日常その20



***


 なあサックス、と珍しくもクラーリィの方からお声が掛かる。なーあに、とご主人様に呼ばれた犬の如く振り返ると、なにやら紐、もしくは長細い布を持っているクラーリィが視界に飛び込んできた。
 サックスはひえ、と情けない声を出す。
「し、心中なんて俺はいやよ」
「俺っておまえに信用されてないよな。いじけるぞ」

「目隠し」
「うむ」
 頷くクラーリィにサックスは悲しそうな顔をする。

「最近マンネリだから。何かアイテムでもと思って」
「マンネリ、で、アイテム。…はあ、俺クラーリィを汚しちゃったなあ」
「責任取れよ」
 項垂れるサックスにクラーリィはお決まりの台詞。たとえこんな状況にならなくとも、人間いつまでも清純でいるのは相当大変だろうが。
「どうやったら責任取れるの」
「そんなのおまえが考えろよ」
「普通は責任取るイコール結婚だよね」
「げぇ、おまえの花嫁姿なんか見たくねーな」
 当然クラーリィの花嫁姿を想像し、にへらと笑っていたサックスが思わぬ切り返しに目を丸くする。
「なんで俺が花嫁なのよ。見た目的にクラーリィの方が花嫁っしょ」
 髪の毛長いし、綺麗な顔だし、とサックスは続けるがクラーリィは一笑に付した。
「普通守ってやる方が花婿だろ?俺の方が強いから、俺が婿だな」
「やだー、俺クラーリィをお姫様だっこするー」
 反撃が見つからなかったのか、サックスは駄々をこねる方へ方針を固めたようだ。布を片手に突っ立っていたクラーリィはあからさまなため息をつき、ようやくサックスの隣に腰を下ろす。
 ソファが、成人二人分の重量を吸い込んでぎしりと軋む。

「俺はそんなに軽くない」
「そこはやっぱり男の意地でしょ。ふんばっちゃうよ俺」
 クラーリィはふんばってるサックスを想像してみた。そんなサックスにしがみついている仏頂面の自分まで想像し終わったところで、悲しくなって止めた。
 少なくとも、お姫様だっこという響きから想像されるロマンがひとかけらもない現実に落ち着きそうだ。
「色気も華もない、誰も楽しくない」
「俺は楽しいよ!」
 サックスはクラーリィに訴えたが、サックスもクラーリィ同様、そんな状況下楽しそうにしているクラーリィは想像不可能だったのか、ぷう、と頬を膨らませたがすぐしぼめた。

「で、これどうするのよ、クラーリィ」
「ん?」
 サックスがソファに無造作に置かれている布を指差した。すっかり存在を忘れていたクラーリィはああ、と頷く。
「どっちがつけんの?俺?おまえ?」
「考えてなかった」
「俺がつけると…ほら、あの」
「ん?」
「目隠し鬼ごっことか触りっことか、そういうのしか思いつかないんですけども」
 発想が中学生みたい、とサックスは自分に悲しさを感じた。が、当然のことながらクラーリィは反応してくれなかった。

 実を言うとちょっぴりこの年になって鬼ごっことかやるのもそれはそれで楽しいかもしれないと思ったが、すぐに血生臭い鬼ごっこになるだろうと思い至って首を振る。
 多分、この二人でやる鬼ごっこはすぐにおふざけのレベルを超えてしまう。ムキになる。クラーリィは確実にムキになる。負けるものかと本気を出す。本気を出したクラーリィにサックスは敵わない。
 サックスにはそんな確信がある。

「おまえ楽しくないと思うよ」
「うん…」
 想像したのか残念そうな顔をするクラーリィ。サックスは言葉を続ける。
「しかもさ、おまえすぐ飽きて俺放置プレイするでしょ。絶対」
「うん」
 うんじゃねーよ、とサックスは言った。目隠しされて「クラーリィどこー」とうろつくサックスと、それを新聞読みながら一応視界には納めているクラーリィ。クラーリィがそんな自分を見て笑ってくれるならまだ救いがあるというもの、でもきっとクラーリィは無表情のままだ。
 リアリティがありすぎて涙が止まらない。

