隣・1



 ***


「…そこまでだ」
 ぴたりと止まったシコードの手刀に視線を巡らせ、分かりやすく舌打ちするとクラーリィはその手を振り払った。
「ちくしょう」
「大神官様、そんな口をきくんじゃない」
 クラーリィはじろりとシコードを見上げ、続く言葉の「またか」を何とか喉の奥に飲み込んだ。
 また、だ。またシコードに負けた。

 今回も、吹っ掛けたのはクラーリィの方だ。どうせ体を遊ばせていることだし、鈍らせないためにも手合わせをしようなんて声を掛けた。今度こそ地にその膝を付けてやると思いつつ、結局膝を付けたのは今回もクラーリィ。
 己の名誉のために言い訳をしておくが、いつも負けているわけではない。勝つことだってある、だがその割合が問題だ。
「また幅が開いた…」
「幅だなんて、ほんの…ええと…五つくらいか? たいしたことないじゃないか、ため息なんてつくもんじゃない」
 シコードはそう言ってクラーリィに手を差し伸べた。だが、クラーリィはまたも睨んでその手には頼らず立ち上がる。
「六つだ。その六つがいつになっても追い越せないからため息が出てくるんだ!」

 律儀に勝利数をカウントしているクラーリィもクラーリィだが、結論から言えばシコードとの手合わせで勝利数が上回ったことがない。常にシコードが一つ先を行くのだ。どんな手を使って手合わせをしても、時には相手の体調が悪そうな時を見計らって声を掛けても、結局クラーリィはシコードの勝利数に追いつけない。
 これまでクラーリィは、リュート王子を除き勝てない相手・追い越せない相手にぶつかったことがない。随分昔に幼馴染みは実力という点でクラーリィとは大きく離れ、申し訳ないがクラーリィと切磋琢磨の仲というわけにはいかなくなっていた。パーカスはそもそもクラーリィとは分野の違う魔法の使い手で、実力を推し量る相手としては相応しくない。
 そんなときに現れた異国の妖精の使い手・シコードは、初めてと言っても良い「壁」となってしまった。

 服の埃を払いつつ、次こそと歯がみしてクラーリィはシコードの方へ視線をやった。惨めったらしく「覚えていろよ」なんて典型的な台詞を言うほどクラーリィは落ちぶれてはいない。しかし視線が物語ってしまったのか、シコードはそんなクラーリィを眺めて少しだけ笑った。
「酷い顔だ。おまえの綺麗な顔が台無しだぞ」
「うるさい。何が綺麗な顔だ…気色悪い」
 クラーリィの頬に向かって伸ばされた手を振り払う。思わず伸びてしまったらしい手に気がついて、シコードはまた笑う。
「しかも、口まで悪い」
 開き直ったのかもう一度伸ばされた手を振り払って、クラーリィは一歩後退する。悪かったなと毒づく。
「まあ、そういうところが可愛いんだけどな」
 シコードは再度振り払われた手を眺めながら、心底楽しそうにこう呟いた。なんてたちの悪い冗談なんだとクラーリィが眉を顰める。
「はあ?」
「可愛い、と言った」
 聞こえなかったのか、とシコード。
 クラーリィは自身の耳を疑った。そこはあれだ、冗談だと軽く流す所じゃないのか…
 シコードは相変わらず首を傾げるクラーリィを笑って、至極当然と言わんばかりにこう言い放つ。
「まさかこの俺が、ただの異国の神官に過ぎぬ人間の茶番に何の理由も無しに付き合うとでも?
 物事にはそれなりの理由ってものがあるだろう。考えたこと無かったのか」
「…は…?」
 クラーリィの背筋を冷たいものが通った。嘘ではないと直感が告げる。クラーリィの視界のなかの、シコードの真剣な眼差しが真実であると告げている。
「そういうわけで、俺はおまえを狙っている」
 言うだけ言って、じゃあとシコードはその場を立ち去った。なんという爽やかな退場だろう、口を半開きにしてカタカタ震えているクラーリィとは大違いだ。
 シコードが立ち去ってしばらく、ようやくクラーリィは現実を認識したようで、言語にならない叫びをその身に押し込めながら足早に自室に戻っていった。

