憤怒
 我が名は憤怒、汝が心に巣くう竜である。


 ***


 クラーリィは自分の邪魔をするものが何であれ嫌いだった。己の行く道は正しいと信じていた。実際そうして形振り構わず突き進んだ結果、何の血統も持たない人間の分際であるまじき地位に辿り着いた。
 だから己は間違っていない、それがクラーリィの持論だった。そして、己に続く部下たちのためにこの持論に疑問を持たないこともまたクラーリィの信条だった。
 邪魔者は排除するのが日常だった。否、日常と化していた。己を邪魔するものが――モノであれ人であれ――出現するとクラーリィは酷く腹が立った。俺は間違っていない、正しいことをしている。現にこの国は目覚ましいスピードで復興・更なる発展を遂げている。これ以上に何を望む。
 俺のしていることは間違っていない。なのになぜ邪魔をするんだ。クラーリィにはそれが分からなかったし、分かろうともしなかった。
 大体の場合、障害の排除に関してクラーリィはすぐ行動に移した。この権力でもってできないことの方が少ないことが幸いした。ありとあらゆる邪魔者は消した。物理的に、社会的に、あるいは精神的に、それに対して最も効果のある方法を選択し一つ一つ細かく、残らず削っていった。はじめは感じていたのかもしれない罪悪は、クラーリィの確固たる信条によって上書きされてクラーリィの心を痛み付けることはなかった。

 クラーリィの心に巣くう憤怒の竜は日に日に大きく育っていった。
 うまくいかない。腹が立つ。憤怒は竜を育てていく。
 後継者が育たない。いくら待っても逸材は現れない。ならばと自ら探しに行ってもクラーリィの期待に応えられるだけの人物と出会うことはできなかった。どいつもこいつも根性と才能のどちらかが絶望的に足りず、辛うじて足りている者を見つけてもその者には圧倒的に経験値が足りなかった。経験値が足りないがゆえに、肝心なところでミスを繰り返す。クラーリィがそのミスを見逃し、成長を待てば待つだけ苛々が募った。成長が遅い。待っていられない。俺はおまえと同じ歳の頃、もう既にその問題はクリアしていた、そんな奴らばっかりだ。こういう類の連中に、俺の椅子は譲れない。
 平和になった証だといえば聞こえはいい。だが、後継者が見つからない問題は年々重くのし掛かってくるようになった。何年繰り返しただろう。何人の出来損ないの面倒を見てきただろう。カウントに飽きた頃、クラーリィの中の竜は魔族のそれと見劣りせぬ程度に大きく育っていた。もし精霊のように人目に映るものであるのならば、誰もが悲鳴を上げるだろう。司聖官の背後に佇む、満腹を知らぬ哀れな竜。
 クラーリィの抱える孤独は、その分だけ竜を豪華に育て上げた。まるで金銀財宝で飾りたてたかのようだ。心に抱える空洞の分だけ、竜は華やかに育っていった。

 ある日クラーリィは背後を振り返る。己の育てた化け物。何も知らぬ、憤怒しか知らぬ、その権化として生まれた竜。飾りたてるのはクラーリィの孤独。
 美しく育ってしまった。
 いつの間にかひと数人は丸飲みにできそうなほどに立派な体躯と大きな口を持っていた。けれど、その竜が口にできるのはクラーリィの憤怒だけ。それがこの竜をここまで育てた。
「ああ」とクラーリィは笑う。
「魔族の発生の仕方が分かった」
 久しぶりに主人の顔を見た竜は無邪気にも首を傾げる。彼にはクラーリィしかいない。彼の目にはクラーリィしか映らず、彼の世界にはクラーリィしかいない。
「おまえは竜だがきっと似たような機序なんだろう。こうして人の心の醜い部分が魔族を作り上げるんだ。だから世界からは魔族が消えない。一度パンドラの箱に吸い込まれたはずなのに、再び自然発生的にどこからか生まれてくる。いや、発生してくる――きっとおまえは俺がおまえを否定した瞬間に俺から解放され、一匹の竜として生きるようになるんだろう。世界を知る。様々な感情を知る。竜は憤怒を司るから……そうだな、きっと怒り以外のいろいろな感情を知り、世界のどこかに安住の地を求めて彷徨う日々を続けるようになるんだろう。この世界の一員となって、美しいもの、汚れたもの、すべてを見る。
 おいで、かわいい坊や。俺の子。愛しの我が権化。誰にも渡しはしないし、この薄汚い世界なんて見なくてもいい。
 俺はおまえを否定しないよ。決して否定しない。おまえは俺で、俺の一部だ。おまえはきっとこれからも日々大きくなっていくんだろうが……大丈夫、満腹にはならなくとも、飢えに苦しむことはないだろう。ここにおいで、ここが世界で一番安全なんだ。俺は今『人』以外の全てをこの世界から消そうとしている。だから俺から離れたらだめだよ坊や、殺さなくちゃいけなくなっちまう。
 ここにおいで、ずっとここに。俺の孤独を埋めてくれ」
 虚しい金銀財宝で。そう思ったがクラーリィは何も言わなかったし、顔にも出さなかった。竜はなんとなく己が受け入れられていることだけは分かったのか、嬉しそうに立派な尻尾をそろりとクラーリィの方へ差し出した――

