きみはずるい・3



***


「…ホルン様…」
 少年とも青年とも言い難い年齢の彼がベッドに文字通り転がっている。潤んだ瞳で見上げるのはホルン女王その人。彼女の一挙一動にクラーリィは体を震わせる。
「あの…」
 手首や足首にまとわりつく鎖が冷たくて寒い。何か言ったところで彼女が解放してくれるとはとても思えないのだけれど、クラーリィは一縷の望みに掛けて彼女に恐る恐る声を掛ける。
「良い子。黙ってらっしゃい?」
「…はい」
 あっさり無下にされたものの、もう何の感情も湧いてこなかった。この時間がはやく過ぎ去ってくれればいい。それだけを願って、クラーリィは目を瞑った。

 なぜこんな状況に陥っているかと言えば、クラーリィが大神官に就任して、ホルン女王からじきじきの「お話」があると聞かされて。指定された時間に彼女の部屋に行くと、部屋に入るなり「服を脱げ」と言われ。驚くクラーリィに、ホルン女王は交渉ごとを成功させるのは大神官の重要任務で、その手段の一つとして相手と寝ることも視野に入れよとのお言葉。
 そうして、毎晩のように「躾」られている。
 とある日はローターを突っ込まれて一晩中放置されたし、とある日は目隠しされて誰だかわからない男に犯された。この間もういやだと泣きついた時は散々叩かれた挙げ句ホルン女王直々に犯された。ぎゅうぎゅうに縛り上げられて、その上酷い罵声を一晩中聞かされたこともある。
 たとえ肉体を支配されても、心だけは守り通せと彼女は宣う。

 逃げ出すことを何度も考えた。でも、逃げ出した後のコルの処遇や、これまでの恩を考えるとそうすることができなかった。
 ホルン女王は必ず、ひととおりやり終えた後、ぐったりしているクラーリィの耳元でこう囁くのだ。
「クラーリィ、良い子。頑張ったわね…私はそんなあなたが大好きよ、クラーリィ」
 その言葉が、彼の敬愛するホルン女王の言葉がクラーリィを縛り付けて離さない。少なくとも、彼から「逃げ出す」という選択肢を奪っていった。

「いっ…」
 ひんやりとした感覚。クラーリィはなるべく、自分がその感覚を知覚しないように意識を別の場所へ飛ばす。流す涙は枯れてしまったし、敬愛する女王にこんなことをされても、もう悲しいとすら思わなかった。



「……」
 夢だ。懐かしい夢を見た。
「もう、諦めたよ…」
 あの「躾」は始まってからだいたい一月ほどで終了した。実践に移行した、と言った方が正しい。一体どれほどの人間に体を明け渡したか分からない。それどころか、十代も終わりに近づいた頃には話が広まったのか、これまで物品・資金などで済ませていた妥協案を夜伽に変えてくる者まで現れた。そして最近、もう自分から条件の一つとして言い出すほうが楽だと言うことに気付いてしまった。

 シコードのあの反応は不可解極まりなかった。なにもあんな田舎娘のような反応をしなくても、と思う。今日こんな夢を見たのはあいつのせいだと片をつけて、クラーリィは立ち上がる。
 顔を洗おうと洗面所に赴いて自分の顔を見て、はじめて泣いていることに気がついた。はらはらほこぼれ落ちる涙が鬱陶しくてしょうがない。
「…なんだよ。なにが…そんなに…」
 初めて「それ」を強要されたときの恐怖や、嫌悪感や、そんなものみんな心の奥底にしまってすっかり忘れた気でいた。なのに、それをシコードの態度で思い出してしまった。別にしたくてしているわけじゃない。それでも仕事だと割り切っていたつもりなのに、夢を見て涙する程度には未だに厭だと思っていたらしい。
「…ちくしょう、こんな…ちくしょう…」

 クラーリィはひとり、鏡の前で、止まらない涙をいつまでも拭っていた。


***


「おはようございます、シコード師団長」
 はて、昨日のは夢だったか、と思うほどさわやかな笑顔と共に挨拶された。もっとも、シコードも公私を混同するような人間ではないから、おはようございます、大神官、と頭を下げる。

