平行線

クラーリィが肉体的にも精神的にも痛い目に遭っているけど直接的描写はない
大丈夫な人だけスクロール





























***


「あーくそ、いてえ」
 苛立ちに任せて投げたシーツはうまくサックスの頭にヒットした。文句も言わずに黙ってシーツを頭から外した彼は、至極申し訳なさそうな顔をして謝る。
「ごめん」
「ごめんで済ます気かよ信じらんねえ、責任取れよあーもう」
 クラーリィはもう一度ベッドに倒れ込んだ。身体中がぎしぎし痛い。
「クラーリィ、その」
「あーもーうるせえ! 黙れくそったれ、ちくしょういてえ」
 おまえの話なんぞ聞く気が無い、ということをアピールしようとクラーリィは頭から毛布を被った。すぐ側に迫ったサックスの気配。彼はどうすべきか悩んでいるようだ。
 もうしばらく悩んでろ、とクラーリィは心の底から思った。
「クラーリィ、ごめんネ」
 風邪ひくよ、とサックスが頭以外の部分にも毛布を掛けてくれた。たちまち襲う強烈な眠気がクラーリィの耳を塞ぐ。
 その後もサックスは何かもごもご言った気がしたが、クラーリィの耳にはちっとも届かなかった。
 こんな現実を認識し続けるくらいなら寝てしまった方が随分と賢いはずだ。二度寝すると決めたクラーリィの行動は早く、あっという間に意識が沈んでいった。

 目覚めたら目の前にかわいいくまちゃんが鎮座していた。これで怒りが中和されるとでも思ったのかあの能なしは?
 クラーリィは怒りにまかせてくまを吹っ飛ばした。かわいそうなくまは壁に当たってぼすんと落ちた。
 どうも見覚えのないぬいぐるみだ。どこから持ってきたのか知らないが、再び目覚めたクラーリィの怒りを少しでも中和できればとこんなファンシーなアイテムを探してきたのだろう。
 だが残念だ、このくまの浮かべる空虚な笑みは逆にクラーリィの怒りを煽った。俺の方を向いて笑ってるんじゃねえこのくそったれ、とでも言うべき八つ当たり。
 時計を見る。二度寝に割いた時間は約三時間。精神的疲労を考えるともう少し寝ていてもいい気がするが、これ以上体力は回復しそうにないし、何より貴重な休みをベッドの中で過ごすというのももったいない。
 クラーリィは随分気怠いからだを持ち上げて、ずるずるとシャワーに向かった。最早着ているとは言い難い寝間着が申し訳程度に肩引っかかって不愉快を煽る。クラーリィは苛立ちに任せて服を引っ張ったが、やはりと言うべきかびりっといい音がして破れた。
 黙って破れた寝間着を眺めて、黙ってその辺りにぽいと投げ捨てる。
 ずるずる、シャワーに向かって行進を再開する。がっくりと項垂れるように壁にもたれ掛かっているくまが少しかわいそうに思えて、クラーリィは一応拾ってあげた。すぐ側の棚にくまを鎮座させておく。

 思いきり熱くしたお湯は傷口にすこし染みたけれど、それ以上に沸々と沸き上がる苛立ちやら怒りやら悲しみやらで肉体的な痛みを感じている暇はなかった。
 どうしてこんなことになってしまったのやら。クラーリィ本人にちっとも落ち度はないように思う。…いや、いろいろあったのかもしれないが、認めたくない。
 お互いに何一つ得のないこんな結果になるくらいならもっとほかの道を今までにいくらでも選べたような気がする。でもそんなことは今となっては意味のない「もしも」の話で、熱いシャワーに当たって一人項垂れているクラーリィにプラスの何かをもたらしてくれることはない。
 クラーリィはむっつり黙ったままシャワーを捻って止めた。ぽたぽたこぼれ落ちる雫が鬱陶しかったけれど、ちょうどよく涙を隠してくれたからしばらく拭きもせずに放っておいた。
 じわじわと傷口に染みる熱湯が、抉るように痛い。


***


「クラーリィ、あのさ」
「言い訳とか俺は聞きたくない」
 サックスは黙った。クラーリィはちらりとサックスの顔を窺ってから注文を続ける。
 そんなに悲しそうな顔をするんだったら、あんなことしなければ良かったのに。
「おまえの気持ちも知ってるよ。…知ってた。だから、今更白々しく告白なんてするんじゃねえよ」
 クラーリィは一人用ソファに腰を下ろす。突っ立ったまま前を見据えるサックスと、下を向いて相手を見ないクラーリィ。
「俺は好きだったよ? 好き、だった」
 過去形であることを強調する。
 …確かに好きだった。惹かれていた。隣にいることが楽しかった。
「じゃなきゃ抵抗するだろ? 俺を甘く見るなよ、おまえなんか至近距離にいてもその気になれば吹っ飛ばせるよ」
 うん、知ってるよ、というサックスの声。分かっててやった、とも付け足した。
「謝るなとは言われてないから謝るよ。クラーリィゴメンな、俺この中途半端な関係止めたかったんだ」
「は…何それ?」
 信じられない、とクラーリィは呟く。それからすぐに、おまえ馬鹿か、と苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる。
「こんな形で崩しといて、結果どうなるか想像しなかったのか? 俺はさ、こんなことされて『好きだったんだもん仕方ないよね』って言える程、天使じゃねえの。紆余曲折相思相愛になれました、なんて展開にはならねえの、メルヘンに住んでる訳じゃねえんだから」
 俺は今おまえに対する憎しみでいっぱいだよ、とクラーリィは呟いた。下を向いて、特に何の面白味もない手元やその下のソファ、床の模様なんてものを眺めて、そして憎しみを募らせる。
 サックスはそんなクラーリィとは対照的に、至極あっさりとした様子でそうだね、と頷く。
「恋人になるつもりなんか最初からなかったよ。なりたいとも思わなかった」
 ぐさり、クラーリィの胸に言葉が突き刺さる。この先が聞きたい気持ちが半分、聞きたくない気持ちが半分。しかしサックスは独り言のように話し続ける。
「こんな職業についてるんだもの。恋人なんか作ったっていつ死ぬか分からないんだよ? 俺を好きだと言ってくれた人が泣いてる姿を想像するのも嫌だ」
「じゃあ、」
 クラーリィは言葉を切る。肩の震えは寒さから来る訳じゃない。悔しい、腹が立つ、許せない、…悲しい。
「じゃあおまえは俺をどうしたいんだよ」
 クラーリィは目を瞑って答えを待った。答えは聞かなくてはいけない気がしたし、絶対に聞きたくない気もした。

 どんなに待ってもサックスは返事をしなかった。返事の代わり、サックスはクラーリィにそっと近寄って昨夜とは別人のような抱擁。
 クラーリィは思わずやめろと声を絞り出す。両腕で相手を押し返し、サックスが大人しく離れたのを良いことにその場を逃げ出す。

 追いかける声はなかった。


***END



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