「はい決まり!言い出しっぺの法則!おまえがつける!」
「んー…」
「つけるよ?いいの?」
 いまいち乗り気でないクラーリィの顔をサックスは覗き込んだ。考えてなかったとは言ったものの、実際はサックスに付けて貰おうと思っていたのかもしれない。
「んー…ここでか?」
「俺がベッドまで誘導してあげよう!お、そういうのいいな」
 あそこまで、とサックスは指差した。距離にして数十歩。ましてや毎日生活している空間だから、例え目隠ししていようが割りかし簡単に通り抜けられるような気がしないでもない。
「自分で言ってら」
 いいじゃんこれ、と自分の案を推すサックスに一言。しかし満更ではないらしく、クラーリィは笑っている。
「俺の愛の深さが分かるでしょ。おまえが転ばないように、気を付けて、気を付けて…」
 サックスはひらひら腕を振って、どうやら「気を付けて」のジェスチャーをしているらしい。クラーリィはそれを完全に無視してあ、と手を叩く。
「そうだ」
「お?」
「ここですかさずお姫様だっこだろ。おまえやりたがってたじゃん」
 えええ、とサックスが不満の声を上げる。加えて不満のあまりソファにぼすんと身を沈めたが、そっちはクラーリィにえらく不評だったようで、脇腹を思い切り小突かれた。
「いてて…っていうか目隠しの意味ねぇじゃねえかよそれ」
「でもおまえが踏ん張ってれば俺安全だよ。転ばないよ」
「まあ、そうね。そうだね。やるかね」
 折角クラーリィが乗り気なことだし、とサックスは独りごちる。最早一番初めの目的から遠く離れていることは気にしてはいけない。

「ほっ……い。ひっ…ひひ…」
 クラーリィは長身の部類に入る立派な成年男子であって、例え誰であろうが軽く持ち上げられる訳がない。案の定腰をふらつかせるサックスは、踏ん張るあまり変な言葉を口走っている。
「おまえ気持ち悪い」
 目隠ししてもらったクラーリィ、貴重な情報源である耳から入ってくる音がそんな意味不明なものばかりでいささか気分を害したらしい。サックスは酷い言い草だと笑った。
 首を絞められなかった、もとい物理的に抗議されなかったのがむしろ珍しい。今危害を加えれば床に思い切り落とされるとクラーリィもちゃんと分かってくれているらしい。

「な、どっか一点に体重掛けてくれよ」
「ん?こうか?」
 取りあえずセオリーに首に腕を巻き付け、そこにぐぐっと体重を掛けてみる。
 苦しがるかと思いきや、サックスはふうと安堵のため息をついた。
「お、そうそう。楽になった」
 よいしょ、とサックスが背筋を伸ばす。足場の安定したクラーリィはようやく安心したのか、眉間のしわを消してくれた。
「へぇ」
 物知りだな、と素直に褒めておく。クラーリィのこういった妙な豆知識の情報源はサックス以外にない。
「これ、だっこされる時のコツな。覚えときな」
 サックスがそろそろと歩き出す。一応前言通り、クラーリィを落としたりしないよう気を付けてはくれているらしい。
「覚えてどうすんだよ」
「次回使う」
「次回ってあんのか」
「いつでもだっこしてあげるよ俺?」
 耳元すぐ側で声がするので、クラーリィは肩を竦めた。

 もう少し自分たちが初心なままであったら、くすぐったいこらやめろとか何とか言って、すぐに甘いムードにこじつけそうなもの。けれどこうも年月が経ってしまうとそういうお決まりの通過儀礼をすること自体が面倒で、仕返しに鼻っ面に息を吹きかけるに留まってしまう。その気になったら自分から吹っ掛ける、といってもクラーリィからアクションを起こすことはほとんど無いけれども。
「あれ、やなの?もうちょっと喜ぼうよ」
 永久有効のだっこ券贈呈だよ!とサックスは言う。ものは言い様、だっこ券と言われると何となく心惹かれる。しかし自他共々認める高い矜恃の持ち主・クラーリィがそう表面に出すはずもない。
「結構結構」
「ケチだなあ」
「ケチとは違う」
「あ、そうだよね出し渋ってる訳じゃないし。なんだ、控えめ?おまえが控えめってなんか違う気がする…」
 ぶつぶつ言いながらも着実に前進する。そろりそろりと進むサックスが可笑しくて、クラーリィは肩を揺らした。当然サックスの不評を買い、動くなよとか突っ込まれる。返事代わりに首に回した腕の力を強めると、今度はサックスが笑った。

