ある少女のひとりごと



 ***


 私の生まれた日の朝は、戦火に包まれた煉瓦がまだ熱を持っていた、そんな朝だった。
 
 街の復興と共に生きた私にとってスフォルツェンドの復興は何だか当たり前のことのようで、新聞などが「復興が進まない」と嘆いたり「驚異的な復興を遂げた」と書き立てるたび首を捻った。復興、というより私にとってそれは「成長」だった。
 城下町での暮らしはたぶん、ごく平均的で大した変化もない普通の日常の繰り返しだった。
 再開発される街並みが迷路のようで、よく隠れんぼをした。追いかけっこも、障害物だらけで楽しかった。道は毎週のように変わっていった。見上げる空にうつり込む建物は年々高くなっていった。
 視界の隅に聳えるスフォルツェンド城だけは、いつまでもその姿を変えなかった。このお城だけは物心ついた頃には修復が終わり、それきり形が変わることはなかったのだ。

 お城にはお姫様が住んでいる。それがお伽話のお約束だけれど、この国は違った。王女は私と同い年。戦火の中行方不明になってそれっきりだ。誰も口にはしないけれど、きっと逃げ損ねて死んでしまったのだと思っている。
 生まれて間もない赤ん坊をあんな戦火の中から逃がすなんて絶対に無理だ、と母は言う。私もそう思っている。
「あんたが生まれただけ奇跡よ」と母が言うので、私は曖昧に笑った。私と同い年の子はみんな奇跡の子だ。あの戦火の中を、身重の母たちは逃げ惑った。そして無事に子供を産み、育てた。
 私の父は魔法兵団に入っていて、あの戦争でもそこそこ活躍したらしい。詳しい資料は何も残っていない。私の父が所属していた小隊はほぼ壊滅。父は残り少ない生存者だった。けれど、勝利を祝う暇もなく、私の顔を見ることもなく、呆気なく感染症にかかって死んだ。
 写真の殆どは戦火の中に消えた。だから私は父の顔すらろくに知らない。残ったのは焼け焦げた制服くらい。それも、今はどこへいったか分からない。お墓に入れたような気もする。それともどこかの戸棚の中にしまったままだろうか。
 でもそれは、この町に住む人にとって普通のことだ。母が健在な分、私はむしろ恵まれていた。

 あの時、辛くも勝利を収めた戦場で、ただでさえ心にも身体にも傷を負ったにも関わらず、ホルン女王様が倒れ込む兵士に回復魔法をかけて回った話は美談として受け継がれている。今や国中に名を轟かせることとなった市井出身の大神官・クラーリィのお父上がホルン様に回復魔法をかけてもらい、その奇跡に感動した彼が魔法兵団に入ることを決意した、という話も同じくらい聞いた。
 町にたまにやってくる兵団勧誘の人たちは、この二つの話をいつもセットで持ってくる。そして最後にこう言うのだ。魔法兵団に入れば女王陛下の恩恵に与ることができますよ、近くでそのお顔を見ることができるのですよ、と。
 私はその話を聞くたび、でも私の父は治してくれなかった、と思った。大神官の父は運が良かっただけだ。そして私の父は運が悪かっただけだ。別に恨んでいる訳じゃない。あの時手を差し伸べられていたら今も生きているかといえばそうとも言えない。どちらにせよ、女王の慰めがあろうがなかろうが、私の父も彼の父も死んだ。
 それに、顔も見たことのない一兵卒止まりだった私の父には、薄情なことにあまり思い入れがない。

