隣・3



 ***


「すまん…本当にすまん」
 半泣きになっているクラーリィの目の前で、血だらけの腕を拭いつつ平気だ、とシコードは呟いた。しかしその表情に余裕はない。心配そうな顔をした妖精が周りを飛び回り、その内のいくつかはシコードの腕に一生懸命鱗粉を吹き掛けている。
 不審な眼差しを向けるクラーリィに、シコードは「回復魔法には劣るがそれなりの治癒効果がある」と解説した。
「なあ、そんな顔するんじゃない」
 クラーリィは納得しない。かといって泣き出すほどでもないらしく、自責の念と自己嫌悪とで今にも死にそうな顔をしていた。
「クラーリィ」
「すまない」
「もういいから」
「でも…」
 己を庇って怪我をしたシコードに、クラーリィはいくら言い訳してもしたりない程の悔悟の念を抱いていた。回復魔法が使える訳でもなし、そもそも魔法に回復魔法以外の回復手段はないから、仕方なく俯いたまま服の裾を破って簡易包帯を作る。
 口を開こうとしないクラーリィに対し、「なあ」とシコードはもう一度声を掛けた。
「ワープ、あまり得意じゃなかったんだろ」
「ああ」
「でも、ちゃんと成功したじゃないか。しかもあんな状況で。やったな」
「…ああ」
 この状況下においてクラーリィを慰めるか。クラーリィは更に肩を落とした。
「シコード、帰ったらちゃんと治療をしよう」
 ああ、とシコードは頷く。取りあえず失血は止められたのか、疲れ果てたらしい妖精のいくつかはすっと消えてしまった。ご苦労様、とシコードの言葉が追い掛ける。
 クラーリィは黙々と布を巻いた。
「痛いか、痛いよな」
 鎮痛の魔法ならあるが、とクラーリィは言う。シコードは少し考えてから、じゃあお言葉に甘えて、と呟いた。
 低い声が耳に届いた。青白い光が暗い山奥で瞬く。

 木にもたれ掛かるシコードの隣に、クラーリィは控えめにしゃがみ込んだ。目に入る傷口が痛々しい。
 シコードは黙々と魔法をかけるクラーリィの横顔を眺める。座り込んだ所為でか、裾髪に木の葉が少しついてしまっていた。振り払ってやりたいところだが、今のクラーリィに手を出すのは酷、もとい卑怯だろう。
 目の前には不自然に残る点々とした血溜まり、そして芋掘りにしては激しすぎる抉れた地面。

 クラーリィの手の下で、青白い光りがちらちらと漏れる。漏れ出した光はクラーリィの顔を照らした。シコードはその青白い頬に手を伸ばしたい衝動を必死で抑える。
「俺はおまえに嘘を言いたくないから、痛くないとは言わないが」
 シコードは独り言かと思わせる程小さな声で呟いた。ん、とクラーリィはその先の言葉を促す。
「随分楽になった。ありがとう」
 礼を言うのはこっちだ、とクラーリィは返す。延々と礼を言い合う滑稽なループに陥る可能性に気付いたのか、分かった、とだけ言ってシコードは頷いた。

「なあ、シコード」
 クラーリィは申し訳なさそうにシコードを見上げる。見られた彼はまだ何かあるのかとクラーリィを見て、どこか怪我でもしたのか、などと心配してみせる。
「いや、そうじゃなくて。…何か礼をさせてくれ。その、…なんでも…いいから」
「人殺し以外は、か?」
 クラーリィはシコードの若干呆れた声色に肩を竦めて頷いた。ここまでさせておいて、おまけに怪我までさせて、ありがとうの一言で片付けられるほど世の中は甘くないだろう。
「なんでも、ね」
 クラーリィはもう一度頷く。最早シコードの口から何が飛び出てきても驚くまい。覚悟を決めた、とクラーリィは自分自身に言い聞かせた。
「じゃあ、おまえの休日を一日俺にくれ」
 クラーリィは少し固まった。そして、目の前のシコードが例によって冗談を言っている訳ではないことを確認して、ゆっくりと頷いた。
 次の休日の予定は、と呟く声は随分小さかった。