 ***

 グローリアとの軋轢からひと波乱呼んで、それも落ち着いた頃、正気を取り戻したらしいシコードに「なあ」と呼び止められた。
「……」
「ちょっといいか。その……二人で話がしたい」
「後始末については全て話し合いで片が付いた筈だが?」
「いや、ごく個人的な用件だ」
 シコードの顔は(いつもそのようだが)真面目で、何か悪巧みをしているようでもなかったので、クラーリィは仕方なく「いいぞ」と答えた。これからはそれなりにこの国とも仲良くせねばならない。憂鬱だ。

 二人きりになった途端、シコードはいきなり「君は何者なんだ」と聞いてきた。
「司聖官クラーリィだ」
「……ではその背後の竜は? 実体がない。妖精や精霊の類に近いが君が召還したものではない。スフォルツェンドの者にも見えていない。グローリアで精霊の加護を受けている者でもよっぽど訓練しないと見つけられないだろう。だが君の竜は……そんなにも奥底に隠れているくせに……そこらの魔族よりよっぽど立派だ」
「見えるのか」
「やはり知覚していたのか?」
「随分前からね。そうだな……大神官になる前には既に側にいた。周囲の者には見えないと気付いたのはその直後だったから騒がずに済んだ。が、おまえには見えるのか」
 最初は同じくらいの背格好だった。確か、魔法兵団に入って少し経った頃のことだったと思う。ふと気配を感じて、背後を見たらそこに竜がいた。はじめクラーリィは焦った。竜の中には人間に友好的な種もいる、と本で読んだことがある。仮にこの竜が友好的な種だとして、いくらなんでもスフォルツェンド王宮付近を歩き回られては即刻退治されてしまうだろう。何の由縁か己に懐いて後ろをついてきてしまったものだと思い、森かどこかへ追いやろうとした。
 しかし、その直後に気がついた。周囲の人間が誰もクラーリィの背後を見ていないのだ。子供と同じくらいの大きさとはいえ、竜と人間を見間違える訳がない。
 ああ、周りには見えていないのだ、とクラーリィは悟った。そして数日経ち、離れる気配のない竜を眺め、どこかからやってきたのではなく、己の影のようについて回る存在なのだとも自覚した。どこか感情がシンクロしているような、そんな奇妙な感覚があったからだ。最初クラーリィは生肉などを与えようと試みたが、竜は食べ物を欲しがらなかった。何を欲しがるのだろう。感情がシンクロしている――ならば己の感情そのものか。
 推測は当たっていた。この竜は、クラーリィが自分や周囲に対し苛立てば苛立つだけ、成長していった。

