かぜをひいた



***


 サックスが風邪を引いた。熱が出たので大人しく布団の中に収まっている。薬は処方されたのだが、いかんせん即効性がないのかあまり効いていない現状がある。

「馬鹿でも引くんだなあ」
 かなり遠巻きに、顔を出したクラーリィが呟いた。ベッドの中からサックスは恨みがましくクラーリィを眺める。体調管理を怠った自分が全て悪いのだが、なんともまあ、恋人のくせに味気ない反応というか。
「馬鹿って言った奴が馬鹿なんだぜ…へくしゅ」
「まあいい、寝てろ。それから、うつると困るから仕事に来るな。絶対来るな」
 行けないよ、こんなんじゃ、とサックスはぼそぼそ言った。が、遠すぎる所為でその小声がクラーリィには全く届かなかったようだ。
 仕方なく、甘ったるい声で救援を要請してみる。
「寂しいよーお見舞いに来てー」
 甘ったるい声を出したつもりが、咳の所為で変なガラガラ声にしかならなかった。
「気が向いたらな」
 気配でクラーリィが鼻で笑ったのがわかった。彼はかつんかつんと規則正しい音を立てて部屋を出て行った。

 サックスひとりぼっち。熱の所為か寝付けず、天井を睨みながら自省する羽目になる。

「(あの言い方…きっと来ないつもりだあいつ…)」

 二十年近い付き合いをしているからクラーリィの性格は良く分かっている。
 要領が良く、器量も良いクラーリィは幼馴染みの中で一人だけ突飛出た大神官なぞという職に就いている。あの中では最年少にも関わらず。
 どの幼馴染みが風邪に倒れても、「うつると困る」と見舞いに来なかったこれまでの例を思い出す。最もそれは、「大神官」という役職を担う以上当然の心がけでもあるから、あまり身内から批判は出ていない。薄情者、と笑いながら言われる程度だ。

「(でもさあ、今までとは、状況が違うって言うか…)」

 この間、酒の勢いで積年の想いを打ち明けてしまった。ああこりゃまずい、変質者と嫌われる、と思いっきり酔いが醒めたが、意外なことにあっさりクラーリィはうんと言ってくれた。
 と、いうごくあっさりした過程の元、職業欄「クラーリィの恋人」となったサックス。最近の悩みは「正直今までと扱いが変わらない」ということだ。休日は付き合ってくれるようになったのだが、そもそも休日が一致しない。月に一回合えば良い方だ。毎日仕事で顔は合わせるから、会えない、という訳ではないのだが。

「(一応恋人なんだし、見舞いくらい…あああ…)」

 はかない望みだとは分かっているが、さっきみたいに遠巻きで良いから顔くらい見せに来て欲しい。卵酒作ってとか、飲み込めないよー口移しがいいよーとか言わないから…
 本当は言いたい。思いっきり甘えたい。けどそんなことしたら確実に嫌われるから現状維持。涙ながらに現状維持。


***


 次の日。
 熱がまだ下がらない。鼻水も止まらない。でも咳が止まった。よかった。

「…ずび…ぐすん…へくしゅ」

 昨日は結局、クラーリィどころか誰も見舞いに来てくれなかった。サックスは寂しくてしょうがない。みんなもう仕事に就いているから仕方ないと言えば仕方ないのだが。
 誰も来てくれないから仕方なく、自分で起き出してお粥を作った。多分、今になっても熱も鼻水も治らないのは昨日頑張っちゃった所為だと結論づける。

 昼頃、微睡んでいたところ、ティンがお粥を手に現れた。
「生きてるー?」
「…う、うん…」
 クラーリィは?と聞きたい所を精一杯我慢した。友人たちにはクラーリィとの関係の変化を黙っている。あんまり隠すこともないだろうが、言いふらすような話でもないし。彼の見舞いを諦めきれない愚かな自分よ。
「お粥作ったよ、食べな」
「どうも…えくしゅ」
 ティンが額に乗っていた濡れタオルを交換してくれた。普段は見せない彼女の優しさに驚く。
「あ、そうそう、クラーリィから伝言だよ」
「ぬあっ!?」
 変な声が出た。ティンが変な顔をしてこっちを見たので狼狽える。
「…『ごめんしごと』だって」
「…あ、そう…」
 ティンが申し訳なさそうな顔をしているのが本当に哀しい。憐憫のこもった眼差し、とサックスは思った。
 クラーリィとの間のこともサックスの態度でバレバレなのだと思う。なぜって今現在、サックスはきっと捨てられた犬のような顔をしている。
「そ、その、何…元気だしな、ね」
「うん…」
 お粥ありがとう、と何とか言うと、可哀相な奴、と呟いてティンが出て行った。

 その後、半泣きになりながらお粥を流し込んだ。何がこんなに哀しいのかと思いながら、なんだかしょっぱいお粥を完食。そのまま不貞寝した。


***


 更に次の日。鼻水がだいぶ少なくなった。熱も下がってきたが平熱にはまだ遠い。

「(今日も来ないのか…来てくれよ…)」

 諦めきっているつもりなのだが、でも一欠片の希望を捨て去ることが出来ない。惚けているとしか言いようがないし、もしかしたら溺れてる?なんて思ったが、これは風邪故の人恋しさだと自分を納得させる。

 もぞもぞと布団の中で寝返りを打つ。何か腹に流し込まなくてはとは思うのだが、失意の内にいるサックスにその行動力はない。
 だらだらと転がっている内にまた眠ってしまった。