 もしかすると、自分は自ら危ない方へ危ない方へと走っていたのかも知れない。


 ***


 シコードは数ヶ月前からスフォルツェンドに長期滞在して法律やらなにやらを学びに来ている。
 大戦も終わったことだし、これからは路線を改めグローリアをよりよい国にしようという働きの一環らしい。彼は師団長の座を別の人間に譲り、自らは学問に身を投じに来たそうだ。
 クラーリィもそろそろ新しい大神官の育成を本格的に初め、育ち次第交代しようかと思っていたところ。なのでその気持ちは分からなくもない。幼馴染み曰く筋肉馬鹿で済む時代は終わり。これからは人間同士仲良くやっていく道を探すのがよいらしい。

 シコードの出身国・グローリアはスフォルツェンドと仲が悪い。だから本来は留学生を受け入れるような関係ではない。それもあって、正直クラーリィはシコードに対していくつも疑問を抱いていた。
 しかし今回はグローリア側から「スフォルツェンドは平和主義の先進国であるから、学ぶなら是非この国で学びたい」と特別に申し出を頂いたので許可するに至った。余程のことがない限り二度目はない例外だ。
 しかも、それを言ったのがシコード本人だったのだからクラーリィは二重に驚いた。初対面の時あれだけ張り合って、どう見ても馬の合わない相手だと思っていたのに、クラーリィに直談判までして頼み込んできたのだ。頭を下げられた時は開いた口がふさがらないくらい驚いた。
 正直、そこまでして仲の悪いスフォルツェンドに来たいと思う気持ちがクラーリィには分からない。少なくとも、クラーリィ本人はいかなる理由があろうともグローリアに長期滞在したいとは思わない。

 しかし幸か不幸か、その疑問はいとも簡単に解消しようとしている。
 理由は明確だ。シコードはどちらかというと、スフォルツェンドの精神やらを学ぶためにこの仲の悪い国へやって来たのではなく、彼のお目当ての人間がここにいるからというただそれだけの理由でここまでやって来たらしい。
 一人の人間のために行動を変える、果ては己の人生まで変えてしまうというのは愚かしいとしか言いようがないが、ホルン女王ただ一人のために己の道を決定したクラーリィに言える台詞ではない。むしろその気持ちが深く深く分かるので、クラーリィはシコードに共感せざるを得ない。

 しかも、そう考えるとこれまでのシコードの不可解な行動のいくつかに説明が付いてしまう。例えばクラーリィの少々ぶしつけなお願いをいとも簡単に飲んでくれたりとか、負けた腹いせにと多少言い過ぎてもあっさり許してくれたりとか。
 今のクラーリィにはこの避けたい現実を否定するだけの材料がなかった。過去の己とシコードの会話を思い起こす度に理解が深まってしまうのだ。



「…なんてこった…」
 クラーリィは一人、薄暗い休憩室のソファに埋もれてため息をついた。
 場所が悪いせいか人がほとんど来ない、クラーリィお気に入りの休憩スポットだ。窓の位置が悪く日差しもいまいち差してこないが、その代わりに得られる静寂は普段忙しいクラーリィにとって貴重だった。