 この国には王女様がいない。さきの戦争で王配殿下も亡くなったから、跡継ぎが欲しいなら再婚しなくちゃいけない。普通の家庭なら子供はもう諦めることになったり、養子を貰うなんて手もあるけれど、この王家に至ってはそうはいかない。血統がある。大事なのは血統なんだ。
 王家の血を継ぐ女の子でなければ、跡継ぎにはなれない。
 こんなことを外で大っぴらに言うと頑なに王女生存説を信じている人に石を投げられるから、やっぱり私は家でこそこそと母と会話をする。
 女王様も年なんだから、早く再婚しなくちゃいけないのに。行方不明の王女が生きてるって信じているんじゃないの。妹を作ってしまったらその子がまだ生きてるって希望がなくなりそうで怖いんじゃないの。
 女王様だって人間でしょう。本当は、跡継ぎなんて作る気ないんじゃないの。息子も娘も亡くして辛いのよ。また産んでまた失ったら、そう考えるだけで恐ろしいわ。
 もし生きてたら行方不明のあの子を跡継ぎにすればいい。そうじゃなきゃ、この国から回復魔法をなくすつもりなのかもしれないよ。跡継ぎなんてもういいって、そうは言えないからずるずる先延ばしにしている振りをしているだけかもしれないよ。
 回復魔法なんてものがあるからこうなるのよ。限られた人にしか使えないからこんなにも困るのよ。あんな魔法、不公平だものね。この国は不公平よね。この世界は不公平よね。
 母はそう言った。私は何も言わなかった。不公平じゃない世の中なんかあるものか、と思ったからだ。

 私に魔法の才能はない。それはもう子供の頃に分かっていた。だから魔法兵団に入れと言われたことはない。近所の人なら私の才能のなさをみんな知っている。だから魔法兵団に入らなくていい。入ったって役立たずだ。だからこうして毎日町で母と二人、小さな店をやっている。それが許されている。
 私が戦地に立って命を張る必要なんて全然ないのだ。そういうことは、素晴らしい血統付きの素晴らしい才能を持った人たちがやってくれる。私はその後ろに隠れてのんびりと日々を過ごしていればいい。
 今も戦場で誰かが悲鳴をあげている。魔族の姿に怯えている。でも私はこの町から出ない限り安全だし、守られている。いざという時はエリートの人たちが助けてくれる。まあ、運が良ければの話だけれど。
 私は血統も何もないただの人だけれど、だからこそ今幸せなのだ。
 誰にも「国のために死んでくれ」と言われない。命を投げ出すことを強要されない。大神官の話なんて、私にはちっとも良い話に聞こえない。彼は両親をなくして、おまけに魔法の才能が抜群にあって、国のために生きるしか道がなかったんじゃないか。私のような生活を営むことなんてできるはずがなかったんだ。
 きっと生まれたときからそんな風に決まっていて、いつか国のため、って言われながら死ぬんだ。魔族に殺されたり、とにかく痛い思いをしながら。
 私はそんなの嫌だ。兵士になんかなりたくない。誰かに「何かのために生きろ」なんて強要されたくない。でもこう言えるのは、私が無力だから。無力という特権を持っているから。
 私にはあの人たちとは違って、人生を選ぶ権利がある。

「回復魔法がなくなっても、案外困らないかもね」と私が言うと、母は「困るも何も、元から私たちは恩恵に与ったことなんてないでしょう」と言い放った。
 母の呆れ顔を見て、そうか、としばらくぼんやりしていた。上層部は何か変わるのかもしれないけれど、私たちみたいなちっぽけな一市井たちにとったらたぶんどうでもいいことなのだ。
 国の名前が変わるかも。法律が変わったりするかもしれない。魔法重視じゃなくなったら、私も徴兵されたりするのかな? 案外すんなりと変わって、今の大神官がそのまま王様になるのかも。息子扱いを受けてる、なんて話も聞くし。
 でも、きっと私たちの生活は大して変わらない。少しは変わるかもしれないけれど、すぐに慣れるだろう。毎週のように変わっていった道並のように、私たちは上手く順応していくだろう。
 私が生まれたあの時にこの国は大きな痛手を負ったけれど、大して変わらずにそのまま「成長」を続けたのだ。政治にはあまり詳しくないけれど、外国の偉い人がちょくちょくやってくるってことは相変わらず力のある国なんだろう。
 なんだ、と私は呟いた。私が思ってるほど、世界は劇的に変わったりしない。大声で世界の終末がどうのとか、魔族の支配の手がとかそんなことが叫ばれているけれど、たぶん世界は何も変わらない。
 違う。世界が変わらないんじゃない。受け取るみんなが変わらないだけ。受け取る私が変わらないだけだ。

