隣・2



 ***


「しかし、スフォルツェンドも随分物騒なことを考える」
 隣を歩くシコードが感嘆する。
 クラーリィはグローリアの人間が物騒呼ばわりか、と不愉快になったが表情には出さなかった。自分は彼にお願いをしている立場の人間だ。
「世界を統べるのは人間で、その他は人間が使役すべきもの。…と、俺は習った」
「何となく、グローリアとスフォルツェンドの仲が悪い訳が分かったよ」
 王様と王様は相容れないものだ。ひとつに二人の王様は要らない。

 いわゆる魔獣を飼い慣らそう、という計画がある。
 魔力を持った生命体、その多くはかつて魔族の支配下に置かれていたが、今や魔族の大半は封印され、魔獣の主は魔族から人間へと移行しかけている。
 表向きは研究のためとかいう健康的なものだが、後ろ暗いことを考えている人間がいないとも限らない。
 現に、スフォルツェンドがいつまでも世界の台頭に立つことを快く思っていない者がいるし、クラーリィもそのことをよく分かっている。
 多くは語れないが、少なくともその術が未完成である内は口外が憚られる。復興の最中にある国民の不安を煽るだけに決まっているからだ。

「で、そいつが逃げ出した、と。餌をやらなかったんじゃないのか」
「そんな簡単にいくものか。確かに人間より知能は低いが、片言の言葉くらいは話せるんだぞ」
 クラーリィは心の底から、監視責任者をあとでこっぴどく絞ってやろうと考えているが、今はそれどころではない。シコードという人間を一人巻き込むことにはなったが、その他の全ての者に知られずに、逃げ出した痕跡、そしてその魔獣が存在した痕跡そのものを綺麗さっぱり消さなくてはいけない。
 それも、三日以内に。
「餌をやらなかったなんて理由なら、俺はそいつを消し炭にする」
「人殺しは良くないな。そいつを餌にしてしまえ」
 冗談なのか本気なのか、クラーリィにあわせて珍しくも軽口を叩くシコードにクラーリィは幾分救われた思いだった。



 追跡調査及び魔力の軌跡の調査により、魔獣の逃げ込んだ場所はあらかた特定できていた。
 もともと研究所がスフォルツェンド郊外にあったのだが、魔獣はそこから歩いて半日ほどの山奥に身を潜めている。幸いにして人家のない険しい山で、このご時世下観光客も見あたらなかった。
 鬱蒼と茂る森に覆われ、不気味な霧すら吐き出し、無人の山は二人の前に姿を現す。
 シコードとクラーリィは黙って山を見上げた。こういった用事でもない限り立ち入りたくない部類の場所だ。自然と生唾を飲み込む己に気付く。
「さて、大神官様」
「クラーリィでいい…」
「じゃあクラーリィ。少し偵察させるから、待っていてくれ」
 シコードはそう呟くと、すぐ側を飛んでいた妖精数匹に指示を与える。
 妖精たちはくすくす笑いながらシコードの周りを飛んで、すぐに山へと向かっていった。

「ところで、その魔獣とやらは大きいのか?」
 どうやって対峙しようか考えているらしく、シコードは手元を見ながら呟いた。使役する妖精を選ぶつもりなのかもしれない。
「うーん…ドラムくらいの大きさかな。ドラムって分かるか、あの魔界軍王の…」
「おまえが倒した奴だな」
 クラーリィは苦笑いをし、首を振った。二度も殺されかけて、骨もボキボキに折られたのに、結局とどめも刺せなかった。
「公的文書じゃ俺になってるけど、実際はそうじゃない」
「ま、よくある話だな。おまえが倒したことにした方が何かと都合がいい。
 おまえは体を張って部下を、国を守った。実質女王に次ぐスフォルツェンドの権力者として相応しい肩書きだ。
 それに、部外者に倒されたとあっては大国として名を轟かせるスフォルツェンドの面子が保てない」
「そういう風に言われると、本当に恥ずかしいな」
 あの時己の慢心を思い知らされていなければ、自分はどこかで命を落とし、ホルン女王を悲しませていたかもしれない。
 自分が原因で彼女に悲しみを与えるなど絶対に嫌だ。加えクラーリィは、何があってもホルン女王が生きている内は死なない、もしくは寿命で死ぬと心に決めている。
 己は大神官であると必要以上に気張っていた現実を思い知らされたという点ではいい薬だったが、少々苦すぎた。
「世の中そんなものだ。騙されていた方が幸せなこともある」
 例えばこんな現実、とシコードは目の前の山を指差した。

