きみはずるい・8



 ***


「おや、どこへ行かれるんです?」
 完璧な好青年の皮を被って、シコードは前方を歩いていた男に声を掛ける。彼は勿論先ほどクラーリィに迫っていた男。男はぎょっとした様子で振り返り、ああ君か、と声を絞り出す。
「いや、ちょっとね……」
「ここは警備がしっかりしていますから比較的安全ですが、それでも貴殿のような高貴な方が独りで出歩かれるのは危険ですよ」
 私は自分の身を自分で守れるから良いですが、とシコードは続ける。シコードやクラーリィのような軍人上がりとは違い、この男は典型的な王族なのだ。
「……ああ、尋ねておいて自分は答えないのは失礼ですね。私は大神官のところに行くところなんです」
「ん?」
 自分でもよく喋るな、と思う。シコードは普段あまり話さない方だし、話術の類は本当に苦手だ。それでも今に限って、べらべらと言葉が出てくるのだから恐ろしい。
「少し大神官の耳に入れておきたいことがありまして。部下に行かせれば良いのでしょうが、機密が混じっているものですから」
 相手がしてくるであろう反論を尽く潰す。シコードが狙っているのは彼が諦めて帰ることだ。彼とてそれなりのプライドがあるだろう、まさかシコードと一緒にクラーリィの部屋まで行って自分の予定を明かすなどするはずがない。
 案の定男はシコードの後ろで立ち止まった。ごく自然に、どうされました? と追い打ちを掛ける。
「別の用を思い出したよ。失礼する」
「……そうですか、お気を付けて」

 数歩先にはクラーリィの部屋があり、未だ煌々と明かりが灯っている。シコードは去っていく男の背を十二分に見送った後、控えめにドアをノックした。


「……シコード?」
 ドアを開けたクラーリィはきょとんとしていた。数秒ドアの前で見つめ合い、それからクラーリィははっと思い出したようにシコードの後ろ、廊下の気配を探る。
「俺しかいない。邪魔する」

 事情を説明したところ、今までシコードに疑いの眼差しを投げかけていたクラーリィの表情が漸く緩んだ。
「それってつまり、あんな男と寝るくらいなら俺と寝ろってことか?」
 クラーリィはシコードの真意を測りかね、敢えて冗談路線で彼の本意を探る。
「茶化すな。違う」
 案の定、シコードはごくごく真面目に否定した。冗談の通用しない、シコードの馬鹿正直さがなにやら嬉しくて仕方ない。一番嬉しいのは、クラーリィが予想したとおりの反応をシコードが返してくれることだった。
「俺は今日おまえになにもしない。恩を売ろうとも思っていない」
「遠慮するな、と言いたいところだが……そんなことを言うとまた性格が悪いと言われそうだな」
「その通りだ」
 シコードが頷く。彼は自分がどうして今日ここに来たのか、一番の核心をまだクラーリィに伝えていない。

 ぎし、とシコードの座る椅子が音を立てる。その音に弾かれたように、クラーリィが言葉を発する。
「ところで、おまえはどうして俺を助けてくれたんだ」
 クラーリィは先ほどから思っていた疑問を口にした。心に浮かぶほんの少しの希望、もとい願望を、クラーリィは敢えて否定しない。自分のことを嫌っていなければいいのだけれど。彼が、少しでも自分を許していてくれるといいのだけれど。
 シコードは少しその言葉に首を傾げて、逆に質問し返してきた。
「『助けてくれた』?」
「え?」
「『助けてくれた』ということは、つまり助けて欲しい事柄だった、ということか?」
「あ……」
 ちがう、とクラーリィは頭を振る。言葉にはならなくても表情でわかる。でも同時にその表情には、そうだ、という肯定が含まれているのにシコードは気付いていた。
 クラーリィを追求しようとしてシコードは口を噤む。この間のようにまた問い詰めて泣かせる羽目になりやしないか……少なくとも、彼の泣き顔をまた見るのは厭だった。それに、シコードの想像が正しかったと知れただけで満足だ。
 話題を変えようと別の単語を探す内、クラーリィの方が口を開く。
「……そうかも、しれない……」
「え?」
 シコードが入ってきてからこの方ずっと立ちっぱなしのクラーリィは、落ち着かない様子で視線を漂わせている。所在なさ気に立ち位置を半歩分移動したりしている。
「俺は、おまえが邪魔してくれて嬉しいのかもしれないな」
 シコードはこんなことを言われてどんな反応を返すだろうか。どう思って「くれる」のだろうか?
 シコードは少し考えて、んん、と唸った後、更に考え込んでしまった。