 帰路についた二人の周りを、行きとは比べものにならない数の妖精が舞っている。久々に主に呼び出されて嬉しいのか、それはもうくるくると回り続けている。目で追っていると目が回りそうだ、と判断したクラーリィは前を見て進むことに集中することにした。
「…ん?」
 ふと頭のあたりに重量が加わったような気がして、クラーリィは少し歩みを緩める。それに気付いたシコードが、「ああ」と笑う。
 妖精のうちのひとりがクラーリィを余程気に入ったのか、クラーリィの頭の上を自分の居場所と決め込んで座り込んでしまったようだ。クラーリィは困った顔をしてシコードが助け船を出してくれやしないかと願ったが、彼は何が可笑しいのか肩を震わせ続けている。
「な、なあ」
「おまえのことが、好きだと」
「そ、そうらしいな」
 シコードは笑う。
「羨ましいな。俺もやりたい」
「いや、おまえはちょっとサイズ的に無理だ…」
「小さくなる魔法とかないのか」
「いいいや、あっても掛けない、絶対に掛けない」
 クラーリィは慌てて首を振る。想像するだに恐ろしいではないか。
 シコードはくすくす笑って、至極残念そうに「そうか」と呟いた。

「どうした、俺よりクラーリィがいいか」
 シコードは話し相手をクラーリィ上の妖精に切り替えた。
 どうもシコードにしか聞こえない発声方法を取っているらしくクラーリィに彼女(?)の声は聞こえない。シコードの受け答えだけが聞こえたが、会話文の片方だけを頼りに元の会話を想像するのは流石に無理があった。
「家出したい、と言っている」
 クラーリィの頭の上にいるので妖精の姿を直接確認することはできないが、何とか諦めてもらおうとクラーリィは知恵を絞る。
「な、なあ、俺よりシコードのところに居た方が環境が良いぞ」
「首を振っている」
「俺におまえの言葉はその、聞こえないんだ」
「主が変われば聞こえるようになる」
 くそう、とクラーリィは呟いた。
「ええと、俺は魔法使いで、悪いが妖精とは相容れない存在なんだ」
「理解して貰えるよう頑張る、と意気込んでいるようだ」
「…シコード…」
 クラーリィは諦めてシコードに助けを求めた。シコードは少し間を持って、それから「帰っておいで」と囁いた。
 ふんわり、頭のごく僅かな重量が無くなった。

「残念だったな」
 妖精に声を掛けるシコード。だが余程傷心したのか、クラーリィを好いた妖精は雲隠れしてしまった。
「かわいそうに」
「俺は悪いことをしたか?」
「いや特に。文化の違いだ、仕方がない。でも…」
「何だ」
 シコードはクラーリィの方を向いた。ただ単に見ているのとは違う、好意という感情のベクトルの入り交じったそれは、途端にクラーリィの動作を緩める。
 長いように思えたその行為は一瞬で、シコードはすぐに前を向くと少しだけ笑った。
「俺とおまえがずっと一緒に居られるなら、あれとしては一番いい環境なのではないか、と思っただけだ」
 無論、クラーリィは黙る。そんな反応は初めから予測済みだったと見え、シコードはすぐに謝罪に回った。
「ただ単に俺の希望だ。俺の気持ちは前に伝えたとおり、…あ、いや」
「ん?」
「そういえば、ちゃんと言っていなかった気がするな」
 はたとシコードは立ち止まった。そしてクラーリィも釣られて立ち止まってしまった。ここでそのまますたすた歩いてしまえば、笑い流せたものを。
 いや、本当はもう笑い流せる場所を大幅に過ぎてしまっている、と頭の片隅でもう一人の自分が突っ込む。
 分かっているはずなのに実感が湧かない。

「クラーリィ」
 クラーリィは返事をしない。すべき返事を彼は持たない。加え、自分の方に向き直ってじっとこちらを見つめてくるシコードの視線が痛い。
 誠意には答えようと中途半端に身体をシコードに向けたのが、その心の痛みを一層痛いものにしていた。
「クラーリィ、おまえのことが好きだ」

 「俺は」とか、「その」とか、とにかく何でもいいから言葉を発してこの沈黙を破りたかった。でも彼の本気にそういったやる気のない対応は不誠実すぎるように思えて、結局クラーリィは硬直していることしかできなかった。
 シコードはクラーリィが何かしら返答をしてくれるのではないかと少しだけ期待を寄せていた。しかしながら、想像通りクラーリィに返答してくれる気配はない。
 シコードの残念そうなため息を、クラーリィは軽く下唇を咬んで聞いていた。

 行こう、とシコードは切り出す。
 黙ってがくがく頷くクラーリィを確認すると、少しゆっくりめに歩き出した。数秒遅れてそれをクラーリィが追う。

 そこから先の二人に会話は無かった。


 ***


 先日の約束を果たす日がやって来た。クラーリィがこっそり招き入れたシコードは、開口一番「休日は普段どうやって過ごすんだ」と聞いてきたので、正直に「部屋に引きこもって本を読んだり寝たりしかしていない」と答えた。クラーリィはドアの鍵を閉め、奥へ入れとシコードを促す。

