「君の記憶」・2



 ***


「あっ王子、すいません、それ」
「ああコレかい? …はい。どう…」
 ぞ、の一文字が出て来なかった。微かに触れた指を、思わず掴んでしまったから。
「お、王子? あの、えっと…」
 当然クラーリィは慌てる。すぐに離して謝れば良かったのに、リュートにはそれがどうしてもできなかった。
「僕は神様が嫌いだ…」
 クラーリィは首を傾げた。無理もない。
「僕は神様が嫌いだ。いつも、いつも厳しい試練ばかり…」
 無論クラーリィに深い意味が伝わる訳もなく、彼は少し考えてからそうですね、と呟いた。
「でも、その試練を乗り越えた後の幸福もまた、神様の贈り物じゃないですか」
 どうしても肯定できないリュートに気付いているのかいないのか、クラーリィはもう少し続ける。
「きっとそのうち前と同じように生活できるようになるし、その頃には一度記憶を失ったからこそ見えたその人の良いところが分かるかも。
 まあ、サックスの受け売りなんですけど」
「…そう、だね。
 ごめんねクラーリィ、いきなり掴んだりして」
 リュートは手を離した。そろそろと引き下がった手に微かな温もりが残る。

 離れた手が二つ、行き場をなくして机のうえに浮かんでいる。
「…王子」
 じっと己の手を見つめていたクラーリィが呟いた。視線だけがリュートにまっすぐ向けられる。
「何か俺に隠し事、してませんよね。当然言わなきゃいけないことを黙ってるってことは、ないですよね?」
 およそ確信めいた言い方をしたクラーリィにリュートの背筋が凍る。まるで怒っているような…いや、実際怒っているのだろうか。
 じっとこちらを見据える視線が突き刺さって、ちくちくとリュートを責める。
「な…ない、よ、クラーリィ」
 クラーリィは随分と黙ってリュートの様子を伺っていたけれど、リュートに意見を変える気がないことに気付いたようで、ようやく視線をそらした。
「だったら、いいんですけど」
 クラーリィは手を引っ込める。リュートを一瞥してから、足早にこの場を離れた。
 リュートはその背を目で追いかけながら、掴んだ手を握り締める。ほんの少し残った温もりを、逃してしまわぬように。


 ***


「サックス。君クラーリィにとうとう何か吹き込んだね?」
 開口一番。呼び出されて顔を合わせるなりこう言われたサックスは目を丸くする。
「はぁっ!? 何ですか薮から棒に」
 目が据わってて怖いですよ、と茶化すもリュートは乗ってくれない。それどころか表情が更に険しくなったので、サックスは慌ててリュートの方へ近寄った。
「何でそんな断定口調、俺は何も知りませんよ」
 知らない、とサックスは手振りまで付けて主張するがリュートに受け入れる気配はない。
「嘘だ、君絶対何か口を滑らしただろう。怒らないから言ってごらん」
 サックスは首を振った。詰め寄るリュートに圧され、一歩下がる。
「本っ当に何にも知りませんよ。心当たり一切なし! そんな言い方俺にするってことは、何かクラーリィに言われたんですか。嫌われたとか?」
「縁起でもないこと言わないでよ! …嫌われたわけじゃない、と思う。ただ、隠し事してないかって疑われた。何か、当然言わなきゃいけないことを黙ってないかって」
「はは、めちゃめちゃ当たってるじゃないですか」
 リュートに睨まれたのでサックスはすぐに笑うのをやめた。
「ていうか、それ、単にあなたの挙動が不審だったってことは? ほら、隠し事してる人間て挙動不審になるじゃないですか。あとは、妙に思わせ振りな態度を取ったとか。
 さあ王子、心当たりは?」
 リュートはあさっての方へ視線をやると、気まずそうに両方あると呟く。案の定サックスは鼻を鳴らした。
「人のせいにするのは良くないですよ」
「うん、ごめんね。僕あんまりにも図星だったものだから、…テンパってたみたい」
「クラーリィ基本鈍いですからね、まあそんないつ心の中を覗いたのみたいなこと言われたら同じくテンパる自信がありますよ」
 はあ、とため息をつくリュート。
「そうだね、…クラーリィに後で謝r」

「サックスもグルだったか…」

 凍り付いた二人の前に金糸の主が現れた。腕を組み、二人を交互に睨みつけ、あからさまに怒っていますオーラを身にまとっている。
 弁解しようとしたサックスだったが、クラーリィの怒気に負けて開きかけた口を閉じてしまった。
「性格悪いですよ」
 うっ、とサックスが呻く。背景があった時ならどんなことがあろうとリュートに取らなかった態度。顔も怖いが口も悪い。サックスがちらっと盗み見たリュートは予想通り目をぱちくりさせていた。
「俺聞きましたよね? 隠し事してませんかって、言わなきゃいけないこと黙ってませんかって」
 怒ってる時って無駄に敬語になるよね、なんて現実逃避。もっとも口にはしない。幸か不幸かクラーリィの怒りは主にリュートに向けられているようなので、サックスは気付かれぬように一歩下がった。
「逃げるな」
 すぐに見つかった。