 ぼんやり、クラーリィはこんなにも他人の反応が待ち遠しいと思ったことはないと感じた。自分の感覚は麻痺したものと思っていたし、実際今の今まで麻痺していたように思う。なのにそれをシコードが解凍してしまって、人並みの感情の並が自分にも戻ってきてしまった。……そう、自分は辛かったし悔しかったし、彼が来てくれて嬉しかった。彼への子供っぽい対抗心はいつの間にやら好意にすり替わっていた。つまりはそういうことだ。
 人並みな言葉で言えば、「責任を取れ」とでも言いたい気分だ。一度溶けてしまったものは元に戻らないだろう。たとえそれが何であれ。

 クラーリィは、シコードがここへやって来た理由が知りたい。知りたくて堪らない。
 クラーリィはシコードを見下ろし、彼の反応をじっと待つ。


 シコードは迷っていた。どんな言葉を彼に掛けるべきか。どんな言葉なら、彼をこれ以上傷つけずに済むのだろうか?
 第一「嬉しい」の真意がわからない。彼がどの程度自分に好感を持っているのか、そもそも自分を許してくれているのか。シコードが素直にクラーリィに自分の真意を伝えたところで、クラーリィは納得してくれるだろうか?
 ……そもそもその真意を何と伝えたらよいのやら。シコード自身まだしっかりと決着の付いていない事柄を、上手く言葉に纏めることは必要以上に難しい。


「その、俺は……」
 シコードが言い淀む。クラーリィはそんなシコードを見下ろして、ぽつり、と呟く。
「俺は、おまえが好きだ」
 ぼんやりとしか形を持たなかった感情は、言葉となって初めてその真を伝える。自分の発した言葉に必要以上に納得していることに気付いて、クラーリィは密かに苦笑いを零した。
「!?」
 言いかけていたことも忘れ、シコードは口を開いたまま固まった。ぽかんとクラーリィを見上げている。当のクラーリィは、少し考えた後、またぼそぼそと言葉を続ける。
「俺は、おまえが好きだ。正しくは、好きになった。こんな人間に好かれるのは厭か?」
 思ってもいないクラーリィからの申し出に、シコードは我を取り戻すことができない。クラーリィはクラーリィで、シコードが黙ってしまったのを拒否と取ったのか、悲しそうに俯いた。
「俺は、その」
「厭なら厭と言ってくれていい……俺はおまえの言うとおり性悪みたいだし」
「そんなことはない!」
 シコードが張り上げた大声に、クラーリィが少しだけ竦み上がる。部屋にともされた蝋燭ですら揺れたような気配がある。
「俺も、その、おまえが好きだ、クラーリィ」
 ほんの少し、驚いたような顔をして、それからクラーリィははにかむように笑った。目尻に浮かぶ涙をこすって、うん、と小さくいらえをしたのを聞いて、シコードは頷いた。

 感情が力を持って沸き上がる。この感情を人は「愛しい」と呼ぶのだと、シコードは漸く実感を持った。
「幸せにする」
 照れくさそうにシコードが言った。クラーリィの手を取り、忠誠を誓う騎士のように口づけを落とす。
「大事にする」
 若干頬を赤らめてはいるものの、シコードはまっすぐにクラーリィを見てきた。あんまりにも誠実なその視線に、クラーリィは困ったように顔を逸らす。
「あまり、会える時間は多くないだろうが、多くなるよう努力する」
「おまえはいつも馬鹿正直すぎる」
「俺の取り柄だ」
 クラーリィが視線を戻した。自身の手を掴むシコードの手を、黙ってさする。今までのそれとはちがう、愛おしさの伝わってくるそれに、シコードは首を竦めた。
「俺も、努力する……」
「ああ」
 互いに国の大事を担う権力者だ。いろいろな問題がこれから先山積みだろう。月一の逢瀬すら絶望的だ。だが、しかし。

 シコードは立ち上がり、そろそろと手を伸ばし、クラーリィを抱きしめる。特に抵抗もせずに突っ立っているだけだったクラーリィは、しばらくして同じようにそろそろと背に手を回した。ぎゅう、と力を込め、互いの体温を感じあう。しばらくしてクラーリィはシコードの肩口に顔を埋めた。シコードの反応はない。
 クラーリィは目を瞑った。この幸福な時間が続くよう、がらにもなく神に祈った。


 ***END



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