 全くだ。クラーリィは大きく大きくため息をつく。まさかこんなことになろうとは微塵にも思わなかった。魔獣が逃げ出したこともそうだし、シコードと二人っきりの状況というのもその内だ。
 クラーリィは隣を盗み見る。隣にはようやく帰ってきた妖精たちから情報を聞き出し、どのルートから山に登るか思案しているシコードがいた。

 二人は連れだって歩き始めた。ざくざくと柔らかい土を踏み締める音が耳に届く。
 シコードからしたら随分嬉しい状況なのかなと思いつつ、クラーリィは歯を食いしばって山を登っていた。ちっとも虫や鳥の声が聞こえない。やはりこの山に潜んでいるのは確かのようだ。
「なあ、クラーリィ」
「ん」
「もう一度確認するが、魔獣は“消して”しまって良いのか?」
 痕跡ごと、とシコードは呟く。シコード本人は無表情だったが、彼の肩に座る妖精が心配そうな顔をしているのを見てクラーリィは詰めていた息を吐いた。そうだな、と彼は呟く。
「一応檻は残っているし、うまくワープ魔法が使えるなら転送した方が個体も減らないし死体処理もなくて楽。
 だが、俺ワープ魔法苦手でな」
 失敗してもみ消すことのできない事態になってしまったら目も当てられない。市街に落としてしまった日には混乱必至、最悪住人全ての記憶を消して回るなんて事になりかねない。
 無論、クラーリィとてそんな違法行為は避けたい。
「俺がやろうか?」
「何とお優しいお言葉。でもどうやって」
「魔法にできることの大概は妖精にだってできる」
 シコードはそう言って数歩進んだが、いや、と先の発言を覆した。
「今回はおまえがちゃんとワープさせた方が良いな。集中できる環境があれば大丈夫だろう?」
 大神官様だものな、とは言わないものの、シコードの言葉にはそんなニュアンスが含まれる。クラーリィは少し考えてから、集中できるのであれば、と釘を刺した。
「では、俺が囮をやるから頑張るんだな」
「囮って…」
「何か不都合でも?」
 いいや、とクラーリィは首を振った。
 隣を歩くかつての師団長、そんな彼が「囮」になるという。昔の状況を考えるにあり得ない現実だ。クラーリィならば、たとえ何があろうとプライドが邪魔してそんな単語は出てこないはずだ。
 自然と、歩みが遅くなってしまう。
「どうした?」
 クラーリィが途端に遅れだしたのを見て、シコードは数歩先で立ち止まった。クラーリィが追いつくのを待ち、心配そうに首を傾げる。
「鬱だ」
「何がだ?」
「おまえを利用している自分が嫌になった」
「俺はおまえの役に立てて嬉しいが…」
 クラーリィは言い返そうとして口を噤んだ。

 自分は何と言い返すつもりだったのだろう。俺は今こうやっておまえの気持ちを利用しているけれど、その気持ちに応えることはないんだと、そう言ってしまうつもりだったのだろうか。
 自分はそんなに嫌な奴だったか、とクラーリィは自問自答のループに陥ってしまった。

 黙ったクラーリィをどう受け取ったのか、シコードは少しばかり考えてから「気にするなよ」と呟いた。おまえはホルン女王のために何かするとき、見返りを求めて何かするのか、とも。
「俺はホルン様を恋愛対象として見ていないよ」
「でも、まあ、似たようなものだ。愛と献身なんてものは」