 いざベットの前まで辿り着いて、サックスははたと立ち止まった。ねえ、と彼は呟く。
「ねえ、全然ムードがなかったよ。折角目隠ししてお姫様だっこしてベッドまで来たのに、ちっともアダルトな感じじゃないよ」
 そうだな、とクラーリィが呟く。
 サックスはそっとクラーリィをベッドに下ろし、自分はその隣に座った。目隠しを取ろうか取るまいか迷っているクラーリィの手を掴み、もうちょっと、とリクエストする。
 このままでは何とも味気ないではないか。
「あんまり付き合いが長いと、わざわざ場を盛り上げなくてもいいかなって気がするんだよな」
 そんなサックスの考えを読んだのか、クラーリィはベッドに寝転がりつつ呟いた。無造作に広がった金色の髪を撫で、サックスは見えないクラーリィの表情を追う。

「まあ確かに、前は俺たち頑張ってたよね」
 若かったね、なんて爺さんめいた台詞。今でこそ良い思い出だが、当時はお互い必死だった。知識もないし、知識を与えてくれるような知り合いもいないし。あくまでも一つの可能性に興味を持った少年の振りをして周りの大人に質問してみたり、変な顔されて笑い飛ばして逃げ帰ったり。
 今考えると随分馬鹿馬鹿しいことまでやったと思う。
 ついでに言うなら、低俗に分類される本をあんなに真面目な顔をして二人で読んだのも、きっと今なら酒の肴になる。

「もうおまえ空気みたいなもんだからな」
 クラーリィは中空でひらひらと手を振った。これがサックスだと主張する気らしい。
「あって当たり前で存在感がないってこと?それともないと死んじゃうってこと?」
「俺が『サックス、おまえがいないと俺、俺…』なーんて言うとでも思ってんのか」
「思ってなーいよ。言って欲しいけど言ってくれないってわかってるーよ」
 サックスは心の底から、今の芝居がかった台詞で当分生きていけると思った。少なくとも当分は、喧嘩する度今の台詞を心の中で再生することになるだろう。

 見えていないのを良いことにぐぐっと近寄っておでこにキスを一つ、あ、コラ、なんて呟くクラーリィを余所に目隠しを外す。急に入ってきた光が眼に痛かったのか、クラーリィはすぐに目を瞑った。
「うわ、明るい」
「つけたまんまがよかった?」
 何言ってるんだ、とばかりにクラーリィが鼻で笑う。
「効果ないって今分かったばっかりじゃねぇかよ」
「そうだね」
 ちっとも良いムードにならなかったね、とサックス。結局目隠しなんて安易なアイテムではこの倦怠を脱することなどできないというわけだ。

「今度あれ試すか、ポリネシアン」
 クラーリィは身を捩ってサックスの方に身体を向けた。じゃあと言わんばかりにサックスが寝転がる。物凄い至近距離にお互いの顔がある。
「えーポリネシアンってあれでしょ、電話線は引っこ抜いておきましょうとかいうあれでしょ」
「そう、それ」
 サックスはちょっとだけ手を伸ばして、クラーリィの髪を握った。ニヤニヤしながらいじくっているのは我ながら気持ち悪いと思いつつ、折角文句も言われないことだし、と状況に甘えてしまう。
「枕元に通信機常備のおまえが何言ってるのよ」
 はあ、とクラーリィがため息をつく。息で顔にかかっていた髪がふわっと持ち上がって、そのなんとも色気のない光景にサックスは笑った。
「それだよなあ、通信機常備してる時点で無理か」
「あとね、非常に言いにくいんだけど」
「何だ」
「おまえ、やってる途中で寝そうな気がするんだよね…」
 寝顔を見るのも嫌いじゃないんだけどさ、とサックス。どんな状況下だろうと寝れるときに寝てしまうクラーリィの現実っぽさも好きなんだけど、と更なる言い訳。自分のことを信用してくれていると言えば聞こえは良いが。
 寂しいときもある。