 シコードは一度、大きな竜を上から下まで眺めて「実に立派だ」と溜息をついた。
「存在としては妖精、精霊に近いからね。私の得意分野だ。ただ、私も最初は気付かなかった。知覚して、集中して眺めてはじめてその大きさに驚いた」
「可愛いだろう」
「……いいや」
 シコードは真面目に首を振った。クラーリィはむっとする。可愛い我が子を否定されたかのような気分だった。
「うるさい、何も知らない分際で。こいつには俺しかいないんだ。俺がこいつを守るんだ」
「……竜がご機嫌になったな」
「俺が怒っているからだろう。こいつにとってはただの餌だ」
「ではクラーリィ、君はその竜の本質を知った上でそこまで大きく育て上げたんだね」
「他にどんな方法がある。投げ捨てろというのか、この世界に。この世界にはもう『竜』の居場所なんてないっていうのに?」
 クラーリィが苛立ち、その分だけ竜がのどを鳴らした。ご機嫌なのか尻尾を振っている。
「他ならぬ君がなくしたんだ」
「そうだとも。だから俺はこいつを受け入れた。放てば人の害悪ともなり得るが、俺の影として存在する限りこいつは安全な存在だ。俺の憤怒と孤独の分だけ大きくきらびやかに成長していく」
 シコードは一瞬渋い顔をしたが、クラーリィを怒らせると思ったのか一端口を噤み、それから話し出した。
「精霊は時に召喚者自らの手によって生み出されることがある。精霊と妖精の境界は曖昧だが、大きな違いはそこだろうな。妖精は術者によって生まれたりしない。その点君は……精霊の召喚者として実に見事な腕前を持っているといえる」
「披露する気はないがな、褒められたと思っておくよ」
 シコードがまた渋い顔をした。
「もう一度いいかい。……普通一人の人間がこんなにも大きな竜を育て上げることはない。人が召喚したとして、この大きさの竜は術から解き放たれ、世界を知り、他の感情を知り、その上で知識やその他諸々のものを溜め込んで何十年、何百年の時をかけて育つものだ。
 だが君は他に何も与えず、ただ憤怒のみでこの竜をここまで育て上げた。
 君は何者なんだ」
 クラーリィは笑った。シコードの畏怖が言葉の奥底に見えたからだ。この俺が化け物に見えるかいシコード、通常の人間ではあり得ないような憤怒を抱えて生きている代物だと。
「俺は……一市井出身の、ただの『クラーリィ』だよ」
 シコードは返事をしなかった。ただ、その顔が何か異形の者を見るかのような表情で、それがクラーリィの神経を逆撫でた。
 竜はまたほんの少し大きくなった。
「可愛い坊や」
 撫でてやりたいところだが、この竜に触れることは叶わない。クラーリィの伸ばした腕は宙をかく。
「触れたいのか」とシコードが問う。
「そりゃあもう。我が子同然に甘やかしてここまで育ててきたんだ。こいつは唯一俺の孤独を埋めてくれる。俺を裏切らない。期待に背くことをしない。ただここに在るだけで俺を満足させてくれる」
 シコードは少し黙って、クラーリィの顔を見つめていた。やがて気が進まないといった調子で、「頑張ればできる」と呟いた。
「それは本当か」
「現在その竜には実体がないが……君が意識を集中させることで、あくまでも召喚者としての技術を磨けば、召喚という形で君の中に巣くう竜をこの世に呼び出すことができる。ただ……そうなったらもう彼の視界に入るのは君だけではなくなってしまう」
「……それは嫌だな。俺はこいつにこの世界を……美しくないこの世界を見せたくないし、ほかの人間なんてもっと見せたくないんだ。今だって、こいつにはおまえが見えていないんだろう?」
 ああ、とシコードは肯いた。クラーリィがくすりと笑う。
「じゃあいい。結構だ。俺のささやかな独占欲、目を見て意識を通じ合わせることができるだけでも良しとしよう。贅沢は良くない」
「君は悲しい人だ」
「なぜ」とクラーリィは問う。
「この世界が美しくないと思っている。それ故に常に苛立っている。そうしてその竜を永遠に育て続ける」
「それは違う」とクラーリィは笑った。
「世界は美しいさ。いや、美しかった。だがありとあらゆるもので汚れた。もう原型を留めぬほどに汚れた。世界はもとの美しかった頃を思い出せなくなってしまっている。人はその追憶の彼方に押しやられたものの影を見ては『美しい』と溜息をつくんだ」
「……」
「今更本物の『美しいもの』を捜し求めたって無駄ってことだ」
 クラーリィは竜を眺めて微笑む。シコードの背筋を冷たいものが走る。
「さながらこの虚飾はその偽物の美しさの象徴ってところだ」
「そこまで理解していて……君は……なお」
「うるさいな」
 ちっ、と舌打ちをする。ああ、長年仕舞い込んできたのについ癖が出てしまった。こいつがあんまりにも俺を苛立たせるから。シコードが後ずさる。背後の竜に怯えている。
 シコードはもう一度「君は悲しい人だ」と繰り返した後、静かに去っていった。