 クラーリィは今度こそ押し黙った。



 もうだいぶ山奥まで入っただろうか。後ろを振り向いても来た道を見ることができなくなり、いっそう深まった闇の中、不気味なほど物音がしない。
 隣を歩くお互いの呼吸音と、己の心拍音と、微かに耳に届く妖精の羽音、そして木々の啜り泣くような囁き。
「大丈夫か」
 シコードがあれきり口を噤んでしまったクラーリィを気遣って顔を覗き込む。クラーリィは申し訳なさそうに頷いて、平気だ、と呟いた。
「しかし気持ち悪い場所だ、」
「しっ」
 クラーリィの言葉を遮ってシコードが身構える。クラーリィも遅れて立ち止まり、何も見えない前方の闇を探った。魔獣の姿は見えないし、気配を感じとることもできない。
「シコード…」
「こっちに向かってきているらしい。気付かれたか」
 らしい、との語尾に今の情報がシコードの使役する妖精から得られたものであるとクラーリィは判断した。

 魔法は所詮本人の力そのもので、使う人間に沿って限界が現れる。その分妖術は使役できる妖精によってある程度幅ができるし、場合によっては魔法より便利だったりするかもしれない。
 魔法と妖術の二つを使いこなせたらいろんな意味で強くなれるかも。もしシコードの望み通り付き合うなんてことになったら、その恩恵にあずかれたりするんだろうか。
 と、ここまで考えてクラーリィは今まさにその恩恵にあずかろうとしている現実を思い出した。この状況下に何を考えているのだか。いくら隣にかつての師団長が居るからといって、気を抜きすぎなのではないか。

 そんなクラーリィの心の内など知る由もなく、シコードはただ黙って前方を見据えていた。クラーリィが申し訳なさそうにどうしようか、とお伺いを立てる。
「気付かれたのは確かのようだな。恐らく空腹だろう、待ち伏せしていれば俺たちを食いにやって来るかも」
「じゃあ罠でも仕掛けるか」
 それがいい、とシコードは同意した。二人はその場を見渡し、少し開けたところに移動した。クラーリィは素早く地面一面に魔法陣を描く。
「なあクラーリィ」
 作業に集中しきっていたクラーリィはやや大げさに顔を上げた。その反応に邪魔をしたことを悟り、シコードはやや慌てて非礼を詫びる。
「いや、聞き流して構わないんだが…
 俺がさっき囮をやると言った時、おまえは随分納得のいかない顔をしていたが、気にすることはない。大丈夫だ。俺の実力はおまえだって知っているだろう」
 そうだな、俺はいつもおまえに負けていたよな、とクラーリィは思い出したが黙っていた。口と手は同時に動かせそうにない。それでもなんとか彼の不安だけは否定しておこうと、随分ゆっくりとこう呟く。
「別に、もう、気にして、ない」
 反応が遅くなるほどに己の手元に集中していた。それが良いか悪いかは別としても、それが可能だ、この場をシコードに預けても安全だと無意識下に判断する程度にクラーリィはシコードを信用しているということだ。
 ただ、それも伝えるのは止めておこう、とクラーリィはひとりごちた。別段嫌がらせをしたいという訳ではなく、純粋に妙な期待を持たれると困るからだ。

「できた」
 クラーリィは裾を払いつつ立ち上がる。
 何の労いの言葉もくれないシコードの視線の先では、今では随分見掛けることの少なくなった巨体が、静かな地響きと共に姿を現していた。



 ずしん、と静かに地が揺れる。

 久々のこの感覚をクラーリィは随分懐かしいものだと認識した。心臓が高鳴り手には汗が滲む、だけれど視界はまるでスローモーションのよう。かといって興奮しているのかと言えば頭は驚くほど冷静で、ただ目の前の目的、敵の排除という一点に神経が絞られる。
 くすんだ色の巨体は、二人を目指してゆっくりゆっくりと近づいてくる。
「俺が気を引く。おまえは頃合いを見計らってワープを仕掛けてくれ」
 返事代わりにクラーリィは紋を描く。呪文を唱えればもっと簡単にできるだろうが、朗々と呪文を唱えて巨体の気を引いてしまっては本末転倒だ。静かに型を組むだけで魔法を完成させ、あるべき場所へ帰さねばならない。
 ただでさえ不安の残るワープ魔法のレベルを自ら上げることになってしまうが、ここはシコードを信用して型を組むことに専念すべきだろう。
 一つずつ確実に、そして素早く、クラーリィは魔法を組んでいく。

