを知った。じりじりと、手に持ったアイスが泥になっていくような夏の一日。ドラマティックな出来事なんて何もなく、ある日突然クラーリィに見つかって羽を毟られた蟻が、偶然通りがかった大人に踏み潰されて死んでいく。運が悪いだけ、あの蟻は運が悪いだけだった。その蟻に、クラーリィはいつか見た戦場と化したスフォルツェンドで逃げ惑う人々を重ねていた。
 そういう子供だったんだ。


 ***END



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