 町に出れば視察になってしまうし、国外にワープした日にはスフォルツェンドの大神官が直々に偵察に来たと騒がれる。王宮をうろうろしてはクラーリィ様、クラーリィ様、と呼びつけられ休まった気がしないし、働いている大勢の部下たちの視線も心に痛い。
 だからこれは事実だ。クラーリィはただ事実を答えただけで特に他意はなかったのだが、それを聞いたシコードは「分かった」と一言。
「わ、分かったって、何が?」
「その台詞は二度目だな」
「だから、何が?」
「一日部屋にいるんだろう? 了解した」
 クラーリィはあんぐり口を開ける。
「え…い、いやその、別に俺に合わせてくれなくたっていいんだ、だって俺はおまえに休日を一日やるって、」
「おまえの隣に俺の居場所があればそれでいいんだ」
 シコードは気にするな、と笑った。この笑顔のなんと爽やかなことか!

 クラーリィはしばらく納得しない様子だったが、ついに諦めて椅子に戻った。
 来週に回そうと思っていた読みかけの本をもう一度取りだしてぱらぱらとページをめくる。しおりを見つけて本を開き、それからシコードの方へ視線をやる。
 シコードはぐるりと部屋を見渡してから、背の低いソファの方へ腰を下ろした。持ち込んだらしい無難な学術雑誌をめくり出す。
 なんと。じっくり話をしたいという訳でもないらしい。

 このまま一日こうしているのかと早くも青くなったクラーリィは、シコードが次のページをめくる頃合いを見計らって声を掛けた。
「なあ、シコード」
「うん?」
「怪我…どうなった」
 もとは己が原因の一部だ。痛いと言いはしなかったがかなり痛そうだった。内密に医者の手配をしてくれたパーカスも傷の深さに顔を曇らせたほどだ。
「綺麗さっぱり治った。見るか? 痕も残らなかった」
 ほら、とシコードはまくり上げた腕を指し示す。確かに傷跡は残っていないようで、クラーリィはほっと胸を撫で下ろした。
「そうか。その…良かった」
「もう謝るなよ、俺が好きで飛び出したんだ」
 済まなかったと言う前に先回りされた。クラーリィは数回瞬きをして、それから深々と頷いた。そしてシコードは、クラーリィが満足したと認識したのか服を元に戻してまた雑誌を読み始めてしまった。

 会話が続かない。
 クラーリィの努力空しくまたも沈黙が訪れた。仕方なく読みかけの本に目を落とす。しかしいくら文字列を辿っても、素通りするばかりで内容が頭に入ってきてくれやしない。
 集中できない元凶・シコードの方へちらりと視線をやったが、彼は相変わらず雑誌に集中しているようでクラーリィの方は見向きもしない。

 はて、とクラーリィは怪訝な顔をする。
 クラーリィのこれまでの経験からいって、シコードの行動は意味不明だ。己を眺めてニヤニヤするとか、ひたすら時間を使って口説き落とすという訳でもなし、ましてやデートと洒落込む訳でもなし。
 ただ同じ空間を共有するだけというのは今後の進展の如何について考えるにあまり効果があるように思えない。クラーリィが同じ立場に立ったなら、甘い言葉の一つや二つ、己の存在を相手の中に認めて貰おうと四苦八苦しそうなもの。
 だが、シコードはそれらの努力をするつもりはないらしい。
 しかしながら、クラーリィがどれだけ思い悩もうと元凶のシコードが動こうとしないのだからどうにも進展のしようがない。クラーリィはその後も何度か顔を上げてはもの言いたそうな顔をしたが、やがて諦めて手持ちの本に神経を集中させた。
 おかしなもので、感覚が慣れてしまったのか今度はすんなり本の世界に入っていけた。クラーリィはあっという間に本の世界に引きずり込まれる。このペースでいけば諦めていたもう一冊にも目を通すことができそうだ。

 クラーリィが柔らかな表情でページをめくったことを妖精から伝え聞いて、シコードも安堵のため息をついた。
 しばらくぶりに得られた読書の時間に没頭しているクラーリィにそれを知る由はない。