「おーい、サックス!」
「…ああ…おはよ…」
「昼だけど」
 視界に飛び込んできたのはクラーリィではなかった。ちぇ、とサックスは心の中で呟いた。お見舞いありがとう、でもこの状況ってどうかと思うよ、とも思った。幼馴染みの一人がサックスの上に馬乗りになってニヤニヤ笑っている。彼の後ろでごそごそ音がするので、多分一人で来たんじゃないんだろう。
 一日ろくに声を出していないので咄嗟に声が出ない。
「びっくりしたー?」
「…うん…」
「もっと面白い反応返しなよー、きゃあ襲わないでーとかさあ、クラーリィ助けてーとかさ」
 幼馴染みはけらけら笑っている。病人に何するんだとか、気色悪いこと言うなとかいろいろ文句は言いたかったがその前に気になることが一つ。
「なんでそこで…クラーリィが…」
「あれ?付き合ってるんじゃなかったっけ?」
「(言ってないのに…)」
 バレバレだったかな?と過去を振り返ってみるがなにせ二十年近く。そもそも酒に酔うと口が滑るという癖がサックスにはあるらしく、深く考えていると鬱になる。
「それはともかく、クラーリィから伝言だよ。『ごめんしごと』だって、お気の毒ー」
「……」
 もう何も言い返す気力がなかった。神様酷いです、俺はこんなに骨身になって働いているのに、こんな仕打ち…

「なにやってるんだよお前、サックス殺す気か!」
 と、もう一人がようやくどかしてくれた。重かった。
「ティンとマリーが昨日に引き続きお粥作ってくれたぞ。食っとけよ」
 言うだけ言って出て行った。お粥ありがとう、でももう少し居てくれると寂しさを紛らわせてよかったかも。

 ぼうっと一人白い天井を見上げて、それから諦めたように溜息を付いて。昨日と同じ、ちょっとしょっぱいお粥を流し込んで寝っ転がった。



 会いたいよ、の一言が、どれだけクラーリィの重荷になるか分からない。クラーリィの日頃の仕事ぶりをしっているだけに、言葉には慎重になる。と思っていつもと変わらない対応をしているからこそクラーリィもいつもと全く変わらない対応しかしてくれないんだろうか…
 ということをぐるんぐるん考えている内に夜になった。今度こそ本当に寝た。


***


「な…治ったっ!」
 起きたら頭がすっきりしていた。熱も下がっていた。喉は少し痛いが、許容範囲。その証拠に、腹が空いてきた。
 がば、とベッドから飛び降りる。少しめまいがしたが、顔を洗おうと洗面台に足を運ぶ。
「これで恨み辛みを…言える…わけ、が…」
 なんで来てくれなかったんだよ、と女々しく泣きつく自分を想像してサックスはひとり項垂れる。一瞬のうちに、クラーリィにふられ、幼馴染みに縁切りされ、ひとりぼっちになるところまで想像できてしまった。いっそこの想像力が呪わしい。

 とりあえず執行部に顔を出して、職場復帰を伝えよう。きっと机の上にはまる二日分の仕事が溜まりに溜まっているに違いない。そういう状況下に置かれ、泣きそうな顔で救援を求める幼馴染みを何回も見ている。
 残業だ、クラーリィと二人っきりだ、ときめきタイムだ、とかなればいいのになあ。しかしながらクラーリィは公私をはっきり区別しているから、どこぞの恋愛小説で良くあるような、そんなシチュエーションにはまず成り得ないのだ…残念なことに。

「おはようございまーすっ」
 おはよう、とか、良くなったのか、という無難な言葉が投げかけられる。それにたいしていちいちヘコヘコと頭を下げ、ようやくクラーリィの御座す机の前まで。おはよう、と愛しい彼に声を掛ける。
「ああ、おはよう。良くなったのか、良かったな」
 書類に向けていた目がサックスに向けられる。言葉通り元気そうなのを確認して、彼はほんの少しだけ笑った。
「お騒がせしましたっと。今日から通常通り仕事…しご?」
 自分の机に視線をやったサックスの動きが止まる。あれ、仕事の山がない。寧ろ寝込む前より机が綺麗。あれ?
 サックスの戸惑いの視線に気がついたのか、クラーリィがやんわりと口を挟む。
「やっておいた」
「へ?」
「病み上がりでそんなんじゃかわいそうかと思って」
「……」

 あれだけ日々自分のことは自分でやれと言っていたクラーリィがサックスの仕事をやってくれた?
 ああそうか、「ごめんしごと」ってそういうことか、そりゃ二人分仕事してたら見舞いに来る時間なんかないよな。

 自惚れだなんて思いたくない。愛しい金髪の主の、頬が赤く染まってるのもきっと幻じゃない。
「ありがとう、クラーリィ、俺嬉しいぞ…」
「馬鹿言ってないで早く仕事を開始しろ」
 クラーリィが居心地悪そうに視線をずらした。

 ああ俺愛されてるぞ、と天にも昇る気持ちになったとある朝。思わず顔が緩む。サックスの意図するところを知ったのか、赤いままのクラーリィがもう一度「仕事しろ」と言った。サックスはそんなクラーリィに抱きつきたい(寧ろしがみつきたい)衝動を必死に抑え、席に着く。
 ほんのり幸せな気分の中、いつも通りの日常が再開される。


***END



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