指先3センチ



 ***


 思うところ望み無しとしか思えない相手に恋をした。壁は盛りだくさん、正直全ての壁が壊れるとは思えない。ハッピーエンドに至っては想像もつかない。
 それでも諦めたりしないのは、この恋が本物だから――なんて言うと、格好いいだろうか。



シーン:その1
「じゃ、あとヨロシク」
「あ、ちょっと待っ」
 サックスが立ち上がって引き留めるも虚しく、クラーリィは手をヒラヒラ振って立ち去ってしまった。
 調子の良い奴。頼んできた時にはお願いしますとそれはもう粛々とした態度だったのに。
 いや、「お願いします」とは言い過ぎで、ホントは「なあ頼むよ」だったりしたけれど、この程度の脳内変換に関しては許して欲しい。少しくらいは記憶の中で幸せになったっていいだろう。
「ひどい。何なの」
 愚痴ったところでそれを聞く相手がいるわけでもなし、サックスは一人大きくため息をつく。いつかクラーリィに、いつもいつでも無理なお願いを文句もそこそこに聞いてあげているのはおまえが好きだからだ、と言ったらどんな顔をするだろう。赤くなるか青くなるか、それとも冗談はよせと怒られるか。

 一つだけ言えること、それは恐らくサックスは一生そんな質問をしないということだ。言ってしまえば最後、今の微妙な距離は崩れて二度と戻らない。より近くなるか、より遠くなるか、二つに一つ。しかもその比率はイーブンではなく、大分片方に偏っている。
 勝てない賭けに興じるのも人生だろう。しかしサックスにコインを投げるつもりはない。諦める気がないからこそ、安全域に入るまで迂濶な行動はしない。
 最も、その安全域なるものが実際に存在するかにすら疑問の余地が残るのだけれども。

 サックスはよしとかけ声を一つ、クラーリィの頼みを解決してやろうと腕を捲る。



シーン:その2
「サンキュな」
「もっと感謝してよ、俺に」
 してるって、とクラーリィは笑う。サックスが手渡した書類を大事そうに抱え込んで助かったと続ける。その位俺のことも大事にしてくれればいいのにとまでは言わないけれど、何かもう少し別のリアクションの取り方があるんじゃないかとサックスは気を揉んだ。そしてすぐに、無生物と比べるまでに堕ちた己の頭のかわいそう具合にショックを受ける。
「おまえの感謝はいっつも口だけで、俺いつも只働き同然の扱い受けてるんだから、その、何、俺にはもう少し何かを要求する権利があるよね」
「何かって何だよ。金品か?」
 クラーリィの味気ない現実的な提案にサックスは肩を落とした。腐れ縁、旧友、幼馴染み、こんなカテゴリに分類される相手が今更金品を本気で要求するとお思いなのだろうかこの頭でっかちは。
 しかし、では具体的に何をお求めなのかと問われると明確な答えを出せないサックスである。
「お金なんか欲しくないヨ……」
「じゃあ何だよ俺の愛か? 哀れみの方の哀ならいくらでもくれてやるよ」
 俺の愛欲しい、と思ったけれどサックスは例によってクラーリィのその言葉に対して何のリアクションもとらなかった。代わりににかっと笑い、メシ奢れよ、とクラーリィの背を叩く。
 クラーリィは何かぶつぶつ言いながらも、分かったよと頷いた。サックスがひとり「デートの約束ゲット」とか考えてにんまり笑っていたことに、その辺鈍いクラーリィはきっと気付かなかっただろう。