 無音の世界に人の気配。

 クラーリィは身を浮かす。おそるおそる振り返ると、ちょうど休憩室の入り口辺り、黙って突っ立っているシコードの姿が目に入った。ドアのあたりに寄りかかり、腕を組んでこちらをぼうっと眺めている。彼の落ち着きぶりから察するに、つい一分前に来たとかいう話ではなさそうだ。
 いつから居たのか、クラーリィは独り言を言わなくて良かったなんて他人事のように考えながら彼を睨み付ける。
「…なぜここにいると分かった」
 折角の穴場だったのに、と恨めしそうに顔を顰める。シコードははなはだ申し訳なさそうな顔をして、気付かせるつもりは無かったんだが、なんて恐ろしいことを口走った。
「俺はおまえのストーカーだから、居場所ぐらい分かるぞ」
「シャレにならんのだが」
 もとから真面目な気のあるシコードなだけに、これが本心なのか冗談なのかクラーリィには見分けが付かない。だが、恐らく冗談ではないのだろうなと背筋が凍る。
「大丈夫だ、眺めているだけで満足だから。今のところな」
「最後の一言が一番要らない」
 大丈夫とは何だ、何をする気なんだとクラーリィは身構える。しかしシコードは、その真面目な顔を一切崩さずに手元の紙切れを差し出した。
「大神官。パーカス執事から預かりものがある」
 少し疑うような目で相手を見てから、クラーリィは大人しく従った。受け取り、内容を確認する。
 願わくは居場所をパーカスに聞いてやってきたのだと考えたい。パーカスのことだから、きっと親切心を利かせてシコードに地図の一つや二つ持たせてくれるだろう。
 だが、居場所を伝えようとするパーカスを遮って「知っている」などと言いながらここまでやってくるシコードが容易に想像できて、クラーリィは自然と苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
 パーカスからの紙切れには一言「案件があるのでこちらまで、お待ちしています」という非常に簡潔な言葉が記されていた。
 一瞬シコードがこう書いて自分をおびきだそうとしているのかと考えたが、これまでの様子を見るにそういう卑怯な手口を使う相手ではないだろう。



 クラーリィは紙切れに記された場所にすぐに向かった。待っていたのはパーカス本人が一人。クラーリィはほっと胸を撫で下ろしたが、パーカスの険しい表情に気付いて眉を顰めた。
 何かあったようだ。
 パーカスはクラーリィの他に人が居ないことを確認するとドアを閉めた。どうやらシコードに伝言役を頼んだのにはそれなりに理由があったらしい。つまり伝言役がスフォルツェンド内部の人間では困る案件だということだ。

 パーカスから詳しい話を聞き出すなり、クラーリィは腕を組んだ。
 軽く片付けるには難しすぎる案件が舞い込んだ。クラーリィとパーカスが顔をつきあわせても、すぐには解決策すら思い浮かばないような案件が。
「…どうしよう。どうしよう、パーカス」
「私に聞かれましても。
 と、言いたいところですが、流石にこれは一人で片付けられる問題ではありませんね」

 クラーリィは黙った。黙って考え込み、いくつか対処法を考えたがどれも有効とは思えない方法だった。その内一つ、恐ろしい方法が浮かんだがそれもやはり却下、…したいところだが今のところクラーリィに考えつく最高の手段だっただけに捨てるのが惜しい。
「パーカス、三日間猶予をくれないか。少し良い案が浮かんだんだが、ちょっと公言が憚られる。三日間で俺がどうにかできなかったらまたおまえに相談する。間に合わないか?」
「いえ、三日間程度でしたら大丈夫でしょう。それにしても、あなたお一人で大丈夫なのですか」
「…多分な。ダメならすごすご逃げ帰ってくるから、心配するな。強行突破はしない」
 クラーリィは尚も心配するパーカスをなだめ、なんとか三日間の約束を取り付けた。クラーリィは三日間で「秘密裏に」この案件を片付けなくてはいけない。良くも悪くも今の段階ではトップ・シークレットなのだ。

 さて、覚悟を決めなくてはいけないようだ。
 シコードに頭を下げる覚悟を。


 ***


 シコードの泊まっている部屋の前をうろうろしていると、中から小さく「開いているぞ」という声が掛かった。ぎょっとしたクラーリィは一瞬本気で帰ろうと思ったが、それに付随するデメリットを考えると足は部屋の中へ向かう他なかった。