「俺嘘つきは嫌いです。この期に及んで嘘も方便なんて言い訳は許しませんよ。人が記憶喪失したのをいいことに水に流してしまおうだなんて都合がいいにも程がある。
 第一! サックス貴様よくも、おまえ俺の味方になるとか言ったくせに裏切りやがって」
 裏切ってはいない、と弁解してみたが無駄だったようだ。クラーリィは腰に手を当て完璧な糾弾姿勢を取っている。先ほどからフォローに精を出すサックスとは対象的に、リュートは掛ける言葉もないのか、とうとう俯いて黙ってしまった。
「あーあーあのー、まあそのこれには深い訳があるんだけど俺はただのとばっちりっていうかおまえと王子の問題っていうか、そういう訳でお暇させて頂いても…」
「サッ、きみ逃げ…」
 流石に慌てるリュートに心の中で謝って、サックスはまた一歩下がる素振りを見せる。今度は許してくれたようだ、とクラーリィを伺い見ると心の底から非難のこもった眼差し。
「別におまえがばらしてくれたって良かったんだぞ。王子の言葉が足りなかったみたいだとか遠回しなことしなくたって。もう俺、おまえに言ってあったんだから」
 えっ、と二人が同時に声をあげる。
「何ですか」
「クラーリィ、君、言ってあったって何を、…何を?」
「まさかおま、記憶」
 慌てる二人を前に、クラーリィは不愉快そうに「ええ」と頷く。
「残念ながら、一部戻ってきてしまいました。申し訳ありませんねぇ。戻らない方が良かったですよね」
「クラーリィ、君、っ…!!」
「はい」
「き、君は…いつから…っ…」
 何度か口をぱくぱくさせて、リュートは続きを話すことを諦めた。一呼吸したあと肩を落とし、ああ、やっぱり僕は君に謝らなくちゃ、と呟く。
「怒って当然だよね。…そっか、僕、君の記憶が戻ってきてくれる可能性を考えなかったんだ」
「心外です。腹立たしく思います」
 おいてきぼりのサックスは二人を見比べる。クラーリィの怒りはようやく一部解消されたようだ。殺気に近い怒気は少し収まった。
「もしこのまま俺の記憶が戻らなかったら、王子どうされるつもりだったんですか。リセットボタンを押した気にでも? 俺はちゃんとあの時考えに考えてはいと言ったのにこんな仕打はあんまりだ、大体あなた俺からいろいろなもの奪っておいて今更なかったことになんて都合が良すぎる、約束通り責任取ってくださいよ!」
 激昂するクラーリィの瞳から一筋の涙。リュートは近寄って手を伸ばし、指で拭った。ごめんね、と繰り返す。
「大丈夫、約束は守るよ。ちゃんと責任は取るし君を守るって言ったのだってちゃんと覚えてる。ねえクラーリィ、僕が悪かった、だから泣かないで、ねえ」

 完全に二人から存在を忘れ去られたらしいサックスは呆れ顔のままこの場を後にした。痴話喧嘩なんて犬も食わない。もちろんサックス君も食べない。


 ***


 数日後、リュートはようやくクラーリィの機嫌を取り戻すことに成功した。
 まだ小さかった頃の方が楽だったような気さえする。いい年になってヘソを曲げた恋人をなだめるのはちっとも楽ではなかったけれど、クラーリィが頭を打ってからの日々に比べたらなんてことはなかった。呼べば笑顔で振り返ってくれる。“恋人だから”過剰なスキンシップだって許してくれる。
 何より笑顔の独占が一番嬉しい。照れくさそうだったり、半分泣いてたり怒ってたり、くるくる変わる彼の表情を独占できる。そして中には、自分にしか向けられないものですら。
 同じようなことを、クラーリィも思っていてくれると嬉しい。