シーン:その3
「おばちゃんおかわり」
「てめぇ空気読めよ」
 クラーリィがサックスを連れて来たのは予想を裏切らず城下の安食堂だった。ご身分に合いませんよと言ったところで理解してくれないだろう。平団員だった頃はこういうところで腹を満たしても誰も何も言わなかったのに。
 連れて来たのはおまえだかんなとサックスは呟き、運ばれてきた二杯目のおかわりを口に運んだ。うーん、目の前の相手のおかげで飯が美味い。
 クラーリィはというと、まさかここまで粘られるとは思っていなかったようで、店中の視線を集めて尚おかわりを頬張るサックスを至極迷惑そうに眺めていた。よく食えるよな、という感想つきで。
「ご飯おいしーよ」
「そうか。良かったな」
「奢りだから尚のこと美味いよ」
 クラーリィは呆れ顔だ。早くに食べ終わってしまい、片肘を付いてサックスがひたすらもしゃもしゃ食べるのを眺めている。
「おまえ性格悪いよな……晩飯の分まで食おうとか思ってんだろ」
「あ、ばれた? つか、性格の悪さに関してはおまえも負けちゃいないから、自分のこと棚に上げてひとのこと言うの止めといたほうがいいよ?」
「おまえに言われたくねぇなぁ」
「あっ何その顔。大体おまえが俺をこき使ってちっとも見返りを寄越さないからいけないんでしょ」
 サックスの正論にクラーリィは反撃を失ったらしく、ちっと小さく舌打ちをするとそっぽを向いてしまった。やれやれ、とサックスはため息を一つ、楽しい楽しいデートの時間をこの辺りで切り上げようかと考える。久しぶりに心の底から楽しかった。もっとも、こう言ったらクラーリィは烈火の如く怒りそうなので口にするのは止めておこう。

 サックスがご馳走さまと手を合わせると、クラーリィは手元の財布に視線を落としつつまた舌打ちをした。今度別の席で、その癖止めた方がいいよと注意してあげよう。サックスは慣れたものだからもう何とも思わないが、多分周りの人間の多くはクラーリィのこの癖に怯えているに違いない。ついでに言うと、クラーリィに友達が少ないのもこれが原因の一つに違いない。
 二人は勘定を済ませて店を出る。出た途端目に入った日光が痛くて、サックスは思わず目を瞑った。クラーリィも同じく痛みを感じたらしく、不愉快そうな呻きがサックスの耳に届く。聞き馴れないその声にあらぬ想像をして朱の差したサックスの頬を、やはりどこか鈍いクラーリィはきっと気付かないでくれたはずだ。



シーン:その4
 例によって頼まれごとに走ったサックスはようやくそれを終わらせ、優雅に中庭を歩くクラーリィを捕まえた。終わらせたぜ、と言うと彼は嬉しそうに頷いた。
「助かるよ」
「もっと感謝してー」
 感謝して、俺に頭が上がらなくなるまで感謝して、いつか俺の心の広さに気が付いて惚れ込んでくれ。
 しかしそうなる可能性が僅かにでもあるかどうかすら分からないのが現状。サックスは冗談半分、クラーリィの気持ちを探ってみようと考える。
「な、おまえ俺のことどう思ってんだ? 俺に嫌がらせしてんの」
「え? ……俺は別に、好きだけどおまえのこと」

 サックスの時が止まった。

「えっ、えっ?」
 何その、普通に好きとか。
「えっておまえ、そうじゃなかったらこんなに長く付き合ったりしないだろ」
 何と! クラーリィ的には好きを通り越して付き合っていたらしい! 一体いつから?
 サックスの戸惑いにクラーリィは気付かないようで、彼は前を見据えたまま話し続ける。
「でも、まあ、おまえが嫌だって言うんならもう仕方ないかな、そろそろ潮時――」
「嫌じゃない!」
 サックスは必死になって否定する。少し先を行っていたクラーリィは驚いたのか立ち止まった。
「全然嫌じゃない、俺もおまえのこと好きだから頼まれごととか全然苦痛じゃないし、正直おまえのためになるならそれだけでも嬉しいし、おまえが喜んでくれるなら俺なんだってするし、好きだから!!」
 一息に言い切ったサックスだったが、目の前のクラーリィの反応は予想と違った。
「……は? 何言ってんの、おまえ」

 多分、今度はサックスの心臓が一秒くらい止まった。

「いや、俺はそういう好きじゃなくて、別に嫌がらせをしたいからものを頼んでいるわけではないということをだな、……うん……」
 クラーリィは途中から非常に残念そうな顔をして口ごもった。さすがにこれが原因で親友に死なれたら夢見が悪いと思ったか。
 サックスは分かりやすく真っ白になっていた。発言を撤回しようかとも思ったが、あそこまで真剣な顔をして言い切った言葉を冗談とはさすがに言えない。そんな見え透いた嘘は良心が許さない。第一、今こうして狼狽えていることがそもそも答えを言っているようなものだ。

