まくら



***


「……何やってんだ俺」
 サックスはぽいっと雑誌を投げ捨てる。寝られないからと雑誌を捲っていたのだが、選択を間違えた。
「ますます寝られなくなるっていう」
 たまたま手が届いた雑誌が「それ」だったのだが、よく考えれば逆効果になることなど明確だ。「こういう」雑誌がすぐ手の届くところにあるのも問題だが。

 要は、未成年閲覧禁止な雑誌だったりする。

「昔はページ捲るたびにドキドキしたんだけどなあ…」
 今度こそ奥の方へしまおうと立ち上がる。いつも中途半端に隠すので、既に何度かクラーリィに見つかったことがある。別に絶対隠さなくてはいけないというわけではないのだが、時々ノックもなしに入ってくるティンやマリーのことを考えるとやっぱり奥の方にしまっておいた方が良いと思う。
 拾い上げた雑誌の表紙を眺めながら逡巡。
「なんか最近、半裸のお姉さん眺めてるよりびっちり着込んだクラーリィ眺めてる方が幸せなんだよな…」
 一応恋人なのだし、その反応は正しいよな、と自分自身に言い聞かせる。が、一方で、そろそろ男として終わってるかも、という笑えない不安が過ぎる。
「クラーリィの方が美人じゃん、とか普通に考えてるし」
 無論そんなこと言ったら殺されるけどね、と心の中で付け加える。クラーリィ、母親似の相貌と長く美しい髪を持つくせに、少しでも女扱いをされるとすぐに怒るのだ。だったら髪の毛切ればといつも思うのだが、サックス自身も少しクラーリィのサラサラの髪が好きなので実際には何も言わない。

 棚の奥に雑誌を押し込む。視線の隅に小さな写真立てが入った。少し古びた写真立ての中、まだ十代のサックスとクラーリィがVサインを作って笑っている。
「このときは…まだ…」
 クラーリィには何も言っていなかった。自分は平の魔法兵団員で、クラーリィは既に大神官。身分が違っても昔のように付き合ってくれたクラーリィが好きで好きでたまらなくて、でもどう伝えたらいいのか分からなくて。ホルン様やティンやマリーやコルちゃんにめいっぱい対抗意識を燃やして、性別の壁に絶望したりして。当時相当悩んだ、今考えると甘酸っぱい思い出が蘇る。

 サックス、なんだか恋する気分。
 ああ、青春だ、と訳の分からない言葉を呟いて、一人おかしなテンションのままサックスはクラーリィの部屋へ向かった。



「クラーリィ、クラーリィ寝ちまったか?」
 小さくノックした後、そっとドアを開ける。ギギ、と金具が不愉快な音を出したのでサックスはビクリと立ち止まった。部屋の奥、小さな明かりが揺れる気配。まだ寝てはいなかったらしい。
「…サックスか…?」
 気怠そうな声が奥から聞こえてきた。半分寝ているらしく、いつもの特徴的な抑揚が薄れている。おう、俺だ、と答えてから、そっとドアを閉め、ついでに鍵も掛けた。絨毯敷きの部屋をすり足で歩き、奥の眠そうな主の不機嫌を買わないよう注意を払う。
 奥から漏れる不安定な明かりが、部屋の簡素な調度品を浮かび上がらせる。いつもと同じ机、いつもと同じ位置に、さっきのものと同じ写真が飾られていることを確認して、サックスはほっと息を吐いた。
「よっ」
「どうした…寝られないのか」
 クラーリィはベッドの上、ブランケットを頭から被ってサックスのことを眺めている。全体的に寝乱れているのに本人には直す気がないらしく、はだけた肌着から薄い胸板が覗いている。残念なのはあんまり色っぽくないことだ。寝ぼけた姿もかわいいなんていうのは理想だが、流石に何でもかんでも欲情する年頃は過ぎてしまった。
 サックスはごめん、起こしたな、と言った。不満を言われる前に先回りだ。

「おいで」
 ぽんぽん、とクラーリィがベッドの上を叩く。一瞬その行動の真意を測ろうとして、でもすぐにサックスは諦めた。どういう風の吹き回しだか知らないが、寝ぼけて素直になっているのだと好意的解釈をしておこう。
 サックスはベッドの上に乗っかると、文字通りクラーリィを押し倒した。右手を彼の左頬に添え、好きだと囁く。クラーリィは眠たそうな顔をしたままサックスの首に腕を回す。
 もう片方の手を腰に回そうと動かしたところで、クラーリィがサックスに全体重を掛けてきた。首に掛かった重圧に、思わずぐえ、と色気のない声が漏れる。バランスを取ることに失敗し、クラーリィの上に倒れ込んだ。べったり密着できるのは嬉しいが、これでは手の動かしようがない。クラーリィが回した腕を解いてくれないから、ろくに顔も覗けない。
「ちょ、は、なにすんの」
「ああ、暖かいな…」
 サックスの耳元にクラーリィの吐息混じりの声が届く。幾分幸せそうなそれは、サックスのやる気を無くさせる。
「あの…あのう…」