 そういえばさ、とサックスが呟いた。クラーリィの髪をいじりながら、昔々の記憶を辿る。
「何か一回滅茶苦茶最中に掛かってきたことあったね」
「あー…あったな。殺意が湧いたな」
「あの時のおまえは凄かったよ。あの切り替わりよう!俺は惚れ直したね」
 同時に、電話してる途中でちょかい出すとかそういうプレイはできそうにないなあと思ったことは黙っておく。まあそもそもそういう時間に電話を掛けるような相手がいない訳だが。
「そこって冷めるところでは?」
「そこで冷めたらおまえの人格の一部否定でしょ。俺は大神官になっても変わらないおまえが好きなの」

 クラーリィは一瞬真顔になった。あれ、とサックスが髪をいじっていた手を止める。
「…そっか。俺は少し寂しかった」
 ちょっとだけ顔を背けて、クラーリィが呟く。ちょうど良くかかってくれた髪のせいで表情がよく見えない。
「へ?」
「もう少しこう、名残惜しんでくれてもよかったのに、おまえもすっかり切り替えるんだもん。はあー」
「お、俺はその、おまえが引き摺っちゃいけないと思って…」
 サックスはホントはもっと、だけど俺頑張って…などともごもご言っている。まさかクラーリィが「寂しい」などと言い出すとは。しどろもどろとはまさにこういう状態を言うのだろう。
「あの後実は三十分くらいで用事済んだんだよ。でもまさか続きしようなんて言いに行ける訳もなく、俺は泣きながら自分の部屋に戻った」
「嘘!嘘、うっそ!?うわー俺はなんてもったいないことを、涙顔のおまえを慰めるチャンスだったのにー」
「そこかよ」
「おまえの見栄っ張りは知ってるもん。今更突っ込もうなんて気すら起きないね」

「よーしやるか!」
 散々喋ったのに満足がいったのか、サックスはぐいっとクラーリィを引き寄せた。首元に顔を埋める形になったクラーリィは相変わらずの相手に少々呆れつつ、しかし満更でもないのか控えめに腕を回す。
「その健康的なやる気は確かに新しいかも知れん」
「一番殺意が湧くのは、ムード盛り上げて、いざって時に緊急呼び出しが掛かることでしょ。…そうそう、そういう理由で、俺たち即物的になっちゃったのよね」
「そうだっけっか、な」
 もう昔のことだし忘れたよ、とクラーリィ。どんな顔をしているのか気になったものの、こうも密着していると顔を覗くこともできず、それがサックスには少しだけ残念だった。

「やるぞー」
 やる気があるのか無いのか、ちっとも気合いの入っていないそれを真似、クラーリィが復唱する。
「やるぞー」
 しかし伸ばされたサックスの手がクラーリィに届く前に、無機質な呼び出し音が鳴り響いた。
 眉を顰めるクラーリィと、項垂れるサックス。

「…そうか、分かった。俺が行く、ああ、サックスには俺から声を掛けるから。すぐに支度をしてそっちへ向かう」
 かたん、と通信機が置かれたのを確認してからサックスは動き出す。
「俺の目の前に居るって言えば良かったのに」
 サックスはベッドから立ち上がって、着崩した服を直しに掛かっていた。いやあ、脱ぐ前で良かった。なんて呟きながら。
「パーカス度肝を抜かれて死んじゃうよ」
「そうかなあ、案外理解あるんじゃないかなあ」
「試して死んだらどうすんだよ」
「そりゃ困るね」
 サックスはクラーリィの背後に回り、ぐしゃぐしゃになった髪を梳かしてやる。最後に綺麗にまとめれば、いつもの大神官様のできあがりだ。
「さて、行きますかね」
「サックス」
「はい」
「…早く済んだら、つ、」
「「続きしよう」」

 二人は顔を見合わせた。
 赤くなったクラーリィは二三回顔を振って、もう一度顔を上げたときには仕事用の顔になっていた。何もなかったかのように、あくまでもただの幼馴染み、上司と部下を装って。切り替えの速さは今も昔も変わらない。
 いろいろなものを置き忘れて、二人は部屋を出る。ぱちんと消されたスイッチの音が静かに響いた。


***END



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