 サックスは暫く黙ってから、死にそうな顔で「ごめんなさい」と呟いた。怒る、殴る、顔色を変える、あるいはキモイと吐き捨てられるかと思いきや、クラーリィはサックスのどの予想とも違う行動を取った。
「へぇー。おまえ俺が好きなの。バカ?」
 男だし、俺、とクラーリィのもっともかつ当然の突っ込み。クラーリィの愉快そうな声にサックスは本気で殺意を覚える。サックスがもう少し理性の効かない奴だったなら、間違いなく刺されるレベルの笑い方だ。
 まったく目的の違う釣り針で変な魚が釣れたもんだから、クラーリィはここぞとばかりに喜んでいる。
「ふーん。だからかぁ、おまえが俺の無理なお願い聞いてくれんのは」
 サックスはとうとうクラーリィを直視していられなくなった。何か巨大な鈍器で頭を殴られたような気がする。とにかく頭を抱えたい。穴に入りたい。クラーリィめ、ひとの純情を笑うなんて何て酷い奴なんだ。そんな奴に惚れた俺はなんて馬鹿なんだ……!
「じゃあ、何、おまえ俺にこういうことされるとドキドキするのか?」
 えっ、と慌ててサックスが顔を上げるとごく間近にクラーリィの顔。サックスが一歩でも前進しようものならその唇が触れてもおかしくないレベル。
 クラーリィは直ぐに離れて「冗談だよ」と呟いた。それから「頭の隅っこに入れておこう」とも。終始ニヤニヤしっぱなしで。

 ひらりと離れるクラーリィに慌て、サックスは手を伸ばすも届かなかった。その距離およそ指先3センチ。
 サックスは真っ赤に上気した己の頬を冷たい手のひらで挟み込んで、逃げ出したクラーリィを視界の隅に入れる。そして気持ちも新たに、この距離をいつか必ず縮めてやろうと決意するのだった。



シーン:後日談
 しばらくしてサックスは女官たちの中でまことしやかに流れる噂をキャッチした。笑えるその内容、「とうとうサックスがクラーリィと付き合うことに成功したらしい」というもの。
 どうやら女官の間では、サックスとクラーリィは付き合っていることになっているらしい。こっそり噂の出所を探ったところ、先日のサックスの大誤爆大告白を見ていた子がいて、クラーリィがからかって顔を近づけたのをホントにキスしてしてしまったと勘違い、その後会う人会う人に「私見ちゃった!」と言い回ったのが原因のようだ。まあ、あんなからかい方をして逃げていったら、端から見てオーケーの返事と受け取っても仕方がない気がする。
 サックスは既成事実ができたとほくそ笑んでいるが、その噂を聞きつけてニヤニヤしながらからかいに来たティンとマリーから、まったく嘘八百の噂が流れていることを知ったクラーリィはサックスの予想通り烈火の如く怒った。しかし出所を探せば探すだけ噂に信憑性が増すだけだと行動に移すこともできず、にんまり笑顔のサックスを睨み付けてぶつぶつ零す日々が続く。

「クラーリィ」
「何だよあんまり馴れ馴れしくすんなよ、あっやっぱりクラーリィ様とサックス様って、になんだろうがよ」
 クラーリィは寄ってきたサックスを虫の如く手で払いのけるが、サックスは一向に気にした様子もなくすぐ隣まで詰め寄った。クラーリィは至極面倒そうな顔をするが、満面の笑みを浮かべたサックスに少し怯えたようで何だよ、と小声で対抗する。
「俺、いつだっておまえのお願い聞いてあげるからさっ」
「おまえ……開き直りやがって」
 さすがにもう聞いて貰わなくていいとは言えなかったようで、クラーリィは物凄く悔しそうにサックスを睨み付けた。
 にー、と含み笑いで返すサックスと、それ相応の殺意でもって答えるクラーリィと。周りから密かに恋人扱いを受けるこの現状も悪くない気がするが、以前より扱いが格段に悪くなっていることも含め、サックスの望むような関係の前進はますます遠くなった気がしないでもない。


 ***END



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