 リュートは少し先を歩くクラーリィを呼び止めた。
「何です?」
「そういえば、具合はどう? 記憶はだいぶ戻ってきたの?」
 ええまあ、とクラーリィは頷く。立ち止まったのをいいことにリュートは距離を詰める。
「未だに、一番最初に戻ってきたのが『俺はあなたの恋人だ』ってことが気に食わないんです」
「そう? 僕は嬉しいけどな」
 なかったことにしようとしてたくせに、とクラーリィが小さく囁く。もう一度自分を選んでくれるのを待とうとしていたという真実は、言う機会に恵まれずまだ伝えていない。伝えたところでクラーリィの機嫌を損ねるのは目に見えているし、多分伝えることはないんじゃないかと思う。
 クラーリィ、とまた名を呼ぶ。
「はい」
 じっと顔を見つめる。当然クラーリィは怪訝な顔をする。
「何ですか?」
「ごめん、呼んだだけ」
 顔が見たかっただけ、と続ける。クラーリィは不満そうな顔をすると、残っていた少しの距離を詰めてリュートの目の前へ。おもむろに手を伸ばし、リュートのほっぺをつまむ。
「いへ、いひゃい」
「じゃあ俺も、マイメモリーに王子の変顔追加っと…」
 クラーリィは途中から笑いだした。くすくす笑いながら右をつねったり左を引っ張ったり、存外楽しんでいるようだ。
「こんな王子が見られるのはどう考えても俺だけ」
「そりゃそうさ。君じゃなきゃ許さないものこんなこと」
 やがていじるのにも飽きたのかクラーリィは手を離した。でもすぐに戻ってきて、両の手のひらでリュートの顔を挟み込む。
 じっと、リュートを見つめる二つの緑の光。
「…クラーリィ?」
「本日はここまで」
 えっ、と聞き返すも遅く、すっと手を離してまた歩き出してしまった。
「ちょっ、クラーリィ、それってどういうこと? きみまだ怒ってたりするの!?」
 ここまでってそんな、今日はまだまだ長いよ! とリュートは続けたがクラーリィに立ち止まる気配はない。リュートは慌てて追いかける。

 クラーリィは慌てるリュートの声を背に笑っていた。もう少し、もう少しだけ。もう少しだけじゃれていたい。振り回したり振り回されたりの日々がどうしようもなく愛おしくて仕方がない。
 クラーリィは急に立ち止まった。勢い余ってリュートがクラーリィの背中に激突する。
「いったあ」
「楽しい」
 リュートはしたたか打ち付けたらしい鼻を押さえる。
「ちょっと不本意だけど、僕も楽しいよ!」
 リュートはクラーリィの顔を見上げる。してやったりとでも思っているのか微笑を浮かべるクラーリィの髪を引っ張ると、そのまま歩きだした。
「いた、自慢の髪が抜けますよちょっと、王子、」
 仕返しかと諦めてクラーリィは大人しくリュートに付いていくことにする。多分、今のリュートは先ほどのクラーリィと同じように笑ってるんだろうな、なんて考えながら。


 *** エピローグ/プロローグ


「君がちっちゃい時からずっと君のことが好きだった」と言ってから一月。
「俺もでした」と控えめな返事を貰ったのが三週間前。
 初めてキスをしたりして、名実ともに恋人になれた気がしてから二週間。
 今日は初々しく二人で散歩でもしようかというお話しだった。

 クラーリィは少し先へ行くと立ち止まり、後ろを振り返った。リュートの方へ真っ直ぐ視線を向け、ぽつりと呟く。
「好きです」
「えっ?」
「『好き』って言って貰うのが」
「…なんだ、期待しちゃったじゃない」
 クラーリィは、往来で大告白はやりませんよと笑った。
「なんかこう、意味もなく幸せな気分になるんです。大げさですけど、生きてて良かったなって思います」
 リュートは立ち止まったままのクラーリィの顔を窺った。やっぱり赤かった。
「君って分かりやすい」
 リュートが笑うともっと赤くなった。
「そう、君が好きだって言うならいくらでも言ってあげるよ。僕は君と違って素直だからね」
 でもたまには君からも言ってくれると嬉しいな、とリュート。クラーリィは努力しますと頭を下げた。

 クラーリィ、足元を眺めて何事か考えている。
「何があっても…」
「うん?」
「何があっても、俺はあなたのことが好きで、あなたに愛されてるのを凄く幸せに思っているって、忘れたくないなと思います」
 リュートの目が丸くなった。返事をしようかとも思ったものの、いきなり直球を投げられた驚きの方が大きくてうまい返事が思いつかない。
 どうやら素でこう語ってしまったらしいクラーリィは、しばらく待ってもリュートが返事をしないことでようやく己が何を言ったのか悟ったらしく、かなり遅れて赤面した。
「びっくりした。往来で大告白はしないんじゃなかったの」
 リュートの追い討ちにクラーリィは肩を竦める。言ってしまったことは仕方がない。
「俺だって、す、好きなんです、仕方ないでしょ」
「おや、二回も言ってくれた」
 リュートはクラーリィの腕を引っ掴むとずんずん前に進みだした。予定を少し変更したい。一言で言えば気が変わった。
 一方クラーリィも、少々つまずきながらも黙々とリュートに付いていく。どうやら異論はないらしい。

 クラーリィの遠征は一週間後に迫っていた。


 ***END



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