 クラーリィが背後で魔法を組み始めたことを視界の隅で確認し、シコードは巨体の方へ向き直った。遅々とした歩みだが、ぶれずにこちらへ向かっている。やはり標的になっているのだろう。
 シコードはゆっくりと魔獣の方へ歩み出した。ぐるる、と哀しい呻き声が聞こえる。
 こんな山奥で仲間も居らず、腹も減って、さぞや寂しかろう。大人しくしてくれれば殺しはしない、と言いたいところだが飢えた彼にそんな言葉が通じるとは思えない。
 二メートルほどの距離を保ってシコードは立ち止まった。無防備に見上げる彼を恰好の餌と思ったのか、巨体はその腕を振り上げる。
 ドオォン…という鈍い響きがクラーリィの耳に残った。

 轟音と共に魔獣の腕が地を抉り、粉塵が宙を舞う。大量の妖精を従え飛び退いたシコードは不敵に笑った。久しぶりの戦闘だ。守る相手までできて腕が鳴るというもの。
 背後にクラーリィを控え、彼の短い戦いが始まる。

「こっちだ、愚か者」
 挑発的な言葉が通じているのか、それとも雰囲気で察したのか、魔獣は不愉快そうに唸り声を上げる。シコードを見据え、右に左に腕を振り下ろすがかすりもしない。そしてそのまわりを挑発するように妖精たちが舞い、魔獣の不愉快を助長する。
 ガアァ、と一際大きな唸り声を上げて重い一撃が加えられる。直前までシコードの立っていた場所は綺麗に抉られ、またも視界を粉塵が奪った。シコードは彼の背に回り、だいぶ手加減した一撃をお見舞いする。
 体力を減らしておけばクラーリィもやり易かろう。もっともシコードの危険度は増してしまうが、そんなものどうってことはない。

 少しずつ迫ってきているものの、なかなか良い位置で立ち止まってくれず、クラーリィは魔法を発動させることができない。じりじり位置を変えては発動させようと身構えるが、成功率を考えるとその手が止まった。
 確実でなくてはいけない。失敗は許されない。
 ちくしょう、と心の中で叫んでは一歩下がる。いつまでもシコードに任せておける訳ないと頭では分かっていても、それが焦りに繋がり一瞬の機を逃してしまう。

 歯がゆさと焦りとで、つい舌打ちをしてしまった。
 悪癖もいいところだ。品がない。
 ――ああ、それがいけなかった。

 巨体がシコードの後ろに隠されていたクラーリィの存在に気付いた。すばしっこく逃げ回るシコードで腹を満たすことは諦めたと見え、視線を真っ直ぐにクラーリィに向け、脇目も振らず、一心不乱にこちらに向かってきた。
 ずしいん、ずしいん、先程より格段に幅の狭まった地響きが段々と近づいてくる。
 巨体は見る間にクラーリィに迫る。

 無論クラーリィは焦った。だが、それ以上に焦ったのはシコード。今のクラーリィは「盾」をシコードに任せ無防備状態のはずだ。クラーリィに標的が絞られる可能性を考えていなかった……!
 彼は巨体の方向転換に気付き、慌ててクラーリィの方へ駆け寄る。この距離でここから攻撃を仕掛けるとクラーリィにも当たってしまう、どうする!
「クラーリィ!」
 極限まで集中して魔法を途中で止めている状態なのだ、いきなり振り掛ってきた腕を避けられる訳もなく、クラーリィは万が一の可能性に掛けて受け身を取ることを諦めた。
「クラーリィ、危な――」

 そして、鈍い音が。



Top Pre Nxt