 そんな頃だった。戦争の気配。急にピリピリし出して居心地の悪くなった町。そして、死んだと思っていた王女様の帰還。
 噂話は風よりも早く舞った。
 王女様が帰ってきた。変な奴らを連れてきた。どうやらダル・セーニョの王子も一緒にいるらしい。
 あの国は滅んだらしい。本当に? スフォルツェンドの盾の国ではなかったの?
 軍王が動き出したんだ。軍王って? 魔族の長みたいなものだ。大魔王に仕えてる。そんなものいるの? 初めて聞いた。
 どこへ行っても町はそんな話で溢れかえっていた。中には顔見知りの私を見つけるなり「王女様帰ってきたって!」と話し掛けてくる子もいた。同い年だから、どこか親近感でもあるのかもしれない。
 でも私には何の関係もない話だった。きっと一生会わない。生きている世界が違う。命がけで守ってくれる兵士はいない。そのかわり、何の義務もない。
 兵隊が「あなた」というだけで命をかけてその身を守るんだから、それなりのことをしてよね、と私は思う。私がそんな立場になったら残酷だと思うかも知れないけれど、生まれたときから宝石に囲まれた生活を送る権利を持っている人の気持ちなんて分からないし、分かろうとも思わない。
 なぜだか嬉しそうなその子に「そうだね」と曖昧に相槌を打っておく。一応喜ぶ振りをしないと、今は町がピリピリしているから、どこで過激派が耳をそばだてているか分からない。
 私はまさしく他人ごとでその話を聞いた。興味はなかったし、どちらかというと戦争になるのが嫌で、そちらの話の方が気がかりだった。
 まるで王女様が戦争を持ち込んできたみたいなタイミングで、帰って来なければよかったのに、なんてことをすら思った。流石に母にも言わなかったけれど。
 友達とは、王女様見つかって良かったよね、なんて他愛もない話ばかりをしていた。女王様もきっと喜ぶよね、とか、これで守って貰えるよね、とか。
 でも、私と同い年の子が守ってくれるとかくれないとか、バカみたいな話だと思った。結局ひとりに変わりはないから、大神官と私の父親のように、運が良いか悪いかで生死が決まっちゃうことだってあるのに。
 我ながら実りのない会話だった。帰ってきて良かったとか、見つかって嬉しいとか、そんなこと微塵にも思っていないくせに。私は嘘つきだ。

 いつもならお祭り騒ぎになるだろうこの町。でも今回は違った。
 聞こえてきたのは楽団の太鼓の音ではなくて、軍隊の足音。
 戦火はすぐに灯った。

 ***

 私の人生は戦火の残り火と共に始まり、戦火の中に終わる。

 死ぬのだと悟った。
 スローモーションのように瓦礫が私の頭上へ落ちてくる。視界が瓦礫で埋め尽くされて、頭が真っ白になった。ただ、死という言葉だけが頭の中を反響していた。
 悲鳴と爆ぜる音、そして灰燼と火花のうちに、私の人生が終わる。だけど、きっとこの国も世界も終わらない。
 私だけが表舞台から退場する。私の死は先人たちと同じように扱われ、特別扱いされることはない。
 いい人生だったのだろうか。この時代にしてはいい人生?
 人類の存亡をかけて、なんて叫んでいるこの時代に私の人生の幸福なんて望んではいけなかった?
 母さんは上手く逃げられたのかな。最後になんて喋ったっけ。それとももう死んじゃったかな。

 嘘だ。私は私に嘘をついていた。私には人生を選ぶ権利なんてなかった。こうして一市井として生きる以外の道はなかった。お姫様にも、神官にも、魔法使いにもなれない。ただ町娘として生きる以外に道はない。
 それを知っていたくせに、分かっていたくせに、自分をごまかしてきただけだ。選択肢がないことが悲しいから。
 夢が叶わないことを知っているから、そもそも夢を見ないようにしていただけだった。

 悔しい。
 瓦礫が落ちる。視界は真っ暗だ。ああ、もう何も聞こえない。何も見えない。何も感じない。虚無ってこんな感じ?
 私は特別な人になりたかった。


 ***END



Top