 クラーリィはそう呟いたきり、安らかな寝息を立てて寝入ってしまった。すうすう安らかに眠るクラーリィを尻目にサックスはため息をつく。ここで襲いかかるだけの甲斐性があれば良いのだろうけど、生憎とサックスにそこまでの「やる気」はなかった。諦めて眠りにつく。恋人が苦しくないよう少し体をずらして、盛大にずれたブランケットを何とか引っ張り上げて、隣の温もりを確かめながら目を瞑った。



「おはよう…」
 腕の中のものに動く気配を感じて目を覚ました。サックスのすぐ隣、クラーリィがニコニコしている。
「おはよう」
 表情が確認できる程度には離れてくれたらしい。それでもまだ密着距離だ。ふうっと息を吐き出せば確実に顔に掛かる。
「(ああ俺結局、昨日はクラーリィの枕だった…)」
 サックスの反省とは裏腹に、クラーリィはブランケットの中でぬくぬくとしながら「おまえはあったかいな」と呟いた。
「なんだかいい夢を見た気がするんだ」
「そうか、そりゃあ良かったな」
 不機嫌を装ってみたが、クラーリィにそれは伝わらなかったらしい。それどころか、自分の胸にすりすりしてくるクラーリィがなんだか無性に可愛く思えて、いつの間にやらそんな彼の頭を撫でている自分が居る。ああ俺、だからダメなんだ、と自分を責めつつ仕事だよ、と囁いた。ぱっちり開いたクラーリィの瞳がわかっているよと無言の圧力。おでこにおはようのキスを一つ、少し赤くなったクラーリィを置いて自室に戻る。着替えなくては。
 時計は朝六時を指していた。自室に戻って着替えて、食堂で朝食を食べたらちょうどいい時間になるだろう。出勤した職場では、大神官面をしたクラーリィが待っている。


***


「鼻息が荒いな」
「うるせー、いいからもう黙るんだクラーリィ」
 今日こそはとサックスが息巻いてクラーリィの部屋へ。やっぱり半分寝ていたクラーリィは、ごしごしと眠い目をこすりながらサックスに付き合っている。
「黙ったら寝る…」
「…っこの…」
 やる気のサックスとは対照的にクラーリィは今にも寝そうで、この声にも覇気がない。
 問答無用とサックスが手を伸ばし、腕の中に恋人を捉える。その力があんまりに強くて息苦しくなったのか、クラーリィは二、三度身動ぎを試みる。それすらも封じ込めるようにサックスはクラーリィを抱きしめた。
「好きだ」
「…ああ、うん」
 昨日と同じようにクラーリィが腕を回してくる。その手には乗るかとサックスがすこし身を捩らせて、ベッドに恋人を押し倒す。
「好きだぞ」
 肩口を押さえ込んだ体勢のまま、サックスはクラーリィの耳元で囁いた。少し不服そうな顔をして、それでもクラーリィはうんと眠そうに頷いた。

 サックスの手がクラーリィの肌をなぞる。愛おしさの伝わるそれにも、クラーリィはあまり反応を返さない。
「…いていだ…」
 クラーリィのぼそりと呟いた言葉にサックスの手が止まった。相変わらずクラーリィは眠そうで何の反応も返してくれない。それが口を開いたのだから幾らか期待しても仕方がないというものだ。
「何?」
 少し離れてサックスがクラーリィの顔を窺う。クラーリィはサックスの方にしっかり視線をやると、さも不満そうに頬を膨らませる。
「最低だ」

 先程までの寝言一歩手前の言葉とは違い、それはしっかりとした棘を持ってサックスに突き刺さった。サックスが硬直する。頬を撫でようとしていた腕が宙に浮く。
「お前はいつも俺にお疲れさまとか言う癖に、その疲れをとらせてくれないんだ。いいか、俺は眠いんだ。疲れてめちゃくちゃ眠い。恋人だとか愛してるとか言うなら寝かせてくれよ」
 クラーリィの言い分は最も過ぎるほど真っ当だった。そもそもこの所ご無沙汰だったのは単(ひとえ)に仕事が忙しかったから。サックスは漸く余裕を持って仕事に挑めるようになったが、それがクラーリィの仕事の量に連動するかといえばそうでもない。

 サックスが小さくごめんと呟いたのはクラーリィがきっぱり言い捨てた後少し経ってからだった。
「分かればいい。…待てよ」
 眠そうな声に戻ったクラーリィは、意外にも部屋を出て行こうとしたサックスを引き留める。
「誤解しないで欲しいんだが…俺だってお前のこと好きだよ。愛して…る。一瞬に居たいと思う」
「どういうこと?」
 首を傾げて立ち止まったサックスに、顔を赤くしたクラーリィが言葉を続ける。
「その、添い寝くらいなら、俺は別に、構わない…やる気力も体力も無いけど、それなら全然平気だし…」
「……」
 サックスは少し考えたあとクラーリィの言葉に素直に従った。
 抱き締めた恋人の身体は少しばかり冷たくて、サックスを不安にさせた。けれど直に伝わる規則的な心拍音がそれ以上に彼を安心させてくれる。
「サックス?…あんまり気にするなよ、その、言い過ぎた…」
「殊勝なことを言うじゃないか。まあ俺も悪かった、単細胞で」
 そう言いながら腕の中で大人しくなったクラーリィの頭を撫でる。



