きみはずるい・4



***


 翌日。明日で会談は終わりだ。また夜何か仕掛けに来るのではないかと昨日あれだけ身構えたものの、結局あの後クラーリィの姿すら見かけなかった。会談中に何かリアクションしてくるだろうかと、シコードは身構えたまま席に着いた。
 遅れてきたり、何らかのアクシデントがあるかと思ったが、そんなことはなかった。クラーリィは定刻に姿を現し、やっぱり昨日のことは夢だったのかと思わせる声で挨拶をする。だが、その顔に笑顔はなかった。

「師団長」
 二人きりになったところで声がかかる。伏し目がちになっているためか、長い睫毛がよくわかる。
「昨日は、その、…失礼を」
「……あ、ああ…」
「申し訳ありません」
 頭を下げられた。逆ギレされればそれなりの対処がとれるものを、こうも下手に出られると怒りようがない。それに昨日は、シコードの人生上稀に見る罵声を彼に浴びせてしまったからこれ以上何か言うのも、と考える。

 性格を否定するということは、それ即ち本人の人格を否定するということだ。さしては本人そのものの人生、生ですら否定することになりかねない。相手が頭の悪い人間ならそこまで深く受け取らないだろうが、相手が相手だ。そう聞こえたと考える方が自然。
「気にして…いなくはないが、その、俺もおまえに、酷いことを言って、悪かっ…た」

 クラーリィのリアクションは無かった。しばらくの後、彼が「今日の議題ですが」と口を開いた。この話題はそれっきり。今日は彼の方が、会談が終了した途端逃げるようにこの部屋を出て行った。シコードが見たところ、今日の会談でも特に平行線に陥ったものはなかったように思う。会談それ自体は順調だ。
 昨日の行動を恥じでもしたか、とシコードは思う。逃げ去るだけのことを彼はしたし、自分も庇うつもりはない。だけどなぜか、結局一度も表情を崩さなかったクラーリィが心にひっかかってしょうがなかった。



 考えても答えなぞ出るはずもない。ため息をついて立ち上がり、自室に戻った。

 明日は、この会議一番の難題が控えている。
 正直、今この状況のままこの議題についてクラーリィと二人っきり、何時間と顔を合わせたくはない。スフォルツェンドとグローリアの利権は決定的に食い違っていて、主張が平行線に陥ることは目に見えていた。だが、かといって不成立では終わらせられない。今回の会議はこの議題のために用意されたようなものだからだ。
 どうする、と考えてもどうしようもないことは明らかで。今のシコードにできることといえば、明日へ向け感情の揺れを押さえること、明日の段取りを良く確認すること、その程度の初歩的なことだけだ。

 シコードは立ち上がった。既に夕刻を過ぎ、廊下は人工の明かりで煌々と照らされている。遠く聞こえる虫の声が、世界が夜の帳に包まれたことを伝える。無機質な冷たい明かりの中、シコードは一人補佐の控え室へ向かった。シコードは重要なデータの管理を連れてきた補佐に任せている。役職名こそ凡々だが、その役職の責は重い。スフォルツェンド側と交渉が決裂しそうな場合、更なる譲歩や決裂の決定権の半分は彼に、もう半分がシコードにあるほどだ。
 明日のことで二、三確認しておきたいことがあった。最もその内容をシコード自身もうほぼ完璧に覚えていて、確認というより念押しに近い。
「…ん?」
 一つ空き部屋を挟んだその奥が補佐の部屋なのだが、その部屋からちょうど当の本人が出てきたところだった。手水にでも行くのか、タイミングが悪かったなと引き返そうとしたところ、背後から声が掛かる。
「師団長殿」
 補佐が、少し小走りにこちらへ近寄ってくる。
「よかった、ちょうど貴殿のところへ行くところでした」
 そうか、と無難な返事を返す。向こうもシコードと同じで確認したいことでもあったのだろうか。
「今から少し取りかからねばならぬことができまして。申し訳ありませんが、お話などありましたら明日朝一番に伺いに参ります」
 ぺこり、九十度の素晴らしいお辞儀を披露すると補佐はさっさと部屋に戻ってしまった。返事すらする暇を与えられなかったシコードは大分遅れてからああ、と小さく呟く。台詞を言う間、少し彼が笑っていたのが気に掛かった。

