隣・4



 ***


「あるものは何でも使って構わない。ろくなものがないが」
「いや、多分平気だ」
 余りにも足りないなら買ってくる、とクラーリィは付け足した。買ってくると言っても誰かに頼んで買ってきて貰う可能性の方が高いけれども。
 シコードはしばし冷蔵庫の中身とにらめっこした後、よし、と頷いた。どうやら献立が決まったらしい。
「味付けはちょっと変かもしれんぞ。俺はスフォルツェンドの人間じゃないから」
「作ってもらう身分なのに、味が変などと言う人間じゃない」
 クラーリィは何か手伝うことがあるかとその辺をうろうろしてみたが、シコードは黙って冷蔵庫から二つ三つ野菜を取りだして洗い始めた。シコードの視界からは既に己が追い出されている。どうもクラーリィの出る幕はないらしい。
「シコード。何か、その、することとか」
「ない」
 念のためお伺いを立ててみたがあっさり却下された。クラーリィは渋々台所から離れる。背後からシコードの「晩飯はどうするんだ」という声が追いかけた。

「どうしよう…」
 晩飯時まで居座る気なのかと一瞬口にしてしまいそうになり、クラーリィの背筋に冷たいものが走った。特に何のお返しもできておらず、ただ同じ空間を共有しているだけの現状なのに帰れと言っては流石のシコードも怒りそうだ。
 そんな姿見たことがないからあくまでも想像の範疇だが、シコードはなんとなく怒ったらとことん怖くなるイメージがある。しかも実力的にも拮抗、むしろクラーリィがやや負け気味なのだから実力行使に出られたら最悪逃げられない。
 彼の自制心が外れたら最後、美味しく「頂かれて」しまう可能性だってなきにしもあらず。まあ、大人しくやられるクラーリィではないが。

 晩飯はどうしよう、と言葉に出してみる。
 休日は半分くらいの確立で、そして平日はほぼ確実に食堂で済ませているがそういうわけにはいかない。かといって出前か何かを頼むのも何だ。大神官のところまで出前一丁なんて一体どんな噂が立つのやら。
 一瞬幼馴染みの誰かに頭を下げて作ってもらおうかとも思ったが、シコードが居座っている理由をどう説明するかで頭が痛くなった。
 まさかシコードにもう一食作れとも言えないだろう。
 さて、どうする。
「お悩みのようだな」
「うわっ!?」
 背後から掛かったお声にクラーリィは文字通り飛び上がった。大げさに振り返ると、料理の邪魔なのか髪を一つにまとめたシコードがいた。この姿、かなり貴重かもしれない。
「調味料の位置が分からんのだが。どこだ?」
「あ、ああ、それはな、」
 クラーリィは立ち上がり、未だ収まらない胸の動悸を沈めながら台所へと向かう。シコードは黙ってその後をついていった。
 普段あまり使わないだけあってほとんど新品同様の調味料を一通り見せるとシコードは笑った。それから、おまえの飯もそう不味くはないと思う、とコメントをする。
「使っていない調味料から一体何の情報を得たんだ」
「調味料を使っていないということは、おまえの作る料理は野趣溢れるものなのではないかと思った。素材がよければおいしいんじゃないか」
「…恐れ入った」
 まあ大体その通りだとクラーリィは言う。実際、使うのを忘れて冷蔵庫に押し込んでいたものや、しばらく自炊をしなかったため時間が経ってしまった素材を使ったときは泣きたくなる程不味い。
 シコードは己の予想が当たったことが嬉しかったのか、少し笑って調味料の吟味を始めた。シコードの視界から再び己がいなくなったことに気付き、クラーリィはそろそろとその場を後にする。

 やがて聞こえてきた規則的な包丁の音に、クラーリィはしんみりと聞き入っていた。これで女だったらほぼ間違いなく絆されていただろうに、運命の女神とやらも随分な皮肉屋だ。
 ああでも、とクラーリィは思い直す。
 女ならあんな危険な作業に巻き込まれてくれとは言わなかっただろう。たとえどんなに実力があろうと、やはりどこかで守らなくては、庇わなくてはと気を遣ってしまう気がする。向こうがそれを望んでいなくとも、いざという時に限って背中を預けられる存在ではなくなってしまう気がする。
 そういう意味では、シコードという相手で良かったかも――

 クラーリィははっと呼吸を止めた。
 今己は何を考えていた。何を肯定しようとした? 先の己の台詞を借りれば、当に絆されそうになったと、そういうことでは…
 そしてまたすぐに考え直す。いろいろと物理的・社会的弊害があるにせよ、それだけを理由に却下は良心が許さない。だからこそ今思い悩んでいた訳であって、決して絆されてはいけないなどということはないはずだ。
 いや、しかし。