 ポーン、と間の抜けた時計の音にクラーリィは顔を上げる。どうやら本格的に本の世界に没頭してしまっていたらしく、時計の針は正午を指していた。
 シコードに視線をやる。ひょっとして昼寝でもしているかと思ったが無論そんなことはなく、ばっちりこちらを見ていたために目があってしまった。
「…その本、面白かったか?」
 クラーリィは若干慌てて居住まいを正す。
「ま、まあそれなりにな。大衆向けの娯楽小説だから、感動的って訳でも読み終えたから一つ賢くなったという訳でもないが、その、期待外れではなかった」
 ふうん、とシコードは頷いた。別段面白い話ではない気がするが彼は実に楽しそうだ。そしてクラーリィは、シコードが己のつまらない話まで楽しそうに聞くその理由をよく知っているだけに胃が痛い。
「な、昼飯はどうする」
 シコードは時計に目をやって小さく声を上げた。どうやら彼は彼でおのが視界にクラーリィを納めることに忙しかったらしい。
「おまえに合わせる」
「普段は兵団の食堂で一般に混じって飯を食っているんだが、おまえ、食堂でものを食えるのか?」
 クラーリィに別段嫌味を言ったつもりはなかったが、シコードはそう受け取ったようで少し眉を寄せた。
「おまえの国の食堂は、そんなに厳しく作法を守らねばならんのか?」
 いや違う、とクラーリィが慌てる。
「他意はないんだ、ただ単におまえが食堂で飯食う姿が想像できなくて」
 しかも魔法兵団員用の食堂だし、とクラーリィ。
 大神官の身分を持つクラーリィが部外者を連れ込んでも恐らく平気だろうが、問題はそこじゃない。かつての敵と言っても過言ではない人間が、相手側本陣にわざわざ飛び込むことはないだろう。
 シコードは納得したのか表情を元に戻してくれた。食堂で簡単に昼食を済ませる案は却下だ。別の案を探そうかとクラーリィは考える。

「そういうおまえは普段どうしているんだ」と、クラーリィは尋ねた。
 クラーリィのバリエーションの少ない生活では、昼食の取り方も数える程しかない。今のところ考え得る方法がシコードには合致しない気がして、純粋に疑問からこう口にしただけだ。
「俺か? 自炊だ」
 クラーリィは目を丸くした。シコードは続ける。
「たまにホームシックになるんでな。この国じゃグローリアの味は絶対に食えないし。好きなときに飯を食えるという点でも、自炊が一番効率のいい方法だ」
 シコードがくすくす笑うので、彼の埋もれているソファが微かに軋んだ。クラーリィはそんなシコードを見て苦笑いに近い表情をする。
「どうした?」
「いや、食堂まで連れ出すのも何だから、久々に何か作るかと思ったんだが。俺はかなり下手くそだから、はっきり言って美味しくはないし…」
 あまりにも不味い飯を食わされたためにクラーリィへの愛想が尽きるという場合もあるかもしれないが、流石にそこまで不味くはないと思う。それに作って食べさせて、その上でしみじみ美味しくないなあと思われるのはクラーリィのプライドが許さない。
 シコードは己でそれなりのものが作れるようだし、この案も却下…
「作ってやろうか?」
「はっ?」
「作ってやろうか、昼飯。俺もそこまで上手くはないが、今の話からするにおまえよりは上手いように思われる」
 クラーリィは少しだけ腰を浮かせて、それから落ち着け落ち着けと己に言い聞かせて椅子に座り直した。その様子をシコード及び彼の妖精がそれはそれは楽しそうに眺めている。
「いや、そのお気持ちは嬉しいが、今日俺はこの間厄介ごとにおまえを巻き込んだ詫び及び礼としてこの場を提供しているわけであって、」
「んん、分かった」
 分かったって何が、と言い掛けてクラーリィは口をつぐむ。
 これで三度目か? 読解力の無さを訴えているようだからこれ以上の発言は控えたいところだ。
 シコードの言葉には続きがあったらしく、彼は少し思案してから口を開いた。
「おまえが納得するような言い方をしよう。『俺は好いているおまえに手作り飯を食わせてやりたいので、今日の昼食は俺に任せろ』」
「大変分かりやすかった…」
 クラーリィは渋々頷いた。シコードがやりたいと言うのだからやらせておけば良いだろう。嫌という理由も見つからないことだし、職業柄気にしなくてはいけない毒を盛られる可能性なんて、限りなくゼロに近い。
 毒を盛る、自由のきかなくなった相手を襲うという場合も考えられるが、ここまで正攻法で攻めてきたシコードが今になって犯罪めいたことをするとは考えられない。
 そして少なくとも己が自炊するよりは美味しい昼飯にありつけそうだ。

 クラーリィはこう己を納得させて顔を上げた。シコードは柔らかい表情をするに溜まっていたが、彼の周りの妖精たちが恐らくは主の感情に対応してぴょんぴょん飛び跳ねているのが笑いを誘った。



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