 幸か不幸かサックスとクラーリィの関係は昔からさほど変わっておらず、想いが通じあって進展したことといえば体の関係が増えたことだけ。それ以外は特に変わったこともなく、表面上は随分と仲のいい幼馴染みのままだ。それが不満だと言えば贅沢だろう。たまに刺激が欲しいと思うけれど、爺さんくさくこの安定した生活を最高に思ったりもする。何だかんだいっても二人は結局軍人、いつどこの戦場で命を落とすか分からないのだから。

 薄暗い照明に浮かび上がる恋人の顔色は青白く、その表情は二人がまだ幼かった頃の面影を如実に残している。その頃のクラーリィはサックスの弟分で、年数が経って立場が逆転しようとは夢にも思わなかった。
 サックスは今更ながら自分とクラーリィのこれまでを思い起こして、少し感傷的な気分になりながら眠りについた。



 無論、目覚めたサックスが理不尽な悲しみに襲われたことは言うまでもない。


***


 この間はいろいろあった。ほんの少し喧嘩をしたけど仲直りしたのでプラマイゼロ。そんなことより問題なのは、結局サックスの願望が一ミリも叶えられていないことだ。
 ここまでくると望みというより意地に近く、雰囲気もへったくれもなくただ我を通したいだけ。要は「寝させろ!」の一言なのだが、そう簡単にいかないのがこの二人。クラーリィはクラーリィで妙なこだわりがあるらしく、この点においてあまりサックスに妥協してくれたことがない。



「あのなクラーリィ、俺はいっつもここにおまえと手ぇ繋いで寝に来てる訳じゃないんだ」
 がっしりとクラーリィの肩口を掴んだサックスが話しかける。クラーリィは別段苛立った風でもなく、じっとサックスの悲しい訴えに耳を貸している。
「厭だっていう訳じゃないんだけど、おまえの寝顔はそれはそれでいいもんだし。だけどね、なんか違うっていうか」
「いいもんなのか?俺の」
 真面目に聞いているのかいないのか、微妙に首を傾げるクラーリィの仕草がいっそ憎たらしくて仕方ない。
「俺もう我慢できないぞ」
 もそもそと体勢を変えるサックスを見て、クラーリィがぽつり。
「サックス」
 襲いかかろうとしたサックスの動きが止まる。一番の問題は、クラーリィに話しかけられると無条件で動作が一時停止になるサックス自身にあるのかもしれない。
「したいのか?おまえ」
「はいっ!?…ああ、ええ、そ、そうですけど」
 あまりの直球ぶりに、後ろめたい思いが込み上げてきたサックスは中途半端に敬語になる。
「俺はいやだ」
「……えっ」
「痛いからいやだ」
 クラーリィの言葉はいつも装飾がない。急いでいるときなどはそれが物凄く快適に感じるが、こういう場合は本当にきつい。昨日の「最低だ」発言といい。
「…ご、ごめ…ん」
 男同士だし痛いのは仕方ないとか精進しますとか、素直に「へたくそでごめん」とか、いろいろ言い訳が浮かんでは消える。そしてその取捨選択をする前に、クラーリィが次の言葉を話し出す。
「何度も言うけど、俺はおまえが好きだぞ。でもあれは痛いからやりたくない」
「は、はい」
 サックス、泣きたい。
「それに、俺は最近おまえとくっついてるだけで幸せだから、できれば現状維持が嬉しいんだけど。おまえは不服か?」
「はっ…い、いや、俺は別に」
 滅相もない、とばかりに首を振る。奇跡のような確率で一緒にいることくらい自覚している。この貴重な関係を崩すことなど、サックスには度胸がなくてとてもできない。
 そして今の言葉がクラーリィなりの精一杯の愛情表現だとサックスは知っているからこそ、心臓がばくばくいって止まらない。
「じゃあいいんだな」
 うんうんと満足げに頷くクラーリィ。いろいろと余裕の足りないサックスは、はあ、と中身のない相づちを打つことしかできない。

 不意に引っ張られてサックスはベッドの上に転がった。何すんだと起き上がる前に重量が加わる。
「ク、クラーリィ…」
「いいっていったじゃないか。ぎゅってさせてくれ」
 首を無理に捻って見たクラーリィの顔に心拍数が跳ね上がる。未だにクラーリィに「恋」をしているサックスは、彼に自分が求められているという現実が嬉しくて仕方ない。



 そんな会話を経て結局今日もクラーリィの枕と化したサックスは、すぐ隣にある温もりを支えに目を瞑ったのだった。
「(俺…一生このままかも…)」
「サックス」
「はい?」
「ありがとう」
 声の主の表情はわからない。前後もなく、唐突に吐かれた感謝の真意もわからない。
「…うん」
 それでも、サックスはその一言で全てが許せてしまう。

 心地いい暗闇のなか、二人分の意識が溶けて落ちていく。


***END



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