 さて、今日も会談の続きだ。

「はい、ご苦労様。あとは俺がやるから。退出して結構」
 早々に警備と女官を追い出して、再び二人きりの空間が作られる。シコードはクラーリィの動作を目で追っていた。ドアの向こうを指差した指が、男のものとは思えないほどすらりとしていて綺麗だった。いや、男に対して綺麗という単語使うのは間違っているかもしれないが…
「今日はおまえのせいで悪夢を見た」
「…俺のせい…?」
 なんだそれは、と思ったが、存外クラーリィが真剣に文句を垂れているので言い返すのはやめておいた。昨日のような変な雰囲気になるのはごめんだ、とシコードは考える。もしかすると、こういう軽口で切り口を開いて上手く交渉しようという彼の思惑かもしれないし。文句が軽口かどうかはこの際気にしないことにする。

 クラーリィは黙ってシコードの言葉を待つ。
 昨日はいささか妙な具合に話がこじれた。最近その職に就いたという師団長で遊んでやろうと思ったのがそもそもの間違いだが、年も近いのにこんな地位にまで上り詰めているのだし、体の一つや二つ売っていてもおかしくないと思う。あそこまで純粋に否定されるといささか悔しいというか。
 本当は、いささかどころではなく悔しいのだが。

 お互いの思惑が外れて、長い長い沈黙が訪れた。痺れを切らしたクラーリィが、「今日の議題だが」と切り出した。シコードは思った通りだったとほっとする。実際は違うのだが。

 交渉自体は滞りなく進んだ。昨日の決裂を受け、シコード側、つまりグローリア側が大幅に妥協した所為もあるだろう。



「お疲れ様」
 昼になり、会談がお開きになる。クラーリィはシコードを労う発言をし、机の上の水を勧めた。
「毒は入っていない」
「ああ、ありがとう」
 先ほど同じボトルから出した水を飲んでいたのをシコードはこの目で確かに見ているし、スフォルツェンドの大神官がそんな姑息な手を使うとも思えない。殺そうと思えば殺せるだけの腕はあるのだから。もちろん、そうなったらシコードの全力で応戦するから只で済む訳はないが。
 クラーリィは、シコードがごくんと飲み干したのを確認してから口を開いた。
「毒は入っていないが、催淫剤を入れておいた」
 一瞬の硬直の後、シコードは飲み込んだ水を吐き出そうとげほげほと胸を叩いた。が、一度飲み込んだものはそう簡単に吐き出せるものではない。シコードは胸を叩くのを諦める。空きっ腹に入り込んだ水は今から洗面所に駆け込んでも戻ってきてくれないだろう。
 失態だ。グラスの方に仕掛けがあるとは考えもしなかった。
「何をする!」
「…そんなに、怒らなくても」
 薬を盛ったと堂々と言うクラーリィは、その行動とは裏腹に言葉が不明瞭だ。シコードは逃げることを前提に立ち上がる。ほんの少し頭痛がしたが、きっとこれは薬の所為ではない。
「薬を盛られて怒らない奴がいるか!」
「まあ…そうかも…しれないが…」
 若干ふて腐れたようにクラーリィが口を噤む。ちっとも反省していない様子がシコードを苛立たせる。
「世話になったな」
 踵を返し部屋を出て行く。…のを、クラーリィが引き留める。袖を掴まれた感触に振り返ると、まるで捨てられる女のような顔をしているクラーリィがいる。女にしては随分ガタイがいいが。
「…放せ」
 怒りのあまり声が震える。シコードにしたら珍しい。郷里の友人がこんな様子を見たらどう揶揄することやら。
「おまえは何がしたい。俺に強請って欲しいのか?国際問題にして大神官の荷を下ろされたいのか」
「ちが…」
 俯いていてクラーリィの表情は伺えないが、彼は断固として手を放さない。
「いい加減にしろ!」
 ぺし、とシコードはクラーリィの手を振り払った。案外簡単に彼の手は離れた。
「おまえは性格が悪い」
 普段物静かで、人を罵倒したことなどないと言われていたシコードだが、今回ばかりは容認できない。
「性悪だ」
 クラーリィが傷ついた顔をしたが、あまりの苛々に言葉が止まらない。
「おまえに昔何があったのかは知らんが、いい加減にしろ。昨日といい今日といい、おまえは何がしたい。俺で憂さ晴らしでもするつもりか?ふざけるな!」
 行動の止まったクラーリィを尻目に、シコードはこの部屋を脱出する。彼が追いかけてくる気配はなかった。

 気分が戻らず昼食は取らなかった。この日の午後は、なんだったのだあれは、と悶々として過ごす羽目になった。



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