きみはずるい・1



***


「その条件は飲めない」
 きっぱりと金髪の主は言い切った。想像していた答えとはいえ、あまりの即答にシコードは言葉を詰まらせる。
「せめてその数値を下げてくれ」
 冷たいまでの碧(へき)の瞳はしっかりとシコードを捉えている。
「…10下げよう」
「50だ」
 またの即答。クラーリィは腕組みをしたまま、少しもシコードから目線を外そうとしない。
「では20」
「40」
 シコードが黙る。
 年下と聞いていたが、正直ここまで上に出られるとは思っていなかった。グローリアと並ぶ大国、スフォルツェンドの大神官。その背に負うものの重さが、態度にも滲み出ているということか。
「では…25だ」
 クラーリィが口の端をつり上げた。机に置かれた資料へと目線を移す。
「35に、おまけ付きでどうだ」
「…おまけ…?」
 怪訝な顔をするシコードに、クラーリィは顔色一つ変えずに言い放った。
「一晩おまえを『接待』してやる」


***


 今後の国同士の関係を決定するため、いくつかの協定を結ぼう――というのが、今回の会談の目的だ。
 北の国、グローリア。対して南に位置する、スフォルツェンド。この二つの国は主義は違えど世界を代表する大国だ。そしてその国を背負って立つはシコード、そしてクラーリィ。二人はどちらもまだ若く、諸国からその役職にはまだ不適当なのではないかという声すら上がることもある。だが二人ともその年でその役職につくだけあって、「腕」はかなりものと言わざるを得ない。
 だからこそ、今回の交渉は、難航を極めるのではないかと言われていた。大国同士、条件を譲るとは中々思えないからだ。

 会場にはスフォルツェンドが選ばれた。最もそれは、この会談の直前に世界会議がスフォルツェンドで行われていたからというごく単純な理由からだ。スフォルツェンド側に有利に事が運ぶことはありません、とシコードはくどいほど説明を受けた。

「こんにちは、師団長。お会いできて光栄です」
 年下だという大神官・クラーリィは、あからさまに社交辞令だと分かる挨拶をした。口先はあんなことを言っているが、目がちっとも対応していないのだ。睨んでいるに近い。シコードは少し様子を窺った後、宜しくどうぞと言い返した。
 広い室内には二人しかいない。最も、外には大量の警備兵が待機はしているが、彼らが活躍することはないだろう。クラーリィも、シコードも、共に魔法・妖精術の世界一の使い手なのだから。

 挨拶もそこそこにクラーリィは着席を勧めた。シコードが小さく会釈したのを確認すると背後の窓のカーテンを開ける。申し訳程度に「問題ないな?」と聞いてきたので、シコードは若干慌ててああ、といらえをした。
 シコードの向かいにクラーリィが座った。沈黙の支配する会談が開始された。

 予想に反して、いくつかの条約は簡単に結ばれた。お互いの主張がうまくかみ合ったからだ。お互い、主張が拮抗することを懸念して、始めからある程度譲歩した案を持ち出したことが大きかったのだろう。
 だが、数本の条約を締結させた後、話が詰まった。互いの主張する数字が、絶望的に釣り合わなかったのだ。
 もともと、この案だけはどうしても、とグローリア側がすこし強硬な数字を出した。スフォルツェンド側は当然反対するだろうと、その後譲歩してもよい数値まで用意されていた。その値、30。



「…『接待』?」
 聞き返したシコードを、クラーリィは黙って見返してきた。少しシコードを睨んだ後、ああ、と無難な返事をする。恐らくクラーリィは何かこの界隈の隠語を使っているのだろうが、この世界に飛び込んで日の浅い(といっても、クラーリィに比べたら、だが)シコードにはその意味が良く理解できない。シコードは天秤に一時の恥と後々の恥をつり下げて、一時の恥を選択した。
「『接待』とは何だ?」
「何だ、知らないのか」
 ある意味期待通りとも言える返事が返ってきた。無知ですまない、と素直にこちらの非を認める。癇癪持ちの王に仕えてきたシコードは、嘘をついたり見栄を張ったりすると恐ろしいことになる、と身をもって知っている。

「一晩おまえと寝る相手を用意するから、なんとか条件を下げてくれ、と言ってるんだ」
 シコードの思考が一瞬止まる。そんなシコードの様子には目もくれず、目線を反らしたまま、クラーリィは続ける。
「ああ、寝るって意味は流石に…わかるよな」
「……っ…」
 言葉に詰まったシコードにようやく気付いたのか、クラーリィが顔を上げた。純粋な理由で赤面するシコードとは対照的に、クラーリィは首を傾げている。
「なんで、そんな反応をする?こんなの交渉の常套手段だろうに」
「う……」

 少なくともシコードは、こういう場に出てからそういう対応を求められたことはないし、そんなことが実際にあるとも聞いていなかった。現状に驚く一方で、この金髪の青年が自分にわかりにくく嫌がらせでもしているのではないかとすら思う。
「おまえの前の師団長とは、よくこういう方法で解決してもらったのだけれど、どうやら聞いていないらしいな。女でも、男でも、何だったら俺でもいいぞ」
「!?」
 シコードは先ほどから口をぱくぱくさせるだけで、何も言葉が出てこない。それを知ってか知らずか、クラーリィは一人で言葉を続ける。
「交渉において、互いの性欲を利用するというのは割と良くある話だ。人間の三大欲求の一つだからな。スフォルツェンドは昔からその手を利用してきた。俺の前任はこっちには縁がなかったらしいが、俺はそうじゃないから安心しろ」
 何を安心するんだ、と言いたかったが言葉が音となって出てこない。シコードは言葉を発することを諦めて、現状の理解と把握に全神経を集中させることにした。
「因みに、おまえの前任は俺がお好みだったようで、数回『お世話』させて頂いたよ」
 クスクスと意地の悪い笑い声が小さく漏れる。数度地獄の底を覗き込んでいるという大神官は、シコードならとても口にできないようなことをすらすらと並べ立てて平気な顔をする。

「で、どうする」
 その言葉にシコードが狼狽える。
「ど、どうする?」
「35におまけつきで条件を飲んでくれるのか。それとも決裂か。おまけなしで35でももちろん構わない。おまけつき条件を飲んでくれるなら相手は誰が良いんだ、ってことだ。さっきも言ったが、俺でもいいぞ」
 べらべらと並べ立てられ、シコードの頭は完全に混乱した。そもそもこの状況があり得ないのだ。世界きっての大国・スフォルツェンドの大神官が夜伽をしてもいいと言っている?

 冷静に考えよう。
 国から上げても良いと言われている値は30だ。だが、シコードが何とか言えば35までは大丈夫だろう。更に、既に重要視されていたいくつかの条約は締結に成功した。だから、別にクラーリィの言う「おまけ」を頂かなくても、シコードにとっても、グローリア帝国にとっても、十二分の収穫があったことになる。
 対してクラーリィがそんなことを言うということは、スフォルツェンドにとってこの数字は35以上にしなくてはいけない数字なのだろう。体を売る真似をされるくらいなら、ここは譲ったほうがいい。
 たちの悪い冗談だと受け取って、今回の「おまけ」は断ろう、とシコードは腹を決めた。



Top Nxt