 ***

「ドラゴンを見たことは?」
「……北で。遠目にですが」
 いきなり何です、と弟は問うてくる。シコードが話し掛けること自体稀だから驚いているのだろう。そして嬉しがっている。一語も聞き漏らさんと思っているのか、彼は今の今まで熱中していたはずの実験を放り投げてこちらへ近づいてきた。
「先日スフォルツェンドへ行ったろう。そこでそれはもう大きな竜を見てね」
「私が調べたときは、ドラゴンを飼っているという記録はなくなっていましたが……」
「いや、実物じゃない。まだ概念的な存在だ。つまり妖精とか、精霊に近い存在の竜。分かるかな?」
「つまり私とは相性が悪い、ということですね」
 弟が残念そうに肩をすくめる。
「いや、私でも最初は気付かなかったくらい『奥』に潜んでいたんだ。それはもう奥深く、人の深層心理とでも呼ぶべき場所に。この国の者とてそう気付くまい」
「人?」
 シコードはあの時のクラーリィの顔を思い出した。微笑んでいた。背後の竜を愛おしそうに眺めていた。けれど、その奥底に抱える憤怒はあり得ないほどに強大で根深い。それこそ、シコードの想像もつかぬほどに。
「おまえも知っている人だよ。……クラーリィだ」
「彼は魔法使いなのに、精霊……妖精を?」
「素質があるんだろうね。しかし……殺されなくて良かったね、あれは……おまえが後少し彼を怒らせていたら、本気で殺されていたかも知れない。彼の憤怒は底知れないぞ」
「……」
 弟は少し不本意そうに首を傾げた。そう易々と殺されはしない、という自負が彼にもあるのかもしれない。
「今でこそ許してくれたようだが、あのまま彼を怒らせたままだったら、排除されていたかもしないよ。本当に。それくらい大きな竜を飼っていた」
「兄上、しかし私は」
「正直怖いと思ったよ。おまえが無事で良かった」
 弟はそれっきり口を噤んだ。シコードが「怖い」と表現するなんて余程のことだ。
 それに、兄が己のことを心配してくれている、そのことが何よりも嬉しかった。
 そうですね、と弟は静かに返した。

 ***

 歌っている。随分と悲しげな旋律のうたを歌っている。けれどその声はどこか弾んでいた。まるで葬列に笑顔で並んでいるようなそんな違和感があった。
 その理由をデビットは知っていた。
「ご機嫌ですね、隊長」
「ああそうとも」
 クラーリィはデビットに話し掛けられて歌うのを止めたが、その代わりメロディをいつまでも口ずさんでいる。笑顔を携えたまま。
「何度も忠告したのに。な?」
「……ええ。厄介と思われるほどに忠告を繰り返しました。聞いて頂けませんでしたが」
「自業自得だよ。な?」
 鼻歌が止まった。デビットの見るクラーリィの瞳から暖かみが消えた。笑みも消えた。
「俺の邪魔をしたから悪いんだよ。な?」
「……ええ」
 悲しいかな、デビットはクラーリィを止められない。そして、正しいのがクラーリィの方であるということを知っている。
 クラーリィはご機嫌だった。進めていた施策の邪魔をしてきた連中を一網打尽することに成功したからだ。きっと彼らは一生牢獄住まいになることだろう。直前のクラーリィの怒りようは凄まじかった。隣に控えるデビットが、その殺気だけで竦み上がるほど。
 彼らが死ななかったことは奇跡だとすら思う。ここ最近のクラーリィは、邪魔者の排除の過程で多少の死傷者が出ても何も感じないようだった。
「この間グローリアの連中と和解したろう」
「ええ。何か問題がありましたか?」
「いや、その後な、ハープ・シコードに呼び止められて、説教を喰らったよ」
「説教?」と、デビットが聞き返す。
「そう。えーとそうだな……かわいそうな奴だ、みたいなことを言われた」
 デビットは咄嗟に返事ができない。
「どっちがだ……全く」
 デビットは黙っていた。シコードが言いたかったであろう真意に触れてしまった気がして、ひたすらに黙るほかなかった。
 憶測が当たっているならば、デビットはシコードと同意見だと言わざるを得ない。
「……ふん。まあいいや、忘れよう」
 クラーリィはそう吐き捨てて、またあのうたを歌い始めた。きっと彼が今回の怒りを静めるまでこのうたは続く。デビットはじっとそれを聞いていることだろう。彼が落ち着くまで。彼の怒りが落ち着くまで。それが永遠に消え失せない炎であることを知ってなお。
 うたにそぐわない微笑みを浮かべるクラーリィの背後で、醜くも美しい巨大な竜が喉を鳴らしている。


 ***END



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