「ノックをしたら二つ返事で入れるつもりだったんだが」とシコードは言った。案内されるがまま、クラーリィは一つ奥の部屋へ通される。
 椅子を勧められたがクラーリィは断った。あまり相手の言うことを聞いていると相手のペースに丸め込まれてしまいそうだ。
 シコードは残念そうな顔をすると、戸締まりの確認をしに離れた。一応、クラーリィが尋ねてきたからにはそれなりの話しがあると分かってくれているのだろう。窓は閉まっているか、ドアは閉じられているか、一通り確認して戻ってくる。
「おまえがこっちに来ると分かったから楽しみにしていたのに、肝心のおまえは人の部屋の前で右往左往しているし」
「助け船には感謝する、と言いたいんだが」
 クラーリィは念のためシコードから一歩離れた。
 シコードは相変わらず一言多い。来ると分かったとはどういうことだ。
「盗聴器でも仕掛けたのか?」
「クラーリィ、世の中には盗聴器より便利な妖精というものがあってな」
 そこ、とシコードは中空を指差した。クラーリィはそっちの方へ視線を向けるが、何も見えない。
「見えないぞ」
「情報収集用の妖精が、主以外の人間に見えたら大変なことになると思わないか?」
 不審を抱いたらしいクラーリィが眉を寄せた。シコードは弁解に回る。
「心配するな。盗聴はしていない。もしそんなことをしたら、おまえが俺を拒否する理由を与えることになる」
「シコード。おまえはいつも一言多い」
 最早呆れるしかないクラーリィをまっすぐに見て、シコードは続けて「俺は本気なんだ」と言った。
 そうだろうね、と思ったがクラーリィは返事をしなかった。視線も逸らした。まっすぐ、実直なシコードの眼差しは随分と胸に痛い。そんな彼を利用しようとしている自分に嫌気が差して仕方なかった。

 シコードはクラーリィが言葉に詰まったのを認めて、ところで、と呟いた。何か用があったんだろうとシコードは続ける。
「人生相談か」
「間違ってもおまえにだけはしないよ」
 クラーリィは首を振った。して欲しいのかと一瞬考えたが、そんなことよりと思考を戻す。
「単刀直入に言おう。頼みがある」
「人殺し以外なら請け負ってやる」
「気持ちは有り難いが、話を聞いてから考えてくれないか」



 クラーリィは淡々と今回の主題を話し、それからおそるおそる前を見た。さてシコードの反応は。
「そうか。分かった」
「わ、分かったって、何が」
 あまりにもあっさりした反応にクラーリィは狼狽える。もう少しこう、悩んでみせるとか考えるとか、そういう間があったほうが逆に自然というものだ。
「おまえは俺に頼み事があったんだろう? 俺は請け負った。おまえは詳細を聞いてからにしろと言った。俺は詳細を聞いたが意思は変わらなかった。それだけじゃないか」
「…それだけなのか」
 クラーリィは肩を落とす。気負っていた自分が愚か者のようだ。シコードの視線に揺らぎはない。
「なあ、言ったろ、けっこう危ないんだぞ」
 はん、とシコードが鼻で笑う。
「俺も言ったはずだがな。俺は本気だと」
 だいたい頼み事をしに来たのに、おまえは断って欲しいみたいだな、とシコードは笑った。その通りかも知れないとクラーリィは思ったがもちろん口にはしない。

 これで「本気だ」と言われたのは二回目だが、クラーリィにはようやく実感できたような気がしていた。クラーリィレベルでも躊躇するような物事をいとも簡単に請け負ってしまう。まるでホルン様に向ける自分の行動理念のようではないか。
 だとしたら重すぎる。万が一彼の気持ちに応える気になったとしても、果たして自分にそのくらい重いシコードの気持ちを受け止めることができるのか。初めは良くても、そのうち底を突き抜けて共倒れしてしまうかも知れない。

「では、明日、夜に」
「ああ、迎えに来る」
 シコードに見送られてクラーリィは部屋を出る。この状況下においても「ではお礼に」などと言い出さないシコードに少し感謝しつつ、クラーリィはとぼとぼと自室に戻った。



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