 ぐるぐるしだしたクラーリィをよそにシコードは料理に集中していた。料理人のように美味いものは決して作れないし、見てくれと味の両立も難しいけれども、食の進むような料理にしたいものだ。願わくはまた食べたいと言える料理を作りたいが、あまり力んで失敗すると食材量的に申し訳が立たない。
 少しはこちら風にアレンジしようかと、使う調味料の量を調整する。こんな展開になるならもう少し本格的に練習をしておくのだった。
 それこそ、手作り弁当を作ってやるなんて手もあるだろう。平日は人目があるから無理だろうが、ゆっくりしたいはずの休日の昼食/夕飯を作ってやるなんてアピール法もある。

 まあ、現実そういうのは無理だ。シコードは己の考えの行き着いた先にため息をついた。
 クラーリィのことだから、どんなに迷惑に思っても受け取ってしまうことだろう。実際食べるつもりはなくても、一応「どうも」とか言って受け取ってしまうはず。その上で食べる気のない弁当を前に「どうしよう…」などと悩ませるのは不本意だ。捨てるにしても良心の呵責からそう簡単にはいかないだろう。
 今回の申し出だって、半ばシコードが押し切った形だ。ほかに選択肢がありそうになかったというのもあるだろうが、本当はクラーリィは断りたかったのかもしれない。でも己に負い目があることだし、と譲歩したのかもしれない。
 シコードの押しつけがましい親切を断らなかったのは単にクラーリィが優しいだけで、この先のステップへ進める可能性があるというわけではないだろう。悪く言えば流されている。クラーリィの考えが反映されているとは限らない。
 クラーリィの優しさにつけ込む形になるのだけは避けたい。それがシコードの切実な願いだ。



 いただきます、と行儀良くクラーリィが手を合わせた。
 取りあえず見てくれはそれなりになった、自信作と言っては言い過ぎだし、好いた相手に出す初料理がこれというのも何となく納得がいかないが、まあこうなってしまった以上腹を決めた方が良い。シコードは己も手を合わせつつ、クラーリィがちゃんと食べられる料理になったのかどうかはらはらしながら見守っている。
 なにせ文化が違う、シコードも一応味見をしたしややスフォルツェンド寄りの味付けになったように思っているが、所詮外部の者の意見だからあまり信用ならない。
 シコードの心配を余所に、クラーリィは並んだ食器を一通り見渡してから一皿に手を伸ばした。そのまま一口放り込み、黙ってもぐもぐやっている。シコードが緊張のあまり注視しているのを知ってか知らずか、クラーリィは飲み込んでから一言「ん、うまい」と呟いた。
 シコードが密かに肩の力を抜いたことは言うまでもないだろう。
「おまえの見解は正しかったな。俺よりうまいよ」
「それは良かった」
 シコードはようやく一口目を口にする。いろいろと細工したせいで少し火を通し過ぎ、固くなってしまったようだ。味付けももう少しさっぱりめの方が昼食として相応しいだろう。まだまだ改善の余地がありそうだ。まあ、次回があればの話だが。
「シコード」
「うん?」
「ありがとうな。その、助かった」
 照れたように笑うクラーリィにシコードの胸が少しだけ痛む。ぶっきらぼうに食べてくれればそれでひとつ諦めの理由になりそうなのに、クラーリィはちっともその理由を与えてくれない。
 彼のそういう礼儀正しいところに惚れたと言えばそれまでだが、願いの叶う確率の方がそうでない確率よりずっと高いこの現状では幸福を感じるより先に辛くなる時がある。