「(何だ、いまの…)」
 少し首を捻って、それからすぐに踵を返し自室に戻った。風当たりが強いのなど始めからだ。



 平民出身のくせに師団長などという立派な役職に就いていると顰蹙を買うことが多々ある。この国は他の国に比べ軍事優先で、シコードは戦いという観点において飛び抜けた実力を持つから平民出身でもこんな役職に就くことができた。だがやはり血筋を重んじる一派が居ることも事実で、彼らから謂われのない中傷を受けることなど日常茶飯事だ。
 今まで補佐にそういう素振りはなかったが、彼も年配でよい家の出の人間だ。シコードのことを内心面白く思っていないという可能性は十二分にある。シコードという人材が現れなければ、次の師団長は間違いなく彼だったろうし。

 大神官と交渉が上手く進んでおりませんとでも告げ口するか、と考えてすぐに頭を振った。全くもって確証のないことで今までシコードの為に働いてくれた彼を疑うなど言語道断だ。もしかしたら明日の資料に重大なミスを見つけて、徹夜で直さなければいけないことになって、でも直接大神官と対話するシコードに負担はかけまい、気付かれまいと笑っただけかもしれない。

 すまない、と心の中で謝って、シコードは自室に戻った。これ以上何をしても悪影響しか出ないと結論づけて、明日のためすぐに寝た。


***


 翌日、支度をするシコードの部屋にノックの音が響く。
 申し訳程度の小さな窓だが、開け放てばそれなりに新鮮な空気が入ってくる。彷徨い込んできた新緑の香りと朝の柔らかな光は心身を軽くしてくれる。その調子で大神官との微妙な関係まで浄化してくれやしないか、と願ったが流石にそれは無理だった。それどころか一連の流れを思い出して鬱々とした気分まで思い出してしまう。

「師団長殿、私でございます」
 終わらない逡巡を補佐の声が引き裂いた。ああ、今開ける、とドアに呼びかけ、すぐにノブに手をかける。キイイと軽い金属音を立てドアが開き、片手に資料を抱えた補佐の姿が視界に飛び込んだ。
「入ってくれ、そこの机のところにでも」
 昨日の予想は当たりか、と幾分気持ちが楽になったところで、補佐に椅子を勧める。昨夜の努力を労おうと茶を入れに奥へ行こうとしたが、流石にそれは断られた。

 補佐は机の上に真新しい資料を広げる。シコードが覗き込んだところで、これはですね、と彼の解説が始まる。



「…は?」
 シコードは自分の耳を疑う。国で何度も確認した事項と、たった今補佐が提出した事項は随分食い違いがある。更に、どちらかというとスフォルツェンド側に有利な点まで出てきている。ここで恩を売るつもりなのだろうか。
「ええ、つまり、強硬策はやめましょうというだけです。スフォルツェンド側と言い合っても、お互い大国ですし、譲り合えるとは思えません。時間の無駄です」
「しかしスフォルツェンド側が強硬策を出してきたら本末転倒ではないか」
 本来は安易に譲れる事案ではないことを示すため、あらかじめ強硬策を提示し、それから調整に入ろうといっていたものだ。だから提出する予定だった強硬策をそのまま押し切ろうというわけではない。それはきっとスフォルツェンド側でも同じ考えだろうと予想される。
「いえ、その心配は無用です。会談は本日で終了、延長は認められません。了解いただけますね」

 全く聞く耳持たずといった様子で、補佐はシコードの確認「だけ」を取りにきた。本当ならもっとじっくり彼の話を聞いて真意を探りたいところだが、生憎と時間がない。これまでの彼の功績を考えると、こう突拍子もないことを言っているように見えても実際はそれなりの深い配慮あってのことなのだろうと考えられる。心配無用と言い切るからには何か策でもあるのだろうし。
 シコードはそう結論づけて、渋々頷いた。



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