 皿も半分ほど片付いたところでクラーリィがぽつりと呟いた。彼の視線は壁際に飾ってある写真に注がれている。
「シコード、おまえきょうだいは?」
「いや、いない」
 シコードは首を振る。この位置からだといまいちよく分からないが、あの写真には噂に聞くクラーリィの妹が写っているのだろうか?
「俺、妹いるだろ」
 知ってるか、とクラーリィは首を傾げた。存在だけはと返す。生活圏が違うのか、それなりにクラーリィに付きまとっているはずなのに、シコードは彼女の姿を見たことがない。
「コルって名前なんだ。愛称コルネット。
 普段あんまりにも遅くならなければ彼女と夕食を取るんだ。もう親がいなくて、お互いたった一人の肉親だからさ」
 ああ、とシコードは合点する。折角の休日なのだし、彼女と二人家族水入らずの食卓を囲みたいとそういうことなのだろう。だからシコードと晩飯時まで一緒には居られない、と暗に言っているのだとシコードは解釈した。
 そういう理由なら気にする必要はない、と言おうと彼は口を開きかけたが、言葉を発する前にクラーリィが続ける。
「だけど彼女、今小旅行に行っててね。魔法学校の友達と」
 違ったらしい。勝手な憶測は止そう。
「若い子ばっかり、しかも女の子だけで半月もなんて言うから本当は反対したかったんだが、もう以前程危険ではないし、行く先はそれなりに治安のいい町のようだったし、毎日連絡を寄越すと約束もしたし、ちゃんとプランも立ててあったし、俺自身幼馴染みと旅行行った時はそれはそれは楽しかったのを覚えているし」
 シコードは黙って半分愚痴のようなクラーリィの解説を聞いていた。余程行かせるのが嫌だったのだろう、今でも未練たらたらなのがよく分かる。
 妹の手前、彼女の望みを叶えてやろうと折れに折れてようやくした決断だったに違いない。
「最初俺は反対したんだよ。半分くらいは行かせても良いかなって思ってたんだが、俺はコルの保護者でもあるからまあ、建前上。そしたら凄い必死で行きたい行きたいってせがむんだよ、お願いお兄様お願いってさ」
 シコードは何よりもまず、お兄様と呼ばせているのか、という感想を持った。
 しかしすぐに呼ばせているというのは間違いかもしれないと思い直す。仮にも大国スフォルツェンドを負って立つ大神官なのだ、様付けで呼びたくなるほど自慢の兄だと言われても納得できる。
「結局釘を刺すのもそこそこに『うん、いいよ』って言っちまった。俺妹に弱いんだよなあ。あの時のコルの顔ったら…ぴょんぴょん飛び跳ねて俺に抱きついて…」
 はあ、とクラーリィがため息をついた。よっぽど寂しいのだろう。

「コルちゃんと、仲が良いんだな」
 シコードの台詞にクラーリィの顔色が変わる。急に真顔になり、シコードは何かまずいことを言ったかと先ほどの台詞を反芻したが、あんな短文の中に何かクラーリィの気に障る言葉があったのだろうか、ちっとも分からない。
「コルちゃん、だ? 何だその呼び方」
 おいシコード、とクラーリィが睨む。
「俺はおまえがコルの変な虫になるとはあんまり考えてないが、俺の気を惹こうとコルに何か吹き込んだりした日には消すからな。ありとあらゆる手を使って消しに掛かるから覚悟しとけ。地上から貴様の痕跡を全て消してやる。
 分かったなコルに指一本触れるなよ、おいシコード返事!」
「あ、ああ、」
 シコードは圧倒されてがくがく頷いた。何せクラーリィ、言っているうちに興奮してきたのか言葉の句切りはなくなる、早口になると、シコードが否定する暇もない。
「姑息な手は使わないと約束する」
「約束じゃなくて誓約しろ」
「分かった、誓う」
 クラーリィはふんっと鼻を鳴らした。どうも完全には信用されなかったようだが、この様子では誰に対してでもこうなのではないかと思わされる。
 可愛い妹に近づく輩は全てクラーリィの敵なのだろう。シコードにその感覚はいまいち分からないが、たった一人の肉親であり兄であり保護者であり、クラーリィの中におけるコルのウエイトはシコードが当初想像していたよりずっと大きいようだ。

 クラーリィはかたんと箸を置く。いつの間にやら、目の前の食器はほとんど空になっていた。
「コルが出かけたおかげで俺は毎日一人で飯を食ってるんだ。しかもこの間の不始末の尻ぬぐいが滞って、気が付いたら毎日遅い」
 誰にでも言っていい案件じゃないし、ほとんど俺一人で処理することになるだろ、とクラーリィは愚痴る。
 シコードは黙って頷き彼の言葉を促したが、内心その“誰にでも言っていい案件じゃない”案件に巻き込まれたことを嬉しく思っていた。別に好意を持っているからとかいう理由ではなく、ただ単にこの腕を買われたのだということくらい分かっているが。
「遅くなるともう食堂開いてないんだよな。当然だけど。
 帰ってきて、疲れてやる気もないから適当に鍋に野菜とか肉とか投げ込んでそれで終わり。まあうまいとは言い難い」
 クラーリィはすっとその視線をシコードに向ける。シコードの視界に飛び込んできたまっすぐなクラーリィの視線が、そしてその奥の澄んだ緑の瞳が、シコードの呼吸を一瞬止める。
「シコード、お世辞抜きで今日は久々にうまい飯を食った」
 なあ、とクラーリィは呟く。シコードは返事代わりに頷いた。
「ホントありがとうな。うまかったよ」
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
 ごちそうさま、とクラーリィが手を合わせる。少し怪我の跡の残る指先にシコードは心をくすぐられた。女のように細いとも、海の男のように無骨とも違うその指がシコードの心を掴んで離さない。
 残念なことにシコードの熱烈な視線を感じたのか、クラーリィはすぐその手を引っ込めてしまった。



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